教皇トリアンタ×小さな来訪者
三月教会の本堂から応接間へと通された影次たちはふかふかのソファに腰を下ろした途端、三人揃って思わず安堵の溜息を漏らしてしまった。
山の中腹に建てられた大聖堂までひたすら階段を登り続けて来たので三人とも足が悲鳴を上げてしまっている状態だった。
「あぁ、しばらく立てそうにないなこれは……。足がもうパンパンだ」
「私もです……あれ、エイジは何だか平気そうですね」
「俺の体はほら、自動修復機能があるから」
「わっ、ずるっ」
「……あの、そろそろお話を聞いても宜しいですか?」
向かい側に座る壮年の男性に苦笑交じりにそう言われ、慌てて姿勢を正し自分たちが遭遇した出来事についての経緯を説明する。
影次たち一行の代表者は王立騎士団第四部隊の副隊長であるサトラではあるが今回の一件では彼女はずっと留守番をしていたので詳しい話は全てマシロが説明し、その間手持無沙汰になってしまっていた影次は先方に失礼のない程度に建物の中を見回していた。
流石はシンクレル国において最も勢力のある教会の総本山だけあってとにかく広い。本堂だけでも芸術都市の国営美術館よりも大きそうだ。建物自体は古そうだが歴史を感じさせる造りが神聖な場所だと感じさせる雰囲気を生み出している。
「……ダンジョン化していた礼拝堂に小悪鬼、そして月喰教会……。聞けば聞くほど、巡礼団の者たちは幸運だったのだと痛感させられますな。あなた方に救って頂かなければ恐らくこの街に戻ってはこれなかったでしょう」
改めて深々と頭を下げ影次たちに礼を言う男性。さっきサトラから聞いたのだがこの御仁こそ三月教会においての事実上のNo2、マグレガー大司教だそうだ。
クレスたち一般修道士たちと同じタイプのローブ姿ではあるが大司教氏のものにはあちこちに装飾が施されており、確かに外部の人間から見ても一目で教会でも高位の人物である事が伺える。
とは言え装飾と言っても差別化しやすいように簡単に袖や襟に金の線が入っている程度で本人の立ち振る舞いや喋り方等も権威のある聖職者というよりはベテランの教員、もしくは生徒数の少ない学校の校長先生といったイメージだ。
「私からもお礼を申し上げます。彼らが無事ネザーランドに帰って来られたのはあなた方のお陰です。本当に、本当にありがとうございます」
マグレガー大司教の隣に座っていた女性が腰を上げ、両手を前に組んで丁寧に頭を下げる。隣の男性に比べこっちの女性はとても若く見える。影次やサトラよりも年下だがマシロよりは年上といったくらいだろうか、緩くウェーブのかかった水面のような薄青い髪は腰まで届くほど長くヴェールで顔の上半分が隠されているのが特徴的だった。
顔を半分隠しているせいだろうか、何処か掴み所の無い不思議な雰囲気を持った女性だ。
「自己紹介が遅れ申し訳ありません。私はこの三月協会で教皇を務めるトリアンタ・ザクセンゴルトです。どうぞお見知りおきを」
「きょ、教皇…!?」
驚きの声を上げるマシロ。その隣のサトラも声には出さなかったが同じように驚愕だと言わんばかりの表情を浮かべている。…二人のリアクションから察するに、多分物凄く偉い人物なのだろう。
今からでも自分も驚いたフリをするべきだろうか、なんて考えていると、不意に教皇トリアンタと視線が重なる。
いや、ヴェールに隠れている彼女と目が合ったと感じたのは気のせいだろうか。何やら一瞬意味有り気にクスリと微笑を浮かべられたような気もしたが自意識過剰だろうか。
(……もしかして無意識にジロジロ見てたりしてたのかな、俺)
〈その可能性は十分考えられます。彼女の肉体的バランスは一般的な男性の趣向パターンに当て嵌めても非常に好印象を抱かれる傾向の……〉
(『ルプス』ステイ)
「ご友人は我々三月教会が責任を持って全力で治療に当たらせて頂きます。完治にはまだしばらく日が掛かるでしょう、折角ですしゆっくりとネザーランドの街をご堪能ください。山や畑ばかりで退屈かもしれませんが」
ジャンが完治するまでどのみちこの街に滞在し続けるつもりでいた影次たちは教皇トリアンタからの有難い申し出を受ける事にする。
滞在中の宿を探しに街に行こうとしたところ聖堂内の客室を提供され流石にそこまで甘える訳には、と断ったのだが療養中の仲間と同じ場所に寝泊まりする方が何かと都合が良いのでは?と言われてしまい…結局お言葉に甘える事となった。
「宿代が浮いたな」
「リザ殿がまた拗ねてしまいそうだがな」
サトラの言葉に無表情で不貞腐れいじけるリザの様子がありありと思い浮かぶ。とは言え教会の総本山がある街で『竜の宮殿』なんて出してしまったら大騒ぎでは済みそうに無いのでリザには悪いが拗ねて貰おう。
「では、何か御用がありましたら何なりとお申し付けください」
修道士に部屋へと案内された影次たち。男女別それぞれ一部屋ずつ提供された客室は下手な宿よりもずっと広く快適だ。羽振りの良い教会なのかと思ったがどうやらここまで豪華な造りにしているのは客室だけらしい。
「しかし驚いたな……大司教のみならず教皇様まで御自ら出迎えて下さるとは」
「その教皇っていうのが教会で一番偉い人物なのか?」
「ああ、三月教会の最高権力者だ。本来ならああして人前に姿を晒す事すら珍しい人物だ」
それだけ巡礼団を救った影次たちに感謝しているという事なのだろうか。思いがけず教会のトップとNo2が揃って現れた事にまだ驚いているサトラたちの様子から察するに、よほど稀有な事だったのだろう。
「ジャンさんの回復には数日ほど掛かるそうですし、ここは教会のご厚意を有り難く受け取って私たちも少しゆっくりしましょうか」
「そうだな。では早速バーナード隊長に一筆記すとしよう。そう言えばシャーペイはどうする?」
「お腹が空いたら勝手にこっちに来るだろ。放っておこう」
地獄の階段登りで足が限界だから部屋で休んでいるというマシロとサトラと別れ、街に出かける前にジャンの様子を見に行きたい影次は一人三月教会大聖堂を散策し始める。
ジャンが療養している部屋の場所は修道士から聞いてはいたものの初めて訪れた場所なのですぐに道に迷い始めてしまう。
「あれ、ここどこだ……?」
確かジャンのいる部屋は客室の一つ上の階だと聞いた筈だがいつの間にか屋上に出てしまう影次。ネザーランドの街を一望出来る絶景スポットだ。後でサトラたちにも教えてあげよう。
気を取り直して元来た道を引き返す。道中やけに階段を降りるなと思っていたら今度は地下室に到着する。典礼のためのものだろうか、大量のワイン樽が貯蔵されていて芳醇な香りが漂う。
(マズい、完全に迷子だ……おい『ルプス』、建物内部の構造をスキャンしてナビゲーションを)
〈ステイ〉
(拗ねてんのかお前!?)
この異世界に来てから段々とライザーシステムの制御AI『ルプス』が段々と人間臭くなってきているような気がする。道案内は期待出来そうに無いので何とか自力で元の場所に戻るしかなくなってしまった。せめてこの大聖堂の人を見つけられたら道を聞く事が出来るのだが……。
22歳になって「迷子になりました」と説明するのは正直心にクるものがあるが仕方ない。
「……完っ……全に迷子だ」
途中で隠し通路のようなものを通ったり回転する壁を通ったりしたせいかすっかり見覚えのない場所に出てしまった影次。
教会の本部である大聖堂だというのにこの辺りには修道士の姿もほとんど見かけないので道を聞く事も出来ない。もしや入ってはいけない区域に入り込んでしまったのだろうか。
だとしたらこんなところをウロウロしている姿を見付かるのはまずいかもしれない。だが元居た場所に戻る道も分からない。
「どうかなさったんですか?」
「うわぁ!?」
突然背後から声をかけられ情けない声を上げてしまった。恐る恐る振り返るとそこにいたのは、つい先程まで応接間で顔を合わせていた女性、教皇トリアンタだった。
よりにもよって教会の最高権力者に遭遇してしまった。本当にここへは本来入ってはならない場所だったのかもしれない。何せ普段めったに人前に姿を現さない三月教会のトップがいるのだから。
「あ、あのですね…これには深い事情が……別に無いんですけど何と言いますか……」
「……? 何を言ってるんです? ああ、私はもう休むので後の事はよろしくお願いしますね伯父さん」
「お、おじさん?」
どこか会話が噛み合わない。教皇トリアンタはさっきまでの神秘的かつ毅然とした聖職者らしい立ち振る舞いとは打って変わり年頃以上に砕けた口調でフラフラと近くの扉を開けて中に入っていく。
「すみません伯父さん扉閉めてください。あとこれもお願いします」
言うなり羽織っていたローブを、履いていたタイツを脱いで放り投げるトリアンタ。突然の出来事に影次も訳が分からないまま言われるままに部屋の扉を閉めトリアンタが脱ぎ散らかしたものを拾い畳んでいく。
「あ、あの教皇様? 俺は……」
「ふぅ、今日は久しぶりに教会関係者以外の人と喋って疲れちゃいました。今日はこのままゴロゴロします。はい決定。教皇命令です」
「あ、はいご自由に」
どうやらここは教皇様の自室のようだ。部屋の三割近くを占める巨大なベッドの上に飛び込みシーツの上で宣言通りゴロゴロと転がり始めたトリアンタ。…何だろう、決して見てはいけないものを見てしまっているような気がする。
「夕食はいつも通りここにお願いします。あ、蜜ラムネもお忘れなく」
「いや、だから俺は……」
「ふわぁぁ……気疲れしちゃいました。巡礼団の方々が無事だったのは喜ばしいですけど」
「あ、はいごもっとも」
「……何か今日はおかしいですよ? どうしたんですか伯父さん」
ちょいちょいとこちらに手招きする教皇トリアンタ。影次はどうしたものかと逡巡し……仕方なく言われるままに彼女の傍へとやってくる。
顔の上半分を隠していたヴェールも取り払ったトリアンタの素顔は、社交辞令抜きに美人だった。
「……んー?」
「ちょ、あの」
近付いた途端トリアンタの両手が影次の頬に添えられる。振り払うべきかと悩んでいるとそのまま顔中をベタベタと彼女の細い指がまさぐり始め……鼻の穴はやめてください
「あれ? 伯父さん……じゃない?」
「どうも」
そこでようやくトリアンタも気が付いたらしい。そこにいるのが「伯父さん」では無く、ついさっきこの街を訪れた客人だと言うことを。
影次も同様にそこで初めて気が付く。彼女の双眸には自分の顔が……否、何も映っていない事に。髪と同じく薄い青色の瞳が全く機能していない事に。
「……えーっと……」
「……取り合えず、手を放して貰えると助かりまふ」
「あ、はい失礼しました」
トリアンタの手が影次の顔から離れる。
そのままベッドのシーツと肌着を軽く整えてからこほん、と咳払いをして……ゆっくりと両手をついて額をシーツに擦り付けた。
「後生ですから何卒この事はどうかご内密にお願いします何でもしますから」
「いやいや言いませんから! 誰にも言いませんから頭を上げて下さい!!」
side-???-
錬金術師組合所属の錬金術師ウォルフラム・セブンフォウは街の入り口で衛兵にギルドカードを提示しようやく身元証明が済み街に入る事が出来た。
「た、大変失礼致しました!」
「はぁ……いいですよ、慣れてますから」
衛兵も悪気があった訳ではないのは重々承知している。向こうからすれば外から子供だけで街に入ろうとしていたのだ、引き留めて事情を聴くのは当然だ、彼はとても真面目に職務を全うしているに過ぎない。
「アハハ!! こども! こどもだってさ!」
「うるさいよ。君の方は実際子供じゃないか」
土亜人であるウォルフラムは見た目だけで言えば学園の初等部生徒か、もしくはそれ以下の年齢に見えるがこれでも立派な成人だ。酒だって嗜む。……酒場では毎回断られるが。
「三月教会の本部がある街か……。まぁこれくらいの規模の街なら材料は揃えられそうだね」
「おー? アッシグレーとダブブメールは?」
「…アッシュグレイとダブルメイルの事かい?何度も説明したろ。彼らは一足先にアジトに向かったよ。ボクはアッシュグレイの修復に必要な素材の買い出しにこの街に来ただけなのに君が勝手に付いて来て……」
「なーなーウォッフー! あれなんだー? あれー」
「話を聞いてくれないかな。……はぁ、もういい。あれは三月教会が崇める神の三女神の像だよ。あとボクの名前はウォルフラムだ。何度も同じ事を言わせないでくれ」
「おー、わかったウォッフ!」
街に寄ると彼女の前で口を滑らせてしまったのが失策だった。只でさえ自分は人と行動を共にしたり誰かと一緒に何かをするというような事が嫌で組合にもろくに顔を出さずこうして半ば流浪のような研究の旅をしているというのに。
道中で利害の一致から怪しい連中に協力する事になり不本意ながら一時的に同行しているが、決して子守をする為ではない。
「いいかいソマリ。くれぐれもボクからはぐれないでくれよ?これだけ広い街なんだ。いつものように自分勝手に何も考えず歩き回れば迷子になるのは目に見えているからね。ボクの用事が済むまできちんと大人しくしていてくれ」
言い聞かせたところですぐに忘れるだろうが、それでもきちんと言い聞かせれば少しの間は言う通りにしてくれる。彼女も決して悪気がある訳ではないのだ、それは理解している。ただ幼いだけなのだ。それを怒ったところで何の解決にもならないし無意味な事だ。合理的ではない。
だがウォルフラムが振り返った時には既に、共にこの街にやってきた同行者の姿はどこにも見えなくなってしまっていた。
「……これだから子供は嫌いなんだ!!」
思わずその場で声を荒げてしまうウォルフラム。そんな彼の様子に周囲の大人たちが心配し集まってくる。
どうやら親とはぐれた迷子か何かかと思われてしまったらしい。分かっている、彼らにも決して悪気はない。むしろ見ず知らずの相手に心配をしてくれる善良な人々だという事は理解している。そう、理解はしている。
「くそっ! どうしてこう計算通りに行かないんだっ!!」
「んにゃー……エイジたちどうなったんだろ。気にはなるけどまさかあの馬鹿げた階段登るのは絶対嫌だしなぁー……」
一人影次たちと別行動をとっていたシャーペイ。しばらく街の中をフラフラと歩き回っていたが影次たちが戻ってくる様子がないので仕方なくまた大聖堂に続く大階段の前へと戻ってきたところだった。
因みにまだすぐ近くにある大聖堂直通のゴンドラの存在には気付いていない。
「おー?」
「おっとと。ごめんねお嬢ちゃん余所見してたよ。大丈夫?」
会談をぼんやりと見上げていたシャーペイに何か小さなものが後ろからぶつかってきた。年の頃で言えばまだ10歳前後といったところだろうか、旅装束にバンダナといった活発そうな少年……と思ったがよく見ると少女だ。危うく間違えるところだった。
「こちらこそごめんなさいなー。おけがはありませんかー?」
「アタシは平気だよー。お嬢ちゃん一人? 見た感じ街の人じゃないっぽいけどこの街には観光かな?」
「んー、ウォッフといっしょにきたー。でもあいつまいごー。しかたないから探してあげてるんだー」
迷子になっているのは君の方なんじゃない? とは思ったが面倒くさそうなので聞かないでおく。迷子だとしてもどうせ誰かその辺のお人好しが何とかしてくれるだろう。少なくとも自分にそんな事をするつもりは一切無いと断言できる。
「あ、そうだ。やらなきゃいけないことがあるんだー。ごめんなおねーさん、あたしもういかなきゃだー」
「アタシもこの上に用事があるからバイバイだね。気を付けるんだよお嬢ちゃん」
「おー、うらぎりもののシャペペペ? ってやつをみつけてやっつけなきゃいけないからなー。またなー」
「はいはいまたねー」
ぶんぶんと両手を振りながら元気に走り去っていく女の子を見送ってから、改めて大聖堂への階段を見上げるシャーペイ。いや、本当にどうしようこの階段……。
「……シャペペペだって。世の中へんてこな名前の人もいるんだねー」
「豊穣の都」編本格始動です。そして新キャラ。またまた増えていく登場人物。今回は多少アクの強いキャラたちになってしまったかもしれませんが気にしないでください。




