必要悪
「必要悪…?」
「俺は必要悪だ」
もう一度、繰り返す。
たぶん、今の己の顔は笑顔を貼り付いるのだろう。斎王に対して、ある一種の感情がわき出るように現れた。
――殺意、あるいは――哀れみ。
今も目の前に居る人間を殺してしまえと身体がざわついている。
(これが神殺しの血というわけか。)
自嘲気味に再び笑い、まっすぐにこの哀れな生き物を見つめた。
「この世に必要なものは善か? 善だけだと思うのか」
人は正義を求める。
悪を悪とし、嫌う。それは自然な事なのだ。それこそが、人間が人間である証なのだから。
「あんたもどうせそのクチだろう」
「……」
「この世が真に安定するには何が必要か知っているか」
黙りこくった斎王の顔を見据え、問いかける。
青ざめた顔色の男の表情を見て失笑し、答えを投げつけた。
「悪だ」
自覚しているのだ。自分が、悪だということを。
幼い頃からそう教えられてきた。
『神殺しこそこの世に必要な悪なのだ』と。
神を殺すという事。即ち、『悪』。
『お前の産まれてきた意味は神を殺す事のためだけに在る。』
たたき込まれた生きる意味のすべてが、『殺意』。
「神の支配下にあるあんただって例外じゃない」
ヒノモトの国で神の下僕と化した人間どもでさえ、惟神は憎み、殺意を覚えているのだ。
「あんたらを殺す事もできる」
胸の傷の痛みが痛み、ちいさく舌うちをする。
「な、何故……神を……神を崇めるかたたちをそんなに憎むのですか……」
いまだ震えている声。恐怖に染まった表情。
斎王から顔をそむけ、赤い鼻緒の草履を見下ろす。
哀れだ。この男も、神の下僕の人間どもも。
「……むしろ憐れんでるよ」
『人間も落ちたものだな。』
『世の秩序を作る正義の神…それが私たちの敵。それを破壊すべきは私たちの使命。』
『それは悪であり必要悪である。』
父や母、祖父母が囁いてきた言葉が、脳裏に浮かぶ。
「憐れんでいる?」
恐怖と困惑が混ざり合っている奇妙な口調がおかしい。
斎王の長い髪がふ、と風にのる。
どうやら風が出てきたようだ。
天を見上げると月が、ぽっかりと見下ろしていて、それこそ人類をせせら笑う神のようだ。
「人が人として生きる術を失くしたあんた達が哀れだよ」
人が追いやられた時縋るのはいつだって神。
人に生れたからにはいつも道を切り開くのは人でなくてはいけないということ。
そう、両親から教わった。
「分かったか。俺はあんた達の敵だ。今後一切俺に近づくな。だが、殺されても構わないなら好きにしな」
ようやく口を閉じた斎王に背を向け、ため息をひとつ、ついた。
その時、またしても引きとめられる。
「あの……!」
「……うぜえ。殺されてぇのか」
もうこれ以上顔も見たくない。
気持ち悪い。
胸の中がぐちゃぐちゃになっていくようだ。思考すらままならなくなってきた。めまいさえする頭を必死に体で押さえる。
「貴方の考えは良く分かりました。いえ、少し分かったような気がします」
半分叫んでいるようで、静まり返っている辺りに響いた。
木々が風にゆれ、ざわざわと音をたてている。
「確かに今は神に縋ってしか生きていけない方たちがたくさんいます。勿論、私もその一人ですが……。それだけではいけないのですね。人が、人として生きていける世を……。貴方と話せて良かった。……ありがとう」
「……俺は神殺しの家系としてあんた達と馴れ合うつもりはねえ。俺達が悪ならあんた達は正義だ。今あんたに話してやったのは分かってもらおうと話したんじゃない。何も知らずにのうのうと生きてるあんたが哀れになって話してやったんだ。あんた達の拝んでいる神サマは俺が殺してやる。俺が生きている意味は神を殺す以外には何もない。忘れるな。俺はあんた等の敵だ」
みんな、そうだった。
父も母も、祖父も祖母も。
神を殺す為だけに生き――神を殺すために死んでいった。
だが、それが正しいと、昔も今も思っている。そしてこれから先も変わる事はない。決して、変わることはない。
神は人間を滅ぼすものだと、知っているからだ。人が人とし、生きることを認めない生物。
そんな存在は許せない。
それが殺意に変わったのだ。




