覚醒
何かが何時も足りなかった。
其れがなんだかとても気持ちが悪くて。
でも、満たされたら自分が自分ではなくなるようで。
(何故俺じゃないんだ?)
(何故あのガキなんだ)
ふつふつと湧き上がるもの。
これは、何だ?
これは……怒りだ。
ひとりで住むには幾分か大きい家の中の客間で惟神はひとり、うな垂れていた。
これが何なのか分からずに拳を握り締める。
そして、呟いた。
「倭…!!」
あきらかに怒気の含まれていた、言葉。
それだけを残したあと惟神の姿はもう、どこにもなかった。
あな、悲し
あな、憎し
なあ、母ちゃん。
どうして神殿の姫は神降しなんてするの?
それはね、神殿の連中が臆病だからさ
臆病?臆病だから神降しをするの?
そうだよ。連中は神に頼らなきゃ生きていけない輩なのさ。
将来を失うことが怖いのだろうねぇ。
惟神や。
なあに?婆ちゃん。
将来を失うことを恐れてはいけないよ。
だけどね、生きるという事は常になにかを失っていると同意なること。
それでもお前はいつでも前を向いてお生きなさい。
……分かってるよ、母ちゃん、婆ちゃん。
惟神の足は、神殿へと向かっている。
神殿に行ってどうするのか。
そんなことは分からない。
ただ、ただ。胸の痛みを消す為に。
其の為に足を神殿へと向けている。
他に理由があるとすれば、そう、
神を殺すこととは如何なることなのか。それを確かめるために。
目の前には水面に浮かぶ神々しい神殿。
幾度と夢に見た、忌々しい光景。
母や父の死に場所。
今にも聞こえてきそうな、母の悲鳴。
愚かな!!神に支配されていることに何故気付かない!!
人間の誇りは如何した!!
人間は人間の力だけで生きてゆけるではないか!
何故それを恐れる!!
何故神にそれを許すのだ!!
叫ぶ両親に倭はたった一言、言うだけだった。
神を称えよ。
神を崇めよ。
其れこそ正義の証。
其れをせぬ御前たちこそが悪である証。
正義に背けばどのような事が待っておるのか身を持って知るがいい。
背徳者に、死を。
血。血。
発狂しそうな其の色。
其の中で佇む自分が言った言葉が良く思い出せぬ。
何か言った筈。
自分の中の、何かが
言った
筈。
ならば俺は御前たちに背く者として生きよう。
神を否定し、神を殺す者として生きよう。
今から御前たちは我が敵となった。
覚えておくが良い。
我が血縁を如何に殺そうと言の葉は永遠にこの世に留めるもの。
故に言の葉は呪いとなりて御前たちを滅ぼすであろう。
そして知るが良い。
神の愚かさを。
其れを崇める御前たちの愚かさを。
其れが人間を滅ぼすものだということを。
御前たち神が正義ならば俺は悪。
そして我が悪は必要悪。
其れにして背徳の騎士。
忘れるな。
我が両親の無念は我が受け継いだ。
故に我は悪鬼となり御前たちを
――殺してくれる。
嗚呼、思い出した。
そう、我は背徳の騎士にして悪鬼。
少女よ。
御前の意志は何か。
神殿の内に足を踏み入れるということは禁なることで、厳重な警備が布かれている。
だが惟神は既に神殿内に足を踏み入れている。
そう、普通に。
ただ。
手や顔に血化粧をしている以外は。
見覚えのある部屋。
母たちが殺された場所。
あな、悲し。
あな、憎し。
見覚えのある、顔。
床に引きずるような長い黒髪。
幼い顔立ち。
黒曜石の如く輝く大きな瞳。
そして赫い紅で飾られた小さな唇が動いた。
「やはり御前か。神殺し」
瞳を細ませ、こちらを見据える。惟神は幾分か背の低いその女を見下ろし。
「……久しぶりだな。……倭」
漆で塗られた部屋の中、優雅に佇む倭の隣には。
二人の側近と、
気を失っているであろう、呉羽の姿。
そして既に虫の息の、斎王の姿があった。




