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美沙視点

私は二十五歳だった。

亘と出会ったとき、私はまだ誰のものでもなくて、

ただ、自分の感情にすら無関心だった。


けれど、亘の笑い声が、言葉が、視線が、

乾いた私の心を、静かに潤していった。


亘は最初から既婚者だった。

子どももいると、知っていた。


それでも、どうしようもなかった。

一緒にいるだけで満たされていたから。


話すたびに心があたたかくなって、

笑うたびに、明日が楽しみになって、

気づけば私は、亘の世界に身を投げていた。


最初は、ただの関係だった。

割り切った時間。お金のやり取り。

淋しさを埋めるだけの、誰にも知られない関係。


でも、どこかで私は知っていた。

こんなに心が動くのに、

“ただ”の関係なんて、続けられないって。


私は、少しずつ、亘に恋人のような顔を見せはじめた。

本当の恋人にはなれないと知りながら、

せめて、代わりの誰かになりたかった。


ある日、亘がぽつりと聞いた。

「このまま、割り切って続けるか、

それとも……恋人みたいにしてみるか?」


私は黙って、息を飲んで、

ほんの少しだけ笑って、言った。

「……恋人、みたいにしてみたい」


その日から、私たちは“恋人ごっこ”を始めた。

手を繋ぐ時間が増えて、

ふいに名前で呼ばれて、

お互いの誕生日には、祝いあった。


でも私は、ちゃんと現実も見ていた。


亘には帰る場所がある。

私は、影だ。

触れて、笑って、涙を拭っても、

陽のあたる場所には立てない存在。


だから私は、新しい恋を探した。


二年が過ぎたころ、私は彼氏ををつくった。

名前は友也。

年齢も近くて、将来の話もできて、

友達にも紹介できる“まっとうな関係”。

最初は亘に言わなかった。

言ってしまったら亘が私から離れてしまうと思ったから。


三ケ月経った頃、亘に告げた。

「ちゃんとした恋愛をしてみようと思った」

そう言ったとき、亘は静かにうなずいた。

責めるでもなく、止めるでもなく、

ただその目が、すこしだけ哀しかった。


友也はやさしかった。

誕生日に花をくれて、LINEも毎日くれた。

休日にはカフェに行って、映画も一緒に観た。


——なのに。

亘に告げた頃から

私の心は冷たくなっていった。

笑っていても、内側から冷えていた。

どこかで、亘の声を求めていた。


どれだけ手を繋いでも、

その温度は思い出と比べてしまった。


そして不思議なことに、

私に友也ができたと知ってから、

亘は前よりもずっと私を魅了するようになった。


まるで、失うことを怖れているかのように、

優しさも、熱も、すべてを私に注いでくれた。


それが嬉しくて、切なくて、

私はまた亘の魔法に溺れていった。


現実の友也、幻想の亘。


私はその友也の隣で、

何度も、何度も、亘のことを思い出していた。


優しさも、温もりも、愛しさも、

なぜか全部が自然で、心地よくて、

すれ違うことのないまま、静かに繋がっていた。


付き合って半年が過ぎた頃、

友也との関係は、少しずつ壊れはじめた。


会話は減り、返信は遅く、

目を合わせても笑えない。


「ねえ」と呼びかけても、

友也は携帯の画面から顔を上げない。


すれ違っていたのは亘じゃない、友也のほうだった。

優しかったはずの人が、いつの間にか“正しさ”だけを求める人に変わっていた。


友也は、現実的に私に理想を押し付けてくるようになった。

「これくらいできて当然」「普通はこうするだろ」と、

私という人間を、彼の型に当てはめようとしてくる。


それに比べて、亘は違った。

私の弱さも、ズルさも、拗ねた顔も全部、笑って受け止めてくれた。

結婚という形だけは望めないけれど、

それ以外の全部で、私は愛されていた。


私は怖かった。

このまま置いていかれるのが怖かった。


だから、“理想の彼女”を演じた。

料理も覚えたし、LINEも丁寧にした。

言葉も表情も、傷つけないように選んだ。

友也の前では私は自分を取り繕っていた。


私が守りたかったのは亘との関係なのか。

友也との未来なのか。


亘の腕の中でしか、

美沙の心は素直に震えなかった。


友也の“彼女”でありながら、

私はずっと、亘を握りしめていた。


どちらも選べなかった。

でも、どちらも手放せなかった。


何度も、亘と別れようとした。

「もう終わりにしよう」って、

言葉では何度も言った。

亘も苦しんで、私から何度も離れようとした。

でも、どれも本気じゃなかった。


別れ話のあとのキスは、

いつもより熱くて、いつもより深かった。


私たちは、離れるたびに燃えた。

別れようとするたびに、どうしようもなく惹かれ合った。


禁じられていることが、

逆に私たちの関係を強く、激しくさせた。


許されない恋。

名前を持てない関係。

でも、だからこそ深く、濃く、熱くなっていった。


お互いがお互いを、焼き尽くすように求め合った。

もっと、もっと——燃え上がるように、愛し合った。


それは、もう恋というより祈りだった。

壊れてしまう前に、

壊れるまでに、確かめたかった。


亘は言った。

「必ず迎えに行く」


でも、“いつ”とは言わなかった。

その優しさが、いちばん残酷だった。


私は聞いた。

「亘は、どっちの私を望むの?

誰かの“彼女”として笑っている私?

それとも、あなたの隣で、

苦しんででも好きでいたい私?」


亘は答えた。

「両方」


そんなの、ずるい。

……でも、私もずっと、ずるく生きてきた。


だからいまも、私は選べないまま、

友也の隣で笑いながら、

あなたの腕の中に戻る日を、待っている。


終われないまま、終わらせたくないまま。


この愛に名前はない。

でも、この気持ちは——嘘じゃない。


もし、いつか本当に「その日」が来たら、

私は何も言わず、あなたに手を伸ばすだろう。


それまでは、

泣きたい夜も、笑う朝も、

この矛盾のなかで、

私は、あなたを愛している。


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