38:岐路Ⅰ
あの日、震える足でサシュに支えられながら両親の元へ帰ると、母親などは失神しそうなほど驚き、そうして二人とも涙を流しながら喜んでくれた。そんな感動的な再会を済ませ、暫く経つとステラもすっかり下街の生活に戻っていた。アゼルの、ノクールでのことを忘れたわけでは決してなかったが、思い出さないようにしていれば思いださなくなっていくもので、考えることは減っていた。けれども、ふとした拍子に脳裏をかすめては思い悩ませることに変わりはない。特に、忙しさにかまけていられる時ではなく夜思い出すことが多いため、夢に見ては涙を流すこともあった。
「あら、なんだか顔色が悪いんじゃない?」
「え、そうかな。なんだか夢見が悪くって……」
果たして夢見は“悪い”のか。それすらもステラにはわからなくなっていた。アゼルとの思い出はどれもこれも素敵なもので、夢に見るのはまるで少女小説のような情景ばかりだ。けれども、目を覚ますと消えてしまうその思い出にステラは押しつぶされてしまいそうだった。
けれども、いざ下街での一日が始まるとそんな感傷に浸っていることなど出来やしなかった。母親―――カーラと共に朝食を作り、家族三人で食べて往診に出る父親―――カシムを見送る。母親はそのまま家の掃除やら近所のお年寄りを見に行ったりするので、その間ステラはアネーシャの身代わりになる前と同じように、小さな子供たちの面倒をみた。読み書きを教えたり、おままごとに参加したり。ステラが作って持ってきたお菓子を食べると眠気が襲って、昼寝の時間だ。寝ている子供たちを起こさないように部屋を片付け、仕事を終えた親が全員を迎えに来たのを確認して家に帰る。カーラが帰っていて夕飯の支度をしていることもあれば、まだ誰もいないこともあるので、その時に応じて行動をする。そうしてカシムが帰ってきた頃にまた三人で夕飯を食べ、一日が終わるのだ。
夜になると、ノクールでのことを思い出す回数も増えた。慌ただしい下町の生活も好きだが、アゼルとのゆったりと進む生活も嫌いではなかった。アゼルが領地を良くする計画を練っている時はお菓子を差し入れしたり、そうでないときは一緒に庭を散歩したり。
「……だめね」
やっぱり、忘れることなんてできない、とステラは一筋涙を流した。
*
アゼルは、アネーシャと同じ馬車に揺られながら苦痛の時間を過ごした。よくよく見れば顔かたちは気味が悪いほど似ているのに、中身が違うとまるで違って見えるのだから不思議なものである。アネーシャはよく喋るし、それら全てが自分のことだ。そのうちアゼルは窓の外を眺めながら、耳に栓でもしたように一切の音を拒絶していた。
考えるのはステラのことだ。何故姿を消したのだろうかとか、そんなことはどうでもいい。そんなことはアゼルにはもはや関係ない。アゼルが考えるのはステラをどうやって見つけ出し、連れ戻すか。それだけなのだ。
「―――アゼル様」
城に着いて、ユアンがそっと耳打ちしてきた。言わんとすることはすぐにわかる。
「客間に連れていけ。連理の間に入れるな」
「それでは……国王夫妻に怪しまれませんか?」
「どうせすぐにバレる」
「……それもそうですね」
二人の視線はアネーシャへと滑る。馬車から下りるのに当たり前に人の手を待ち、陽が強いからと傘を傾けさせる。自分の前へ一歩でも使用人が出ようものなら眦を釣り上げて癇癪を起しかける。どう考えたって、ステラとは正反対だ。ステラは自分一人で馬車から下りようとしてはアゼルやアンジュに怒られるし、日傘は自分で持つ。そして、アゼルが促さない限りはアゼルの後ろを歩いた。
どうせ隠そうとしたって、アネーシャ自身に隠すつもりがないのだからすぐにバレるだろう。と、いうより、本当はステラがアネーシャのように傲慢に振る舞うべきだったのかもしれない。まぁあの性格では難しいだろう。
「ステラを探せ。どうせエデタージュに戻ったろうから、そこから足取りをたどればいい」
「畏まりました」
「アンジュ、悪いがあいつを見張ってくれ。俺はあいつに近付かれたくない」
「畏まりました」
酷い嫌われようだ、とアンジュ以外が聞いたら思っただろう。だが、アンジュもできることならば関わりたくないと思っているので、アゼルの言葉を否定しようとは思わなかった。
こっからちょっとステラうじうじターンなのでお気をつけて……




