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待っていても仕方がない。セルジオ殿下に脱出方法について相談しようかと、口を開こうとすると、
「静かに!」
突然セルジオ殿下の表情が険しくなる。
「おかしい。スクロールの魔法を破って、こちらに侵入しようとするやつがいる。」
「殿下の手の者ではないのですか?」
「俺の手の者であれば、こんな無理をしなくとも合図があればこちらから術を解く手筈になっている。気絶した振りをして隅に隠れていろ!」
状況がうまく掴めないが、一先ずセルジオ殿下の言う通り、物陰に隠れるようにして目を瞑る。
バリンッと何かが割れる音がすると同時に、外の冷たい風が強く肌に当たる。
「まさかお前が来るとは。よく幻術を破って入ってこられたな。」
セルジオ殿下の大して驚いてもいないような声が響く。
「スクロールで作られた幻術空間は隙ができやすい。」
(この声は……ダン殿下だ!)
セルジオ殿下がかけた魔法スクロールをやぶって侵入してきたのか。
薄目を開けて二人の様子を伺おうとするが、元々の薄暗さもあってよく見えない。
「他に誰も付いてきてないようだが。第二王子がこんな場所に一人でくるとはご苦労なことだな。」
「身軽に動くには一人が一番楽だから。途中邪魔が入って面倒だったけど。」
「……俺の部下か?」
セルジオ殿下の声色が変わる。
「知らない。俺と同じ方向に向かっていて、邪魔になりそうだから排除しただけだ。」
「ちっ……!」
セルジオ殿下の吐き捨てるような声が聞こえる。
ダン殿下の声が平坦すぎて恐ろしい。
「それでわざわざ一人でここまで来て何の用事だ?俺は大人しくここで囚われの身でいてやったのに。いつもそばに置く聖女様まで置いてくるとは。」
聖女様の名前が出て、ダン殿下の纏う空気が変わった。
「ミアをこんな場所に連れて来るわけがないだろう。
―――お前を殺すためにここに来たんだ。お前はミアを悲しませる。お前がいる限りミアの夢を叶えてやれない。あまり時間がない。早くお前を処分しないと。」
「結局目的はそれか。俺を排除したところで、お前が国をまともに動かせるわけがないのに。馬鹿げた考えだ。」
セルジオ殿下の言葉に、ダン殿下の目元がかすかにゆがむ。
「国なんてどうでもいい。俺はただミアの望みを叶えたいだけだ。」
ダン殿下が剣を振り上げるのがかすかに見える。
王宮からそのまま連れ去られたセルジオ殿下は丸腰のはずだ。
「危ない!」
とっさにダン殿下に向かって飛び出す。視界が悪くてうまく走れない。
「きゃっ!」
躓いて、ダン殿下の足元を巻き込んで地面に倒れこむ。
「うっ……!」
セルジオ殿下のうめき声が聞こえる。
「セルジオ殿下!」
「腕を切られただけだ。それよりあなたは早く……」
がしっ!
腕を強く掴まれ、思わず頭上を見上げる。
「そうか……あなたもいたんだな。」
冷たい目をしたダン殿下がそこにはいた。
「あなたもミアを泣かせた。彼女があんなに懇願していたのにそれを受け入れず、ミアを傷つけて。」
言葉を紡ぐにつれ、ダン殿下のその目に私への憎しみが宿っていく。
「それにミアは、あなたと殿下の婚約を知ってから様子がおかしくなった。それまで殿下のことは全く口にしなかったのに、突然王国の夜会に参加したいと言い出したり、殿下と話をしたいと言い出したり……。あなたがいなければ、ミアが殿下を思い出すこともなかったかもしれないのに……!」
(いやいや、それはわたしにはかんけいありませんよ。)
ようするにフィリップ様の名前を口にする聖女様に嫉妬したってことだろうけど、それはあなたと聖女様との恋愛問題ですよね。当事者で解決してくださいよ。
そうは思っても、とてもじゃないけど口には出せない。
ダン殿下の手元で光る剣が恐ろしい。
見上げた殿下の表情は、先程より一段増しで冷徹なものと化している。
握り直された剣に力がこめられるのを見た。
(切られる……!)
思わず目を瞑り、その恐ろしい瞬間を待つ。
ガシャーン!ガンッ!
大きな音とともに誰かに抱きしめられる。
目を開けると、すぐ間近にセルジオ殿下の真っ赤に染まった腕章が見える。その向こうには、剣が石像に突き刺さり、必死にそれを引き抜こうとしているダン殿下の姿が。
「おまえはこのままダンが壁に開けた穴から逃げろ!俺の部下が近くまで来ているはずだ!」
「殿下を置いて行けということですか!この状況でそんなことできるわけがないでしょう!」
ダン殿下の戦闘能力の高さはよくわかっている。丸腰の者が一人では数分も持たない。
「逃がさない。」
低い声のするほうを向くと、すでに剣を抜き終えたダン殿下がこちらを冷たく見据えている。
セルジオ殿下の息をのむ音が間近に聞こえる。私は動くこともできず、その場に固まるだけだ。
(ああこんな時私に魔法が使えたら……!そうしたらこんなふう……に……?)
目の前で突然ダン殿下の手元が凍っていくのが見える。足元も氷におおわれ、それはどんどん全身に広がっていく。
ダン殿下も慌てた様子で自身の体を見る。
「なんだ!氷!?この魔法は殿下の……!」
そう声にしたところで、ダン殿下の足元に血しぶきが舞う。
足には氷の弓が刺さっている。
「ダンをすぐに拘束しろ!こいつはすぐに魔法解除を行う!動けないよう物理的に拘束しろ!」
魔法を纏う手元をこちらに伸ばしたまま、そう指示する人影がこちらに近づいてくる。
(この声は……間違いないわ。)
「フィリップ様!」
思わず大声でその名を呼ぶ。
先程までどんなに恐ろしくても出なかった涙が、どんどん溢れてくる。
「レイシア!」
セルジオ殿下の陰に隠れた私を見つけて、フィリップ様がこちらに駆けて来る。
力が抜けて動けない体を、フィリップ様がしっかり抱きしめてくれる。
「レイシア……レイシア……。よかった、ここにいる。どれだけ心配したことか……。怪我はないか?痛むところは?君がいなくなって僕はおかしくなりそうだった。君がいないと生きていけない。お願いだから離れないでくれ……」
まるで独り言のように、しきりに私の名を呼ぶフィリップ様の腕の中で、私も涙が止まらない。
「フィリップ様、私は大丈夫です。怪我もないです。でもこわかった―――フィリップ様にまた会えてよかった……」
安心からか意識が霞む。フィリップ様の体温と声が心地よくて、私はそのまま意識を失った。




