幕間 災厄の予兆
それは”剣皇”レオナール・ワードが山中都市レガナントを発つ一日前の出来事であった。
「――久しぶりね、”剣皇”さん?」
復興途中のレガナント西部にある騎士の駐屯所、その一室にて。
レオナールに呼び出されたフレアが、扉を開けると同時、開口一番にそう言った。
「銀の加護持ち。僕がその名を余り好まないことを君は知っているだろう?」
「ええ。だから使っているんじゃない」
「全く。少しは大人を敬う心を持ってはどうか」
ぺろりと舌を出すフレアに、椅子に座っていたレオナールはやれやれと首を竦める。
彼らがいる部屋は駐屯所の中でも客間に近い、最低限の装飾を施された部屋だ。
もちろん高価なものを買い占める余裕など、復興しきっていないこの街にあるはずもなく、どれも埃が被ったり傷が入ったりした中古品であるが。
簡素な絨毯の上を進み、自らのもとへと近づいてくるフレアをレオナールは眺め見る。
「――何はともあれ無事でよかった。一週間前、バーベルに着いた時に君とレオンが魔獣犇めく魔境の地に向かったと聞いた時は生きた心地がしなかったぞ」
「そういえばあなただけ先行して辿り着いたわね。やっぱり自分の子供が心配だった?」
「ああ。そして君もね」
「――」
レオナールの純粋な言葉に、どこか居心地が悪そうに視線を逸らした。
「……悪かったわね」
「ほぅ。君も素直になる時が来たのか。思えば反抗期の君しか僕は知らないのだが」
「言って損したわ」
「まあそういうな。さっきの仕返しだ」
クックと笑う”剣皇”。その仕草はやはり、どこかレオンと似通っている部分がある。
どちらも生真面目で、実直。
そして過去の記憶を引きづっており、それに抗おうとしている姿も。
「それで、私を呼び出した理由は?」
このままでは話が進まないと思ったフレアは、単刀直入に聞いた。
思えば呼び出されたのはレガナント奪還が叶ったその日の内にである。急ぎのようでもあるのかと、そのような意図を込めてフレアは目の前の騎士へと視線を向けた。
「そうだな、いくつかあるが……。まず、君のことについて尋ねよう」
「私のこと?」
「ああ。”汚染”の呪縛は、もう解けたか?」
呪縛、と言われて。
フレアはその視線を、ゆっくりと落とした。
「ええ」
「そうか。もう復讐心に身をやることはなくなったか」
「もちろん、思うところはあるわよ。私自身で仇を討ちたい気持ちもあったし、やっぱり少し悔しい。でも――」
「でも?」
「どこかホッとしている気持ちもあるの」
思い出す。
”汚染”の魔の手が自分へと伸びる、その光景を。
「あの時の私は、”汚染”を殺したいって気持ちよりも、もう誰かが傷つく姿を見たくない気持ちで一杯だった。不思議よね、学園に入る前までは絶対に自分で殺すんだって決めてたのに」
「――」
ゾフィネスが自分に見せようとした悪夢は、今度はフレア自身の炎で誰かを焼き払うというものだった、らしい。らしいというのはもちろん、フレアが悪夢に誘われる前にユウリが駆けつけて来てくれたからだ。
しかしゾフィネスの言葉が本当ならば、フレアは今度の悪夢では精神を壊していた可能性すらある。
「誰かを殺したくなかった。その相手がもしも、私の大切な友人だったら――ユウリだったら、私はもう生きていけなかったかもしれない」
「――ユウリ、というのは”黒の勇者”のことか」
「そうね。そんな大層な名前、ユウリは不満を漏らしそうだけど」
クスッと笑う。そのフレアの姿は、今までの陰鬱な影を持った少女ではなく年相応の可憐な少女であった。
「君もそんな風に笑えるようになったのか。それもこれも、ユウリ君のおかげだろう」
「――ええそうね。ユウリがいたからこそ、私は今こうしてここにいる」
本当に感謝している。
彼がいなければ、フレアはずっと独りであった。
復讐に追われて、その身を滅ぼしていたかもしれない。
思えばゾフィネスのもとへと向かった理由も、復讐というより友のためだという理由の方が間違いなく大きな割合を占めていた。
「なるほど。そういえば息子からもそのユウリ君の話が出たな。初めてできた、同性の親友なのだと」
「初めて、ね」
「今までステラと一緒に行動することがほとんどだったからな。何でも、彼のおかげで前に進むことができていたと」
レオナールは息子との邂逅の時を思い出し、僅かに笑う。
「言うだけあって、剣の冴えも魔術の腕も格段に上がっていた。いや、上がっている途中だと言えるか。僕の息子は、まだまだ強くなるだろう」
「ふぅん。あなたが言うほどなの」
「ああ。空いている時間に稽古をつけて来て、いくつか進むべき剣の方向性を示した。今のレオンの成長を鑑みるに、数か月で化けるかもしれん」
このレオナール、”剣皇”と呼ばれるだけあって剣についてはかなり厳しいと評判である。
彼のもとに師事しに来た剣士の百人を、全て模擬戦にて返り討ちにして追い払ったことは王都ではちょっとした伝説として語り継がれている。その彼がここまで言うということは、本当にレオンは才能に満ち溢れた人材なのだろう。
「しかし、自信を失いかけていたレオンをああも変えるとは。余程できた少年なのだろう、そのユウリ君とやらは」
「そんな大層なものじゃないわよ。あいつはどこか掴みどころがなくて、飄々としていて、最初なんて警戒心しか沸かなかったもの」
「ほぅ。しかし君の表情を見ているととてもそうには思えないが」
「――?」
「気付いていないのか。君がユウリと名前を呼ぶために、まるで愛しい恋人の名を呼ぶときのような顔をしているぞ」
「な――ッ!?」
レオナールの言葉に顔を真っ赤に染める。
突然の言葉にあたふたとしているところ、レオナールがフッと笑ったことから、フレアは頬を膨らませて不機嫌な表情をいつもの倍増しで表へと晒した。
「からかったわね」
「いやなに、許せ。あまりにも君の反応が面白かったので、ついな」
「そんな話をするために私を呼んだのなら、帰るわよ」
顔を未だ染めながら、抗議の意を含んだ瞳で睨み付けられる。
彼女もまた、良いように変わったと胸中で安堵するレオナール。
しかし次の瞬間、表情を一転させた。
「君を呼び出したのは他でもない。”汚染”についてだ」
「――」
目の前の騎士の雰囲気が一瞬にして変わったことに、フレアも何かを感じ取った。
表情を引き締め、いつもの凛とした態度を表へと出す。
「結論から言おう。”汚染”ゾフィネスは死んだ」
「……そう」
「ただし、不可解な点がいくつかある。そのことについて話したい」
「不可解な点?」
首を傾げる。
「どういうことよ、それは」
「まずその前に三つほど尋ねたい。”汚染”を仕留めたのはユウリ君、これに間違いはないか?」
「ええ。当たり前でしょ、目の前で見たもの」
「ではもう一つ。君達はガルベグルスを僕が葬ったところを見て、急いでそのもとへ向かったと言っていた。ならば、”汚染”が死ぬ間際を見たわけではないのだな?」
「……ええ。そうよ」
「最後にもう一つ――”汚染”と戦った際に、近くに誰かの気配を感じたことはあったか?」
騎士の真剣な瞳が、フレアを射抜く。
先ほどまで冗談を交わしていた人物と同一の者とは思えない、どこまでも鋭い剣を彷彿とさせる雰囲気を醸し出しながら。
「――感じなかった、はず、だけど……」
「そう、か」
ゆっくりと。
重い息を吐きながら、レオナールは背もたれに背を押し付けた。
「すまない。長年手を焼かされていた災厄の使者の一人であったからな。僕でも仕留めきれなかった彼女がこうも呆気なく死んでいったことが、未だに現実味がない。だからすぐに感情が表に出てしまう」
「……”剣皇”のあなたでも仕留めきれないの?」
「ああ。”汚染”の場合は、特にね」
単純な実力ならば、もちろん最強の騎士と謡われる”剣皇”の方が上手だろう。
しかし呪術を駆使するゾフィネスは、一度逃走に徹してい舞えば誰も彼女を追えなくなる。それはレオナールとて例外ではない。
「で、どうしてそんなことを聞いたのよ」
話を進めるため、再度本題に戻るように尋ねた。
レオナールもまたその意図を汲み取り、預けていた背を離して元の体勢へと直す。
「”汚染”の遺体なんだが、特殊だったのさ」
「特殊?」
「ああ。内臓に大きなダメージを負っていたが、死因はそれではない。彼女は何者かの呪術によって、殺された後だった」
「――なん、ですって」
言葉に、目を剥く。
ゾフィネスは確かにユウリの魔術によって、再起不能の身体に変えられた。現場はフレアだってしっかりと目で収めてきたのだ。
けれど。
確かに。
彼女が息を引き取る姿まで、見届けたわけではない。
「奴には色々と聞きたいことがあったのだが、こうなっては聞きだすこともできない。とりあえず、引き続き王宮騎士団の方でも調査はしていくつもりだ」
「――」
「君も、気をつけろ。この王国には未だ、何かしらの脅威が潜んでいるかもしれない――”再生者”の影が、どこに潜んでいるかわからない」
”再生者”。
ルグエニア王国転覆を図る、国家犯罪者の集団。
レオナールはどうやら、一時は共闘の関係を築いていた”汚染”の口封じを、彼らが行ったものだと考えているようだ。そしてフレアもまた、同じ考えである。
「ええ、わかったわ」
強く、頷く。
今回は守られた。
だからこそ、もしも次なる脅威が周囲に対して牙を剥こうとするのならば。
今度は加護持ちである自分が前に立って戦うのだと。そう覚悟を込めて。
★
それは、”汚染”が息を引き取る前の一幕。
「――”汚染”。確かにあなたは強かった」
「……ぁ……っ」
「あの上級魔術並みの魔術を受けてもまだ息があること自体、驚く」
「……ぅ……ぁ」
「けれど、こうあっては騎士団に捕縛されるのも時間の問題ね。だからせめて、尊敬するあなたは私の手で――」
それはまるで、意識を黒く塗りつぶしていくかのように、暗黒へとゾフィネスを誘った。
★
とある王国で。
「――これは」
一人の男が、一陣の風に擦り切れたローブをはためかす。
「どうした?」
「……否、否である。この感覚は――面白い」
そう言って、災厄――”雷轟”は笑う。
とある森にて。
「――おいおいおいおいおーッい。こりゃまた……」
漆黒の装束を身に纏った男が、木々の上で立ち止まる。
「あの腐れ、腐れ、腐れ女の奴。落ちやがったか」
そう言って、災厄――”大嵐”は舌なめずりをする。
そして。
飛行船上にて。
「――ついに逝ったか、ゾフィネス」
静かな一室の中央。
額にウロボロスの刻印を刻んだ、災厄――”濃霧”、マクス・ベルが静かに注がれた葡萄酒を口にする。
「君の犠牲は正義の名のもとに、僕は無駄にはしないよ」
マクスは立ち上がった。
黒と白のコントラストが鮮やかに描かれた服装を着用している彼の出で立ちは、何かしらの奇妙な雰囲気を醸し出している。その彼が、飛行船から外の光景を目にする。
空を駆ける鋼鉄の怪鳥。
必要なものは出そろい、後は仕掛けを施すだけ。
そして時期が来れば、再生の蛇が全てを飲み込むだろう。
喰らう対象はもちろん――ルグエニア王国。
「――正義が下される日は、近い」
葡萄酒を飲み干して、空のグラスを地面に落とす。
甲高い音を立てて、破片を散らすその光景を目に収めて。
マクスは、笑った。




