追放先は本州のてっぺんでした
「野原くん、ちょっといいかね」
応接室に呼び出された瞬間から、粘つくような嫌な空気が漂っていた。
部屋に入ると、デスクの向こうにふんぞり返る部長と、その隣でハンカチを目元に当てて可憐に泣きじゃくる新人社員の愛梨ちゃんがいた。
「どういうことかね、野原くん! 愛梨くんが担当していた大手飲料メーカーのPRイベント、大炎上じゃないか! クライアントの社長が激怒して契約解除だぞ!」
部長は開口一番、怒号とともに机を叩いた。
私は思わず首をかしげた。
「……あの、部長。その案件、私は一切関わっていませんが」
「とぼけるな!」
「とぼけていません。そのイベントは企画立案から進行管理まで、すべて愛梨さんと部長の二人で進められていたはずです。
私は別件の地方創生PRで手一杯でしたし、引き継ぎも指示も一切受けておりません。共有フォルダのアクセス権限すら私は持っていませんでしたが」
事実、私はそのイベントの存在すらニュースで炎上しているのを見て知ったレベルだ。
愛梨ちゃんがタレントへの案内メールで送信先を間違え、個人情報を漏洩させた上に、SNSの公式アカウントで誤投稿を連発したのが原因である。完全に彼女個人の初歩的なミスだった。
だが、部長は私の理路整然とした反論を聞く耳を持たなかった。
「愛梨くんは『野原先輩に最終チェックをお願いしたのに放置された』と言っているぞ!」
「えっ……?」
驚いて愛梨ちゃんを見ると、彼女はチラッと私を横目で睨みつけ、すぐに嘘泣きのトーンを強めた。
「うぅ……野原先輩、『忙しいから自分でやって』って突き放しましたよね……? 私、信じてたのに……っ」
「そんなこと言っていないし、相談すらされていません!」
「うるさい! 言い訳は見苦しいぞ野原くん!」
部長が強引に私の声をかき消す。
二人が社内で愛人関係にあるのは、もはやキダ・タローのカツラ並みに有名な秘密だった。
愛梨ちゃんを処分すれば部長自身の管理責任も問われ、愛人との関係も破綻する。
だからこそ、何の落ち度もなく、何の担当すらしていなかった私を「生贄」にして、すべての罪をなすりつける気なのだ。
私、野原苺香(のはら・いちか・28歳)。
名前の由来は、群馬でイチゴ農園を営む実家が、甘くて愛される子になるようにと付けてくれたものだ。
実家のイチゴ『やよいひめ』のように真面目に愚直に努力してきたし、何もない地方の魅力を見つけてバズらせるPRの仕事に誇りを持っていた。
毎日何時間もサービス残業をして、自分の案件をいくつも大成功させて会社に貢献してきたのに。
一度もタッチしていない他人の単独ミスを丸ごと私のせいにされ、誰も助けてはくれない。同期も先輩も、部長に睨まれるのを恐れて目を背けるだけ。
今まで私が血の滲むような思いで重ねてきた努力は、一体何だったんだろう。
「……それで、処分はどうなるんですか」
絞り出すような声で尋ねると、部長は待ってましたとばかりに嫌らしい笑みを浮かべ、1枚の辞令を滑らせてきた。
「来週から出向だ。赴任先は……青森県のむつ市営業所」
「むつ……市?」
「そう、下北半島のてっぺんだ。東京からは新幹線と在来線を乗り継いで半日近くかかるような場所だよ。
君の自慢の『PR企画力』とやらで、あの本州最北端の僻地を一人で盛り上げてきてくれ給え。
クックッ……まあ、何もない田舎だから、精々頭を冷やすには丁度いいだろ」
一言も関わっていない案件でキャリアを潰され、最果ての地に飛ばされる。完璧な濡れ衣。理不尽の極みだった。
(なにもない場所……か……)
辞令の紙をぎゅっと握りしめるが、もう怒りすら湧いてこなかった。ただ、冷たい絶望が全身の血を凍らせていく感覚だけがあった。
むつ市……下北半島。
東京からは遠すぎる本州の最果て。雪と寒風に晒された、何もかもから見捨てられたような場所。
キャリアも、人間関係も、今まで積み上げてきたもの全てを奪われて、私はあんな何もない最北端へ追いやられるのだ。
「……承知いたしました」
抗う気力すら失った私は、力なく頭を下げて応接室をあとにした。
数日後。荷造りを終えた私は、雨の降る東京駅のホームに立っていた。
手に持っているのは、むつ市に関するガイドブックと、実家の母が「体に気をつけてね」と送ってくれた群馬産イチゴのジャム。
新幹線のホームに、東北新幹線『はやぶさ』が静かに入線してくる。
「ハハ……私、何のために頑張ってきたんだろうな……」
自嘲気味な呟きが、新幹線のドアが開くプシューという音にかき消された。
指定席に腰を下ろし、濡れた窓の外を眺める。東京の街並みが遠ざかっていく。
私を陥れた上司も後輩も、私を庇ってくれなかった同僚たちも、みんな温かいオフィスで私を笑っているのだろう。
何もかもがどうでもよくなった。
むつ市に着いたからといって、一人で何ができるというのだろう。
アクセスも最悪で、寒くて、何もない最果ての街で、私はただ静かに消えていくだけだ。
ガタゴトと揺れるシート。精神的な疲労と深い絶望感が重なり、泥のように重い眠気が襲ってきた。
イチゴジャムを手にしたまま、私は目を閉じた。
(もう……全部、疲れちゃったな……)
それが、野原苺香としての最後の記憶だった。




