3日目 19:00〜4日目の4:00 残念美人どもの接待をする
19:00
魔力は、それに触れた物体やら何やらを感知すると同時に、俺の意思次第では、瞬時に形を変え、ブービートラップとなって対象に襲い掛かる。
またかよ……。
俺は、まぶたを閉じたまま、思った。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
久しぶりに与えられたプライベートの空間。
リラックスしすぎた。
タバコに火をつけたい欲求に駆られたが、もや状の魔力に触れた侵入者の姿形に違和感を抱いた。
身長は、あの暴力的なパリジェンヌよりも、頭一つ低いくらい。
顔つきには、まだ、あどけなさが残っている。
目や髪の色はわからない。
体温が少し高い。
微熱。
まだ9月だというのに、せっかちなインフルエンザウィルスでも持ち込まれたかと思ったが、そうではなかった。
子供だ。
連中は、十代後半である俺よりも代謝が良く、平熱も高い。
もやから伝わってくる感情には、明確な何かを感じ取ることはできなかったが、恐らく害意はない。
そして、この幼い侵入者の最も面白い点。
それは、俺のすぐ目の前に立っているということだった。
いつの間に侵入されたのか。
俺の持つ万能の魔力のもやに触れるということは、俺の体に触れるということと同じだ。
もやに触れた瞬間に、俺は目を覚ましたはずだ。
つまり、突然目の前に現れたということになる。
万能の魔術を完璧にかわし切ることができる相手は、二種類。
一つは、高純度の幽霊の魔力を持つ、俺よりも格上の存在。
もう一つは、幽霊の魔力を扱いこなすプロ。
どちらにせよ、敵対は賢くない。
「こんばんは」
起きてることを見透かされていた。
俺は、まぶたを開いた。
そこにいるのは、12歳くらいの女の子。
あどけないながらも、端正に整った顔立ち。
鼻の上には、そばかすが乗っていた。
アーモンド型の、大きな、グレーの瞳。
光輪の色はハニーブラウン。
その色は、脆弱な魔力の証だ。
「こんばんは」俺は言った。「よければ座ってよ。立ってるのが好きなら立っていてくれて良い」
女の子は、大きなソファに、ちょこんと座った。
その時、彼女の、左手の中指と薬指にはめられた指輪を見た。
中指の指輪は、グレーのボディに、グレーの宝石がはめられている。
薬指の指輪は、シルバーのボディに、何もはめられていない、質素なものだ。
「素敵な指輪だね」
「ありがと」女の子は、無表情に頷いた。「中指のものは、7歳の頃にヴァチカンからもらった特別な指輪よ。薬指の指輪は、4年前、南東ポーランドの田舎町でラビからもらった誓いの指輪」
「なるほど。それで魔力を高めているということか」
「そんな感じ」
可愛いが、読めない子供だった。
ピクリとも動かない眉。
口角は上がっても下がってもいない。
顔の筋肉は弛緩していて、リラックスしているようだった。
「ルームメイトがいたとはね」俺は言った。タバコに火をつけたかったが、子供がそばにいるときは、吸わないようにしている。
女の子は首を傾げた。「誰に紹介されたの❓ この部屋」
「警察だよ。訳ありでね」
「すりには見えないし、殺人犯にも見えないし、殺人を見た証人って感じもしないし、そうなると、不法滞在者かしら。でも、後ろめたい様子もないし、開き直っているようなふてぶてしさもないし、ということは、捜査関係者❓ 違うか。知性は感じられない」
「言ってくれるね」俺は笑った。「早速きみのことが好きになってきた」
女の子は、にこりともせずに、瞬きをした。「皮肉じゃないのね。なんでも楽しむタイプ」
俺は肩を竦めた。「俺のモラルが許す限りはね」
「あなたのモラル❓」
俺は頷いた。「人生は楽しまないと。人間性っていうのは面白い。本を読むのも映画を見るのも音楽を聴くのも絵画を見るのも好きだ。人の感性に触れられるからね。でも、1番好きなのは、人と話すことだな」
「わたしも、人と話すの好き。でも、人がわたしと話すのを好きじゃないの」
「なんで❓」
女の子は、肩を竦めた。「わたしの目が怖いんだって」
「きみは賢いのさ。人を見る目を持ってる。でも、俺だって負けてないぞ。きみはカナダ人だろう。フランス語の響きが、フランスのどの地方のものとも違う。ケベックだね」
「日本人❓」
「そうだよ」
「じゃあ、あなたね」
「そうだね。俺だね」俺は首を傾げた。なにがだろう。「何か飲む❓ ホットミルクとか」
女の子は、首を横に振った。ポケットをゴソゴソして、取り出したのは、レモン色のカップに入った、湯気のたつ熱々のココアだった。女の子は、ココアを啜り、ほぅ……、と、ため息を吐いた。女の子の顔が緩み、ほんの少しだけ、幸せそうな色が浮かんだ。「ハリエットに呼ばれて来たの。どこにいるか知ってる❓」
「いや、まだお会いしてないな」
女の子は、あら、そうなのね、とでも言うように、こくりと頷いた。
「その、ハリエットさんは美人❓」
女の子は首を傾げた。「綺麗な人だとは思うわ。男性から見ても魅力的だと思う」
「そうか。お会いするのが楽しみだ」
女の子は、何かを考えるように視線を泳がせて、ココアを啜った。
俺は、立ち上がり、窓を開けた。
タバコを吸いたくなったのだ。
だが、自制心が勝った。
ソファに戻ろうと、身を翻す。
女の子に視線を戻そうとすると、女の子の着ているワンピースの生地が目の前にあった。
いつのまにか、彼女は、俺の目と鼻の先から、俺を見下ろしていた。
手には、死神のような大鎌を持っており、その刃先は、俺の首に食い込んでいたところで、びた、と、動きを止めた。
パリの切り裂きジャック、という言葉が頭に浮かんだ。
こんな小さかったとは……。
女の子は、首を傾げた。
次の瞬間、女の子の体がストンと落ち、ブーツが床板を叩いた。
急に背が伸びるなんて、子供の成長は早いな……、などと思ったものだが、どうやら女の子は、宙に浮いていたらしい。
大鎌が、白いもやになって、女の子のポケットに吸い込まれた。
女の子は、気まずそうに俯き、もじもじした。「……逃げるんじゃないかって思ったの。窓から」
「そうなんだ。いや、窓を開けようと思っただけだよ」
「ごめんなさい」
「勘違いは誰にでもあるから、気にしないで良いよ。こちらこそ、紛らわしかったね」
「ごめんなさい」
「わかってくれればいいんだよ」
俺は、大人の余裕を醸し出しながら、必死で心臓の鼓動を押さえ込んだ。
今日はなんだか変な日だ。
これからは毎年この日をアドレナリン・デーとして、1人で勝手に祝うこととしよう。
今日はもう直ぐ終わるから、来年は、バンジージャンプにでも挑戦しようかな。
ちくしょう、吸ってやる。
俺は、両手を上げながら、窓により、窓のそばでタバコを一本咥え、タバコの先に火をつけた。
「君も吸う❓」
「吸わない。まだ12だから」
「そうか。俺は11の頃から吸ってたよ」
「家庭環境❓」
「人間関係全般さ。人付き合いを楽しめるようになったのは、ほんと最近からなんだ」俺は肩を竦めた。「精神分析を口にしなければ、もっとたくさん友達ができるんじゃないかな。その、不用意にずけずけと踏み込むと、反感を示されるケースが多い。人によるし、踏み込み方にもよるだろうから、一概には言えないけど」
「癖なの。物心つく頃からの」
俺は、タバコの煙を吐いた。
この子の方こそ、家庭環境や人間関係に問題があるんじゃないだろうか。
「今夜の宿は❓」俺は言った。
「ローラさんのところ」
「そっか」
「……もう行ったほうがいい❓」
「いてくれていいよ。そうしたいなら」
「首を切り落とそうとしたこと、怒ってる❓」
「……怒ってないよ」首を切り落とそうとしたこと怒ってる❓ 怒ってないよ。……すごい、こんな会話したの初めてだ。「でも、なんであんなことしたんだい❓」
「ハリエットに言われたの。夜はケントと、もう1人スコットっていう子がいるんだけど、2人のの保護及び監視をするようにって」
「そうか。昼はなにをするんだ❓」
「捜査の手伝い」
「パリの切り裂きジャックをやっつけに行くのかい❓」なんだか、子供の頃に読んだ漫画のようなストーリーだ、などと思いながら、女の子を見ると、女の子は、無表情に頷いたので、俺は、マジかよ……、と思った。「きみ、名前は❓」
「リサ」
「きみも、警察のインターンか何かなの❓」
リサちゃんは頷いた。
「むしろインターポールに近いかも。タイミングや仕事次第では国境を渡ることもある。心理分析とセラピストと、大罪を犯した魔法使いの捕縛及び処分をやってるの」
「どれもこれも得意分野って感じだね」
リサは、にっこりと笑った。
素朴で屈託のない、輝くような笑顔。「ありがとっ、おにーさんかっこいいっ!」言って、俺に抱きついてくるリサちゃん。
「おいおい、突然どうしたんだ❓」リサちゃんを抱きしめ、頭を撫でる。
リサちゃんは、頭を上げ、俺を見上げた。
その顔は、無表情だった。「こんな感じ」そう言って、俺から離れ、ソファにちょこんと座るリサちゃん。
ココアを啜るリサちゃんの無表情からは、先ほどの笑顔を想像することなどできなかった。
不意を突かれた隙に、魔法をかけられたのかもしれない。
「癒された」
リサちゃんは肩を竦めた。「そうでしょ❓」
「どきっとしちゃったよ」
リサちゃんは肩を竦めた。「当然ね。わたしが抱きしめたんだもん」相変わらずの無表情だったが、その声色からは、自分の持つ魅力をきちんと自覚し、誇りにさえ思っている様子が見て取れた。「でも、ありがと。見た目を褒められるってやっぱり嬉しい」
「何歳❓」
「13」
「そ」
「あなたは30くらい❓」
「失礼な」
「ごめんなさい」リサちゃんは頭を下げた。
「素直なんだね」子供らしくて可愛いじゃないか。
「人間は素直で正直なのが1番よ」今度は、妙に達観したような台詞ときたもんだ。
この子がさっぱりわからない。
「何歳❓」
「13。あなたは❓」
「19」
「そう」
「うん」
「6歳上ね」
「君は6歳下だね」
「そうね」
俺がカップを持ち上げると、リサちゃんもカップを持ち上げた。
俺がコーヒーを啜るタイミングで、リサちゃんもココアを啜った。
俺は、リサちゃんを見据えた。
リサちゃんは、視線を逸らした。
俺がカップをソーサーに置くと、リサちゃんもカップをソーサーに置いた。
確か、こんな感じの仕草には、相手に好感を持たせることのできる心理的効果があると、ウィキペディアで読んだことがある。
そういえば、さっき、リサちゃんは友達がいないというような感じのことを言っていた気がする。「学校は楽しい❓」
「退屈じゃないわ。勉強は好き。テストも」
「賢いんだね」
「とっくに知ってるでしょ」
俺は笑った。「俺が13の頃は、本ばかり読んでた。1人でいるほうが楽だったんだ」
「わたしもそうかも」
「どんな本読む❓」
「9歳までフロイトを読んでたわ。最近はユングを読んでる」
「すごいね。俺は、ファンタジー小説ばかり読んでたよ」
「そう……」リサちゃんは頷いた。「1人の方が楽とか言いつつ、寂しかったのね」
なんだか、胸がずきんと痛んだ。
リサちゃんの言葉は、俺が目を逸らしていたところに突き刺さったらしい。
「リサ」
「なに❓」
「泣きそうだから、1人にしてもらっていいかな」
リサちゃんは、傷ついたとでも言いたげな顔をした。「1人になりたいの……❓」
美人の涙に弱い紳士な俺は、結局、ローラに呼ばれて酒を飲む頃までリサちゃんとお話をすることになった。
そして、ローラの愚痴を聞きながら、まずい酒を飲み終えると、リサちゃんとのお話タイム。
残念美人と、残念美人の卵と話をして、俺はすっかりくたくただった。
こんなに疲れる夜は久しぶりだった。
明け方、眠りにつこうとすると、リサちゃんはニコニコしていた。
まあ、美女を笑顔にすることができたのだからいいか……、と、眠たい頭で考えながら、俺は夢の世界に落ちて行った。