木野のこと。 第2話 君がいる、あの場所に
あの日から、二週間が経った。
わたしと木野真夏は、あれ以来顔を合わせていなかった。
正確には下校時、校門前で1度見かけた事はあった。が、わざわざ声をかけるほどの間柄でもない。
隣のクラスとはいえ、わざわざ相手の教室に行くような用事もない。
ともなればこの現状も何もおかしいことでもないだろう。
あの日、屋上で話したことだって、特別な出来事じゃない。
ただ一緒に授業をサボって、少し話をした。
ただそれだけ。
わたしは特に気にしていなかった。
どうせまた明日になれば他人になる。
そう思っていたから。
誰かと仲良くなったところで、それがいつまで続くかなんてわからない。今までだって、そうだった。
だから、あまり期待しない。
誰かと過ごす時間が仮に楽しかったとしても、それを当たり前だと思わない。
そうしていれば、いなくなった時だって困らない。
手に入れなければ、何も失わないのだから。
少なくとも、わたしはそう思っていた。
──────
その日も、わたしは授業をサボっていた。
教室を抜け出して、適当に渡り廊下を歩く。
特に行きたい場所があるわけでもない。
ただ、教室にいるのが息苦しかった。
校庭の方を見ると、どこかのクラスが体育の授業をしていて楽しそうな声が聞こえてきていた。
わたしは少しだけ足を止めた。
別に、羨ましいわけではない。
ただ、ああやって誰かと一緒にいることが自分には少し遠い存在のような気がした。
「はあ....」
小さく息を吐く。
その足でわたしは階段を上った。
屋上。
あそこなら、誰も来ない。
──────
階段を上りきると、いつもの扉が見えた。
何も考えずに取っ手に手をかける。
普段なら、ここで少しだけ力を入れて扉を持ち上げるようにしながら押す。
そうすれば、簡単に開く。
けれど───
今日は違った。
「....あれ?」
取っ手を握る。
扉が、すんなりと開いた。
わたしは少しだけ眉を寄せた。
鍵が開いている。
いや、そもそも鍵なんてかかっていなかったのだが。いつもは、あんなに立て付けが悪いのに。
「珍しいな...」
そう呟いて、扉を押す。
風が吹き込んできた。
屋上の空気が階段の方まで流れてくる。
わたしはゆっくりと扉を開けた。
そして、そこには綺麗な赤茶色の長い髪が、陽の光を受けていつになく輝いて靡いていた。
──────
あの日、黒崎さんと屋上で話してから二週間程が経った。
その間、私たちは一度も顔を合わせていない。
廊下ですれ違うこともなければ、教室の窓越しに姿を見かけることもなかった。
そもそも黒崎さんがどんなふうに学校で過ごしているのか、私は知らない。
わかってるのは隣のクラスだということくらいだ。
名前と、顔と、声と。
けれど、それ以外は何も知らなかった。
だから最初のうちは少しだけ気になっていた。
あの日、屋上で別れたあと。
次の日も、また次の日も、私は何となく屋上のことを思い出していた。
授業中に窓の外を眺めているとき。
休み時間に廊下を歩いているとき。
昼休みに友達と話しているとき。
ふとした拍子に、あの場所が頭に浮かぶ。
屋上に続く階段。
開けるときに少し引っかかる、古い扉。
そこから見える清々しい程に広がる青い空。
そして、黒崎さん。
「別に何か特別なことを話したわけじゃないのになぁ」
お互いの名前を知って、学校のことを少し話して。
授業をサボって、屋上で過ごした。
ただそれだけ。それなのに、どうしてか。
あの日のことは、思っていたよりも記憶に残っていた。
「あ....」
ある日の休み時間。
私は廊下を歩いている途中で、ふと足を止めた。
窓の外に見える校舎の屋上。
そこを眺めて、何となく思った。
黒崎さん、今日もいるのかな。
別に、会いに行く理由なんてなかった。
会ったところで、何を話せばいいのかも分からない。
そもそも、黒崎さんが私のことを覚えているかどうかだって怪しい。
それでも───
あの場所に行けば、また会えるかもしれない。
そんな考えが、頭の片隅に浮かんだ。
「....ちょっと見てみようかな」
誰に言うでもなく、私はそう呟いた。
休み時間はまだ少し残っている。
教室に戻るには早いし、特に用事もない。
屋上まで行って扉の前を覗くだけ。
それくらいなら、別にいいよね。
そう思って私は階段を上った。
屋上に続く廊下は、いつも人が少ない。
教室のある階とは違って話し声もあまり聞こえない。
階段を上りきると、少しだけ空気が変わった気がした。
窓から差し込む光が少し他より薄暗い床に伸びている。その先に、屋上の扉があった。
私は扉の前で立ち止まった。
前に来たときと、何も変わっていない。
鍵もかかっているわけでもない、ただ少し開けにくいだけ。
「黒崎さん、いるかな」
小さく呟いて、扉に手をかける。
ゆっくりと押してみた。
けれど、扉は開かなかった。
「あれ?」
もう一度、今度は少し力を入れて押してみる。
ガタッ。
扉が小さく動いた。
でも、開くところまではいかない。
「あ、そうだった」
私は思い出した。
この扉、押すだけじゃ駄目だったんだ。
前に黒崎さんが、少し持ち上げるようにして開けていた。
それを見よう見まねで私は取っ手を握り直した。
少し引いて、持ち上げて。
今度は、ちゃんと開いた。
「お、開いた」
けれど、扉の向こうには誰もいなかった。
屋上の床。手すり。遠くに見える校舎。
風に揺れる木の葉。そして、誰もいない空間。
私はその場で、しばらく立ち尽くした。
「まぁ、いないか....」
当たり前といえば、当たり前だった。
そうだ、黒崎さんだって毎日ここにいるわけじゃない。
そもそもあの日だって、「たまに」「気が向いたら」と言っていた。
私は屋上に出ることなく、扉を閉めた。
教室に戻る途中、少しだけ考えた。
また来てみようかな。
次の休み時間。今度は昼休み。その次は放課後、と何度か屋上を覗いてみた。
けれど、黒崎さんはいなかった。
屋上の扉は難なく開けられる日もあれば、噛み合いが悪いのか私じゃ開けられない日もあった。
開けられるときは、少しだけ外を覗いてみる。
そして誰もいない。
閉まっているときは、扉の前で立ち止まって、すぐに引き返す。
それを何度か繰り返した。
別に毎日通っていたわけじゃない。
授業が終わったあとに、たまたま時間があったとき。
友達と話していて、少しだけ一人になりたくなったとき。
廊下を歩いていて、屋上のことを思い出したとき。
そんなときに、何となく足を向けていた。
でも、黒崎さんはいなかった。
「……まあ、そうだよね」
私はそう思った。
別に会えなくても何か困るわけじゃない。
黒崎さんと話したのは、たった一日。
それも授業をサボって屋上にいただけ。
友達になったわけでもないし、連絡先を交換したわけでもない。
次に会う約束をしたわけでもなかった。
だから、会えなくても何もおかしくない。
むしろ会えないほうが自然なのかもしれない。
あの日のことだって、黒崎さんにとってはただの暇つぶしだった可能性がある。
私が勝手に覚えているだけ。
そう考えると、少しだけ変な感じがした。
別に寂しいわけじゃない。
特別会いたいと思っているわけでもない。
ただ、もう一度会ったら何を話すのかな。
そんな何でもないことを考えていた。
「....なんか変なの」
私は小さく笑って、階段を下りた。
その日は結局黒崎さんには会えなかった。
そして、次の日も。その次の日も。
──────
私の中で屋上を覗きに行くのがちょっとした日課になりつつあった。
自分で言うのもなんだがそもそも私は普段から授業をサボるような生徒ではない。
むしろ出席はそれなりにきちんとしている。
が、授業中に寝てしまうことはある。
教師の話を聞きながらいつの間にか意識が遠くなっていることなんて日常茶飯事だ。
けれど、わざわざ教室を抜け出してどこかに行くようなことはほとんどなかった。
理由は簡単、面倒だからだ。
授業をサボれば、あとでノートを見せてもらわなければならない。
先生に何か言われることだってあるだろう。
友達に聞かれたら、適当に誤魔化す必要もある。
それなら、普通に授業を受けていたほうが楽だった。
それに、授業を受けている間は何も考えなくていい。
先生の話を聞いて、ノートを取って。
分からないところがあれば、あとで誰かにでも聞けばいい。
そういうふうに過ごしているほうが、考えることも少なくてずっと気楽だった。
だから、屋上に行くことも最初はただの寄り道だった。
休み時間に、少しだけ覗いてみる。
誰もいなければ戻る。それだけ。
黒崎さんに会えたら、何か話せるかもしれない。
会えなかったら、それでいい。そんな感じだった。
でも、何度か屋上を覗いているうちに私は少しだけ気づいた。
私は、黒崎さんがいないことを思っていたよりも気にしている。
屋上の扉を開ける前に、今日はいるかな、と考える。
誰もいないと、ああ、今日もいないんだ、と思う。
そして、教室に戻る。それだけのことなのに。
「なんでだろ....」
私は何度目かの帰り道でそう呟いた。
自分でもよく分からなかった。
黒崎さんは、特別話しやすい人というわけでもない。
初めて会ったときだって、ほとんど自分から話をふってなんてくれなかった。
私が勝手に話して、勝手に質問して。
黒崎さんはそれに答えてくれただけ。
それなのに、何となく気になっていた。
あの人、普段何してるんだろう。
教室ではどんなふうに過ごしているんだろう。
誰かと話したりするのかな。
それとも、ずっと一人でいるのかな。
考えてみても、分からないことばかりだった。
傍から見ればミステリアスな人に惹かれる典型例のようなものになっていた。
「....まあ、今度会ったら聞けばいいか」
そう思って私は考えるのをやめた。
──────
そして今日、
いつになく眠気が私を許してくれない。
まぁ理由は明白だった。
昨日の夜、というより今日の朝まで。
気づいたら、時計の針がかなり進んでいた。
やらなきゃいけないことがあって、それを片付けているうちに思っていたよりも時間がかかってしまったのだ。
最初は、少しだけのつもりだった。
これを終わらせたら寝よう、そう思っていた。
けれど、ひとつ終わるとひとつ、またひとつ気になることが出てきて......
そんなことを繰り返しているうちに、気づけばカーテンの間から光が差し込んでいた。
「あ...もうこんな時間....」
明日も学校がある...というか、今日。
私は慌てて布団に入った。
けれど、作業を突き詰めてたせいかどうも瞼が落ちてはくれない。
それからどれくらい経っただろうか、
そうこうしてるうちに目覚ましが鳴る。
止める。
もう一度鳴る。
止める。
「結局寝れなかった....」
そろそろ身体を起こさなくては遅れてしまう、そう思いながら次に時計に目を向けた時には思っていたよりも時間が経っていた。
「えっ、待って!?」
私は慌てて起き上がった。
急いで着替えて、鞄を持って。
朝ご飯を食べる時間もなかった。
家を出るときには、もういつもの時間より少し遅れていた。
何とか学校には間に合った....
間に合ったけれど。
「眠い.....」
とにかく眠かった。
一時間目が始まってからも幾度となく欠伸が込み上げてきた。
先生の声が、いつもより少し遠くに聞こえる。
黒板の文字を目で追っているはずなのに、途中で意識が途切れる。
ノートを取っていると、同じところを何度も書いてしまう。
「真夏、さては寝てないな?」
隣の席の子が、小さな声で聞いてきた。
こいつは社千代子、
輝くブロンドのような金髪にいかにも典型的な高身長イケメン女子って感じの雰囲気、
みんなからは「しゃっちょ」って相性で呼ばれてる。
世話焼きな性格なのは万人に対してだが特に私には世話焼きマシマシな気がするのはきっと私の気のせいだろう。
「うん。昨日ちょっと寝るの遅くなっちゃって」
「大丈夫か?」
「大丈夫...たぶん」
そう答えて、私は笑って誤魔化した。
本当に大丈夫かどうかといえば答えは否、
今すぐにでも寝たい。
それだけははっきりしていた。
キーンコーンカーンコーン
いつまでも続くかにも思えた一時間目がやっと終わりを告げた。
休み時間になると私は即刻机に突っ伏した。
「限界....さすがにちょっと寝よ....」
そう呟いて目を閉じる。
教室の中の話声、誰かの笑い声、
椅子を引く音、廊下を走る足音、
それらが、少しずつ遠くなっていく。
眠りに落ちる直前。
ふと、屋上のことが頭を過ぎった。
今日は何となく、黒崎さんがいるような気がした。
どうしてそう思ったのかは分からない、なんの根拠もなかった。
ただ、何となく。
今日はいる気がした。
「今日はいるかな....」
そう呟いて、私は目を閉じた。
もし、今日屋上に行って黒崎さんがいたら何を話そう。
この前、何度か屋上を覗いたこと。
でも、全然会えなかったこと。
それを話したら、黒崎さんは何て言うんだろう。
「……別に、何も言わないか」
そう思って、私は小さく笑った。
私の中の黒崎さんはあまりそういうことを気にしなさそうだった。
私が何度か屋上に行っていたと知っても、きっと。
「ふーん」
とか。
「そうなんだ」
とか。
そんな感じで終わる気がする。
それでいいのだ。
何か話せれば、それで────
「んぁ....」
私は顔を上げた。
もうすぐ休み時間が終わるところだった。
机の上に置いていたスマートフォンを見て、再度時間を確認する。
あと少しで授業が始まる....
私はゆっくりと背伸びをした。
眠気はまだ全然残っている。
まぁ、さっきよりは少しだけ頭が動くようになったけども。
「....今日、どうしようかな」
何となく屋上のことが気になった。
行くか、行かないか、別に行かなくてもいい。
授業を受けて、昼休みになったらご飯を食べて、
それで普通に一日を過ごせばいい。
いつも通り。
それが一番楽だろう。
でも、
今日は何となく屋上に行きたい気がした。
──────
仮眠のようなものをとったからか、二時間目が終わるころには朝よりかは眠気が少しだけ落ち着いていた。
完全に消えたわけじゃない、目を閉じればすぐに眠れそうだ。
でも授業中に何度も意識が途切れるほどではなくなっていた。
「木野さん、次の授業って何だっけ?」
前の席の子が振り返った。
「えっと、数学?」
「そうだっけ?」
「たぶん」
私は時間割を確認した。
「うん、数学だよ」
「ありがとー」
その子は前を向いた。
私は机の上に置いていた教科書を開いた。
けれど、すぐに閉じた。
「....やっぱ眠い」
小さく呟く。
さっきからずっと同じことが脳内を支配してる。
屋上。黒崎さん。
今日なら、今日ならいるかもしれない。
何となく。本当に、それだけ。
私は教室の窓から外を見た。
空は晴れていた。雲が少しだけ流れている。
風が少し強いのか、校庭の木が揺れていた。
「今日も行ってみようかなぁ....」
──────
数学の授業が始まってから、私は何度も時計を見た。
先生の説明を聞きながら、ノートを取る。
問題を解く。答えを確認する。
それんな事を繰り返しているうちに、少しずつ時間が過ぎていった。
けれど、眠気はまだ私を許してはくれなかった。
黒板の文字がぼやける。
先生の声が遠くに聞こえる。
私は、頬杖をついた。
「あと少し....」
そう呟いて、時計を見る。
しかしまだ授業は始まったばかりだ。
でも、もう限界だった。
このまま教室にいたらまた夢の中へ旅立つのも時間の問題だろう。
それなら───
「保健室、行こうかなぁ....」
そう呟いた。
もちろんどこか悪いわけじゃない
ただ、眠い。
少し休みたい、それだけ。
でも、保健室に行けば先生に何か聞かれることは避けられない。
「どうしたの?」
や、
「具合悪いの?」
というふうに。
それに、眠いだけで保健室に行くのは何となく気が引けた。
「うーん....」
私は、教科書を閉じた。
そしてもう一度、窓の外を見た。
屋上、あそこなら....
少し休める。
誰もいなければ少し休んでそのまま戻ればいい。
もし、黒崎さんがいたら。
「また、話せるかも....」
そう思った、思ってしまった。
それから、
「先生ー」
黒板に数字を羅列していた教師がこちらを振り返る。
「どうした?木野」
「ちょっと、保健室に行ってきてもいいですか」
「具合が悪いのか?」
「少し気分が悪くて....」
もちろん嘘である。
眠気と屋上のことで頭の中がいっぱいの今の私に、今更数字の入る隙間などどこにあろうか。
これは時間の有効活用、
嘘も方便とはよくいったものだ。
「大丈夫か?」
「はい。少し休んだら戻ります」
先生は、しばらく私を見ていた。
それから、頷いた。
「分かった、無理するなよ」
「ありがとうございます」
私は教科書を閉じて鞄を持った。
廊下に出ると、少しだけ空気が変わった。
教室の中より、ずっと静かだった。
微かに各教室からの先生の声が聞こえてくる。
「授業中の廊下ってこんな感じなんだ....」
前回とは違う、自分で教室を抜け出す初めての感覚だ。
「これでサボるの2回目かぁ....」
そう言って、私は屋上のある階段のほうへ歩き出した。
──────
屋上へ続く階段は前よりも静かに感じた。
前回と違い一人、いつもと違って授業中だ。当然といえば当然なのかもしれない。
廊下を歩く人もいない。
階段を上る音だけが、少しだけ響いていた。
私は、ゆっくりと上っていった。
途中で何度か欠伸もした。
「やっぱり眠いなぁ....」
まだ眠い、
でもさっきよりは少しだけ気分がよかった。
あの閉鎖的空間から離れたからだろうか。
誰かに話しかけられることもない。
先生に当てられることもない。
ただ階段を上っているだけで、それだけで少し楽だった。
屋上のある階に着く。
廊下の先に、扉が見えた。
私は、そこで立ち止まった。
「....いるかな」
小さく呟く。
前に来たときと、同じ扉。
少し古くて、開けにくい。
私は、取っ手に手をかけた。
それから、いつもみたく少し持ち上げて、グッと力を込めて押してみる。
ガタッ。
扉が動いた。
「あっ」
前に来たときは、もう少し引っかかった気がする。
でも今日は前より簡単に開いた気がした。
私はゆっくりと扉を押す。
途端に少し開いた隙間から風が吹き込んできた。
前より少し冷たい。
でもそんな風が私には心地よかった。
私は、扉の隙間から中を覗いた。
「居ない....か」
私の根拠もない淡い期待はあえなく空振りに終わってしまったようだ。
そもそも二週間近く、毎日では無いにしろ幾度となく通って一度も顔を合わせてない、当然と言えば当然な結果だ。
「少し休んだら戻るかぁ....」
そう呟いて手すりの近くまで行き、
鞄を下ろして、空を見上げる。
下の階の授業だろうか、何かを発表してるような声が微かにだが聞こえてくる。
風が髪を揺らす。
空は驚く程に晴れていて、遠くの雲はゆっくり流れていた。
「....気持ちいい」
思わず、そう呟いた。
教室にいるときは、ずっと眠かった。
先生の声を聞いているだけで、頭がぼんやりしていた。
でも、ここに来ると少し違う。
静かで。誰もいなくて。
何も考えなくていい。
私は手すりに軽く寄りかかって空を見あげた。
「....黒崎さん」
名前を呟いてみた。
返事はない。当然だ。
彼女は、今日はいない。
私は少しだけ笑った、そりゃあそうだ。
それから、鞄を開けてスマホを取り出した。
時間を確認する。
まだ、授業の途中だった。
戻るなら今のうち、そう思った。
けれど、
「……もうちょっとだけ」
私はそう言ってスマホの電源を切った。
今日は、何となくここにいたかった。
別に理由はない。
ただ、屋上の風が心地よかった。
それにもしかしたら黒崎さんがいつかここに来るかもしれない。
そんなことを考えてしまった。
そんな時、
後ろで開くはずのないと思っていた扉の開く音がした。
そちらに視線を向けた時、輪郭のぼやけていた世界が一気にピントを結ぶ。
体温が一瞬で眠気を追い越していった。
──────
そこに立っていたのは紛れもない彼女だった。
見間違う筈もない。
黒崎さんは、少しだけ驚いた顔をしていた。
私も、驚いていた。
だって、ほんとに会えた
「.....久しぶり」
私は笑ってしまった。
「ふふ、黒崎さん!」
「な、何」
何となく、嬉しかった。
理由は分からない。
ただ、会えた。
それだけで、少し気分が高揚してしまっていた。
黒崎さんは少し困惑しながら私を見ていた。
「....ここで何してるの?」
「え?」
「だってまだ授業中でしょ?」
「あ、えっと」
私は、少しだけ困った。
保健室に行く気も微かにはあった。
けれど保健室に行くと言って、屋上に来た。
この行為を形容するものはひとつしか無かろう
「....サボり?」
黒崎さんが、先に口を開いた。
私は、思わず笑ったてしまった
「うん、そうかな」
それから、少しだけ考えて。
「黒崎さんに会いに来た....って言ったら変かな」
そう言ってみた。
黒崎さんは、何も言わなかった。
ただ、少しだけ目を逸らした。
私はその顔を見て、
「あ、やっぱり変?」
そう聞いた。
黒崎さんはそっぽを向いたまま、
「....変」
それだけだった。
でも何となく、
私はもう一度笑った。
「そっか」
特等席の手すりににもたれかけ、ただぼんやりと流れる雲を眺めていた。
黒崎さんも私の隣まで来て手すりにもたれかかる。
「久しぶりだねー」
私がそう言うと、彼女は少しだけ頷いた。
「うん」
それから私は、
よかったなぁ....今日ここに来て
そう思った。
まだ眠気が完全に消えたわけではもちろん無い。
でも今は何にも当てはまらない気持ちが、わたしの中で眠気など覆い隠してしまっていた。
──────
「そっか」
木野はそう言って手すりに身体を預け、空を見上げていた。
二週間ぶりに会ったというのに特別な感慨があるわけでもない。久しぶり、と言葉を交わしただけでその後に続く言葉は他愛もないものだった。
それが少し不思議にも思えた。
「木野、授業は?」
「ん?」
「今、授業中でしょ」
「あー....うん」
木野は、思い出したように教室のある方向を振り返った。
「ちょっと保健室に行くって言って出てきた」
「保健室?」
「そう。ちょっと眠くて」
「それ、保健室に行く理由になってる?」
「全然?」
「自覚はあるんだ」
木野は困ったように笑った。
改めて顔を見ると、目元がいつもより重そうだった。と、言っても顔を合わせるのは2回目だ、普段からそういう顔なのかもしれないけれど、今日は特に眠そうに感じた。
「....眠そうにしてるなぁ」
「え?」
「木野」
「えー、そんなに?」
「うん。今にも寝そう」
「そうかなぁ?まぁ実は、昨日あんまり寝れてなくてね」
木野はそう言いながら、口元を手で隠して欠伸をした。
「そんな夜中まで何してたの」
「ちょっとやることがあってね、気づいたら朝日を拝んでた」
「朝まで?」
「うん。わたしの見立てではもうちょっと早く寝るつもりだったんだけどなぁ...」
そう言って木野はもう一度欠伸をした。
なんだかこちらまでつられて眠くなってくるような雰囲気だ。
「それで今授業サボってるんだ」
「そういうことっ」
「木野もしっかり不真面目街道辿ってるね」
「黒崎さんにだけは言われたくないなぁ」
木野が少しだけ笑う。
木野の言う通り、私も人のことを言える立場じゃない。
「ほら、わたしはいつもじゃないから」
「私だっていつもじゃないよ」
絶対嘘だ、と言いたげに眉をひそめてこちらを見てくる。
「ほんとにぃ?」
「ほんとほんと」
「説得力ないなー」
そう言って、木野は軽く手を振った。
その仕草に合わせて、光を孕んだ髪がふわりと揺れる。
私はそれを眺めながら、ふと気になっていたことを尋ねた。
「木野って普段はちゃんと授業受けてるんだよね」
「え、それはどういう?」
「サボってるところ、あんまり想像できなくて」
「それは褒めてる?」
「おそらく」
「おそらくなんだ」
木野はおかしそうに笑った。
「まあ、普段はちゃんと受けてるよ。眠くなって寝ちゃうことはよくあるけど」
それは果たしてちゃんとなのだろうか
「授業には出てるからセーフなの!」
「口に出してないこと読まないで」
「あ、当たった?言ってみるもんだね」
あまりにも自信ありげに言い切るものだから少しだけ笑ってしまった。
木野のこういうところはまだ短い関係ながら節々に感じていた。
初めて会ったときもそう、こちらが何か言うとすぐに反応を返してくれる。会話を続けるのが上手いというか、相手に合わせるのが上手いというか。
私には、到底できないことだった。
「黒崎さんは?」
「何が?」
「普段、授業ちゃんと受けてるの?」
「どうだろ」
「どうだろって」
「出てはいるよ」
よく抜けるけど
「寝てる?」
「....たまに」
3回あれば2回は
「そっか、じゃあ私と一緒だ」
木野は満足そうに頷いた。
一緒にするのはおそらく違う気もしたけれど、きっと訂正するほどのことでもない。
しばらく、二人で屋上の景色を眺めた。
校庭からは今日も体育の授業中らしき声が聞こえてくる。あれはサッカーだろうか。
目に映る景色は二週間前と何も変わっていない。
変わったことがあるとすれば、隣にいる彼女くらいだろうか。
「そういえばさ」
木野が口を開いた。
「黒崎さんって、ここにいないときは学校でいつも何してるの?」
「え?」
「休み時間とか。授業がないときとか」
「んー、普通だと思う」
「答えになってなーい!普通って?」
そりゃそうだ、咄嗟に出たにしても我ながら適当すぎる返事だった。
「教室にいる」
「それだけ?」
「かな」
「誰かと話したりは?」
「しない」
「え、ずっと?」
「だいたい」
木野は少し考えるように、私の顔を見た。
「じゃあ、休み時間も一人でいることが多いんだ...?」
「そうだね」
改めて言語化されると我ながら社会不適合もいいとこな立ち振る舞いだ。
「お昼も?」
「うん」
「いつも?」
「いつも」
質問が続く。
別に答えるのが嫌なわけじゃない。ただそんなに自分のことを聞かれるとは思っていなかったから少し驚いた。
「そういう木野は?」
「私?」
「うん。そういう木野はどうしてるのかなって」
「うーん、友達と話してることが多いかな(主に一名...)」
「木野はちゃんと学校生活してるね、わたしと違って」
「うーん、どうだろう」
木野は少しだけ視線を上げた。
「楽しいこともあるよ、ただみんなが楽しんでる学校生活のそれとは違う気がするんだよねぇ....誰かと一緒にいると疲れちゃうし」
「前にも言ってたね」
「うん。だから、一人になりたいときもよくあるよっ」
「それで最近はよく屋上に来るの?」
「それもあるかな」
木野は手すりの方へ視線を向けた。まるでここは自分の特等席だと言わんばかりに。
「ここ、静かだし。誰にも見つからない感じがして落ち着く」
「見つかったら困るの?」
「そりゃあ授業サボってるからね」
「それはそう」
二人で小さく笑った。
「でも、黒崎さんもここにはたまに来るんだよね?」
「まあ、教室にいるより楽だから」
「教室、やっぱり苦手?」
「別に」
別に教室だけという話ではない、わたしが苦手としているのは誰かと関わらずにはいられない空間そのものだった。
「別に?」
「まぁ、人が多いからね」
それだけ答えると、木野は何も言わなかった。
無理に聞き返すこともなく、ただ「そっか」と頷く。その反応が、少しだけありがたかった。
「前も思ったけど、木野は教室にいるの平気そうなタイプだと思ってた」
「そう見える?」
「うん」
「よく言われる」
木野は苦笑した。
「平気っていうより、慣れてるだけかな」
「慣れ?」
「誰かと話すのも相手に合わせるのもさ、そういうのはできるんだけどね。たまにその中で今何を話してるんだろーとか、何を話したらいいか分からなくなるんだよね」
「木野でも?」
「私でも、ってどういう意味?」
「何でも話せそうだから」
「そんなことないよ」
木野は少し口を尖らせた。そんな木野を見て表情豊かだなぁなどと関係のないことをわたしは考えてしまっていた。
「黒崎さんだって、思ってたより普通に話してくれるし」
「思ってたより?」
「うん、最初はもっと無口な人なのかなって思ってた」
「わたしそんなに口開かなかった....?」
「そうそう。はじめは私が話しかけても「うん」とか「すん」しか言わなかったじゃん」
「それは木野がいっぱい話すからでしょ」
「えー、そうかな」
「そうだよ、あと「すん」なんて言った覚えはないから」
木野は少し考えてから、納得したように頷いた。
「確かに、私がいっぱい話してたかも」
自覚はあり、と。
「でも黒崎さんと話すの、私は好きだよ」
不意に、そんな言葉が聞こえた。
私は反射的に木野の方を見た。
木野は特にこちらを気にする様子もなく、遠くを流れるまばらな雲を格子越しに眺めている。
本人にとっては何でもないことのように言ったのだろう。
それでも、わたしは返事に困ってしまった。
「.....そう」
結局、何とか捻り出した返事は今にも消え入りそうなこんな一言だけだった。
そもそも今日は何かがおかしい。屋上にもわたしに会いに来ただったり、さっきの発言だってそうだ。かけられた事もない言葉を耳が拾ってしまうとこうもペースを乱される。
別に流せばいいだけのはなしだ。なのに木野から放たれたその何気ない言葉はどうもこんなわたしから通り抜けて行ってはかった。
「うん」
木野は軽く頷いた。
それから、少し間を置いて。
「あ、そうだ」
何かを思い出したように、こちらを向いた。
「黒崎さん、お昼ってもう食べた?」
「まだだけど」
「じゃあさ」
木野は自分の鞄を手元に引き寄せた。
「一緒にお昼食べない?」
「……お昼?」
「うん。私、お弁当持ってきてるんだ」
そう言って、鞄の中から小さな包みを取り出した。
「せっかくだしさ、一緒に食べようよ」
「でもまだ授業中でしょ」
「うん?」
「戻らなくていいの?」
「....あとで考える」
「随分と適当な優等生だこと」
「今日は特別」
木野はそう言って笑った。
私は、手元の鞄に目を落とした。
お昼を誰かと食べるなんていつ以来だろうか。
そもそも誰かと食べようなんて考えたことすらなかった。
いつも一人で適当に済ませていた。
なんなら食べない日すら稀にある。
誰かと一緒に食べる理由もなければ、誘われることもない。
だから、木野からそう言われたとき、すぐに返事ができなかった。
「....嫌だった?」
木野が不安げに首を傾げる。
「ううん、そういうわけじゃない」
「よかった、じゃあ食べよっか!」
割と木野なりに思い切った誘いだったのだろうか、そんな不安げな感じが少し伺えた。
「うん」
「やった」
そう言って木野は嬉しそうに笑った。
そんな顔を見て、私は少しだけ視線を逸らした。
「そんなに嬉しいこと?」
「嬉しいよ!せっかく黒崎さんに会えたんだし」
「....そっか」
木野は鞄から包みを取り出し、膝の上に置いた。
私はその隣に腰を下ろす。
二人で並んで座ると、屋上の景色が少し違って見えた。
少し前までは風邪が心地よい、ただ静かな場所だった。
けれど今は、隣に誰かがいる。
それだけの違いなのに、妙に落ち着かなかった。
「黒崎さんっ」
「な、何?」
「お昼、何持ってきたの?」
「わたしはパン」
「パンなんだ、何パン?」
「なんだっけ....」
「えっ、覚えてないの?」
「いつも結構適当に買って来てるから....」
「えーそうなことある....?じゃあ、一緒に見よ」
そう言った最中、木野は私の鞄を覗き込もうとしていた────
「ちょっと!」
わたしはびっくりして慌てて鞄を抱き寄せてしまった。
慌てて顔を離す木野。
「ご、ごめん!勝手に覗き込んじゃまずかったよね....!」
木野は鞄の中を見まいと顔を背けながら申し訳なさそうにこちらに謝っていた。
そんなに焦る木野の姿がおかしくってわたしは笑ってしまった。
「な、なんで笑うのさ!」
木野は戸惑い混じった表情で少し不満げに頬を膨らませていた。
「ううん、わたしこそ急にごめん。ほんとに普通のパンだよ」
「普通の?」
「普通の」
「それじゃ分かんないよ」
「見れば分かるって」
そういうとわたしと木野はまた笑った。
こんなに誰かと笑うのはいつぶりだろうか、わたしの無骨で適当な返しにも木野はちゃんと打ち返してくれる。
そんな気の抜けた適当な会話のラリーの数々が、こんなわたしにも少しだけ居心地がよく思えていた。
「ほら」
こうして、わたしたちの少しフライング気味の昼休みがスタートした。
2話目も読んでくださりありがとうございます。
3話目につきましては近日中を予定しておりますがおそらく1-2話目のペースよりは落ちてしまうと思われます。
ただそれにあたって木野と黒崎の立ち絵、キャラクターデザインのようなものをXにて投稿したいと考えてる所存です。
多少イラストを描いた経験はある為、その方面も自作して行けたらと思っております。
最後に3話目のあらすじを少しだけ、
あの後連絡先を交換した木野と黒崎。その日の夜、早速通知が鳴った黒崎はスマホを手に取る、そこには──
ついに屋上から広がった二人の関係、
第3話 謎々コーリング




