暗闇での銃声
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薄暗い夜の中、ポツリと立ち並ぶ一、二基のテント。その周りには数本の小さな明かりが焚かれているだけで、辺りの様子が辛うじて見渡せる程度だった。
空に浮かぶ月明かりはどこか神秘的であり、同時に得体の知れない不気味さを醸し出している。だが、この海岸に身を潜める密輸団の面々にとって、「恐ろしい」などという感情はとうに頭の隅へと追いやられていた。
テントの傍らでは、四人ほどの女性たちがトランプを手にゲームに興じていた。彼女たちはカードをめくりながら、温かいお茶を口にし、愉しげに談笑している。
「ねえ、私には夢があるのよ」
一人の女性がそう切り出した。目的地での仕事が始まるまでの手持ち無沙汰な時間を、お互いの夢を語り合って過ごそうというのだろう。その表情はどこか楽しそうだ。
「へえ、どんな夢?」
「若い男が私を甘い言葉で誘って、馬に乗せてくれるの」
「うんうん、それから?」
「そのまま私をお城へ連れて行ってくれてね。美味しいものをたくさん食べて贅沢三昧! 山のような金銀財宝に囲まれて、そのお城で永遠の愛を誓い合いながら、若い男と幸せな日々を送るのよ!」
絵に描いたような夢物語を語る女性。しかし、その瞳の奥にはどこか寂しげな陰りが漂っていた。
「次はあたしの夢を語ってもいい!?」
すかさず隣にいた別の女性が声を弾ませた。
「あたしの男はね……結婚したあとすぐに早死にして、あたしが未亡人になってすべての遺産を一人占めするの!」
その突飛な望みに、周りの女性たちからどっと弾けたような笑い声が巻き起こる。
「未来のあたしを裏切るのは一体誰かしらね?……あはははは!」
夢を語った本人が大笑いすると、釣られるように周囲の仲間たちも一斉に笑い声をあげた。
「お金」と「愛」――欲望を露わにして語り合う彼女たちの姿を見ていると、人間というものは欲にまみれてこそ生きているのだと、つくづく実感させられるのかもしれない。
その賑やかな談笑を、カルメンは少し離れた場所で静かに聴いていた。
あの中へ入り、自分も混ぜてほしいのかもしれない。輪に入れば、自分なりの夢を語るのか、それとも全く別の話をするのだろうか。
(これからの運命なんて、誰にも分かりはしないわ……。ただ、不吉な未来にならないことだけを祈るばかりよ。もしも運命が幸運なものと決まっているのなら、私はためらうことなくそれを受け入れるわ……)
ふと視線を遣ると、5メートルほど離れた暗がりの中にドン・ホセが立っていた。
表情ひとつ変えず、先ほどの鬼のような形相のまま、じっとカルメンを見つめ続けている。周囲の微かな明かりと夜の暗闇が相まって、その姿は一層の不気味さを増していた。
ホセの視線に気づいたカルメンは、ハッと息を呑んで彼を見返した。
するとホセは、足音ひとつ立てずに、ゆっくりとカルメンの方へと近づいてきた。
不気味な威圧感を纏って迫るホセから、カルメンは目を逸らすことができなかった。金縛りにでも遭ったかのように、全身の筋肉が強張ってしまう。
二人の間に流れる重苦しい時間。カルメンにとって、それは体感で1分以上にも思える長い恐怖の時間だった。実際にはわずか30秒足らずのことだったのかもしれないが、それは彼女にしか分からない感覚だった。
やがて、ホセはカルメンの目と鼻の先で足を止めた。
「俺は今から、周りの警備に当たる。……この仕事が終わったら、必ず一緒に遠くへ行き、そこで暮らそう。約束だ……カルメン」
ホセはリーダーであるあの帽子の男から命じられた指示を、カルメンに伝えに来たのだ。
その命とは――「怪しい奴が来たら、容赦なく撃て」というものだった。
もし仮に、役人や軍人がこの場所に踏み込んできて警戒網を突破されたとしても、男というものは得てして女性には甘い対応をしがちだ。万が一の際は、女性陣がその隙をついて「逃げる」、あるいは「殺す」といった対処をしなければならない。
もちろん、その前に警備がすべて撃退できれば何の問題もないのだ。
「ここに誰が来ようと、俺が全員……可愛がってやる……」
暗闇の中で低く呟くホセ。
間もなく沖合に船が到着し、堂々と密輸品を陸揚げする本格的な仕事が始まる。邪魔者が入っては商売にならないのだ。この過酷な裏稼業には男も女も不可欠であり、何より死線をくぐる勇気が求められる。
リーダーの男は、ホセが元軍人であることを知っていたからこそ、その手腕を買って警備を任せたのだった。完璧に仕事を完遂してくれるという前提のもとに――。
――しばらくして。
暗い岩場の陰に静かに身を潜めながら、ドン・ホセはゆっくりと周囲に視線を走らせていた。
後方には鬱蒼とした林が生い茂り、その奥は黒々と陰って視界を拒んでいる。
だが、自分たちが通ってきた道筋の方角から、ふと何者かの話し声が風に乗って聞こえてきた。馬が二頭、引いている荷台には誰かが乗っているのだろう。
ホセはその声にじっと耳を澄ませながら、静かに銃を構えた。
だが――その声は、どこかで聞き覚えのある響きを帯びていた。
「この声は……どこかで聞いたことがあるな……」
ホセは呟くように低く吐き捨てた。
しかし、荷台に乗っている一行もまた、この近くに誰かが待ち伏せている気配を敏感に感じ取っていた。彼らの目的地もまさにここであり、警戒した人物が潜んでいても不思議ではないのだ。
「みんな、誰かの気配を感じる……気をつけろ」
荷台からの警戒を促す声に応じ、数人の影がそっと武器を構える姿勢をとる。
だが、ホセはリーダーから下された命令を忠実に実行しようとしていた。「怪しい奴が来たら、構わず撃て」――その命を果たす瞬間が来たのだ。
ホセの指が引き金にかかり、躊躇なく力を込めた。
バァン! と夜の静寂を切り裂く乾いた銃声が響き、放たれた弾丸が荷台の木枠に激しく弾け飛ぶ。
「どこの連中だか知らないが、そこで止まってもらおうか!」
怒声と共に馬車が急停車し、荷台から一人、二人、三人……次々と人が降り立ってきた。その数は合計六人に及ぶ。
暗闇の中では、お互いの顔を確認することは容易ではない。ましてや深々と帽子を被っているホセからすれば、相手の素性を判別するのは至難の業だ。彼が帽子を被り続けているのもまた、元軍人としての身元を隠すための警戒心ゆえであった。
やがて、降りてきた人影のうちの一人が、恐れる様子もなくすうっとホセの方へ歩み寄ってきた。
ホセはすぐさまその胸元へと銃口を突きつける。
「お前は何者だ……!」
「私は闘牛士のエスカミーリョだ。初めましてだな、よろしく」
「え……? ああ……あの有名な闘牛士の……? もちろん知っているぞ。ジグラルタルへようこそ……ところで、なぜこんな場所に……」
あまりにも有名なスターの登場に、毒気を抜かれたホセは思わず銃口を下げた。相手がエスカミーリョともなれば、無礼な態度は取れない。街の庶民はもちろん、軍人であっても彼の名を知らない者はいないのだから。
どこか人一倍強い正義感を漂わせるエスカミーリョに対し、ホセは促されるように彼の手を握り、挨拶を交わした。
だが、エスカミーリョの後ろにまだ大勢の影が控えていることを、ホセは見逃してはいなかった。どうせ偉大な闘牛士に付き従う「お付きの者たち」だろうと高をくくっていたホセだったが――その顔ぶれを視界に捉えた瞬間、彼の表情が硬直した。
「あああっ!? お前らは……!? 五人とも、なぜここに来たんだ!?」
そこに立っていたのは、かつて別の場所で出くわしたテンゴたち『宇宙の走破者たち』のメンバーだったのだ。
気まずそうに苦笑いを浮かべたテンゴが、ひらひらと手を振って挨拶に代える。
「……荷台には、もう一人いるんだが……」
暗がりを好むピローがフードを深く被り直し、いかにもヒーローらしい正義感を前面に押し出しながら、一歩前に進み出た。
「もちろん――浮気者を正すためにな!」
◆◆◆
――――セビリアの街を後にし、ジブラルタルへと向かう街道にて。
テンゴたちが移動手段として使っていたのは、エスカミーリョがどこからか手配してきた一台の荷馬車だった。
荷台にはミカエラとエスカミーリョ、そしてメンバーのうち三人が乗り込み、揺られながら和やかに談笑を交わしている。そして先頭では、テンゴとチヒロの二人が並んで手綱を握り、馬を引いていた。
夜が静かに更けていく。頭上には月と思わしき衛星が、不気味なほどに青白く冴えた光を放ちながら夜空に浮かんでいた。
「……この惑星から見える星も、綺麗だな……」
テンゴは馬を引きながら、ふと視線を上げて夜空を見上げ、隣を歩くチヒロに語りかけた。
「そうね……この惑星から見える星も、本当に綺麗……」
チヒロもまた足を止めずに見上げる。上空には、吸い込まれそうなほど無数の星々が広がっていた。大小様々な光を放ち、決して均等ではない輝きを散りばめている。だが、その不揃いな調和こそが「星空」というものの美しさなのだろう。
「しかし……エスカミーリョさんも相当な物好きだよな。好き好んでこんな揉め事に首を突っ込んでくるか普通……?」
テンゴが苦笑交じりに言うと、チヒロはあきれたように肩をすくめた。
「しょうがないでしょ。話を勝手に聞かれてた上に、向こうのペースでどんどん話を進められちゃったんだから……」
「けどさ、エスカミーリョさんを見てると……とある人物にどこか似てる気がするんだよな」
「その人物って……誰?」
「そいつはな……『横』の現場に平気で飛び込んでくるような奴のことさ」
『横』――オンラインゲームにおいて、他のプレイヤーがモンスターと戦っている現場に無断で割り込み、狩りを横取り・邪魔する行為のことだ。テンゴはかつて出会った、そんな規格外なプレイヤーの姿を思い出していた。
「……けど、まあ。そいつのおかげで、LKO内の揉め事や詐欺事件なんかがガクッと減ったのも事実なんだけどな」
「あー、それ聞いたことある! 『平和の灯を!』って叫んでた人のことでしょ!?」
「そう、そいつさ。『全宇宙友好協会』のギルド長、ソクラテウス……。あいつなら、このややこしい状況をどうやって乗り切るんだろうな……」
テンゴは懐かしむように、有名なギルド長にまつわる昔話を持ちかけた。
顔立ちこそまるで違うものの、溢れんばかりの正義感を前面に押し出し、後先考えずに揉め事の渦中へ首を突っ込んでくるところが、エスカミーリョとソクラテウスはどこか重なって見えるのだ。
「ログインしてるかな……あいつ……」
テンゴは満天の星空を見上げながら、遠い空のどこかにいるであろう『全宇宙友好協会』のギルド長、ソクラテウスに思いを馳せた。
ログアウト不能となったこの広大な『LKO』の世界のどこかで、彼が今日も元気にログインしていることを信じて――。
「その話、聞かせてもらった!」
突如、すぐ後ろから朗々としたエスカミーリョの声が響いた。
「「ええっ!?」」
不意を突かれたテンゴとチヒロは、揃って声をあげて振り返る。
いつの間に移動してきたのか、エスカミーリョは荷台から御者台のほうへと身を乗り出していた。
「今のは君たちの仲間の話かい?」
「ええ……まあ」
エスカミーリョはごく自然な動作でテンゴとチヒロの間に割り込むと、その狭い隙間にどっかりと腰を下ろした。
「今はどこにいるのかも分かりませんけどねー」
「だが、仲間がいるというのは実に素晴らしいことじゃないか!」
「そうですよねー」
「私の仲間だって、きっと今もどこかで……あー、いや、この時間はもう寝ているだろうな!」
「で、ですよねー……」
「だがね、私は会えなくても困るようなことは何ひとつないよ。何せ、同じ空の下にいる限り、いつだって会えるんだからな!」
「……格好いいこと言いますね」
テンゴが思わず感嘆を漏らす。
「まあ、君たちが本当にどこから来たのかは知らないが。こうして同じ空の下にいる限り、いつか必ず会えるさ」
「俺たちは、そう……俺たちの仲間だって……」
テンゴは言葉を濁した。まさか「自分たちは『宇宙』から来ました」なんて真顔で言ったところで、この世界の住人に受け入れてもらえるはずがないと思ったからだ。
だが、その沈黙を破ったのはチヒロだった。
「私たちは――あの星から来たんです!」
チヒロは夜空にぽつんと光る、適当な星を一本の指で指し示した。
唐突な大ボラに、テンゴは隣で唖然としてチヒロの顔を見つめる。
「ほう……あの星から来たのか……」
黙り込むテンゴをよそに、エスカミーリョは深々と頷き、腕組みをして言葉を続けた。
「……ということは、だ。つまり……いつでも会えるってことじゃないか!!」
「え?? なんでですか??」
テンゴが素で驚く。
「いや……どこにいるのか全然分からないんですよ??」
「あっちの星かもしれないし!」
「こっちの星かもしれないし!」
チヒロは調子に乗って、夜空に浮かぶ別の星々を幾つも指差してみせる。
「おー、なるほど! 色んな星に君たちの仲間がいるというわけだな……!」
エスカミーリョは一人で大いに納得したように膝を打った。
「例えどんなに遠く離れていても、必ず会えるさ。だってそうだろう? 上を見上げれば、いつでも君たちの仲間と目が合うさ。きっと、その星からも君たちを見守っているに違いない……!」
自信満々に胸を張って言い切るエスカミーリョ。
「理屈的には……そうかもしれませんが……」
「だが、心配することなど何もないよ。自分に自信を持って生きていれば、きっと答えは見つかるさ!」
「エスカミーリョさんは……本当に真っ直ぐですね」
「ははは、まあな!」
少し呆れつつも、テンゴはその言葉の中に不思議な救いを感じていた。
「つまり……この宇宙にいれば、どこにいても必ず会えるってことですよね。遠く離れていても、今は会えなくても、彼らは彼らでちゃんと生きている。彼らが奏でる音色だって、ここまで届く……そういうことですよね?」
「ハッハッハ! つまりそういうことだ!!」
「そうよね!」
チヒロもニッコリと笑って同意する。
満足そうに高笑いしていたエスカミーリョだったが、ふと真顔になると、首をかしげてぽつりと呟いた。
「…………ところで、『宇宙』って何だい?」
「「……そこから!?」」
夜空の下での賑やかな会話は、こうしてしばらくの間続いて行った。
――青空は広い、と誰かが言った。
夜空は青空の何倍も広い、と誰かが言った。
しかし、その無限の広さをも凌駕するのは、人の心の深さなのかもしれない。
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