33 フィリップside
奴が王宮を出たと第一王子の陣営が知れば、その焦りは明らかなものになった。すぐに彼らを尋問し、囚われ場所だと目をつけている場所を聞き出す。なんでもっと早く言わないんだと怒りを爆発させるのを、必死に抑えた。
魔法で速度を増した馬に乗り、その場所へと急ぐ。
思っていたよりダンの動きが早い。奴の狙いは第一王子だろうが、あいつが夜会の時に見せたレイシアへの視線が気になる。嫌な予感が胸をよぎり、さらに速度を上げて目的地へと急ぐ。
*****
レイシアが囚われていた場所は、国境近くの森林の奥に建てられた小さな屋敷だった。
着いてすぐに屋敷から大きな物音がするのに気が付く。急いでそちらに向かうと、壁に開いた穴からレイシアの姿が見える。
(彼女だ!)
しかし、その目の前で今にも剣を振り下ろそうとしているダンの姿が見えた。
「氷よ!」
怒りで真っ赤に染まった頭で、魔法の詠唱を唱え、ダンを氷漬けにする。同時に氷の弓を作り、ダンの足目掛けてそれを放つ。
「ダンをすぐに拘束しろ!こいつはすぐに魔法解除を行う!動けないよう物理的に拘束しろ!」
すぐに指示をとばす。奴は魔法解除に秀でている。手足を切り落としてでも完全に動けなくしなくては。そう指示しようと口を開くと、
「フィリップ様!」
愛しい人の声がする。
すぐにそちらに意識が行き、足は勝手に駆けていく。
抱きしめたその体は震えていて、消えてしまいそうなほど小さく感じた。
「レイシア……レイシア……」
何度も名前を呼ぶ。彼女が消えてしまうのではないかと、この腕に抱いていても不安が消えない。これでもかというくらい腕に力を込める。彼女を絶対に離したくない。
「フィリップ様、私は大丈夫です。怪我もないです。でもこわかった―――フィリップ様にまた会えてよかった……」
レイシアの涙に濡れた声が、すぐ耳元で響く。
彼女の声を聞くだけで心が洗われていく。
会えてよかったという言葉が、心を最大の歓喜へと導いてくれる。
「レイシア……?」
力の抜けた彼女の顔を覗き見ると、目は閉じられていて反応がない。
「レイシア!?」
思わず大声で彼女の名を呼び、体を揺さぶる。
「気を失っているだけだろう。そんな乱雑に扱うな。」
横から苛立つ声がする。声の方を向くとセルジオ殿下が怪訝な顔をして、こちらを見ていた。
もう一度レイシアの様子を伺う。確かに息がある。眠っているだけのようだ。
彼女の無事を知り、安心したのか一気に疲労感が体を襲う。
「一国の王子がそこまで取り乱すとは。さすが執愛の王族だな。」
セルジオ殿下の呆れたような物言いに、思わず顔をしかめてしまう。
「王国への侮辱と捉えますよ。婚約者を愛することもその無事を心配することも、何もおかしいことではありません。」
「普通の範囲なら、だけどな。」
以前から王族にしては不遜な態度を取る者だと思ってはいたが、今日はさらに突っかかってくる。このまま相手をしていても仕方ない。
「セルジオ殿下、あなたも怪我をされているようですね。早く自分の手の者に手当をさせたほうがいいのでは。」
そう言って、レイシアを抱きかかえたままその場を立ち去る。
馬車へと向かう途中、横目でダンの様子を見たが、どうやら手足はつながっているようだ。代わりに魔封じの鎖を何重にも巻き付けられて、まったく身動きが取れず苦しそうだが。
途中手を貸そうかと他の者が申し出るが、それは断り、到着した馬車に自ら乗り込む。彼女の体に負担をかけないよう、ゆっくりと出発した馬車が王宮へと向かう。
腕の中のレイシアは眠ったままだ。そっと抱き寄せると、彼女の髪からはいつもの甘い香りが漂ってくる。触れる背や腕の温もりは、彼女が生きてここにいることを教えてくれる。
「レイシア……」
目覚めない彼女に何度も呼びかける。
彼女の髪や頬を撫でていると時間を忘れ、ほどなくして馬車は王宮の門を潜った。
彼女を抱きかかえたまま、王宮の廊下を進み、自ら部屋のベッドに彼女を横たえる。穏やかな寝顔をこのまま見ていたいが、面倒事をまず片付けなければならない。
名残惜しい気持ちを何とか抑え、彼女を侍女に任せて、自分は陛下の執務室へと向かう。
意外なことに、そこにはすでに陛下とともにセルジオ殿下もその場にいた。思っていたより王宮に着くのが遅れたようだ。
「お待たせいたしました。」
挨拶だけ述べて、席に座る。
「ご苦労だった。あちらでのことはすでに騎士たちからも聞いている。一先ずセルジオ殿下とレイシア嬢が無事だったようで良かった。」
陛下はそこでセルジオ殿下に改めて向き合った。
「さて、セルジオ殿下。この度、我が王宮で起きたこの事件について、殿下が知っていること、もしくは予期していたことは全てお話しいただこう。我が国の未来の王太子妃が巻き込まれたのだ。知らぬ存ぜぬではすまされまい。」
「……わかっております。王国には大変ご迷惑をかけた。レイシア嬢にも。私が知っていることはお話ししましょう。」
そこからセルジオ殿下は、ダンが帝国に戻ってからの帝国の派閥争い、今回の王国への訪問を利用した第二王子派の捕縛作戦の経緯を話した。
「王国の方を巻き込むつもりは全くありませんでした。おそらくダンは聖女の一件で、レイシア嬢に勝手な恨みを持ったのでしょう。知らずにレイシア嬢に近づいてしまった落ち度は私にあります。申し訳ありませんでした。」
レイシアのことは本当に予想外のことだったようだ。案外素直に自分の非を認めた。
「それで……サハラ国は他にも、今回の滞在で我々にお話しされたいことがあったのでは?」
陛下はその謝罪は受け取らぬまま、次の話を切り出す。
「そちらには聖女から……いやそれ以前から伝わっていることでしょうから、隠し立てせずお話しします。我が国のある領土が少し前、謎の災害に見舞われました。そこは人の住まない森林地帯だったのですが、突然森の木々が枯れ、そこに住んでいた動物たちが近隣の領土へと逃げ込み、大きな騒ぎになったのです。我々は動物の間引きに手惑いました。大型の野生動物も多かったものですから。しかし災害の起こった場所自体は、過去の戦争で一度更地になったため、それ以降人は住まず緑化を進めていた地帯でした。人的被害は少ないため、しばらくは災害の核は後にして、近隣領地の復興や安定に努めていました。それが聖女たちからすれば、災害そのものを放置しているように見えたのでしょう。
当たり前ですが、まずは他国は頼らず自国内だけで問題を解決することを我々は望んでいました。しかし、聖女たち第二王子派は最初から他国に支援を依頼するべきだと主張。そこでも争いは広がっていきました。」
「そのため早急に第二王子派の粛清を進めたかった、と。」
「その通りです。」
「しかしその災害自体はどうするつもりなのですか。」
重要なのはそこだろう。私はセルジオ殿下に問いかける。
「サハラには特殊な場所に派遣するための専門部隊が設置されています。まずはそちらで調査を行い、災害による被害が広がる可能性があれば、その処理を行うべきだと判断しました。」
「サハラの特殊部隊ですか。しかし、災害地は魔力が大きく関わっている可能性もある。通常の装備や移動手段では、災害の核までたどり着けない場合もあります。」
実際、王国の災害地は土地が大きく変形していたり、微量の瘴気の発生によって安易に近づけない土地も多かった。そういった場合に魔法の行使は大変役に立ったのだ。
「そういった可能性も考慮に入れ、いくつか策は考えていました。だが確かに魔力が関わっているとなると、サハラ国では対処が困難だということも理解しています。」
陛下と目を合わせる。こちらを見て頷いた陛下の様子を見ると、当初の予定通りで良さそうだ。
「セルジオ殿下。サハラ国の災害収束のために、我が国の魔法使いを派遣することも我々は考えています。」
「―――条件は?」
国家間の助け合いに無条件などというものはない。
セルジオ殿下はそこをよく理解している。
「サハラ国で採掘される鉱石を今の3割増しで王国に流通させてほしい。そして、今回の事件の発端となったダン殿下と聖女様には、王国に二度と足を踏み入れることのないよう帝国で厳重に罰を与えていただきたい。」
「鉱石を3割増しですか……。なかなか厳しいことを言う。」
「無理な話ではないはずです。」
できない話ではない。しかしサハラ国の鉱石は王国だけでなく、複数の近隣諸国へも輸出している。王国では鉱石は主に魔石に使われるが、他国では燃料の元として使われる貴重なものだ。王国へ輸出の割合を増やせば、その分自国や他国の取り分は減る。それは外交的にも経済的にも、繊細な調整が求められることだろう。
ただ、魔法師は基本的に王国にしかいない。その人的財産を貸し与えることは十分な対価になるはずだ。
「……鉱石の件はわかりました。次の輸出量から調整しましょう。それでダンと聖女については具体的にどのような処罰をお望みなのでしょうか。」
「それはサハラ国に任せる。一番は幽閉だが。王国に足を踏み入れることがなければそれでいい。」
「処刑しなくても?」
「むしろ処刑は避けてほしいものだ。」
そう言うとセルジオ殿下は意外そうな顔をした。
「聖女はともかく、ダンについては否応なしに処刑しろと言うと思っていましたが。」
「二人がこのような事件の後に処刑されれば、レイシアが悲しむ。彼女は災害を治めた聖女たちをやけに崇高しているところがあるからな。」
あの夜会で、聖女やダンと話す彼女を見ていてもそれは感じられた。
それに、他の王国民にとっても英雄である彼女らが処刑で死んだとあっては、騒動になる。
「二度と外に出られぬよう幽閉。その後はそのまま生きようが、病死されようが、それは我々の関与するところではありません。」
「……そういうことか。フィリップ殿下も悪い人のようだ。」
「愛しい婚約者が殺されそうになったのです。慈悲をかける必要もない。」
そう冷たく吐き捨てると、セルジオ殿下は「あとの処遇は国で話し合う」と言い残し、その場は解散となった。




