第61章:『外に出るということ』
診療所の自室を出た僕は、優一と二人で意気揚々と建物の外へ向かった。もっとも、正直に言えば、意気込んでいたのは僕だけだったのだけれど。
大輝さんは僕たちを残して先に行ってしまった。子供が公園へ行けると浮かれている姿を眺めているより、もっと大事な用事があるらしい。まあ、本人はそんな言い方をしていたわけではない。ただ、僕にはそう聞こえた。
言い返したい気持ちはあったものの、黙っておくことにした。少しくらい外の空気を吸いたいという僕のわがままが重要なのは、結局のところ僕にとってだけなのだ。大人たちからすれば、半分頭のおかしくなった人間が駄々をこねている程度の、どうでもいいことなのだろう。
幸い、もう車椅子は必要なかった。まだ完全に回復したわけではないものの、自分の足だけで歩けるくらいには、脚の状態もかなり良くなっていた。ただし、青みがかった無骨な杖の助けはまだ必要だった。
なぜだか、それを目にした瞬間、身体がぞくりと震えた。
怖い、のだろうか。それとも、杖なんかに頼らなければならない自分が恥ずかしかったのか。だって、僕は老人じゃない。
けれど、外へ出たい。それに、杖を使うことは大輝さんから出された条件の一つだった。だから恥ずかしさは飲み込んで、しっかりと腕に力を込め、その金属の棒に体重を預けた。
そうして廊下を進み、あちらこちらで何度か方向を変え、人とすれ違えば挨拶を交わし――まあ、そんなことを繰り返すうちに、苦労すること約四分。ようやく僕たちは外へと続く広い廊下に出た。いや、廊下というより、もう大きな部屋と言ったほうが近いかもしれない。
目がほとんど見えない僕にも、それは見えた。
小さいながらも質素な裏庭。公園と呼んでいいものなら、そんな感じの場所だった。
幅はせいぜい十五手ほどの細い歩道があり、灰色と白と黒の石が敷き詰められている。その上には小さな緑の斑点や土がところどころ付着していた。むき出しの地面と、道に沿って綺麗に刈り込まれた二本ほどの低木。その奥には、ただ芝生が広がっている。
簡素で、素晴らしいほどに何もない。
僕は、あそこにいたかった。
表には出さなかったけれど、僕は子供みたいに浮き足立っていた。だから気づいた人もいるだろう。いつの間にか優一に話しかけることすらやめて、ただひたすら前へ進むことだけに集中していた。
進む。進む。もっと、進む。
神様、走りたい。
そう思うのを止めていたのは、まだ僕の脚がそんな無茶に耐えられないことを、嫌というほど自覚していたからだった。
「海斗、待って」
歩く速度が上がり始めた僕を見て、兄が声をかけてくる。
僕は足を止めずに振り返った。
「遅いな」
そのまま進む。進んで、進んで――そして最後には、走った。
「海斗!」
「遅すぎる!」
けれど、最後の区画に差しかかったところで、一人の年配者が扉から入ってきた。
ほとんど反射的にその人を避けたものの、杖が床に引っかかった――そんなことがあるのかどうかは知らない――せいで、最後の二歩は転ばないよう片足で跳ねる羽目になった。
「は……はは」
危なかった。
「すみません」
ぶつかりかけた相手が何か言っているのが、ぼんやりと聞こえた。けれど、気に留める余裕はなかった。
だって……だって、ようやく外だ!
そして太陽……ああ、この素晴らしい暖かさ。
長いこと水の中に潜っていた人間みたいに、僕が最初にしたのは空気を大きく吸い込むことではなかった。
肺に残っていたものを、全部吐き出した。
ゆっくりと息を吐きながら、身体の中に溜まっていた病気の残り香まで、一緒に外へ吐き出してしまうような気持ちでいた。そうしながら、僕は空を見上げていた。
そして、すべてを吐き出して、もう一度息を吸ったとき。
目を閉じた。
すると、今まで聞こえていなかったものまで聞こえてくるような気がした。
歩いていく人の足音。車の音。風の音。
世界は、生きていた。
僕も、生きている。
ようやく、これは夢なんかじゃないのだと信じられる気がした。
……いや。
あまりにも、あまりにも現実的だった。
さっきまで心地よかったはずの暖かさが、突然、鬱陶しくなって肌を焼き始める。閉じたまぶた越しにも、その光が見えた。血のように赤く、眩しい光。
鬱陶しい。
仕方なく片腕を持ち上げて、顔を覆った。これでは空だってろくに見えない。
もし、一日中ひんやりとした部屋に閉じ込められていて、突然、真昼のむせ返るような光の中へ放り出されたとしたら――僕が感じたものも、少しは想像できるだろうか。
温度差があまりにも急で、身体が震えるほどだった。
鬱陶しい。酸っぱい。単純だ。
これが現実だった。
僕はすぐに気づいた。
現実を、あまりにも美化しすぎていたのだ。
鳥はどこにいる?
歌声は?
幸せそうな人たちは?
新鮮な空気の匂いは?
……そもそも、新鮮な空気ってどんな匂いだったっけ?
それに、変な形をした雲は?
どこにある?
空は、嫌になるほど晴れ渡っていた。
僕は少しだけ、気落ちしたようにため息をついた。
ほんの少しだけ。
だって、こんな何気ない日常の中で。
こんな、粗末で、単純な現実の中で。
僕はもう、心の底から幸せだったのだから。
****
僕は杖を脇へ放り投げた。
しっかりとした足取りで、もう誰の助けも借りず、皮肉にも自分自身の意思に押されるようにして、歩き始めた。裸足ではないから、敷石の冷たさを足の裏で感じることはできなかった。
けれど、そのとき――
「海斗、待って。もっとゆっくり」
兄に呼び止められた。
優一は僕の前腕を掴むと、腰を屈めて杖を拾い上げた。
「ほら、持って」
けれど僕は、思わずため息をついてしまった。
「優一って、ずいぶんと興ざめな奴だね」
それが、優一を初めて名前で呼んだ瞬間だった。敬称もつけずに。
それなのに、不思議なくらい何も感じなかった。
優一の動揺には気づかないふりをして、僕は続けた。
「せっかくの特別な時間だっていうのに、分からないの?」
「特別?」
優一が首を傾げる。
僕は頷いた。
「少しだけ、脚を伸ばしたいんだ」
そう言ってから、優一の手にある杖へ目をやる。
すると、またしても突然、身体に悪寒が走った。
「それに、その気味の悪いもの、僕から離してよ。怖いんだから」
優一は一瞬、反応が遅れた。
けれど、すぐに杖を僕から遠ざけた。それどころか、そのまま遠くへ放り投げる。
僕はほっとした。
「お、おう」
優一の声がわずかに揺れた気がした。
ただ、それもほんの一瞬だった。あまりに短かったせいで、僕の気のせいだったのかもしれない。
「でも、気をつけろよ。それから、あまり遠くへ行くな」
「お願いだから、僕を子供だと思ってない?」
そう尋ねると、優一は肩をすくめた。
僕は咎めるような目で兄を見て、それから付け加えた。
「ただ、もう少し目立たないようにしてほしいだけだよ。人目を集めたくないんだ」
「見られるのが怖いの?」
「それとも、他人の目が怖いの?」
優一がそう聞き返す。
「どっちでもないよ。僕はただ、静かにしていたいだけ」
「まあ、愛しい兄さんったら!」
人はいた。
歩いている人もいれば、ベンチに座っている人もいる。走っている人が一人。それから、小柄な女性を乗せた車椅子を医者が押していた。さらには、老人と女の子という奇妙な組み合わせまでいて、二人で何か布切れのようなものを編んでいた。
遠かったし、僕の目ではよく見えなかった。
もちろん、ほかにも人はいた。
みんな知らない人だ。
けれど、その誰も僕たちを見てはいなかった。
いや、もし見ていたとしても、ほんの一瞬だけだった。すぐに自分たちの用事へ戻っていく。
まるで、さっき思い出したあの言葉みたいに。
『人は、自分が思っているほど他人のことなんて気にしていない』
……待て。
今、僕は何かを思い出した?
うん。思い出した。
ああ、ただの一言だったのが残念だ。
人生って、本当に不思議だ。
もしかすると、ようやく外へ出たことで、僕の頭まで換気され始めたのかもしれない。
僕は優一の目をまっすぐ見つめ、威厳を込めて、そして大真面目に言った。
「そこが問題なんだよ。優一は何もかも恥ずかしがりすぎる。だから自由じゃない。もっと悪いことに、幸せでもない。そんなことじゃ、いつまで経っても心穏やかにはなれないよ。自分じゃどうにもできないことまで気にしすぎなんだ。ほら、僕たちが恥をかいたところで、あの人たちに何の関係があるの?」
そして僕は、恥ずかしがり屋でもなければ、恥というものもとうに失っていたので――走った。
いや、少なくとも走ろうとはした。
「おい、海斗!」
優一も置いていかれまいと、すぐに後を追ってきた。
僕は石畳の小道を気ままに歩いた。両手を背中に回して、年を取ったら見ること以外に興味がなくなる、ああいう老人たちのように。
優一は僕の隣にいた。
そして僕たちは、何も言わず、その小さな公園を何メートルか進んでいった。
けれど、残念ながら僕の脚はすぐに疲れ始めた。
それどころか、痛みまで出てきた。
自分でも分かっていた。もう限界だった。
まあ、仕方がない。
少なくとも今日は、ようやくあの部屋の外へ出られたのだ。
もう、閉じ込められているような気はしなかった。
「ようやく自由だ」
分かってほしいとは思わない。
理解してもらおうとするだけ無駄だろう。
僕の考え方は変わっている。僕自身と同じくらい、ひどく奇妙だ。
そう、僕は変な人間だ。
この世で見つけられる中でも、きっと一番変な人間だ。
それでも、全体として見れば良い一日だった。
その後、特に何か重要なことが起こったわけでもない。ただ、僕はずっと機嫌が良かった。
ただ、一つだけ文句を言うなら、その日の夜から妙な夢を見るようになったことだ。
そう。
僕はまた夢を見た。
いろいろなものを。ぼやけた人影のようなものを……あれはいったい何だったのだろう。
何もかもが曖昧すぎて、よく分からなかった。
それから、一人の女もいた。
夜中になると、僕は何度も目を覚ました。
全身が汗でびっしょり濡れているような感覚があった。
なのに、暑さなんてまったく感じなかった。




