第32話 『私は兄さんの妹になりたい』
あらすじ
惚れられ薬は禁止されました
「晴香もお兄さんのようになりなさい」
私が物心付いた時にはお母さんからそう言われていた。
お母さんは教育熱心というわけではなかったけど、教育に対しては厳しかった。
言葉にし難いけど、成績には口を出してくるくせに、熱心に勉強を教えてくれなかった。
子供は自分にとってのステータスの一部、外面がいいようにしたいだけだ。
兄さんはとても優秀で、小学校からテストの点は良かったし、クラス委員長もやったりと、学校生活では非の打ち所がなかった。
だから、お母さんから口ずっぱくいつもの言葉を聞かされた。
よくある話なら、兄さんにコンプレックスを抱いて、反抗的になったりするが、私はそうではなかった。
偉大な兄さんを持って、私は憧れていた。
自分も兄さんのように優秀になって、お母さんに認められたい。
兄さんの背中をいつも追っていた。
だけど、私は兄さんのように優秀にはなれなかった。
いくら勉強してもテストは平均点を少し上回る程度、内申も特別良かったわけでもない。
だから、目標だった。
『私は兄さんになりたい』
それをいつも思っていた。
兄さんはお母さんの希望通りの高校に進学し、首席の成績で学校を卒業した。
だけど、大学には進学しなかった。
そのことをお母さんが許すわけもなく、兄さんに何かを叫んでいた。
兄さんは次第に家に帰ってこなくなり、所謂不良と呼ばれるようになっていった。
そのうち、お母さんは兄さんに何も言わなくなり、お互いを空気のように無視するようになった。
「晴香は大吾のようになったら駄目、もっと勉強しなさい」
いつしか、お母さんの言葉は変わっていた。
私は兄さんになるために、努力してきた。目標があったから、頑張ってこれた。
だけど、お母さんは兄さんを否定し始めた。
突然、目標がなくなり私の成績は下降気味になった。
『兄さんにならないなら、私は何になればいいの?』
お母さんは答えてくれない。
ただ、もっと成績を上げろとしか言わない。
自分を見失い、何をしていいのかわからないうちに、高校受験をするようになった。
もちろん、お母さんが希望する高校を受験した。
結果は落選。
滑り止めに受けた高校に行くことになった。
「もっと勉強して成績をあげなさい」
お母さんはそれしか言わなくなった。
前からわかっていた。お母さんは成績がいい、自分が自慢できる子供が欲しいのだと。
私は母親の自慢の為に成績を上げる道具になっていた。
『私はお母さんの道具でいいの?』
自分を見失っていた頃、何回目かの誕生日に兄さんと話す機会があった。
大学に行かなくなった兄さんと殆ど接点がなくなっていたので、とても久しぶりに感じた。
その兄さんは学校に通っていた時より充実した表情をしていて、笑顔が眩しかった。
「今までろくに会わなかったくせに、誕生日だけ祝いに来るなんて、勝手だよな。だが、元気がないようだったからな」
兄さんは私を見ていてくれた。そう思った。
私こそ、兄さんを見ていなかった。お母さんの道具でいることで精一杯だった。
見上げた兄さんはとても大きくて、笑っていて、頭を撫でてくれていた。
「あー、これ誕生日プレゼントだ。何をプレゼントしたらいいかわからなかったから、気に入らなければ捨ててもいいぞ」
頭をなでていたのはプレゼントを贈るため。
私の短い髪に質素なヘアピンが飾られていた。
頭に手を伸ばすと、確かに飾りのないただのヘアピンがあった。
「ありがとう」
色々と言いたい事があったのだけど、そう言うので精一杯だった。
心に色々な感情が渦のように乱れ、どうしていいかわからない。
でも、私は笑顔になっていた。
「ねえ、兄さん。私って何なのかな」
兄さんを困らせるだけの質問が口から出ていた。
そんな事、兄さんにわかるはずがないのに。
「何言ってんだ、お前は俺の可愛い妹だろ」
まあ、今まで放置してたんだけどなと、ばつの悪そうな顔をしていた。
その言葉に、初めて自分を定義されたように思えた。
それは再び自分の目標ができた。
『私は兄さんの妹になりたい』
今までお母さんに従って、「何か」になろうと頑張ってきた。
だけど、初めて自分の意思でそう思った。
優秀だった兄さんになりたいと思っていたが、今の自由奔放な兄さんの妹でありたい。相応しい妹になりたい。
「私は兄さんの妹でいいのかな」
「当然だろ、お前は俺の妹だからな」
その時、私は妹になった。
その後、さしたる時間も経過しない頃、突然お母さんとお父さんが帰ってこなくなった。
そのうち帰ってくると信じて疑わなかった私は、いつもの通り生活を続けた。
家事は少し手間だったけど、食事はコンビニで何とかなったし、特に不自由はなかった。
でも、両親がいないことはとても不安だった。
そんな中、私の生活は崩壊した。
「失礼します」
鍵をかけていたはずの玄関から数人の男の人が入ってきた。
その人達は私に目もくれず、家の中を物色し、荒らしていった。
何が起こったのかわからなかった。
突然のことに私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
そんな中、兄さんが慌てた様子で私に駆け寄ってきた。
その表情は真剣でまったく余裕がなかったように感じた。
「晴香、今すぐ荷物を纏めろ。ここを出るぞ」
「え? 何が起きてるんですか?」
「ババアと親父が俺たちを売りやがった」
兄さんの言葉の意味が少しわかった。
何らかの事情があって、お母さんとお父さんはどこかに行ってしまった。私たち兄弟を残して。
とてつもない不安。日常が音を立てて崩れていく。
私はどうななるのだろう。
「大丈夫だ。お前は俺が守ってやる。だから、何も怖がることはない」
「兄さん?」
もう、兄さんしかいないと、わかった。
それでも、心のどこかで理解していなかった。
兄さんに言われるがまま、学校の制服、勉強用具など、最低必要限の荷物を纏めた。
そして、兄さんに手を取られ、引っ張られた先には、古臭い2階立てのアパートがあった。
その一室のドアを開けて、一緒に部屋へ入る。
「ここが今日から俺たちの家だ」
「え?」
一室しかないただの部屋。キッチンのようなものはあっても、それ以外何もない。
何が起こっているか理解できなかった。
「大丈夫だ。お前は俺が守ってやる」
私のかすかに震える体を兄さんは抱いてくれた。
「お前は俺の妹だ。唯一の肉親であり、唯一の兄妹だ」
兄妹。
その言葉は久しく聞いていない。
私は本当に「妹」でいいのか不安になってくる。
前に「妹」になろうと思ったけど、本当に私は「妹」でいいのだろうか。
「私は兄さんの妹でいていいの?」
「当然だ。お前はいつまでも俺の妹だ絶対に手放さない」
兄さんから強い想いが伝わってくる。
お母さんとお父さんはいなくなっても、兄さんがいてくれる。
それなら、別にいいかなと思えた。
お母さんとお父さんの子供でいるより、兄さんの妹で在りたいと思っていたのだから。
※
料理をしている兄さんの背中を見ていたら、ふと昔のことを思い出していた。
昔のことなんて、些細なことだ。
今は「兄さんの妹」であれば、それでいい。
今までも、これからもそれはきっと変わらない。いや、変えたくない。
私に「妹」を定義してくて、その身を捧げても私を守ってくれる「兄」それで、私は十分だ。
兄さんも私を「妹」であることを思ってくれるのなら、もう変わりたくない。
「おーし、できたぞ。もやしマシマシ野菜炒めだ」
兄さんは大きめの皿に野菜炒めを盛って、テーブルに持ってきた。
2人で一緒に暮らすようになって、兄さんは料理を覚え、作ってくれるようになった。今でも、私の為に料理を作ってくれる。
そんな兄さんを私は……
「兄さん大好き」
抱きついた。
妹であることは私にとってアイデンティティだ。
1人の女性ではなく、私は「妹」なのだ。




