第二十六章:雑音と喝采、そして
恵比寿LIQUIDROOMのステージは、もはやライブハウスではなく、巨大な生き物の腹の中のようだった。
地鳴りのような歓声、汗の匂い、熱気。その全てが渦を巻き、四人の身体を叩きつける。
凱旋ワンマンライブは、終盤に差し掛かっていた。
「……ラスト!」
小鳥が、獰猛に、そして喜びに満ちた声で叫んだ。
その合図で、冬馬がギターを構える。彼が弾き始めたのは、『星の輝きのベロシティ』のイントロだった。だが、いつもとは違う。アドリブで加えられた、クラシック音楽のように美しく、悪魔のようにテクニカルなアルペジオ。
それは、もはや小鳥のプレイを模倣したものではなかった。
彼が、SoundCrowdで見つけ出した、彼自身の「音」。
その完璧な演奏に導かれるように、バンドの音が一つになる。
曲のクライマックス、ギターソロ。
小鳥と冬馬が、ステージの中央で向き合う。
最初に仕掛けたのは、小鳥だった。感情のままに弾き倒す、暴力的なフレーズ。
それに対し、冬馬は、一音たりともミスを許さない、完璧な速弾きで応戦する。
理論と感情。光と闇。二つの全く異なるギターが、互いを喰らい合うように、高め合っていく。
そして、ソロの最後。
冬馬が、それまで見せたことのないような、激情に満ちたチョーキングを天に向かって突き上げた。
その、魂を振り絞るような一音に、小鳥は一瞬、ギターを弾くのを忘れて見惚れていた。
そして、ニヤリと、最高の笑顔を見せた。
曲が終わり、全ての音が止まる。
静寂の中、小鳥は、まだ肩で息をしている冬馬の肩を、乱暴に抱いた。
そして、マイクが拾うか拾わないかの声で、最高の賛辞を贈った。
「……お前、最高に、メタルだな」
その言葉に、冬馬は、息を呑んだ。
「それって……」
だが、その先を言う前に、フロアが爆発した。
割れんばかりの拍手と、「SOUND-CROWD!」という大合唱。
四人は、その音の波に包まれながら、深く、長く、頭を下げた。
***
全ての演奏を終え、バックステージへと続く暗い通路を歩いている時だった。
先頭を歩いていた小鳥の腕を、誰かが、ぐい、と掴んだ。
振り向くと、そこにいたのは鈴だった。
彼女は、俯いていなかった。短くなった前髪の下の瞳は、涙で潤んでいたが、まっすぐに小鳥を見つめていた。
「小鳥さん」
「……おう」
次の瞬間、鈴は、小鳥の胸に、顔をうずめるようにして、ぎゅっと抱きついた。
突然のことに、小鳥も、後ろを歩いていた冬馬と蛯名も、固まってしまう。
人前で感情を見せることのなかった彼女が、初めて見せた、魂からの行動だった。
「……ありがとう、ございました」
震える声で、それだけを言うと、鈴はすぐに身体を離し、顔を真っ赤にして、また俯いてしまった。
小鳥は、何も言わなかった。
ただ、少しだけ驚いたような、そして、どうしようもなく優しい顔で、鈴の頭に、そっと手を置いた。
楽屋の扉を開けると、編集者の佐伯が、興奮した顔で待ち構えていた。
その手には、一台のノートパソコンが握られている。
「お前ら、見ろ……とんでもないもんが、届いてるぞ」
画面に映し出されていたのは、一通の英文メール。
差出人は、イギリスの『Download Festival』からだった。
『Congratulations. We saw your performance. It was REAL. Would you be interested in playing the main stage at next year's Download Festival?』
(おめでとう。君たちのパフォーマンスを見たよ。あれは「本物」だった。来年のダウンロード・フェスティバル、メインステージに立つ気はないか?)
Download Festival。
世界中のロックバンドが、そのステージに立つことを夢見る、世界最大級の祭典。
四人は、その信じられないようなオファーを、ただ黙って見つめていた。
彼らは、日本の音楽業界のルールを破壊し、自分たちの道を突き進んだ。
その道の先にあったのは、彼らが想像していたよりも、遥かに、遥かに大きな世界へと続く扉だった。
沈黙を破ったのは、小鳥だった。
小鳥は、最初に、あの頃と同じ、最高の笑顔を浮かべた。
「面白いじゃねえか。やってやろうぜ」
SoundCrowdの本当の戦いは、まだ始まったばかりだ。
- 完 -




