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『また従妹に譲ってくれ』が四十八回目だったので、儀礼台帳を白紙に戻しました  作者: ヲワ・おわり


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第70話 北方の秋

 秋のノルディアは静かだった。


 夏の間は城館の外から遠くで虫の声がしていたが、秋になると止んだ。代わりに、風の音が変わった。夏の風より少し重かった。木の葉が揺れる音がした。城館の周りの木が紅葉しはじめていた。赤と橙が混じって、朝の光に透けていた。


 王都では秋をゆっくり見たことがなかった気がした。秋があることは知っていた。でも見ていなかった。窓の外を見る余裕がなかった。窓があっても、外を見ることを思いつかなかった。今年は思いついた。朝、執務室に入る前に廊下の窓から外を一度見るようになった。秋が深くなっていく様子を、毎朝少しずつ確かめていた。それが習慣になった。


 執務室に、朝の光が入っていた。


 アシュリーは台帳を開いていた。儀礼台帳の秋の章だった。ノルディアには秋の収穫祭に関わる慣例が三つあった。それぞれ手順が違った。二つは自分で調べて記録した。一つは昨年の記録を確認した。アシュリーが来る前の記録だったが、前任者の書き方が丁寧で、読みやすかった。


 ペンを動かした。欄外に補記を書いた。昨年との変更点と、今年の担当者の名前を書いた。それから注記を一行加えた。この慣例は三十年前に変更があったが、変更前の形式を維持している地区が二つあること。次の担当者が確認できるように書き添えた。


 この補記の書き方は、王都でも同じだった。四年間書き続けた補記だった。ここでも書いている。場所が変わっても、仕事の仕方は変わらなかった。でも意味が違った。誰かに必要とされるために書いているのではなかった。ここで秋の儀礼が正しく行われるように書いていた。その違いが、ペンを持つ時の感触を少し変えていた。


 扉がノックされた。


「少しよいですか」


 ロドリクの声だった。


「どうぞ」


 扉が開いた。ロドリクが入ってきた。


「昼食にしましょう」


「……もう少しで終わります」


 アシュリーは台帳から目を上げずに答えた。


「急がなくていいです。でも冷めます」


 冷める。今日は温かいものが出るということだった。アシュリーは台帳に補記を一行書いて、書いた内容を確認してから、ペンを置いた。台帳を閉じた。


「……今日は何ですか」


 声に出して言った後、少し驚いた。聞けた、と思った。聞きながら、少し前の自分は食事の内容を聞かなかったな、と思った。聞けなかった。食事というものは、誰かが用意してくれるものを食べるだけだった。自分の好みを告げることは、手間をかけさせることだと思っていた。今は違った。聞いても良かった。


「シエルに聞いたら、昨日あなたが食べたいと言っていたものにしました」


 アシュリーは少しの間、黙った。


 昨日、シエルと話していた時に言ったのだった。城館の厨房が秋になって芋を使う料理を作り始めたという話になって、アシュリーが「食べてみたいです」と言った。何気なく言った言葉だった。ロドリクが聞いていたとは知らなかった。いや、いたのかもしれなかった。廊下のどこかで。でも覚えているとは思っていなかった。


「……覚えていてくれたんですか」


「覚えていました」


 ロドリクが言った。短かった。事実を言っただけだった。でも短いことで却って、大きかった。昨日の会話の中でアシュリーがふと言った一言を、この人は聞いていた。聞いて、今日の昼食に反映させた。それが「覚えていました」という四文字だった。


 大切にされる、ということの形を、アシュリーはここに来てから少しずつ覚えた。大きな言葉や贈り物ではなかった。昨日の一言を今日覚えている、ということだった。疲れたと言ったら仕事を止める、ということだった。考えさせてくださいという時間をくれる、ということだった。どれも小さかった。でも積み重なると、重かった。


 王都にいた頃、誰かが何かを覚えていてくれるということが、怖かった。覚えていてくれる人は、その覚えていることと引き換えに何かを求めることがあった。覚えていてくれる、という言葉の後に「だから」が来た。「覚えていたから、頼んでいいか」「覚えていたから、今度はあなたが」。覚えていてくれることと、負債を積まれることが同じことだった。


 今日は違った。ロドリクが「覚えていました」と言った後に「だから」は来なかった。来なかったから、アシュリーは少しの間だけ、その言葉を受け取ることに専念できた。


 アシュリーは台帳を閉じた。


「では、行きましょう」


 廊下に出た。ロドリクと並んで歩いた。足音が石の床に響いた。この廊下の音を、最初にここに来た時から聞いていた。最初は、長い廊下だと思った。どこに続いているかわからなかった。今はわかっていた。どこに扉があって、どこに角があって、どこで光が当たって明るくなるかを、体が知っていた。


 廊下の窓から外が見えた。紅葉した木々が見えた。赤と黄色が混じっていた。北方の秋は色が濃かった。王都にも紅葉があったが、こんなではなかった。あるいは、ただ見ていなかっただけかもしれなかった。


 アシュリーは歩きながら、少しの間外を見た。足を止めなかった。ただ見た。見ながら歩いた。


 ここにいる。ここに来てよかった。それが今、ただ正しいと思った。


 食堂の方からシエルの声がした。先に来ていた。何か準備をしているのだろう。廊下の先の光が、昼の色をしていた。


 アシュリー・ノルディア。これが、私が初めて、自分のために書いた名前だった。

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