第16話:壊れゆく王国と、静寂のティータイム
王太子アステリオスが命からがら逃げ帰ってから数日。
湖畔の我が家には、かつてないほど穏やかで、それでいて密度の濃い時間が流れていた。
「ゼノス様、焼き立てのスコーンはいかがですか? 隠し味に、先日採れた『魔力の雫』をほんの少し練り込んでみました」
ミーシャがエプロン姿で、甲斐甲斐しく皿を並べる。
彼女の背後では、俺が作った『全自動・洗濯機(実は聖水を循環させて汚れを異次元に飛ばす装置)』が、ゴキゲンな音を立てて回っている。
「ありがとう。……うん、美味い。ミーシャの料理は、食べるたびに体が軽くなる気がするよ」
「それは良かったです。……もし物足りなければ、我の魂の一部を分け与えることも検討しておりますが」
「それは重すぎるから、スコーンだけで十分だよ」
俺が苦笑いしながら紅茶を啜っていると、ふと、王都の方角から「嫌な風」が吹いてきた。
俺の『世界の肺』が順調に浄化を進めているはずだが、王都そのものの中心部――あのアステリオスたちがいる城のあたりだけが、まるでブラックホールのように淀んだ魔力を放ち始めている。
「……ゼノス様、感じますか? あの浅ましい男の妄執が、ついに『禁忌』に触れたようです」
ミーシャの瞳が、スッと冷徹な魔女の色を帯びる。
「禁忌……。まさか、あの街の地下にある『大封印』を解くつもりか?」
かつて、この王国が建国される際に地下深くへ押し込められた、先代の魔王の残滓。
俺がいた頃は、自作の『封印維持の重石』をこっそり設置して抑えていたのだが……。
「おそらく、ハンスとかいう小物では、維持どころか封印の仕組みすら理解できなかったのでしょう。自分たちの力が衰えたのを、地下の魔力を吸い上げることで補おうとしている……愚かですね」
ミーシャが嘲笑うように言う。
彼女の言う通り、アステリオスは焦っていた。
聖女リリィの浄化が効かず、ハンスの聖具が次々と砕ける中、彼は失墜した威信を取り戻すために「古の力」に手を出したのだ。
その瞬間。
地響きと共に、王都の中心から巨大な漆黒の柱が空へと突き抜けた。
「……あ。封印、壊れたな」
俺が冷静に分析する間にも、王都は黒い霧に包まれ、人々がパニックに陥る様子が遠目にもわかった。
普通なら、ここで「元・仲間」として助けに行くべきなのかもしれないが。
「ゼノス様。……行かれるのですか?」
ミーシャが、不安そうに俺の服の裾を掴んだ。
その手は微かに震えている。また自分が封印されていた頃のような、孤独な世界に俺が行ってしまうのを恐れているようだ。
「……いや。俺はもう、自分を捨てた場所のために命を懸けるほどお人好しじゃないよ」
俺はミーシャの手を優しく握り返した。
「今は、このスコーンが冷めないうちに食べる方が大事だ。それに……」
俺は庭に控える『殺戮の番犬(子犬モード)』たちに視線を送った。
「もし、あの黒いのがここまで来たら……その時は、俺の『新しい道具』の実験台になってもらうだけだから」
王都が滅びの予感に震える中、俺たちはゆっくりと二杯目の紅茶を注いだ。
自分たちを捨てた国が自滅していくのを、ただ静かに、特等席で見守ることにしたのだ。




