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『また従妹に譲ってくれ』が四十八回目だったので、儀礼台帳を白紙に戻しました  作者: ヲワ・おわり


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第56話 自分が守りたいものがあるから

 ロドリクの言葉が部屋に残った。


 交渉の場で通訳と補佐が必要になる。


 ヴェルナーが腕を組んだまま考えていた。ロドリクは机の端に視線を落とした。アシュリーは紅茶の杯を持ったまま黙っていた。三枚の紙が机の上に広がっていた。アシュリーが一時間かけて書き出した記憶の残骸が、そこにあった。


「王都に依頼する方法があります」


 ヴェルナーが言った。


「外交局に連絡を入れれば、通訳を一人派遣してもらえるかもしれない。ただし時間がかかります。手続きを経て、移動を考えると、早くても五日以降になる。急を要する場合は別ルートも考えられますが、そちらも三日では厳しい」


「カリアスの使節が到着するまで三日しかない」


 ロドリクが静かに言った。


「地元で動ける人間を探す手もある。ただ今回の交渉に使えるほどカリアスの慣習を把握している人間が、この辺境にいるかどうか。儀礼の基礎を持つ人間は何人かいるが、ここまでの細部を理解しているかどうかは別の話だ」


 ヴェルナーが顎に手を当てた。


「儀礼補佐と通訳を別々に手配する方法もあります。通訳だけなら辺境にも話せる人間がいる。ただし儀礼の知識を持つ通訳となると……」


 言葉が途切れた。


 誰も続けなかった。


 アシュリーは杯を机に置いた。


 頭の中で何かが動いた。


 返答を考えているのではなかった。考える前に何かが決まりかけていた。それを言葉にするかどうかを迷っていた。自分が言うべきことかどうかを測っていた。でもその測り方が、三ヶ月前とは変わっていた。以前なら、言わない理由を探した。今は、言える理由を探していた。


「……私が同席してもいいですか」


 アシュリーは言った。


 ロドリクが顔を上げた。ヴェルナーも動いた。二人の視線がアシュリーに向いた。驚いているというより、確認しているような目だった。何かを測っているようだった。


 静かな間があった。


「望んで、動くのですか」


 ロドリクが言った。問いかけの声だった。責めてもいなかった。ただ確かめるような、穏やかな問いだった。


 アシュリーはその問いの意味を分かっていた。


 ここに来た当初、アシュリーはロドリクに言われていた。役に立てることがあれば言う、と。でもそれは与えられた仕事をこなすということだった。誰かに頼まれたから動く、という意味だった。適切な場所にいて、適切に機能する。それは以前の自分がずっとやってきたことだった。


 今は違った。


 誰かに頼まれていなかった。アシュリーが自分から言った。


 沈黙が続いた。部屋の外で風が通った。廊下の向こうで誰かが歩く音がした。城館の日常の音だった。この建物の中で暮らしている人たちの音だった。


 アシュリーは答えを探した。答えは既にあった。言葉を探していた。


「……はい」


 アシュリーはゆっくりと答えた。


「ここにいる人たちのことを、守りたいと思ったから」


 ロドリクが動かなかった。ヴェルナーも動かなかった。アシュリーも動かなかった。


 三人とも静かだった。


「今回の交渉が上手くいかなければ、辺境の人たちに影響が出ます。城館の人たちにも。私には宮廷外交のことが分かりません。でもカリアスの慣習については、少し分かることがある。それを使えるなら、使いたいと思いました」


 言いながらアシュリーは少し驚いていた。


 自分がこんなことを言うとは思っていなかった。三ヶ月前なら言えなかっただろう。三ヶ月前のアシュリーは、動くことを恐れていた。何かをすれば何かを失う、という感覚の中にいた。動かないことが安全だと思っていた。目立たず、波を立てず、ただそこにいることが最善だと信じていた。


 でも今は違った。


 動かないことで失うものがある、と分かった。ここには守りたいものがある。守りたいものがあるから、動く。


「では、お願いします」


 ロドリクが言った。


 短い言葉だった。しかしその短さに重みがあった。依頼でも命令でもなかった。対等な言い方だった。アシュリーが差し出したものを、きちんと受け取った言い方だった。


 アシュリーは頷いた。


「……これが、望んで動く、ということなのかもしれません」


 小さく言った。自分への確認のような言葉だった。ロドリクに向けたわけではなかったが、ロドリクは聞いていた。


 ロドリクは何も言わなかった。ただ少し、目の端が動いた。


 ヴェルナーが書き物を取り出した。実務的な声で言った。


「では準備を始めましょう。使節が到着するまでに確認すべきことをまとめます。儀礼の配置、卓上の装飾、迎えの言葉の敬称、それぞれ具体的に詰めていく必要があります」


「使節の構成を先に確認できますか」


 アシュリーが聞いた。ヴェルナーが頷いた。


「伝令が来ているはずです。人数と代表者の名前は分かります」


「代表者の名前が分かれば、過去の記録と照合できます。台帳の補記には使節の名前も記録していました。何度か来ている方なら、注意すべき点を引き出せるかもしれません」


 ロドリクが机の引き出しを開けた。一枚の紙を取り出した。使節からの通知書だった。アシュリーに渡した。アシュリーは受け取って、名前を読んだ。


 三人の名前が書いてあった。


 長の名前を見てアシュリーは少し考えた。聞いたことのある名前だった。確証はなかった。だが以前、補記に書いた記憶があった。


「この方、過去に一度来ていたかもしれません。確認できれば、どういう方か少し分かります」


「頼めますか」


「やってみます」


 部屋が動き始めた。


 準備が始まった。三日間で積み上げるものがあった。


 交渉の日が決まった。カリアスの使節が三日後に辺境城館に来ることになった。

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