Ticket #0 「Hello world」
〈CALIBRATION RAIN / ACTIVATE〉
――わすれたくない。
霧はまだ、人の形を決めかねていた。
未定の白へ、私は潜る。
撫でるでも刺すでもなく、「感覚」が肌と外の境目をなぞっていく。
〈BMI 接続:未認証〉
〈User ID: —〉
最初の雨は、柔らかな手の温度。
雨滴は頬を滑り、境界線を舐めては零れ落ちる。
〈Baseline set〉
――やがて、右耳に冬の鋭さが訪れた。
コップの縁を弾いたような高い音に、耳殻の輪郭が冷たさで際立つ。
〈Right-side cold map: good〉
――左肩に、じとついた夏の色が差す。
温い靄の指先が毛穴の順番を決め、世界が凹凸に現実性を生じていく。
〈Heat response synced〉
吸気は薄荷の匂いを帯びる。呼気は濡れた土の香り。
背中に降るのは縞模様。温、冷、温――ピアノのノーツが鳴り響くみたいに。
半音ずれれば、季節が入れ違う。
掌を上に向け、両手の親指で指骨の根を叩いて数える。一、二、三、四。
雨音が頭の外壁を一周する。
低い雷は左の骨を震わせ、高い鈴が右の鼓膜を刺す。
クリックが背後から爪先へと、瞬きを移動させた。
無音。
残光の中で色が跳ね、停止した世界に遅れて呼吸が息吹く。
〈Auditory / Olfactory / Parallax OK〉
膝下にだけ、針先ほどの夕立が奏でられる。
痛みになる手前の速度、眠らないように強く叩く。
〈Nociception limit set〉
続けて世界は灰一色に染まる。
右に落ちた冷雨が藍に滲む。左では湯気が赤へ燃え、背中に縞模様の金と青緑が交互に走った。
色は一秒で洗い流され、また灰に戻る。
白閃。
次の瞬間、完全な色合いで視界は飽和する。
〈Flare & Color Bleed Sweep OK〉
瞬きひとつに広がる淡い水面の眩しさは、自由を象徴する始まりの反射。
〈Refraction synced〉
無機質な声に雨が一拍だけ止み、心拍がその隙間に一瞬だけ落ちる錯覚。
未だ注ぐ雨を舌先で一粒だけ受けた。金属の味は、冬。甘い湯気は、夏。
――ひと呼吸、冷たい清潔な匂い。
〈Olfactory ch-3: unmapped〉
〈Calibration finished〉
ここなら、走っていける。どこまでだって。
肉体。外殻。私の――ソーマ。
口の周りの甘さは、舐めとるそばから空へと消えていく。
飲んだ唾は、重さを生じぬまま臓腑に落ちる。
踏み出した一歩は、積み上がる先もなく、未だ誰のものでもない――けれど。
私の時間は、ここから始まる。
〈Welcome to Project Arca〉




