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ベッドの下に運命がおちてる

ベッドの下に運命がおちてる

作者: ぼぶお

この物語はフィクションであり、登場する個人名・団体名は実在するものとは何も関係いたしません。

リアリティを追及したため、人物の名前はあえて存在するであろうものを選ばせて頂きました。ご本人、もしくはお身内の方と同姓同名であったとしても、どうかご容赦いただけるよう、宜しくお願い申し上げます。

<< 1 >>



「ただいまー」


誰もいない一人暮らしのアパートの部屋に、わざわざ声をかけながら帰宅する。

実家にいた頃と違って返事がかえってくるわけが無いのだけれど、習慣化していてつい言ってしまう。


手探りであかりのスイッチを押し、1Kの狭い空間が明るくなると、意味もなくちょっとホッとする。


郵便受けから抜き出してきた手紙の差出人欄に目を通しつつ、見るわけでもないテレビをつけ、カーテンを閉めに窓辺に近づく。・・・そういえば、と、ガラス戸をあけて、ベランダに干してあった洗濯物を角ハンガーごと中に入れた。その際、アパートの向かいのすっかり葉桜となった桜並木が目に入り、ふと今年は花見をしなかったなぁと思った。


手紙を、カップや雑誌で散らかったテーブルの上に放り投げ、脱いだ上着を無造作にいすの背もたれに引っ掛けて、(ようや)くベッドに腰を下ろす。


Yシャツの胸ポケットから携帯電話を取り出し、メールと着信履歴を確認する。

大学時代から仲の良いいつもの面々からのメッセージと、めずらしく実家からの着信の痕跡。母さんか、数ヶ月まえに実家に家族で同居し始めた兄貴かの、どちらかだろう。


そのまま携帯をベッドに置き去りにして、シャワーを浴びに行く。針金ハンガーにぶら下げておいたバスタオルは生乾きだったが、まぁいいかとそれを使った。


冷蔵庫から、友人がストックしていった安物の缶ビールを勝手に貰い、ガシガシと髪を拭きながらベッドに戻ると、丁度着メロが鳴り出した。


兄貴から。出るか出ないか一瞬考えたが、とりあえず通話ボタンを押した。


「なに?」


相手が分かっているから、無愛想に問いかけた。


『お、まだおきてたか』


「まだおきてると思って掛けてきたんじゃないのか?」


『ああ。ま、そうなんだが・・・。今、大丈夫か?』


「大丈夫じゃない。もう寝るところだったんだ」


まだ寝るつもりは無かったが、でまかせを言ってみた。面倒くさい話をしそうな時、大概兄貴はきり出すのに時間がかかる。

そして話は長くなるんだ。


「なに? 用が無けりゃあ、切るけど」


『うん。いや・・・うん、そうだな。用は・・・ある』


よほど言いにくいのか、いつも以上に時間をかける。いい加減湯冷めしそうだとイライラし始めた頃、やっと決心がついたらしい。


洋祐(ようすけ)、お前・・・見合いしてみないか?』


「!」


思わぬ言葉に、飲みかけの缶ビールを落としそうになる。


「はあ? 兄貴なに言ってんの。俺、まだ24なんだけど」


大学を卒業して2年ちょっと。当然仕事に就いてから3年目なわけで、まだまだぺーぺーと呼ばれる範疇だろう。不景気で賃金の安いこのご時勢に、若手サラリーマンの薄給では結婚なんて考えている余裕はない。

それ以前に、見合いってもっと年齢を重ねた人がするものだというイメージがある。


『ああ、わかってる。と言っても、俺が結婚したのも24の時だから早いってことは無いと思うけどな』


「兄貴はそん時には就職して結構経ってたじゃないか」


『そうだな、5年・・・6年目だったかな』


兄貴は大学に行かず高卒で就職した。進学を考えなかった訳ではなかったのだが、その頃親父の体調が思わしくないこともあり、母さんや俺の勧めも無視して、兄貴はあっさりと就職を選んだ。

それなりに名高い進学校出身のおかげか、今では数人の部下を使う立場にまで出世しているらしい。


ちなみに親父はその後しっかり回復し、定年まではがっつり頑張ると言って今でも会社に勤めている。


『いや、無理にって言うわけじゃないんだ。というか、俺もまだ早いって思ったし、そう言ったんだけど』


「なら・・・」


『それがさぁ、相手の女性がお前をすっごく気に入ってるんだって言うんだよ』


「は? 誰? 俺が知ってる人なのか?」


美穂(みほ)のイトコ。一昨年の、美穂の弟くんの結婚披露宴の時に見たんだってさ。「あの人ダレ? すてき~」とかって騒いでいたらしい』


美穂というのは兄貴の嫁さんだ。職場恋愛の末、結婚。現在は専業主婦で、二児の母だ。美人というよりも可愛いタイプで、小柄なせいもあってか、とても兄貴より一つ年上には見えない。その彼女の弟の披露宴なら、本来は出席しないのが普通だろうが、兄貴たちの結婚をきっかけに仲良くなり、以来よく連絡を取り合うようになってたから是非にと招待された。

今でも頻繁にメールが来るし、最近も一緒にメシを食いに行ったばかりだ。


「イトコ・・・? 全然覚えてないけど・・・いたか?」


『いたいた。ほら、お前とは反対側の親族席でさぁ、濃いピンクのワンピースにウェーブがかかったロングヘアーの・・・』


「ああっ!・・・・・・ぁあ?」 


うっすらと思い出して、首を捻ってしまった。おぼろげながらに残る俺の中の記憶では、俺との見合い話がでるような相手じゃなかったハズだ。


「あのヒト、今いくつよ?」


『・・・いや、ちょーっと年上かな? で、でも俺んとこも姉さん女房だし、平均寿命をかんが・・』


「いくつ?」


『美穂の伯母さんがやたらと乗り気でまいっ・・・』


「いくつ?」


不機嫌もあらわな俺からの再三の質問につかの間逡巡したのち、蚊の鳴くような声でぽそっと答えた。


『・・じ・ぅい・』


「ああ?」


『さ・ん・じゅ・う・い・ち! いいじゃないか、年なんて! どうせ相手がだれだろうとまだ結婚する気なんてないんだろっ。・・・頼むよ、洋祐。今回だけっ。すぐに断ってくれてかまわないんだから』


「・・・」


『向こうのお義母さんも無茶を突きつけているって解ってるんだけど、どうにも本人と伯母さんが・・・なぁ?兄ちゃんの顔を立てるとおm・・・』


有無を言わさず通話を切った。そのまま電源も落とし床の上に放り出す。

全く冗談じゃない。なにが悲しくて七つも上の、しかも俺より倍ぐらいも体重がありそうなオバサンと見合いしなきゃならないんだ。


首にかけたままだったバスタオルに八つ当たりし、ぐしゃぐしゃっと丸めて壁へと投げつけた。その際、コントロールに失敗し、テーブルの上に落下して台上のものをばら撒いてしまった。

ドサドサと落ちる雑誌。倒れて派手な音をたてるカップ。四方に転がってゆく硬貨。そのいくつかがコロコロとベッドの下に転がり込んだ。


「くそっ!」


足の間から覗き込んだが、暗いのと、雑多に詰め込んだ衣料ケースや本のせいで奥のほうが全然見えない。

面倒になり、片付けは明日に先送りにした。


すっかりぬるくなったビールの残りは諦めて、逆に冷たくなってしまった体を温めるため、もそもそとベッドに潜り込んだ。







<< 2 >>



就職活動をしていたあの頃、たいして深い考えがあってのことではなかったのだが、最低限の条件に『土日が休み』を入れておいて良かったと、社会人になって3回目のゴールデン・ウィーク初日の朝(もう昼近かったケド)も、思った。

のろのろと起き出し、洗面所へ。さすがに昨夜はハメをはずしすぎたか、鏡に映る顔はヒドいものだ。


何か予定しているわけじゃない。今日はとりあえず部屋の片付けでもするかと、スウェトからTシャツ・ジーンズに着替えて、窓へ向かう。ガラリと全開にすると、気持ちの良い風が通り抜ける。


一人暮らしは全部自分でやらなきゃならないから、仕事が立て込んでいて忙しい時は自身の世話すら面倒になる。大学に入ってからだからもう6年以上にもなるのに、未だに実家はヨカッタと考える事もあるけれど、こうして布団を干したり、掃除機をかけたり、洗濯機をまわし・・・あ、スイッチを押してない!


床に散らばった衣類を拾いあげ、今日こそは古雑誌を束ねてしまおうとベッドの下を覗き込む。そういえば先日小銭がころがったのだったと思い出し、電気スタンドで照らしながらよーく見てみた。


・・・ない。あるのは綿埃(わたぼこり)とくしゃくしゃになった古いレシート。転がり込んだと思ったのは気のせいだったのか?


首を傾げながらも、せっかくだからと衣料ケースも引っ張り出して、奥まで隅々掃除機をかけた。




キレイになった部屋の窓際で、ごろりと仰向けに寝ころぶ。四角く切れた青空は、半分以上も洗濯物で隠されてしまって、あまり良く見えない。しかしゆーっくりと流れている白い雲が徐々に形を変えてゆくのが楽しくて、このまったりタイムに充分満足した。


ピンポーン


チャイムが鳴る。・・・誰だ?

寝転がったまま首を玄関へ向け、来訪者の気配を探る。新聞の勧誘だったり、幸福を祈りに来た何かの布教だったりなら応えるつもりは無い。


「おーい、洋祐ェ。寝てるのかぁ?」


「ようちゃーん。あけてぇ! ようちゃーん」


聞き覚えのある二人分の声と、大小二つの手で鳴らされるけたたましいノックに、うんざりと体を起こした。

できれば無視したいと思いながら、それでも仕方なくドアを開けた。


「ぃよう! 久しぶり。やっぱり寝てたのかっ?」


「よーちゃん、よーちゃん、ひさしぷり! やっぱいねてたのかっ」


つい最近、電話で話したばかりの兄貴・佐藤祐一(ゆういち)と、その長男・太一(たいち)がテンションMAX状態で現れた。

今年5歳になる甥っ子は、「このごろパパのマネが大好きなのよ~」と電話口で義姉さんが言ってたとおり、横目でチラチラと父親の動きを追っている。


「お前、ゴールデン・ウィークだからってこんな昼過ぎまで寝てるなよ!ってかオジャマシマス。あ、そうそうコレ、母さんから」


はい、手土産。と言って手に提げていた紙袋を探り、取り出したのは、普通サイズの茶封筒。


「弟ン家行くのに土産が菓子折りって、なんか違うだろ?母さんにさぁ、洋祐んとこ行ってくるけど手土産は何がいいと思う?って訊いたら、「それならコレ持って行きなさい。どうせ貰い物だから」だってさ」


おおよその推測どおり、封筒の中身は全国共通商品券。千円券が20枚あるから2万円分だ。


「え、悪いからこんなにいいよ」


「悪くないから寄越したんだろ? いいから貰っとけよ。邪魔になるモンじゃないし」


そんなことを言われても。金が無い学生の頃ならともかく、働いて給料を貰っている身には、気兼ねしてしまう金額だ。


「多分、厚木の叔母さんちの一番上・・・えと、フミヤだっけ? 去年郊外に家建てただろ。親父たちが新築祝いやったらしいから、そのお返しモンだよ」


「なら、同居してるんだから兄貴が貰えばい・・」


「俺はいつもいろいろしてもらってるし、普段あんまり会えないからお前にしてやりたいんだよ。きっと」


手の中の封筒を持て余しているのを見かね、兄貴はそれを取り上げて机へと向かうと抽斗の中にしまった。

そんな二人の遣り取りを見ていたのだろう。


「よーちゃんがいらないなら、たいちがいるー」


大人の話にずずいっと割り込み、商品券が何なのかちゃんと理解なんてしてないくせに、ちゃっかりと手は出している。


「よーちゃんは要らなく無ぇよ。ってか、太一はコレが何かわかんねーだろー?」


「わかるよっ! おかしがかえるけんだって、ジィちゃんがいってたもんっ」


「親父ぃ・・・」


兄貴は大袈裟にアチャーと額を押さえた。




「ところでさぁ、あの事なんだけど・・」


目の前で直接ペットボトルからお茶を注いで出してやると、兄貴はそれを一口含んで口内を潤し、グラスの上からこちらを伺うように遠慮勝ちにも切り出してきた。


「・・・なに?」


すぐにピンと来たがとぼけて聞き返す。もし先日の見合いの話じゃなかったら藪蛇(やぶへび)になるのが嫌だったから。


自分のグラスにもなみなみと注ぎ、一気に半分ほどをのどに流し込んだ。

ちなみに太一は冷蔵庫から缶ジュースを勝手に出し、ミニキッチンの棚からポテチを発見すると、それらを持って今はテレビの真ん前に陣取っている。


「いや、ほらっ。・・美穂のイトコの・・・」


最後まで言わせない。ギロリと睨みつけると、兄貴の声は尻窄(しりすぼ)みになった。


「その話ならしない。会わない」


「えっと、でも写真と釣り書きあずかってきちゃって・・」


「兄貴」


肺の中が空っぽになるんじゃないかと言うくらいの大きなため息を、これ見よがしに吐き出した。


「確かにまだ結婚する気は無いよ。若造だし、仕事に余裕はないし、給料も安い。でも俺も、兄貴と義姉さんみたいに運命を感じる出会いがあったら・・相手も同じ気持ちだったらきっと、不安材料があったとしても迷わず結婚に踏み切ると思うんだ」


兄夫婦のラブラブっぷりを間近で見せ付けられているんだ、羨ましいと思わない訳が無い。しかもウチは両親も結婚31年目だと言うのに相変わらず仲が良い。そんな環境にいれば恋愛結婚に憧れないはずが無い。


「大体、自分は義姉さんと恋愛結婚のくせに、俺には見合いを勧めるとかズルくないか?」


「あー、美穂とのことを持ち出されるとなぁ・・・う~ん、そうか、まぁ・・うん。そうだな、わかったよ。先方には俺から断っとくわ」


悪かったなと、兄貴はこの話を切り上げた。実は、兄貴が何かややこしいことを言い出したら義姉さんの名前を出せと言うのは、母さんの入れ知恵だ。


「洋祐にはどうもイイヒトがいるみたいだとか適当に言っちゃうけど、いいよな? もー、いっそ本当に恋人くらいいてくれたら、最初から断れててラクだったんだけど。あの伯母さん苦手なんだよ。俺」


ハァ~とわざとらしいため息を吐き出す。よほど気が重いらしく、お茶のグラス片手にぶちぶちと愚痴(ぐち)りだした。


「はじめに言ったと思うけど、俺も洋祐に見合いはまだ早いと思うって言ったんだよ。一応。それなのに、もう娘が31ってのもあるんだろうケド、会うだけ会ってみたらソノ気になるかもしれないじゃない? とか何とか。ソノ気ってどの気? んなわけ無いッつーの!」


・・・俺が出したのって、お茶だよな?


「美穂の親戚、ホントはあまり悪く言いたくないんだけど、あそこは別!あそこの親子はムリ! 仲良くとか出来ない。したくないし」


俺の知らない、なにか根深いモノがあるんだな・・・。だけど、このまま愚痴を聞かされ続けるのはイヤだ。せっかくのG・W(ゴールデン・ウィーク)初日が台無しになってしまう。

大人のムズカシイ話なんて全く聞こえてないらしく、一人静かに子供向け特別番組に夢中の太一にそれとなーく話を振ることで回避を狙った。


「太一、それは何だ?」


小さな手が無意識に弄んでいる半分透明のプラスチックカプセル。幼い頃に俺も好きだったガチャガチャ(・・・・・・)のアノお馴染みのカプセルだ。

テレビを楽しんでいても、放って置かれるのはやはりちょっと寂しかったのか、太一はすぐにクルンと振り返った。


「あのねっ、これねっ、いまようちえんでみんなやってるの!」


幼稚園で?ガチャガチャを?

頭の中に疑問符は浮かぶが、表情はそのままを維持した。


「てれびでやってるのしってる? たいちね、げーむとかーどももってるけど、がちゃがちゃのふぃ・・ふぃぎや・・・? ふぃぐあ・・もすきなの!」


オイオイ、口が回ってないぞ。"フィギュア"だろ?

うっかり笑ってしまいそうになり、必死で耐えた。


「そ、そうか太一は少し見ない間にずいぶん大きくなったんだなぁ。今は田原幼稚園に通ってるんだったな。今年は年中組か? すっかりお兄ちゃんだなぁ」


「そーだよ。たいちのくみねぇ、きりんなの。かけるくんとひろくんがおなじくみなんだよ。まりせんせぇがね、おともだちといっしょでよかったねっていったの」


突然出てきた「かけるくん」と「ひろくん」は解らないが、とりあえずそーなんだーと返してみる。

どうやら本当はテレビに飽きてきていたらしく、格好な話し相手の登場に甥っ子は次から次へと自身の近況を語った。


一頻(ひとしき)り太一の話にあわせていたが、次のテレビ番組が始まるとそちらに気をとられ、俺はあっという間に放り出された。

渇いたのどを潤そうとペットボトルを持ち上げると、、頬杖をついてニヤニヤしている兄貴と目が合った。


「・・なんだよ。気持ち悪い」


「お前さ、けっこう子供好きだよな」


「え? 別にそうでも・・」


「いやいや、(はた)で見てるとそんな感じだって。あっちこっち跳んで聞き辛い4歳児の話に辛抱強く耳を傾けてるし」


そうかな? と内心思いつつお茶を飲む。


「お前、ホンットーに結婚とか考えるようなカノジョいないの? さっきの姿見てたらスゲェ良い父親になりそうだし、給料が安いって言うのも、いまどき共稼ぎなんて当たり前なんだから一緒に頑張れば良いだけなんだからさ」


「そうかもしれないけど、いないものは仕方ないだろ」


きっぱり否定すると、やれやれと兄貴は背後にあるベッドに寄りかかった。


「! いてっ」


手をついたところに何かが落ちていたらしい。ナンだコリャとか言いながらソレを拾い上げて、途端ムフフッとおかしな笑い声をあげた。


「なんだよー、そーいうことかぁ。それならそーと言ってくれればいいのにー」


なにそのドヤ顔、凄く不気味だ。兄貴は一人でなにかを納得しながら、こちらへ腕を伸ばす。反射的に受け取り見ると、それは・・


「・・イヤリング?」


直径1.5センチ程の小さな花。プラチナだろうか、丸い5枚の花弁を模した土台の真ん中にイエローダイヤモンド(?)が鎮座している可愛いデザインだ。

しかしすぐに首を傾げる。確かにこれまで、ちょっと深い付き合いになった相手がいなくはないが、イヤリングをつけている女性(ヒト)に心当たりはなかった。職場でも耳元を飾る女性社員は多いが、大概がピアスでイヤリング派の知り合いはいないと記憶している。


「何で隠すんだよー? もったいぶりやがってー。美人なのか? トシは?見合い相手の年齢に文句つけるんだから、年上じゃないだろ! 下っつーても・・大学生? 高校生・・・なんて?」


そもそも最近は部屋に上げるような相手はいないし、忘れていたが今日、掃除したばかりじゃないか。

こんな小さな物なら掃除機で吸い込んでしまったはずなのに。


「まさか意表を突いて凄ぇ年上とか・・・っ! 不倫はダメだぞ!道を外れる恋は身を滅ぼすぞ!」


俺がイヤリングを前に首を傾げているあいだ、一人兄貴は勝手に想像を膨らませては、あわあわしたり説教じみたことを言ったりしていた。


「聞いてるのかっ、洋祐!」


おかしな大人二人を、4歳児が呆れ半分に見ていることにも気がつかず。






<< 3 >>



ああ? ・・またか。

ベッドの端に腰を下ろした際、踵にちくりと違和感を覚えて足元を覗き込んだ。やっぱり・・と嘆息してしまう。

そのままには出来ないので、当然拾い上げるとそれはひまわりの種だった。


G・Wの初日、兄貴親子が遊びに来てベッドの下からイヤリングを見つけた日から、それほど頻繁ではないものの小さな物(・・・・)が落ちているようになった。


「ネズミだったりしたら冗談じゃないぞ!」


入梅の頃、初めてひまわりの種を発見した時には、半ばムキになって部屋中を探し回った。休みの日を一日つぶして、ベッドの下はもちろん、家具一切すべてを頑張って一人でずらし、年末の大掃除だってここまでしないと言うくらいに、隅の隅まで掃除機をかけた。

結局のところ生き物が住み着いてる痕跡(フンが落ちてるとか)はなかったし、壁が齧られてたり穴が開けられていたりと言った所も見あたらなかった。


チッと舌打ちし、ひまわりの種をゴミ箱に投げ捨て・・ようとして手を止めた。

テーブルの上に置いたグラスの中に放る。その中にはこれまでベッドの下で拾った、俺の部屋で見つかるにはおかしな物が入れてある。

イヤリング・ボタン・ひまわりの種・〇ーブルチョコレート。ボタンはおかしくないだろと思われるかもしれないが、パステルピンクで2センチの大きさのボタンがついた服は、さすがに俺は持っていない。


ごろりとベッドに横になり、イヤリングについて考える。G・W明けに、部屋に上げたことのある相手にそれとなく訊いてみたが、やはり身に覚えのある女性(ヒト)はいなかった。


最近・・と言うか、今年に入ってからこの部屋はなにかおかしい。ありえないものが見つかったり、逆にちょっとした物が見つからなかったり。物が無くなるだけなら、もしや泥棒が? と疑うところなのだが、イヤリングやピンクのボタンから想像するに、なにか関連がある者がいるのならそれはきっと女性なのだろう。それに、こんなに痕跡を残す泥棒なんて普通に考えたらいるわけが無い。


一応実家にもこの部屋の合鍵を預けていることもあり、母さんに遠回しに訊いてみたが、やはりアパートを訪ねてきてはいなかった。


「なんだろうな・・? 俺、もしかして人恋しいのか?」


こんなイヤリング一つ・・いや、もっといろいろあったけれど。とにかく女性に繋がる物が気になって仕方が無いなんて。


そういえばこのところ全然遊んでいない。仕事にかまけてオスとしての大切な本能の部分まで二の次にしてしまっている。6月からこっち、ひと月に少なくても2度は友人や職場の先輩の結婚披露宴への招待を受けているから、触発されている可能性は多分にあるのだ。

兄貴の持ち込んだ縁談はもちろん問題外で絶対にお断りだが、甘えたり甘えられたりできる恋人は欲しい。今年の新入社員の中に、俺のほうをチラチラと見ては頬を赤らめる可愛いコがいたなぁと思い出して、一人ニヤつきながらミニキッチンの冷蔵庫へ向かう。中からミネラルウォーターの500mlペットボトルを取り出し、戻る時にはすでにどんな風に声をかけてみようかなんて考えていた。


ベッドを背に床に腰を下ろし、テーブルの上のちょうど目の真ン前にあった太一の忘れ物に手を伸ばす。それはあの日太一が懸命に語って聞かせてくれた、ゲームキャラ入りのカプセル。忘れていったことに気付いて電話したら、今度会う時まで預かっててと頼まれてしまった。

割らないようにゆっくりと回しながらカプセルを開け、ちょっと気取ったポーズをとる薄ピンク色のモンスター人形(フィギュア)を取り出して眺めた。

わからない。普段はゲームなんてしないし、近頃はテレビもニュースぐらいしか見ないせいで時世の情報はともかく、バラエティや芸能・音楽と言った娯楽方面はさっぱりだ。改めて思うとずいぶん枯れた生活だなぁ・・と寂しくなった。


壊さないうちにフィギュアを戻し、カプセルを閉じてテーブルの上に放ったはずが、


カツンッ


コントロールを誤ってテーブルの(ふち)に当たり、コロコロとベッドの下に走りこんでしまった。


「わっ、やべぇ!」


急いで追いかけ、ベッドの下に頭をつっこんだ。・・が、後頭部をぶつける程の衝撃を受ける出来事に、呆然としながら這い出してきた。


消えた。カプセルが。目の前で、スゥと闇に解けるように。


「え、なんだ、今の・・? 錯覚、か?」


目頭をつまんで揉み解し、もう一度、こんどは電気スタンドで照らしながら覗き込んだ。・・・・・・・・・・・・やはり無い。

目を皿のようにして、匍匐前進(ほふくぜんしん)で置くまで入り込んで探しても、消えた辺りを掌で探っても、どうしてもカプセルは見つからなかった。


ふと以前に小銭をベッド下に転がしたときのことを思い出し、あの時もこうして消えたのだと、だから見つからなかったのだと納得した。



じゃあ、消えた物は何処へ???






<< 4 >>



ガチャンッ、ガツンッと分厚いガラスがぶつかり合う音がそこかしこで聞こえ、それと同時に老若男女入り混じった、楽しげな大笑いが響き渡る。

つまみは焼き鳥と冷奴。もちろん枝豆も忘れちゃいない。特大サイズを注文済みだ。


「高橋主任~、新婚さんなのにいいんですかぁ? 道草なんか食っててぇ」


残業組みがたまたま仲のいい面子で揃ったこともあり、金曜日の夜なのだから誰に遠慮がある訳じゃなしと、飲む前から酔ったようなハイテンションでビアガーデンへと繰り出した。


ジョッキを傾け早々、短大卒で二つ年下だが俺と同期の坂下が、先月結婚したばかりの4年先輩ですぐ上の上司でもある高橋に、さっそく絡みだした。


「いいんだ。今日はうちのヤツ、実家に泊まりに行ったからさ」


「えー! 奥さん、もう実家に帰っちゃったんですかぁ?!」


元は高橋狙いだったと周知の事実である坂下は、更にしつこく言い募る。


「おい。もう酔ったってわけじゃないんだろう。酒が不味くなるから、変に絡むんならお前先に帰れ」


どういう経緯(いきさつ)なのか、課内で一番の堅物と言われている俺のいっこ上の田神は、現・坂下のカレシで、ハメを外しやすい彼女の唯一のストッパーでもある。今も見事に一言で坂下を黙らせた。


「ぶぅぅぅっ。マモルちんのいぢわる~っ」


「・・っ、外でそう(・・)呼ぶなって言ってるだろう!」


残念ながら最後の軍配は、坂下側に上がったようだが。


(まと)わりつくような蒸し暑い夜はキンッキンに冷えたビールが超美味い。大学時代にはそう感じなかったのだから、今思うと不思議でならない。それに明日は土曜日で、自由気ままな一人暮らしは寝坊しても文句を言う人がいないって言うのも美味さを増す一因だろう。

男連中は半ば競い合うようにジョッキを重ねる横で、坂下を含む女性3人は、品書きの思いがけず充実したスィーツの数々に、目移りしながらきゃあきゃあはしゃいでいる。


俺の斜め前にいる、背中の中ほどまであるつややかなロングヘアを今はポニーテールに結った、淡いオレンジ色のサマーセーターがよく似合う彼女は今年入社の秋元だ。残業組みのメンバーではなかったのだが、退社するところをお調子者の後輩・芝が発見、強引に誘われて参加している。

実を言うと、俺に気があるのかもしれないというのが彼女で、ここでテーブルに着いて飲み始めてからも、時々チラッと視線が合う。その度にうっすらと頬を赤らめて僅かにうつむく様子がちょっと可愛い。


目聡くそれに気付いた高橋が2杯目のジョッキを空けながら、そ知らぬ顔をして俺のわき腹を肘でつつく。ワザと不快をにじませた視線で睨むと、彼は空になった枝豆の鞘を顔めがけて投げつけてきた。


散々に飲んで騒いで、解散する頃には全員それなりに酩酊しており、特にまだ二十歳の秋元は今にも眠ってしまいそうだ。


「佐藤。途中まで同じ方向だろう。秋元を送っていってやれよ」


高橋の僅かに持ち上がった口角が小憎らしい。が、正直なところチャンスだとも思っていた。

狼の尻尾がみえみえの芝が必死で立候補していたが、本人を除いた全員の反対で、結局俺が送っていくことになった。


「月曜日の報告、楽しみにしてるわ~!」


坂下のからかいの声を背に、俺は期待を隠し秋元を連れて帰路に着いた。



23時を過ぎているにも拘らず、電車の中はそれなりに混んでいた。一人分の空席を見つけて秋元を座らせ、俺は軽い浮遊感を楽しみながら窓に映る車内をぼんやりと眺めていた。

駅に着くたびに少しずつ車中の空間が広くなってゆき、半分を過ぎた頃には並んで腰掛けられるようになった。


「佐藤さん・・」


乗車してからずっとぐったり凭れていた秋元は、やっと酔いが醒めてきたのかか細い声で俺を呼んだ。二人きりであるからか、微かに緊張を感じ取れる。


「お、目が覚めたか?丁度良かった。もうすぐ秋元の降りる駅に着くところだったんだ」


気持ちは悪くないかと訊ねると、小さくふるふると首を振った。俯き加減のせいか、ほんのり朱に染まったうなじに内心ドキンと胸を鳴らしながら彼女の様子を窺った。

顔を上げて潤んだまなざしを向けられると、落ち着いてきていた下心がまたぞろムズムズ騒ぎ出してしまう。


「すみません・・。なんか、ご迷惑をおかけしちゃって・・っ」


「いや、全然そんなことは無いけど? 別に暴れたわけじゃないし、貴重な寝顔も見れたしね」


「っ!」


恥ずかしそうに謝るしぐさも良いが、俺のセリフに目を丸くしたところも可愛い。

本音を含ませた冗談(?)のおかげでほんの少し彼女から緊張が解け、お互いに顔を見合わせくすくすと笑った。

しかしその笑顔はすぐに消えてしまった。


「あ・・あの、あたし・・・佐藤さんに言いたいことがあって・・っ」


膝の上で両手を握り締め、懸命な様子で言葉を絞りです。

彼女の気持ちは態度をみてれば筒抜けで、ああとうとうこの時が来たかなと思った。


「えと、あたし、佐藤さんのこと・・前からずっと見ていて。佐藤さん、優しくてカッコよくてステキで・・・」


好きなんです。と蚊の鳴くような声で告げられた。


・・・直前までは秋元の想いに応えるつもりだった。俺のほうから声をかけてみようかと考えたことがあるくらいには彼女を可愛いと思ってたし。だが何故か急に、以前兄貴に、俺自身が言った言葉を思い出してしまった。


『兄貴と義姉さんみたいに運命を感じる出会いがあったら・・・』


果たして俺は彼女に運命を感じているだろうか?いや、日常に"恋人"という潤いが欲しいだけで結婚を前提にしてる訳じゃないんだけど。


「佐藤さん・・」


凝視されたまま、黙り込んで返事もしない俺に不安を覚えたのだろう。彼女の声はもの凄く小さく、微かに震えていた。

膝の上でかたく握られた秋元の手を、包み込むように握り、そしてポンポンと叩いた。


「ありがとう。秋元の気持ちはうれしいよ。でも・・ごめんな」


手から頭に場所を移し、撫でるように軽く叩く。

一瞬秋元の顔がクシャリと歪んだが、彼女はすぐに笑顔に戻った。


「あ、すみません。急に変なこと言って。えと、その・・あたしが言ったこと忘れちゃってくださいっ」


泣くのを我慢した、無理矢理作った笑顔だ。

丁度彼女の降りる駅に着いたこともあり、慌しくお辞儀をすると秋元は小走りで降りていってしまった。

・・・やっぱり、少し勿体なかったかな?

自身のことながら、何故断ったのか解らない。何か違うという直感があったとしか言えない。


モヤモヤと残った後悔を反芻しながらアパートへ戻り、いつも通り郵便受けから手紙を抜いて、部屋に帰った。

閉めきって蒸し風呂のような暑さの室内にうッと顔を顰め、急いで窓を開ける。深夜だと言うのに、目の前の木からセミの声が聞こえてきた。

襟元に風を送りつつクーラーのスイッチを入れて、冷蔵庫に水を取りにいき、歩きながらキャップをあけて一気に呷る。あごを伝って喉元にこぼれたが、渇きを癒せた爽快感に打ち消され、全く気にならなかった。


ベッドに腰掛けようと身をかがめると、ずり下がった上掛けの影に何かが落ちている。

またか、と手を伸ばして拾い上げると、それは・・


「カプセル・・・」


先日消えた、太一の忘れ物のカプセルだ。


「何で今頃?」


不思議に思い中をみると、何故かフィギュアではなく、小さく折りたたまれた白い紙片が入っている。

紙片を取り出して慎重に開き、目を凝らして覗き込むと、小さな丸文字で一言。


【あなたは誰ですか?】


無意識に手紙を握り締め、急いでベッドの下に頭をつっこんだ。






<< 5 >>



『あんた、お盆は帰ってくるん?』


携帯の向こうから母さんの、のほほんとした声が聞こえる。

少し前に兄貴から、お盆休みはどうするんだと言うメールが入っていたことを思い出し、久々に電話してみた。


「あー・・、まだ考え中」


『あそ?もし帰ってくるんなら前もって確認して欲しいの。母さん、お父さんとデートなのよ~』


那須へ避暑に行くのだとウキウキと話す。親父と一緒に牧場で本場のソフトクリームを食べる約束をしたらしい。

相変わらず仲がいい両親に、思わず苦笑がもれる。


『せっかくの連休なんだし、片道2時間半もかけてわざわざ帰ってこなくてもいいのよ? 祐一たちだって遊園地とか美穂ちゃんの実家とかに遊びに行く予定だから。洋祐が帰ってきても誰もいないの』


考え中とは言ったが、実のところ帰省する気はなかった。ここ最近心を占める出来事があり、仕事で無い限りはあまり長くアパートを空けたくないのだ。

まだ誰にも言ったことは無い。俺たち(・・・)だけの秘密なのだ。


そのあとはお互いの近況を報告しあって、結局は帰らないことで落ち着き通話を切る。母さん相手に緊張してたわけじゃないが、帰省しないことに文句を言われたら嫌だなくらいは思ってたので、正直ほっとした。

携帯を充電器につなぎテーブルの前に座ると、100円均一で買った7センチ四方の大きさのメモ帳から一枚はがし、このために用意した0.5mmのペンで手紙を書く。内容はさっきの母さんの時と同じ、お盆に帰省しないと言うことだ。

それを小さく折りたたむといつものカプセルに入れ、角度に注意してベッドの下・・明かりの届かない部屋の隅へと転がした。

カツンと音を鳴らし、ベッドの脚で跳ね返ってくる。失敗だ。二度三度と繰り返すがなかなかうまくいかない。

これが最後だ!と、よぉく狙いを定めてゆっくりとカプセルを送り出す。コロコロと思い通りのコースを転がり・・・・・・コツンとほんの僅かベッドを掠った。また失敗だ。



初めてカプセルを・・カプセルに入れられた手紙を見た時は驚きを通り越して、信じられなかった。

ベッドの下にもぐり込み、床や壁、ベッドの敷板の裏側と、すべてに手を這わせカプセルが通るような、いや、とにかく何か小さな穴や隙間を探し、確認した。

しかし見つからない。ウッカリしわくちゃにしてしまった紙片を、穴が開きそうなほどに見つめながら、手紙の差出人について延々と考えた。


翌日の土曜日は気も(そぞ)ろで何にも手につかなかった。一日中手紙とベッドの下しか見なかった気がする。そして勿体無い土曜日から日曜に切り替わる頃、それ(・・)は現れた。

ベッドから下ろした踵にコツリとぶつかる硬いもの。・・・ビー玉。もちろん俺の持ち物ではない。ならば当然・・・ッ。逸る気持ちを抑えそぅとつまみ上げて見ると、それには所々白い粉がついていた。

懐かしい匂いがする。実家では当たり前の匂いにすぐにピンと来た。これは多分ベビーパウダーだ。

なぜ?と思い、ベッド下を覗き、そして理解した。

照明の当たらない暗がりに、うっすらと浮かぶ白い線。薄物とはいえカーペット敷きだから白線は微妙に曲がっているが、でもそれが何処から始まっているのかが分かれば、湾曲しようが一回転しようが問題ない。


慌てて手帳から一ページ切り取り、ちまちまと【そちらこそ誰ですか?】と書くとカプセルに入れ、出来うる限りラインに沿うように狙って転がした。

もちろん一度で成功なんてしなかった。三度目の正直も当てにならない。この目で見なかったら絶対に信じることが出来なかった現象は、いい加減本当は夢か錯覚だったのではないかと疑い始めた、回数にすると十ン回目のことだった。


左右に微かに揺れながら、ベッドの脚のすれすれ横を転がっていったカプセルは、奥の角に当たる寸前で解けるように消えた。

自分が何処にいるのか一瞬忘れて思わずやった! と叫び、そして同時に強か頭をぶつけてしまった。


「凄ぇッ! ホントに消えたッ!! うわッ、まじで?! すげっ! すげっ!」


後で触ってみたらコブになってたけれど、この時は興奮して全然痛みを感じなかった。部屋中をごろごろと転がり、息が切れた頃すこし頭も冷えてきた。

体を起こし、テーブルの上に置いてあった前日にやって来た手紙を手に取る。質問に質問で返してしまったが、【誰】と聞かれたのだから名前を書くべきだったかもしれない。


一時の高揚が後悔に変わり、結局つぎにカプセルが転がってくるまでの五日間、モヤモヤとした気持ちで過ごした。



ああ、そうそう。あのビアガーデンで騒いだ金曜日から休日をまたいだ月曜日、出社すると坂下が御冠(おかんむり)で待っていた。


「この、ヘタレッ!」


余りにもあんまりな一言ではあったが、俺は言い返せなかった。どうやら秋元が泣きながら坂下に電話したそうなのだ。

その後も暫く顔を合わせるたびにぶちぶちと罵られたが、いつの間にか芝が秋元のカレシの座についたと言う噂が聞こえると、それもなくなった。


話は戻るが、少しずつコツを掴んでカプセルの送り出し方がうまくなり、彼女(・・)と毎日のように手紙の遣り取りをするようになると、生活の中心がそれになった。

時間はいつも夜。手紙の内容は他愛の無いもので、天気のこととか今日食ったものが美味かったとか、些細なことばかり。しかも小さな紙に書ける文字数は少ない。だけど充実していた。


充実していた。・・・・・・・・・はずだった。





<< 6 >>



一瞬何を言われたのか理解せず、思わず眉間にシワを寄せた顔で目の前に座る人物を凝視した。


「転勤・・ですか?俺が」


「ああ。多分お前に決まると思う。俺もお前を押しといたし」


話があるから一緒にメシでもと高橋に誘われ、社員食堂で向かい合わせに食事し始めたところへ予想外の爆弾を投下してくれた。


「一応短期なんだがな。半年。支社で新しくプロジェクトが立ち上げられることになってさ、研修もかねるから若手でやれそうなのを寄越せって言われたんだと」


働きによっては少し伸びるかも知れないケドと付け足す。


「え、で、俺ですか?」


「そう。他にいないだろ?『やれそう』なヤツ。まあ、頑張っておいで」


俺も若い頃行ったことあるんだよ~と、その時のことを話しはじめた高橋の声が遠くなる。上司に認められたことや、戻ってきたら副主任あたりに昇格じゃないかという喜ばしい話よりも、なぜか一番先に頭をよぎったのはカプセルだった。


季節は変わり、いつまでも残暑が厳しいなどと思っていたら、今度は秋をすっ飛ばしたみたいに一気に空気が冷たくなり、気がつけば木枯らしが吹くようになっていた。

社内でも得意先でも会話の中に「今年も残すところ2ヶ月をきりましたねぇ」と言うセリフが入るようになり、気の早い店ではもうクリスマスの飾り付けを始めた所も見かけられるようになった。


一人暮らしの狭い俺の部屋もコタツを出したことで更に狭っ苦しい状態になった。帰宅して真っ先にエアコンとコタツのスイッチを入れた俺は、コートはさすがに脱いだもののマフラーは巻いたまま、急くようにメモ帳をはがして書き始めた。


【メアドを教えて欲しい】


転勤の可能性を聞かされてからずっと考えていた。これまであえて訊かなかったことを今日初めて、強く、知りたいと思った。

折りたたんでいつも通りカプセルへ。焦っていても転がす時は慎重になり、4度目のトライでそれは消えた。


時計を見ると午後10時49分。この時間じゃすぐに返事は来ないと踏んで、俺はやっとマフラーとスーツを脱いだ。風呂場に行き、簡単に掃除を済ませるとバスタブに湯を張る。この時期シャワーだけじゃ寒くてたまらない。

風呂が出来るまでの間に、明日の朝は燃えるごみの日だったと思い出した俺は部屋中の可燃ごみを集め、指定のゴミ袋につめて回った。ついでにキッチンの流しの上に置きっぱなしだった空き缶も、ひとつの袋に纏めておいた。


そうこうしてるうちに風呂が出来る。身に着けていたものを散らかすように脱ぎ捨て、かけ湯もそこそこに湯船へ飛び込んだ。

冷えていた指先がジリジリと疼く。狭いバスタブに肩どころか鼻先まで浸かっているせいで、両膝が湯から飛び出し目の前で対面してしまっている。

それでもちゃんと体の芯まで温まり、全身くまなく洗ってでると、ベッドの足元に返事が転がっていた。


【どうして?】


一言。きっとすぐには教えてくれないだろうと予想はしていた。

すぐに次のカプセルを転がす。この遣り取りのために先週の日曜日、ヒトの目に晒される恥ずかしさに耐え、何度もガチャガチャのハンドルを回して獲得したのだ。そんな努力(?)の甲斐あってか、珍しく一度で成功した。


【転勤するかもしれない】


俺が慣れてきたように、相手の返事も早くなった。


【いつ?】


【たぶん年度末】


【引っ越すの?】


【社寮に入ると思う】


【じゃあ春になったら終わり?】


彼女のこの問いで一番最初のセリフに戻る。


【終わらせたくない。メアドを教えて】


順調にラリーが続いていたが、メールアドレスを訊くと返事が返って来なくなった。

時計の針は午前1時を少し回っている。やっぱりダメかと諦めかけた頃、床に座って待ってた俺の膝にコロリとカプセルが当たった。


【考えさせて】


これを最後に、この後しばらく音沙汰がなくなった。モヤモヤとした気分で日々を過ごして待ち、漸く返事が来た一週間後には、転勤の話も確実なものになった後だった。





<< 7 >>



「おい、芝。ちゃんと聞いてるのか?」


「はぃ・・」


年が明け、得意先への年始の挨拶まわりには同伴者がいた。、転勤で社を空ける間の交代要員として俺の受け持ちの7割がたを引継ぐ芝が、相手先の担当者との顔合わせも兼ねるからだ。

ところがこの男、どうも落ち着きがない。いや、もともと落ち着きなんて皆無だったのだが、最近は更に酷い。フワフワと浮ついていて仕事に身が入っていない。


「しーばー・・頼むからしっかりしてくれよ。俺が留守のあいだはお前が頼りなんだから」


余りにも心ここに在らずな後輩の様子に、仕方なく休憩をとることにして入った喫茶店。向かいでボーっとする芝に思わずため息が漏れる。

勝手にコーヒーを二つ注文するとそれが出てくるまでの間、彼を真正面から見つめて問い質した。


「なにか心配事でもあるのか? それとも体調が悪いとか?」


「いいえ・・」


一応自分でもいけないと思っているらしく、後に「すみません」と付け足した。


「なあ、芝。お前が何をそんなに悩んでいるのか話してくれない以上は、俺は無理に聞く気はない。お前自身の問題だしな。だが、仕事中はこちらに集中しろ。就業の時間内はお前は社の中の一人で、お前のミスが会社の損失に繋がる事だって無いとは言えないんだ」


「・・・」


「給料の分は仕事に励め。アフターと休日なら禿るほど悩んでていいから」


少々突き放すような言い方をしたが、実際本音だ。コイツがこんなんじゃ不安で自分の準備どころではない。転勤先から戻ってきたら得意先が減っていましたなんて・・・洒落にならない。


前から時々訪れていたこの店では、一杯ずつじっくりドリップしてくれるため時間がかかる。余り混まないこともあり、内輪の話をする時はここに来ている。


「お待たせしました」


コーヒーがテーブルに置かれる。いい匂いだ。芝にも勧めさっそく手を伸ばす。手間の分さすがに美味い。

しかしゆっくりと味わってもいられないので、勿体無くもやや急ぎ気味でそれを飲んでいた。


「お前もさっさと飲め。出るぞ」


「佐藤さん」


「なんだ?」


俺のカップが空になる頃、漸く芝は重い口を開いた。


「佐藤さんは、その・・あの、け、結婚についてどう考えてますかっ?」


「は?」


ケッコン? 血痕・・じゃあないよな?


「結婚? 誰が? お前、結婚するのか?」


「いやっ! あのっ、結婚するって言うかっ! えと、違うくてって・・や、違わないけど、すぐとかじゃなく、したいなぁと言うか・・その、プロポーズってどうしたら良いんですかね?」


「知るかっ!!」


話し始めると段々落ち着いてきたらしいが、最後にとんでもない質問を投げかけられて咄嗟に怒鳴ってしまった。


「そういうものは他人に訊くもんじゃないだろ。要はお前の気持ちなんだから。大体、独り身の俺に訊くなよ。高橋さんにでも訊け。もしくは課長」


高橋なら的確なアドバイスが期待できる。なんといってもまだまだ新婚だ。課長にいたっては早婚だったと聞いたことがあるから、そろそろベテラン夫婦の域だろう。


「えええっ?! イヤですよ。恥ずかしいじゃないですかッ」


「大丈夫だ。お前はもう十分に恥ずかしいヤツだから。今更だとみんな思ってくれるさ」


そんな・・と落ち込む芝の前の、手付かずのままに冷めたコーヒーを一気に呷り、半ば強制して立たせ店を出た。それにしても、


「お前が結婚かぁ」


冷たい外気にコートの襟を立たせながらつぶやくと、聞こえたらしく芝がヘラリと相好を崩す。


「まだわかんないッすけど」


「でもその気なんだろう?お前は」


「はい。と言うか、どうも、その・・デキチャッタらしくって、そのまんま放置って訳にも行かないし・・俺、彼女のことやっぱ、好きなんで・・・」


途中から話が聞こえなくなった。今、なんて言った?「デキチャッタ」?

照れ臭そうに鼻のあたまを掻く芝を凝視していたが、俺の驚きに気付かないようでデレデレと惚気を吐き続けている。


なんとなく腹立たしくて鞄でヤツのケツをぶっ叩いてやったが、厚いコート越しでは効果はあまりなかった。


「頑張れよ」


もちろん仕事も。いろいろな意味合いを織り交ぜて励ますと、今度は「はいッ!」といい返事が返ってきた。


「佐藤さんは結婚とか考えてないんですか?」


「・・・そのまえに相手がいないんだよ」


一瞬の間は、ふと思い浮かんだヒトがいたから。けれどそれは顔ではなく、名前でもない。知らないのだから当然だ。

恋や愛を意識したことも互いににおわせた事もないのに、なぜ彼女を思い浮かべたのかと自分でも不思議に思い、のめり込み過ぎているなぁと内心自嘲した。


「運命の出会いでもあったら即、プロポーズするんだけどな」


らしくないセリフだと笑う芝を小突いて、次の引継ぎ先へ向かう。表向き仕事の話をしているが、頭の片隅を占拠するのはガチャガチャのカプセルとメモ用紙に書かれた可愛らしい丸文字だった。





<< 8 >>



内定ではなく正式な辞令が下りて、年度末は何かと忙しいから前倒ししようと2月に入ってすぐの金曜日、課内の面子が集まっての俺の送別会と称した飲み会が行われた。


「佐藤さんの出世への足掛りに、かーんぱぁぁぁいっ!」


有名どころチェーン店の居酒屋で、グラスを打ち合わせる高い音が響き渡る。お調子者の坂下のあからさまな音頭に、微苦笑した俺を除くほかの面々が爆笑する。ストッパーであるべき田神が遅れていることもあり、アルコールの入り始めた坂下は最っ初からフル回転だ。


「ねぇねぇねぇねぇねぇ。佐藤さん、この前支店(あっち)行ってきたんでしょッ? どうだった? 本場のたこやきって美味しかった? お好み焼きは?」


「お前はそれしかないのか・・」


ほかにも次々と挙げてゆくのはすべて食べ物ばかりの坂下に、相変わらずだと突っこむ。しかしこの騒がしさも転勤したら当分は味わえないと思うとちょっと寂しい。


ここのところ部屋にいると虚しさが増すので、何かと用を作っては帰宅を遅らせていた。幸か不幸か仕事は山程あるし、一緒にメシを食いに行く友人も多い。アパートに帰っても風呂に入って寝るだけだ。


一時期は彼女との遣り取りが楽しくてたまらず、俺の心の大半を彼女という存在(カプセル)が占めていた。だが、メールアドレスを教えて欲しいと懇願し、それに対して考えさせてと返されてからは彼女からの返事が滞るようになり、紙面の文字になんとなく気まずさが感じられるようになったのだ。

そこまで嫌なのかと思うと気持ちが下降するので、自然とカプセルには手を触れなくなり、先に拾ったイヤリングなどと共に机の抽斗へと仕舞ってしまった。


少しすると田神が合流し、それを期にこんどは芝が声を張り上げた。


「えー、諸先輩方、同期、そして後輩の皆さん。この場を借りて、俺から是非ともご報告したいことがあります」


「ぃよっ! 待ってましたぁ!」


訳知り顔の坂下が合いの手を入れると、芝は彼女と目を合わせ、ウンと頷いた。


「ワタクシ芝 亮太は、このたび営二課のアイドル、秋元 さゆみと婚姻の結びと相成りましたことを、ここに宣言いたしますです」


「おおおっ! マジか?! やったな、芝!」


「嘘だろう?! なんで秋元さんが芝なんかと・・っ。むかつくが、絶対に幸せにしろよ!」


滅多に使わない(かしこ)まった言葉遣いをしようとして失敗した芝に、一同は一斉に野次を含んだお祝いの言葉を投げかけた。

俺の送別会だったはずが、一転して主役を芝に乗っ取られてしまった。


「くっそ~! 芝になんか()られるなんて、勿体無かったなぁ・・・とか思ってない?」


いつの間にか真後ろにいて、勝手に俺の心境を捏造する坂下に「思ってない」と笑って返した。

目の前にあったビール瓶を持ち上げ、坂下にお酌する。


「前から秋元の相談に乗ってやってたんだろう?」


「そーよー。佐藤さんに振られちゃったんですぅ。シクシク・・て頃からずぅっと聞いて知ってるわ。正直、佐藤さんの次に芝を選んだ時はビックリだったけどね」


ビールに飽きてきたのか注がれたグラスの端をちびちびと舐めながら、意味深な二ヤケ笑いで俺を見る。


「好きな女性(ヒト)、いるんでしょ」


確信を持った質問に、なぜ?と訊く。


「勘ね。そんな顔してる。でもあんまり上手くいってないんじゃないの?」


「それも勘?」


「そうよ」


話を聞くだけならしてあげると言う厚意の申し出に、首を横に振る事で断った。


「そもそも全然会えないんだ」


全然じゃあない。一度も、だ。


「じゃあ電話すれば良いんじゃない?」


「それがケーバンを知らなくて」


「家電の番号も?」


「ああ」


電話番号どころか、本当は名前も顔も知らない。以前ちょっと探りを入れてみたら、髪は短めとだけ返って来たくらいで、ほかは何にも知らないままなのだ。

坂下は腕を組んでう~んと悩みだした。


「今までどうやって付き合ってたのよ」


「手紙」


「手紙? 古風ね」


「風流といってくれ」


実際にはプラスチックのカプセルでの遣り取りだから、風流なんて欠片もない。第一会ったことも無く付き合ってもいない相手を恋人と仮定しての相談は、不毛極まりない。

答えなんか出る筈がないのだから。


「そうね、どうしても切れたくなければ押し(まく)るしかないわね」


「押し捲る?」


「好きだー!好き好き好きって押すのよ。押して押して押し捲るの。とにかく佐藤さんの気持ちが揺るぎないものだって解って貰わなきゃダメ」


「・・・」


「失くしたくなければね、時にはみっともなくなる事も必要なのよ。恋って」


恋。


「・・俺は恋をしてるのか?」


無意識にこぼしたつぶやきに、坂下は呆れの滲んだ口調で「あたしにはそう見えるけど?」と返した。


恋。


改めて恋を前提に彼女を思うと、喉のずっと奥に重いしこりのような物があることに気がついた。

手の温度が移ったぬるいビールでも、胸の奥に引っ掛かった何かを強引に飲み下す事はできなかった。



冬の空気にさらされたドアノブは氷のようにつめたい。

真っ暗な室内に俺の「ただいま」に応える者は無く、ふと孤独を感じた。

そういえば何かの雑誌で男が結婚を決めるきっかけは、『電気の点いていない部屋に帰宅した時の寂しさを感じた時』と書いてあるのを前に見たような気がする。


いつもの順番でスイッチを入れて行き、エアコンのモーター音がし始めたのを聞きながらコートとスーツの上着を脱いだ。

ベッドに腰を下ろすと、ついいつもの癖で足元を見てしまう。続けてカプセルをしまった抽斗に目をやり、ひとつため息。思い切ったように腰を上げ、机に近づいた。


仕舞い込んでいた十個にも及ぶカプセル。これまでに送られてきた手紙も、一枚も捨てずにここにある。

一番最初にやってきた紙片をつまみ上げ、懐かしさを感じつつ読み返した。


【あなたは誰ですか?】


たった一言。本当にこれだけ。しかしこの一言から俺たちのつながり(・・・・)は始まったんだ。


坂下には恋だと言われた。でも、そう言われて尚この気持ちが恋なのか・・恋と呼べるのか俺自身判断に迷う。しかし今まで生きてきた中でこれほどに心を占めるヒトは居なかったし、こんなにもモヤモヤとした気持ちを抱えたこともなかった。

顔を知らない、声を聞いたこともない。名前も、何処に住んで何をしているのかも・・。


なぜか無性に今、彼女に会いたくなった。会ってみたくなった。


一緒にしまってあったメモ帳を剥ぎ取り、久々に小さな手紙を書く。何を緊張しているのか、掌に微か汗を掻いている。

思ったことをそのまま一言だけ記すと、慣れた手つきでそれを畳みカプセルに入れて転がした。

暫く振りのせいか6度目で成功し、来るかどうかわからない返事を待つ間に風呂に入る。()いた気持ちとは裏腹に彼女の返事が怖い。

あれこれと考えているうちにのぼせてしまい、少々ふらつきながら風呂を出た。

いつも通りミネラルウォーターを手にベッドへ向かう。覗き込んで返事がまだなことにガッカリとし、ベッドとコタツの間の狭い空間にうつぶせに寝そべった。


ベッド下の半分を占領する衣料ケースを眺め、そろそろ荷造りも始めなきゃなぁ・・と思っていると、視界の隅でふわっと浮かび上がるように現れたカプセルがゆるい速度でこちらへと転がってくる。

慌てて手を伸ばし、体を起こしてそれを開ける。目を走らせて・・・そして落胆した。


【会えません】


「会いたい」気持ちは拒絶に終わり、それは同時にカプセルが役目を終えたことも意味した。





<< 9 >>



「はいっ! 佐藤さんっ」


「あたしも佐藤さんにっ」


目の前に突き出された煌びやかなラッピングの二つの箱。それらを差し出す二人のOLの顔を見上げ、やや引きつり気味ではあるものの笑顔でお礼を言う。


「ありがとう・・」


受け取った途端「きゃぁぁぁぁっ!」と嬌声を上げ、ぺこんと形ばかりの会釈を残して走り去っていった。

残された俺は茫然とその後姿を見送った。


「今のダレだ・・?」


「ふむふむ。佐藤氏、断然リードですなぁ」


斜め前のデスクから坂下の声がする。「モテモテねー」と冷やかす彼女を睨みつけて、途中だった仕事に戻った。

実質転勤までもう1ヶ月をきり、大体の引継ぎも済んであとは手元に残った仕事を終わらせれば晴れて準備完了。ロッカーやデスクの中はもちろんアパートの片付けも着々と進んでいるし、春の人事よりも早く予定されていた移動は、問題なく速やかに終えられそうだ。


そんな慌しくも順調な日々の中、ごく一部を除いた世間一般が待ち焦がれた(?)日が訪れた。

バレンタインデー。

転勤が迫っているから餞別がわりなのか、今年はやたらと貰う。同課の坂下たちからの『お好きにどうぞ』とのポップを立てたお徳用チョコは抜きにして、別の課の女性社員たちや出入りする業者の女性、果ては社員食堂のオバチャンまでもが用意してくれていたのには、さすがに驚いた。


「お返しどうするの? 支社からメール便で送るぅ?」


自分用の高いブランドチョコを頬張りながらニヤニヤといやらしい笑いを浮かべる坂下の手元の箱から、残り少ないトリュフチョコを強奪して口に放り込んだ。


「あああああーっ! それ最後にってとっといたのにィィィ・・っ」


叫び声に内心「ザマミロ」と舌を出しつつ、周囲の笑い声は無視してとにかく仕事に集中することにした。



帰りは雪だった。確かに一日中曇っていて天気は悪かったが、わざわざ終業時間が迫った頃を狙って降らなくてもいいんじゃないかと空を睨む。

ガサガサと大きな紙袋を鳴らしてやっとアパートに辿り着いた。会社からここまでの道のりのなんて遠かったことか・・。距離の問題じゃない。

雪のせいでいつも以上に混雑したホームや電車の中で、ぎっしりと中身の詰まった紙袋への、衆人の視線が痛くてたまらなかった。

餞別がわりかと思っていたが、こうなってみると嫌がらせなのかもしれない。・・などと言う曲解した考えに至るほどツライ帰路だった。  


「・・ただいま」


返事のない部屋に声をかけて帰宅する。これもあと僅かだ。向こうでは社員寮に入ることになっているので、声をかければ多分寮母か誰かが「お帰り」と返してくれるだろう。

部屋の隅に紙袋を下ろし、マフラーとコートを脱ぐ。うっすらと濡れてしまったのでカーテンを閉めついでにレールにそれを引っ掛けた。

エアコンとコタツのスイッチを入れ、テレビをつける。バラエティトーク番組の音を聞きながら、キッチンでカップに注いだウーロン茶を電子レンジで温めた。


冷えた体が温まり、ほっと一息ついた頃携帯の着メロがなる。兄貴からだ。


「もしもし」


『お。いま家か?』


いつもより少し時間が早いためか、まだ外だと思っていたようだ。


「雪も降り出したし、こっちでの仕事もそんなに残してないから早めに帰ってきたんだ」


『降りだしたばかりなのか? こっちじゃもうかなり積もってるぞ』


雪の話から始まり、他愛のないことを二つ三つと交わした後、突然兄貴の口調がしんみりとした。


『関西か・・。結構遠いよなぁ』


これまでだって片道2時間半は決して近いとは言えなかった(・・・・・・・・・・)が、これからはそれ以上になるのだから当然遠い(・・)と表現されるだろう。

移動手段だって新幹線だ。


「大丈夫だよ。転勤て言ったってたった半年のことだし、何かあれば新幹線であっという間に帰れるから」


『それはそうなんだが・・・』


どうにも歯切れの悪い様子が気になり何だ?と語調を強めて訊くと、美穂がさぁと前置きして話し始めた。


『仕事ぶりによっては向こうに半年以上いることになるだろ?そうなったらあっちでいいヒトを見つけて結婚、永住なんてこともあるかもしれないって言うんだよ』


そうなったら寂しいと、妻帯者で実家に同居の30男がぼやくものだから気持ちが悪い。


いい加減弟離れしろと半ば突き放し、さっさと通話を切った。


雪が降ってるせいか、テレビが点いているにもかかわらず部屋の中さえも静かに感じる。

いつの間にかバラエティ番組は終わっていて、画面はスポーツニュースに変わり解説者が何かを熱く語っていた。

以前ならこんな風に時間を持て余すことは少なかった。例え時間が空いてもそれは彼女からの返事を待っている時間で、カプセルの到着を心待ちにワクワクと胸を騒がせていた。


捨ててしまうつもりでコンビニのビニール袋に詰めたカプセルや彼女からの手紙。一度はゴミ箱に突っ込んだのに、翌日の朝、結局は元の机の抽斗に戻した。

どうしても捨てられなかった。なぜなのか忘れられなかった。

一番先に拾ったイヤリングやボタンを返して、終わりにすべきなのだと解っているのに。


答えを出せないまま同じことをグルグルと考えていることに飽き、もう寝ようとテレビとコタツのスイッチを切った。3分の1ほど中身が残ったカップを持って立ち上がろうと、床に片手をついた時にそれ(・・)は訪れた。


真新しいカプセル。コトコトと小さな音をたてて、ヨタつきながら俺の小指にあたって止まった。


正直、喜びよりも怪訝に思う気持ちのほうが大きかった。しかし嬉しくない訳ではない。そろりと手を伸ばしカプセルの中を覗き、そして・・・・・・慌てて机に飛びついた。

透明のプラスチックの中には手紙は無く、ずぅっと昔に食べた覚えのあるチロルチョコが2個。

それを見た瞬間、坂下の言葉が脳裏に浮かび上がった。


『好きだー! 好き好き好きって押すのよ。押して押して押し捲るの。とにかく佐藤さんの気持ちが揺るぎないものだって解って貰わなきゃダメ』


メモ帳を何枚も剥ぎ取り、思ったことを手当たり次第書きまくった。


【メアドを教えて欲しい】


【ケー番でもいい】


【終わらせたくないんだ】


【あなたが好きだ】


書いて、そして、ああそうだ、俺は彼女が好きなんだと解った。


【好きだ】


【好きだ】


【好きだ】


【好きだ】


【好きだ】


【会いたい】


抽斗に仕舞ってあった10個のカプセル全部を使って、俺の気持ちのすべてを彼女の元に送った。

そして最後に、チロルチョコを取り出したカプセルに・・・





<< 10 >>



着メロが鳴る。液晶を確かめれば兄貴の表示だ。

もう少しすると電話がかかってくるというのに間が悪いと思いつつも、仕方なく通話ボタンを押した。


「もしもし、なんだ?」


『おぅ相変わらずだな、洋祐。元気か?』


安堵を含んだ言葉に「ああ」と短く答えた。


3月に転勤してから5ヶ月。目まぐるしく過ごすうちにあっという間に月日は流れた。最近になってやっと仕事や環境にもなんとか慣れてきたかな?と思えるようになってきた。

そして先週末、課長から半年を予定していた転勤が2年に延びたと告げられたばかりだ。


『もうすぐ盆休みだろ? G・W(ゴールデンウィーク)は帰って来なかったから今度は来るんだよな? 親父たちも美穂や太一も久々にお前の顔が見たいって言ってるし』


「ああ。お盆は帰るよ。報告したいこともあるし」


G・Wには優先して伺いたい所があったので、実家には行けなかったのだ。


チラッと時計を見る。約束の22時まであと5分だ。


『報告?』


「そう。実は兄貴たちに会わせたいヒトがいるんだ。だから一緒に連れて行こうと思って」


『え・・それってもしかして』


「ああ」


俺の肯定に即座に大興奮した兄貴が、携帯の向こうで家族たちに叫ぶように報せている。詳しく教えろと迫られたが、それには「可愛いヒト」とだけ答えた。

小出しにするつもりではないが、実際に会ってそのヒトを知ってもらいたいから多くは語らなかったのだ。

そろそろ電話がかかってくる時間なんだと切り出すと、今までにない物分りの良さで通話を切った。


もう1,2分でかかって来るはずだ。携帯の液晶に彼女の名前を見ると、時々今でも奇跡だと思ったりする。

あの日、バレンタインデーのあの夜。彼女がチョコレートを送って来なかったら、今感じているこの溢れそうな、突然叫びだしたくなるような焦がれた気持ちには気付くことはなかっただろう。


10個のカプセルに想いを込めて転がした後、最後・・チロルチョコを取り出したカプセルにはそれまでのラブレターとは違う、ある質問を書いて送り出した。


【左手薬指のサイズは?】


彼女が俺の気持ちに応えてくれる保証も、絶対に返事が戻る可能性だってなかったのに、そのときの俺にはとても知りたい重要事項だったんだ。だから、1時間ほど待った頃にひとつだけカプセルが返ってきた時にはベッドに額をぶつけてしまう勢いで手を伸ばし、焦るあまりなかなか開けられないカプセルにイライラして舌打ちした。


見覚えのないメールアドレス。


漸く中の手紙を開いて、自身の目を疑った。紙をめくって裏側に何も書いてないことを確認すると、今度はじわじわと歓喜が押し寄せてきた。

急いで携帯を出し、嬉しさのあまり微かに湿った掌を無意識にスウェットで拭うと、ゆっくり間違えないように打ち込みし始めた。


送信してからふと気付く。彼女からの小さな手紙のずっと端に、すっかり馴染んだまあるい文字で【9号】と書いてあった。


物思いに耽っていると、たった一人限定で設定した着信メロディが流れた。表示を見るまでもないのだが、記された名前を確認した時の暖かい気持ちが心地よくて、ついいつも目を向けてしまう。

あまり待たせたくないし、俺自身が早く彼女の声を聞きたくて、すぐに通話ボタンを押した。


『もしもし? ちょっと遅れちゃった』


柔らかい声が怒ってる? と訊いてくる。

俺は誰かに見られたら恥ずかしいくらいのデレデレの笑顔で、ゴメンネと謝る恋人に怒ってないと伝えた。





 

俺の運命の恋は、ベッドの下に落ちていた。



ここまでお読みくださった方、素っ飛ばしてこの後書きを読まれている方、

どちらの方々も有難うございます。

今回は男性視点でお送りさせて頂きましたが、この物語を女性側から見たものも面白そうだと思い、次は「花のイヤリングの君」視点で頑張ります。


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