第31話 「誰ですか、この人」
あらすじ
優しい世界はここにあった
訓練という名の町内一周ランニングを終え、居間へとやってきた。もちろん、ランニング後の柔軟は忘れていない。
とはいえ、多少汗はかいているし、呼吸もまだ整っていない。
「おつかれさま。体力作りか?」
センセイからイケボの一言。これだけで癒される。
「ええ、そんなところです。パイロットは体が資本ですから」
手に持ったタオルで汗を拭いながら答える。
俺はまだパイロットとしての基礎ができていない。少し前まで体力には自信があったが、こうして訓練を行うとまだまだだと実感させられる。
操縦技術も経験不足ではあるが、何とかやってこれている。
もっと向上心を持つべきだ。
前回のように、不覚を取るわけにはいかない。みんなのお陰で死傷者は出なかったが、あれは俺のミスに違いない。
イワマが卑怯だったとしてもだ。
「難しそうな顔をしているな。あまり深く考えず、水分補給でもしたらどうだ?」
センセイの言うとおりだ。
反省はしても、後悔はしない。後悔している時間なんて無い。
「はい。ちょっとスポーツドリンクでも飲んできます」
居間から続くキッチンへと移動し、冷蔵庫に手をかける。
開くと賞味期限が切れた謎のジャムと見たことのないラベルのドリンクがあった。
謎ジャムの処分を忘れていた。
それより、このペットボトル未開封だから飲んでもいいよな?
色も透明だし、他にドリンクはないし、危機管理に欠けるが、ここはいただくとしよう。
「んぐんぐんぐ……」
何も考えずに飲み干してしまった。
味はスポーツドリンクのそれだったし、何より喉が渇いていたようだ。
水分を補給できたお陰か、心拍が収まってきた。
それが心地よくて、少しぼーっとしてしまう。
※
はぁ、と息を吐く。
未だにボウエイオーの整備が終わっていない。
例のシステムを使って色々な箇所で不具合を起こしている。まだやる事はあるが、とにかく疲れた。
休憩時間、みんなは居間に集まっているはず。披露した頭脳は休ませなくては作業効率が下がる。偉い人もそう言っていた。
雪絵ちゃんからお菓子を1つちょろまかしてしまおう。
「みんなは揃っているかしら!」
勢いよくドアを開けるが、特に反応がない。
これはいつも通りなのだが、今回は様子がおかしい。
「あ、天地博士ですか、大吾がおかしいんですよ」
私が現れると、高確率で大吾は嫌な顔をする。が、本人はぼーっと宙を眺めていた。
普段の行いと相まって、間抜けに見えるわね。
「大吾がおかしいのはいつものことでしょ?」
「んー、今日は輪をかけておかしいんですよねー。ずっと天井を見つめてますしー」
確かに奇行が多い大吾でもこんな様子は初めてね。
何が起きたのかしら?
「うむ。大吾に水分補給を勧めてから様子がおかしいのだ」
センセイがイケボでそんな事を言う。やっぱり、センセイのイケボは癒されるわね。
「大吾の奴、冷蔵庫にあった誰かのペットボトルを飲んだらしいんです」
そんなことより、水分補給……冷蔵庫……ん?
何か思い出して――あ!
ヤバイ、忘れてた。
この前、『幼児退行薬』が不評だったから、『惚れ薬』を作ったんだった。
結局、「惚れ薬」って、飲んだ本人は誰を惚れるのかいまいちわからなかったのよね。
だから、ペットボトルに入れていずれ破棄するつもりだったのだけど、何故かはたから見ると開封していないように工夫して、冷蔵庫に保管していたのよ。
これも、一時の気の迷いというやつね。
そんなことより、ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ……こんな事が知れたら、後で大吾に何をされるか――
「これ、天地博士の薬のせいですよねー」
やっぱり、もうばれてる!
これはお説教コースね……。
「愛子……」
唐突に、大吾の姿が消えたと思ったら、愛子ちゃんのすぐ近くにいて、キスができそうなぐらい顔を近づけている。
何? 何が起こっているのかしら?
「お前、Tシャツにいつも気を使っているんだろ。可愛いよな。そういう心遣いがさ」
何故かTシャツを褒め始めた。しかも、愛を囁くように。
何を馬鹿な事を言って――
「う、うん。大吾の気に入るのが何か考えながら……」
愛子ちゃん、ちょっと顔を背け瞳を潤ませて、困ったような嬉しそうな複雑な表情をしている。
何? 何かいい雰囲気を醸し出してるんだけど!?
「気の強いところも、好きだぜ」
好き!
あの大吾が面と向かって、好きって言った!
しかも、愛子ちゃんの耳に囁くように言ってる!
「うん」
愛子ちゃんは頬を朱に染めて、まんざらでもない様子!
何が起こって――はっ! これ、『惚れ薬』じゃない!
この薬を飲むと、相手の好感度が上がるような行動をするのよ!
だから、知らないうちに惚れられる。つまり『惚れられ薬』!
「それと、『除菌』は医薬品や医薬部外品以外では『殺菌』を謳えないから使われているんだ」
トリビア的なことを言い始めた。
完全な薬ではない様ね。次の改善点としておきましょう。
「雪絵……」
「大吾ちゃん……?」
今度は、雪絵ちゃんの目の前に! しかも、軽く髪を触っている。
「いつも優しくしてくれてうれしいよ、姉がいたらこんな感じなんだって」
大吾、雪絵ちゃんにこんな事を思っていたのね。いつも兄だから、そう感じているのかしら。
姉と呼ばれて雪絵ちゃんもちょっと嬉しそうに微笑んでる!
「前にポニーテールでない時は新鮮でいいって言ったけど、やっぱりポニーテールが一番似合ってますよ」(第15参照)
大吾がポニーテールをなでたら、雪絵ちゃんが硬直したように動きを止めた。抵抗することなく、受け入れてるし!
前にって、何があったの? あの2人に何が起こってたの?
しかも、くすぐったそうに雪絵ちゃんが照れてるし!
「後、トリビアではなくトリヴィアが正しいんだよ」
また、トリビア……トリヴィア的な事を言ってるし!
と、そんな事を突っ込んでいたら、頭を軽くなでられた。
正面を向くと、大吾がすぐ近くにいた。柔らかな笑顔を浮かべ、その顔はまるで父親のよう。
「頭をなでられるのが好きなんですよね。いつでもなでてあげますよ」(第19話参照)
前に幼児化した時のこと覚えてるし!
あーっ、もう、恥ずかしくて顔から火が出そう。
でも、どこか落ち着くような、気持ちいいような……
「天地博士は着ている白衣が白いところがいいですよね」(第3話参照)
「これ、褒めてないよね!」
唐突に、素に戻される。そういえば、面接の時にそんな事を言われた。
やっぱり、舐められてる。
「あれは照れ隠しですよ。素の博士は可愛いです」
「!!」
ストレート! ストレート過ぎ!
何か、こう、オブラートに包んで!
あー、胸がドキドキして、大吾の顔を見られない。
「知ってました? なるとは『の』の字に見える方が表なんですよ」
知ってました。
やっぱり、トリヴィア的な事は言うんだ。
愛子ちゃんに雪絵ちゃんは心奪われたように放心してるけど、どうやら私もヤバイみたい。
これからどうしたら――
「兄さんの晴香がやってきました」
居間の扉を開いて制服姿の晴香ちゃんが入ってきた。
ここで、晴香ちゃんまで参戦!
晴香ちゃんはヤバイ。もしかしたら、勢い余って行為をいたしてしまうのでは?
「晴香……」
いつの間に移動したのか、大吾は晴香ちゃんの顎を指でくっいと上げた。
これは少女マンガでは格好いい事を言う時の前触れ!
「いつの間にか、1人前の綺麗な女性になったな。その顔をもっとよく見せてくれないか?」
ああ……もう駄目だ。
晴香ちゃんも『惚れられ』状態の大吾に篭絡されて――
パシーン!
乾いた引っぱたく音が聞こえた。
晴香ちゃんは心底軽蔑した、人間のクズを見るような目で大吾を見つつ、頬を叩いていた。
「誰ですか、この人」
パシーン! パシーン! パシーン!
連続で、大吾の頬ビンタを繰り返す。
一体、何が起こったの?
いつもなら、大吾に抱きついていくシチュエーションなのに。
もしかして、『惚れられ薬』でおかしくなっているのに気が付いてる?
というか、止めないといつまでもビンタしそう。
とりあえず、晴香ちゃんを止めないと……。
※
何か、頬が痛む。
そう感じて、目を覚ます。
目の前には晴香と取り押さえる天地博士。何のコントだろうか。
「天地博士に晴香、何やってるんだ? それに、晴香はいつの間に?」
どうも頭がすっきりと晴れない。
何か記憶に霞がかかっていて、何をしていたか思い出せない。
同時に、頬がかなり痛い。というか、滅茶苦茶痛い。
本当に何が起こった?
「そんな事はどうでもいいか。晴香は晩飯何が良い?」
「兄さん大好き」
晴香が抱きついてきた。
ははは。わが妹ながら可愛いやつ。
天地博士、雪絵さん、愛子の様子がどうもおかしいが、本当に何が起こった?
後日、女性陣から総叩きにあいました。
本当に、何があった?




