前編
ザッハークは、その長く伸びた邪悪な影が広大な領土を覆い尽くすほどの存在でした。ザッハークの治世は暴力と恐怖によって築かれ、背面には彼を暴悪な支配者へと変貌させた邪悪な蛇の影がとぐろを巻いています。日ごとに彼の心はより冷たく、より孤立したものになっていきました。
彼の宮殿の奥深く、石造りの壁の向こうにはひっそりと息づく美がありました。それがシャフルナーズです。
シャフルナーズはかつては平和な王国の王女でした。ところが母国はザッハークの支配下に置かれ、彼女自身もその宮殿に囚われていました。彼女の瞳は夜空の星の輝きを、声は朝露の清らかさを思わせました。彼女の周りには常に憂鬱な空気が漂っていましたが、心の奥底には決して潰えない意志の炎が燃えていました。
ザッハークはシャフルナーズの美しさに魅せられ、彼女を王妃として傍に置きました。それは愛情というよりも、自身の力を誇示するためのものでした。彼は彼女に誰もが羨む華やかな衣食住を与えました。男の冷たい眼差しは、彼女の心の奥底に潜む寂しさを見透かしているようでした。
ある夜、宮殿の広間が静寂に包まれた時、ザッハークはシャフルナーズの部屋を訪れました。月明かりが窓から差し込み、彼女の顔を淡く照らしていました。彼女は窓辺に立ち、故郷の星を想いながら静かに涙を流していました。ザッハークはいつもの傲慢な態度を崩し、珍しく言葉を探しました。
「何を泣いているのだ、シャフルナーズ。そなたにはすべてがあるではないか」
シャフルナーズはゆっくりと振り返り、その両目で不本意にも夫となった人を見つめました。彼女の涙で潤む瞳の中心には、確固たる意志の光が宿っていました。
「わたくしには何もありません。自由も、故郷も、そして心も。あなたは私にすべてを与えたと言うけれど、本当に大切なものは奪い去りました」
「今以上の幸福がどこにある。真の価値がどこにあるか、そなたもいずれは気づくだろう」
言葉の裏で、ザッハークの心はどこか揺れていました。彼は戸惑いを嘲笑でごまかして、部屋を去りました。
あれから、シャフルナーズの流した涙の雫がザッハークの頭から離れません。涙は女の脆さに過ぎない。往生際が悪いと笑い飛ばせばいい。なのに忘れられません。
シャフルナーズの純粋な悲しみが時を追うごとに心の深みに染み込み、言葉が物語る真実味が、男の長きに渡り凍てついていた心の表面にわずかながらひびを入れたのです。
シャフルナーズを思う幾度目かの夜、ザッハークは再び彼女の部屋を訪れました。緊張しながらも毅然と背筋を伸ばす彼女に近づき、その手をそっと取ろうとしました。シャフルナーズは一瞬たじろぎましたが、逃げることはありませんでした。
ザッハークの手は剣を握り、多くの血を流してきたごつごつとした手でした。その手が今、彼女の繊細な指先を、親鳥の柔らかな羽毛が雛鳥の震える体を温めるように、そっと包み込みました。瞬間、二人のあいだにはそれまで存在しなかった感情が生まれました。それは愛と呼ぶにはあまりにも未熟で、警戒心と呼ぶにはあまりにも穏やかな、奇妙な温度を伴う感覚でした。
二人は言葉を交わすことなく、ただ見つめ合いました。ザッハークの心の中で悪徳を口ずさむ邪悪な蛇の声も、以前よりも弱く聞こえました。シャフルナーズの存在が、彼の内なる闇に微かな光をもたらし始めていたのです。
この夜、ザッハークはシャフルナーズを抱きしめました。それは支配者の抱擁ではなく、一人の戸惑いを孕んだ人間としての抱擁でした。彼女の髪の匂いが男の荒んだ心を慰め、ザッハークの肩に置かれたシャフルナーズの小さな手が、彼の胸に温かさをもたらしました。
二人の物語は、決して単純なものではありませんでした。ザッハークの心に宿る闇は深く、シャフルナーズの傷もまた深かったからです。しかしこの夜の抱擁は、彼らの関係において、そしてザッハークの心において、大きな転換点となりました。彼は少しずつシャフルナーズの言葉に耳を傾け、彼女の願いに心を砕くようになりました。シャフルナーズもまた、ザッハークの内に潜むわずかな人間性を見出し始めていたのです。
彼らの絆が、ザッハークの呪いを解き放ち、その心に真の光をもたらすことになるのか、それとも……。それはまだ誰にも分からない物語の始まりでした。




