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亘視点

彼女と出会ったのは、偶然だった。

何気ない会話の中に、ふとした沈黙が流れた。

それが妙に心に残って、俺は気づけばまた、彼女を目で追っていた。


美沙。

二十五歳。

俺よりずっと若くて、未来があって、

それでもなぜか、俺の目に彼女は“完成されていない美しさ”として映った。


最初から、俺には家庭があった。

妻もいて、子どももいる。

それでも、美沙を見ていると心が騒いだ。

今さらこんな気持ちになるなんて、思ってもいなかった。


最初は、割り切った関係だった。

彼女の瞳の奥にある寂しさを、俺はお金でなぞった。


「こういう関係なら、俺たち傷つかなくて済むよな」

そう言ったのは、逃げだったのかもしれない。

でも、美沙は笑って頷いた。

その笑顔が、俺には痛かった。


俺は、少しずつ、美沙に惹かれていった。

彼女の些細な表情、丁寧に言葉を選ぶ癖、

人混みでは少し肩をすくめるような、不器用な優しさ。


会えば会うほど、"ただ"ではいられなくなった。


ある日、俺は問うた。

「このまま、割り切って続けるか……それとも、恋人みたいにしてみるか?」


美沙は黙って、少しだけ笑って言った。

「……恋人、みたいにしてみたい」


それは、たったひと言だったのに、

俺の心を決定的に壊した。


そこからの時間は、夢みたいだった。

誕生日に料理を作ってくれた日、

お揃いのコーヒーカップを買った日、

駅のホームで手を振る彼女が、俺の日常になっていった。


でも、それは“日常ごっこ”だった。


俺には、家がある。

名前を呼ばれることもなければ、休日を全部あげられるわけでもない。

彼女の未来に、俺は存在してはいけない。


それがわかっていたから、いつも心のどこかで痛みがあった。

笑い合うたびに、別れの影が付きまとう。

愛するほどに、彼女を傷つけているという事実に、俺は何度も押し潰されそうになった。


だから、美沙に新しい恋人ができたと聞いたとき、

心が潰れる音がした。


「ちゃんとした恋愛をしてみようと思った」


その言葉に、俺は何も言えなかった。

止める権利なんて、ないと思った。

でも——

本当は、誰よりも止めたかった。


俺は、自分の手が彼女を縛っていることに気づいていた。

愛していながら、彼女の自由を奪っている。

その矛盾が、胸を締めつけた。


美沙の心が俺から離れていくのを感じながら、

俺は必死だった。


そして——俺は気づいたんだ。

自分が、どれだけ美沙を好きなのか。

彼女を失いたくないという気持ちが、理性を越えていた。

距離を置いて、彼女の未来を尊重しようとしてきたはずなのに、

その未来の中に自分がいないことが、耐えられなかった。


だから俺は、感情を優先した。

もう、遠ざかるふりなんてできなかった。


けれどそれは、想像以上に苦しかった。

美沙が彼氏と過ごす時間を思うだけで、胸がざわついた。

一緒に過ごす夜、交わす会話、手をつなぐ指先——

そのひとつひとつを、頭の中で想像してしまっては嫉妬に焼かれた。


「俺じゃない誰かの隣で、笑ってるんだろうな……」

そう思うたびに、何度も美沙のLINEのアイコンを見つめて、息を詰めた。


それでも、会えば笑ってしまう。

会えば、また好きになってしまう。

会えば、忘れられなくなる。


だからこそ、俺は自分に言い聞かせた。

「美沙の幸せを願おう」

「友也との恋を応援しよう」


会うたびに、そう決めた。


でも、帰り道。

彼女が誰かの腕に抱かれる夜を思いながら、

俺は静かに潰れていった。


優しくするしか、できなかった。

触れる手に、注ぐ言葉に、

“お願いだから、忘れないでくれ”という祈りを込めた。


彼女が他の誰かのものになっても、

俺の心の中で、彼女は“ただ一人の人”だった。


「もう終わりにしよう」

何度、美沙がそう言ったか分からない。

そのたびに俺は頷いて、

でも数日後にはまた、彼女を抱きしめていた。


「別れる」と言いながら、

二人とも泣いて、熱くキスをして、

また“恋人ごっこ”を続けた。


壊れかけているのに、壊す勇気もなくて、

それでも、この関係が愛おしくて、

どうしても終われなかった。


俺は、夜になると自分を責めた。


彼女を幸せにできないくせに、求めてしまう自分が情けなくて、

何度も携帯を手にしては、送れない言葉を消していた。


美沙は時々、俺に問いかけた。

「私のこと、どう思ってるの?」

「いつまでこのままなの?」


俺は答えた。

「必ず迎えに行く」


本気だった。

でも“いつ”とは言えなかった。

家族を傷つけたくなかった。

子どもの未来を奪いたくなかった。


俺は思いやりの仮面をかぶって、

本音を飲み込み続けた。


その矛盾を抱えたまま、

俺は、美沙を愛していた。


「どっちの私を望むの?」


彼女が問いかけた夜を、俺は忘れない。


「誰かの“彼女”として笑っている私?

それとも、あなたの隣で、苦しんででも好きでいたい私?」


俺は言った。

「両方」


ずるい言葉だった。

でも、それが本音だった。

どちらかを選ぶなんて、できなかった。


俺は、美沙に言えなかったことがたくさんある。

家で泣いた夜、

携帯の着信履歴を何度も見つめたこと、

「好きだ」と言いかけてやめた瞬間。


それでも——

彼女が笑ってくれるなら、それでよかった。


もし、すべてを失っても、

最後に彼女だけが残るなら、

それはそれで、俺の人生だったと思える気がする。


この愛に名前はない。

でも、確かにここにある。


今も、

美沙が誰かの隣で笑っているときも、

俺は彼女のことを、ずっと愛している。


壊れたくないと願いながら、

壊れていく日々を抱きしめて——

今日も、彼女の幸せだけを願っている。


たとえその幸せの中に、俺がいなくても。


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