第3話 「実際、うっふーんとか言いながらポーズ取る女性っていないですよね」
あらすじ
面接合格
黒のスーツにネクタイを締める。顔も洗った、髪もばっちり整えた、髭も残さず剃った。ユニットバスで風呂桶と共有になっている洗面器の鏡の前で身だしなみを確認する。
これから内定をもぎ取った日本防衛所へ出勤するところだ。新入所員として、恥のない格好になったはず。
準備は万端で、玄関で革靴を履いていると、背中の方から声が聞こえてくる。
「兄さん、もう出かけるの? いつもの確認はしないの?」
俺むけて駆けてくるセーラー服姿の美少女は、山本 晴香。俺の妹だ。幼い顔に、活発そうなショートカットが実に似合っている。髪にヘアピンをつけており可愛らしさが倍増している。
身内贔屓を抜いてもアニメに出てくる美少女より可愛いんじゃないだろうか。
「気をつけ!」
俺の掛け声で晴香はビシッと背筋を伸ばして、その場で立ち止まる。指の先まで真っ直ぐに伸びたいい姿勢だ。
「ハンカチ、ちり紙は持ったか!」
「はい。持ってます」
「顔は洗って、身だしなみは整えたか!」
「はい。ばっちりです」
晴香はそういうが、さっき駆けてきたせいか、前髪が少し乱れていた。その前髪を軽く直してやる。晴香はむず痒そうに、目を閉じる。
「これでよし! 最後に、パンツの色は!」
「白です」
うむ、健康的でよろしい。晴香に黒の下着はまだ早い。
「よし、合格だ!」
登校するのだから、身だしなみは整えるべきだ。妹にはいつでも完璧であって欲しい。兄からの切実な願いだ。
次は俺が確認される番だ。
「ハンカチ、ちり紙は持ちましたか?」
「はい。問題ありません」
「顔は洗って、身だしなみは整えましたか?」
「はい。完璧です」
「駄目です、ネクタイが曲がっています」
晴香は首元に手を伸ばすと、ネクタイを整えてくれる。こうしてもらうのは初めてなので、妙に緊張してしまう。妹とはいえ立派な女子高生。女子高生を相手に平静でいられる男性は、嗜好が偏った人ぐらいだろう。
「これで大丈夫。最後にパンツはちゃんと換えましたか?」
「洗い立てのトランクスだ」
「はい。よく出来ました」
この一連のやり取りが、家を出る前の習慣となっている。別に変態という訳ではない。兄妹でお互いを心配しあっているだけだ。むしろ微笑ましいと言ってもらいたい。
「兄さんは私が確認しないと同じパンツをはき続けるんだから……」
妹にそんな心配をかけてしまっている事を恥ずかしく思う。
「いってらっしゃい、兄さん。お仕事頑張ってね」
「行ってきます。そっちもサボらず登校するんだぞ。帰りは遅くなるかもしれないが、夕飯は作るから安心しろ」
そう言うと、2人揃って部屋を出る。
今日は長い1日になりそうだ。
※
立秋も過ぎ暦の上では秋となったが、まだまだ残暑が厳しい。まだ9時前だというのに、太陽の日差しが容赦なく俺を照らす。黒い色が日光を過剰に摂取してくれる。肌着のシャツは既に汗で濡れていた。
手をうちわ代わりに扇いでやりたいが、その姿を見られたら、たるんでいると思われかねない。出勤1日目にして悪い印象を与えたくはない。
「あの人達は何時になったら来るんだ……」
採用通知を受け取り、今日から日本防衛所に勤めるにことになったはずだが、通知書には詳しい出勤時間が記載されていなかった。遅刻厳禁というルールに則って出勤すれば、このざまである。
いや、9時出社という可能性がある。ここは耐えるしかない。
――10時になる手前、ようやく雪絵さんがやって来た。
白いカーディガンにピンクのブラウス、茶色で長めのスカートという少し暑そうな装いである。こちらに気付いたのか、ゆっくりと近づいてくる。歩いてくるだけで、可愛げがあり、つい注視してしまう。
「あ、おはようございます。えーっと、大吾郎ちゃん?」
「おはようございます。雪絵さん。ちなみに俺は大吾です。郎が余計です」
今日も面接の時と同じようにお菓子を口に運んでいる。今日はボール状のチョコレートだ。溶けないようにコーティングされていて手も綺麗だ。
チョコレートを口に含むと、蕩けるような笑顔を浮かべる。こんな幸せそうな笑顔はそうお目にかかることはない。
「大吾ちゃん、気合入ってますねー。こんな早くから出勤なんて」
本当は8時から待っていたなんて、口が裂けてもいえない。別に言っても構わないが、負けた気がする。
「いえ、採用通知を頂いたのですが、出勤時間が記載されていなかったもので……」
「あら、そうなんですか?天地博士らしいですよねー」
あら、とか言ってないで、採用通知書を何とかしようという気はないのだろうか……。ないんだろうな。そもそも、こうして面接に来たのが俺だけのような気がする。
『日本防衛所』ご立派な名前とは裏腹に、ただのプレハブ小屋なので、その室内もかなり暑い。ようやく建物の中に入れたというのに何も変わっていない。日差しを避けられるのはありがたいが。
「まずは天地博士から、お話があると思いますから、大吾ちゃんは、こちらで待ってて下さいねー」
面接を行った、長机とパイプ椅子それと窓が一つだけの部屋に通された。唯一の救いだと思っていた窓は差す日光で室内の温度を高めていく。この部屋に空調など当然なく、ただ暑さに耐える他なかった。
雪絵さんはエアコンのある居間へと入っていった。ここで待つ意味は? と、問いたかったが出所初日ということで黙っておいた。
さらに待つこと1時間、11時を過ぎていた。
天地博士が来たらなんと言ってやろうかとイライラしていた頃、部屋のドアが勢いよく開けられた。
「あぢー……。あづいわよ! 一体どうなってるのよ。もう残暑よ」
大声で文句を言いながら天地博士が部屋に乱入してきた。残暑は暑いものではと、訝しんだ。
その服装は白衣を羽織っているとはいえ、胸だけを隠す水着のような上着に、ミニスカートのみだった。白衣をきちんと着用すると、白衣の下は全裸にしかみえないだろう。
その様子はだらしなく、背を曲げ、口を開け、手を扇いでいた。
「今年は猛暑でしたから」
天地博士の大胆な言動に、今まで考えていた文句を忘れてしまった。
「んー? どうしたのかな? 私をじっと見つめちゃって」
どうしよう、びっくりするほどドキドキしない。
格好だけなら間違いなくセクシーなはずだ。胸も大きい、腰はくびれ、足も長細い、モデル体型、文句の付けどころが無い。ただ、中身が残念すぎるからだろう。
「ほらほら、どうどう? セクシーでしょ? うっふーん」
天地博士は腰をくねらせてポーズを決めている。セクシーポーズのつもりなのだろうか。
「実際、うっふーんとか言いながらポーズ取る女性っていないですよね」
「辛らつぅ! 目の前にそんな女性がいるから! 他に感想はないの?」
積極的に攻めて来る。思っていた以上に面倒な人だ。白衣をめくって、チラチラと薄着を見せびらかしてくる。何かしら褒めておかないと話が進まない。
「そうですね。強いて言うなら白衣が白いところとかいいと思います」
「白いから白衣って言うんだよ!? そんな感想しかないの!?」
「冗談です。そんなことより、入所について話があるんじゃないですか?」
「あれ? 私、全く褒められて無いよね」
急かすと天地博士は正気に戻ったようで、仕事の説明を始めてくれた。
人付き合いを真剣に考え直さなくてはならないと感じた。