一品目 八尺様と手巻き寿司(1)
駅そばの店から流れ出る、鰹出汁の良い風味が鼻に流れ込んでくる。考えるだけで蕎麦の香ばしさや温かさが口の中に広がってしまうよう。一味唐辛子を掛けて、一気に啜る自分を想像した。汗を掻きつつ、出汁をたっぷり含んだ蕎麦を喉に流し込むことがどれだけの快楽か。濃すぎる塩も冷たい水と一緒に口にすれば、中和されて。旨味の天国に落ちていける。
そんな私は腹の音を鳴らすも、首を横に振る。
ダメだ。今の私にそんな余裕などない。外食で余計な出費を掛けてはいられない。今日ももやしの醤油炒めで我慢するしかない。アパートのガス代やら電気代やらが高騰している今、食で浪費している場合ではないのだから。
「我慢……我慢……」
それでも惹き付けられる。
ついつい駅そばの店に入りたくなるも我慢する。折角、スキマバイトで貯めたお金を余計な出費に使う訳にはいかない。
必死の思いで前を通り抜け、駅の外へ。そこからすぐ近くにある鉄道に乗り換えていく。駅ビルから飛んでくる誘惑に乗らないため、真っすぐに。
無心は無理だ。周りの看板を見れば、どうしても外食のことを考えてしまう。
ならば嫌なことでも考えて、下を向きながら歩くのが一番で。
「おい……」
そうしていたら、ぶつかってしまったようで。
「す、すみませんすみません!」
当たってしまった人に申し訳なく思いながら、その場を立ち去っていく。
本当に私はドジで、うっかりで、その上とんでもなく薄情な奴だ。なんたって、親を裏切っているのだから。
父も母もきっと私が新卒のOLとして働いていると信じ込んでいるのだろう。本当は違う。何か月前かに私の根性の無さで退職していて、現在はスキマバイトを転々として食い繋いでいる。
両親には心配を掛けたくない、はなんと都合の良い言い訳だろうか。本当のところは恥ずかしくて伝えられない、が正しい。
手が不器用で何もできない癖に。物覚えも悪い癖に。その上好きなものだけには興味を示す。質の悪い女だ。この海老野ココロとかいう女は。
少し力があれば、荷物持ちとして会社にいられただろうか。
もう少し背が高ければ、私はハッキリ物事が言えただろうか。
だから、私はいつも思う。八尺様はいいなぁ、と。
特徴としては、大きな体の長い黒髪の女性とされている。背が八尺、いわゆる242センチ程あるのだとか。そこまで大きければ、少なくとも誰にも舐められることはないだろう。
また彼女は美人で子供たちを魅了させるとも聞く。少なくともネット繋がりで好かれていることは間違いない。
そもそも八尺様を含む妖怪そのものが羨ましくてたまらない。自分のどんな特技を持って、暮らしていたって。誰かに好かれたり、恐れられたり。
不器用な個性だって、何もかも物を壊してしまう妖怪「不器用」として怖がらせられるのだから。誰にも怒られやしない。時には美少女化されて、ネットで描いてもらえるという。
本当に羨ましくてたまらない。
私と来たらと改札にスマートフォンを近づけてみたのだが。ピピッとエラー音が出てしまって、後ろの女性に睨まれる。
「す、すみません!」
残高エラー。チェックミスだ。
これに関しても妖怪なら見逃されるか。いや、それはちと違うかと反省。河童が同じことをしたとしても迷惑がられるだろうから。
すぐさま近くのATMでチャージして、再び改札にスマートフォンを近づける。
「あっ……!」
焦ったものだから八尺様のキーホルダーがスマートフォンと改札の間に。タイムロスになるかと思われたが、問題なくピンと通行許可の音が出た。
先程の迷惑を掛けてしまった人はもういないだろうとキョロキョロ辺りを確認してから、ホームへ。
とにかく、だ。
お腹が空くから、寝て過ごそう。ご飯のことは考えてはダメだ。眠くなるようなことを考えて。座席に腰を掛けていく。
夢の中だけでも八尺様に会いたいなぁと。
気付けば、意識は消えていた。
夢の中では田舎の奥で八尺様が見つめてくれている。思ったよりも可愛らしい童顔に。話すことはないのだが、これ位がちょうどいい。近寄り過ぎず、かと言って遠くもない。そんな関係がいい。
というか、このままだと抱き着いてしまいそう。
私の本当の姿「妖怪マニア」が暴走して、彼女の体を嗅ぎまくってしまうかもしれない。インターネットの一部、百合好きの方からしたら申し分ない話かもしれないのだが。
「……はっ!」
変な夢を見たと椅子から立ち上がる。そして、目を擦って前の景色を見て。思わず顔を両手で叩いてしまった。
確か電車の中で寝たはずなのに。何故、草だらけで殺風景な山中の駅のホームで目覚めてしまったのか。
夢ではないことは痛みで何となく分かったのだが。
ならば、自分の寝相が悪かったのか。昔は夢遊病だとかで家の中を走り回ってたと母から聞いた思い出が。
だとしたら、ここは何処か。見覚えはない。
ただ、だ。もしかしたらと思う場所が一つだけ。
不安を拭うためにスマートフォンの地図を確認するも、位置情報は先程までいた駅を指していた。つまるところ、地図はもう使いものにならないようで。この状況が判明した途端、背筋が凍えてしまう。
「本当に……来ちゃったの!?」
ネットでも有名な怪談の聖地へと足を踏み入れてしまったのだろうか。
怪異として憧れてはいたのだが。今の私には恐怖だけ。どうやって帰ればいいのかも分からない。
電話で誰かを呼ぶべきか。そう思ったものの、頼れる人なんていない。ここにどうやって来ればいいのかも伝えられないのだから。
対処法と打って確かめようかと考えて顔を上げたところ、視界の端に電車が映っていた。ホームの端にポツンと停まっている電車。
電車ならばホームの停車位置を守っているのでは、と思うが。都市伝説にそんなクレームを付けたところでどうしようもない。
意を決して入っていく。もしかしたら、そこが帰還できる唯一の方法になるのかもしれないのだから。
入った途端、信じられない者が目に映った。
「いらっしゃいませ! 喫茶キサラギへ。本日はトモシビがご案内させていただきます」
中は電車のはず。ただ電車の形をしたその中身は椅子と椅子の間に大きなテーブルが設けられていて。テーブルの上には簡単な調味料と割りばし、ナプキンやらが。どう見ても、電車をテーマにした飲食店のように思えてならない。
心の中で何故か、電車に乗り遅れてホームに置いてかれたのと同じ気分に陥った。
その後に疑問もやってくる。あれ、おかしいなと。
なんたってここは都市伝説で有名な駅のはず。幾らなんでも喫茶店なんて存在するはずがない。
「あれ? えっ、ここって、世にも有名な駅なんじゃ……?」
「昔はそうでしたが、今はあやかしが集う喫茶キサラギですね」




