その三
6
その夜の献立は、僕らには珍しいものずくめだった。
虹鱒の刺身、岩魚の塩焼き、ウワバミ草の叩き、行者ニンニクの味噌和え、イラクサの天麩羅、そしてデザートはアカシア由来の天然蜂蜜。
食材のどれもこれもが、おじさん自らが採取したものか、あるいは育てたものだということだ。
僕は残すことなく食べ尽くしたうえ、ナマモノを苦手とする景子が残した刺身までも平らげた。
満腹になったところで、入浴タイムを迎えた。
風呂はもちろん温泉というわけではないが、それでも家庭用のものに比べるとはるかに大きくて、5・6人が入っても大丈夫な広さだ。とはいえ混浴は当然ありえないので、男子と女子に分かれて入ることになった。
どちらが先に使うかはジャンケンで決めることにし、その結果、今夜は男子が先にいただくことになった。
適温の湯で満たされた浴槽の中で、今日一日の疲れを洗い流すかのようにして僕は手足を伸ばした。
「君達は女子3人の中でだと誰が好き?」
唐突に、光一が訊いてきた。
「俺は・・・俺は」
将太がマジ反応をして答えようとする。
「誰なの? 将太は」
「奈美かな・・・」
その答えは意外だった。僕らの中で最もだらしない将太が、あの強がりで利発な奈美を意識していたとは・・・。
「アー君は、どうなの?」
『アー君』とは僕に付けられたあだ名だ。
「別に、誰にも特別な感情を持ってはいないよ・・・」
精一杯の平静さを保って、そう答えた。
「ふーん、アー君はてっきり麻衣やと思ってたが、そうでもないのか?」
「何で麻衣なんだよ。あいつは美人だとは思うけれど、勉強が出来すぎるのが難点だよ」
「じゃあ、景子ちゃんならよいのか?」
「それよりも、光一はどうなのさ」
僕は動揺を悟られないように、即座に反撃体制にと転じた。
「僕は景子ちゃん一筋や」
さっきから彼女だけを『ちゃん』付けで呼んでいたのである程度は予測していたが、案の定の回答だった。
景子ちゃん・・・、景子・・・。
月明かりの刺し込む湯船の中で、誰にも聞こえないように僕もそっと呟いてみた。
7
明けて2日目となる月曜日。
午前中はそれぞれが宿題を消化して、昼食に用意された素麺と茄子の甘辛煮を平らげた後、予定通りに僕らは昨日見付けておいた天然プールまで出掛けることにした。
水着などの入ったバッグをぶら下げて、真っ青に晴れ渡った空の下を急ぎ足で進む。
細いあぜ道を抜けて川岸に到着すると、急いで水着に着替える。
女子組は草叢に隠れての着替えだ。
男子組はさっさと着替えを終えると、清らかなる流れに飛び込んだ。
水中で目を開けると、まるで水族館の中に潜り込んだような世界が広がっていた。今にも手の届きそうな距離に平然と泳ぐヤマメの姿があった。
「おおぅ」
突然、背後で将太がうなり声を上げた。
水から顔を出して振り返ると、目線の先にはカラフルな3体の水着姿が見えた。
僕らとは明らかに異なる体形の、その特徴的部分に否応なく釘付けとなってしまう。
「こらっ、そんなにじろじろと見るんじゃない!」
赤いワンピースの水着に包まれた麻衣が、少し照れを含んだような笑顔で命令した。
奈美はといえば、麻衣から数歩離れた岩の上で腰に手を当てたポーズで立っていた。驚いたことにブルーの水着はセパレーツだ。
恥ずかしそうにして麻衣の後に半分ほど身を隠していた景子は、淡い緑色の中に黄色の花柄模様が施された水着を着けていた。
奈美が、子供みたいにはしゃいでバチャバチャと流れのど真ん中に走り込むと、麻衣と景子もその後に続いた。
そのときの男子組は、アホみたいに目と口をポカーンと開けた状態で、まるで腑抜けたかのように棒立ちの姿勢を保ったままで固まっていた。
「ねぇ君達、早く遊ぼうよ」
と促す奈美の声で、メデューサの魔法から解かれたかのように、僕らはやっと我に返った。
再び水の中に入ったときには、その冷たさが全身をきりりと刺してきた。だがやがて水温に慣れてくると、学校のプールでは味わうことのない心地良さだ。
流れに抗って上流にと遡って行くと、昨日見付けておいた天然プールに着いた。今日はここでたっぷりと水遊びに興じてやるのだ。
それぞれに泳いだり潜ったりして、僕らは体力が尽き果てるまで思いっきり楽しんだ。そして時折ふと思わずにはいられなかった。この仲間だけでこんなに無邪気に遊ぶことは、この先もう二度とないのだろうか・・・と。
そのときの僕は、楽しさと淋しさの狭間を泳いでいたのかも知れない。
8
3日目となる火曜日の朝。
僕らは、麻衣の徒ならぬ声で起こされるはめとなった。
「ない! 私の水着がなくなってる!」
昨日は河原でたっぷりと水遊びにのめり込んだあと、夕方からは自習時間にするというスケジュールを確実にこなすために、午後5時過ぎには黒猫荘に帰ってきた。
2階の僕らにあてがわれた部屋の南側には廊下があり、その外側には、物干し用の屋根付きベランダが設えられているのだ。壁も屋根も不透明な塩化ビニール製の波板が打ち付けられていて、そのちょうど真ん中で2等分するように板壁で仕切られていた。廊下から向かって左側が女性用、右側が男性用である。廊下側からの出入り口には摺りガラスの嵌まった引き違い戸が1箇所ずつ造られていて、どちらにもシリンダー錠が付いている。鍵は奈美と将太に預けられ、就寝前には必ず施錠するように言われていた。またどちらの部屋にも床から1mほど高い位置に透明ガラスの窓が嵌められており、その窓には室内側にクレセント錠が付いていた。
僕らが駈け付けて直ぐに確認したときには、そのクレセント錠はきちんと掛けられていた。唯一の外界と通ずる空間と言えば、口径15センチ程度の水捌け用のパイプが左隅に一箇所あるだけだ。
僕らが昨日ここに帰ってから最初に取った行動は、濡れた水着を洗濯してそこに干すことだった。
それぞれの物干し部屋には、天井からぶら下げられた2本のロープに架けられた4mくらいの竹竿があり、そこに濡れた洗濯物をハンガーで掛けて干すのである。
もう一度あらためて観察すると、麻衣の言ったとおり、そこには奈美と景子の水着だけが垂れ下がっているだけであった。更にもっと竹竿に近付いて調べようとしたとき、
「ちょっとぉ、辞めてよね。男子は本当にデリカシーが無いんだから・・・」
と奈美と景子が僕らを押し退け、すばやい動きで自分達の水着をハンガーごと外したかと思うと、まだ湿っているのもかまわず抱きかかえて、急ぎ足で女子組の部屋にと持ち去った。
「まるで変態扱いだよな、まったく」
光一が、さも腹立たしいという口調で、奈美達の背中に不満を投げつけた。
僕も何か言わなくてはと思って奈美達の方を振り返ったのだが、いつの間に駈け付けたのか、そこには法宮母子が立っていた。そんな状況下で文句を言う自信はなく、言おうとした台詞を呑み込んだ。
水着消失現場に目を戻す。麻衣の水着が掛かっていたハンガーがコンクリート製の床に落ちていた。
そのことから推理できるのは、奈美達が今やったように近くへの移動ならハンガーごと運んだ方が早いが、ある程度の距離を移動させるとすればハンガーから外した方が便利だろうということだ。折り畳んだり丸めたりすれば、人の目に触れなくするようバッグや服の下などに隠すことも可能だ。
「ここの鍵は閉まっていたの?」
僕が麻衣に問いかけた。
「ええ、昨日ここに3人揃って干しに来て、出て行く前には窓の錠を確認して、それから入り口の鍵も忘れずに閉めたわ」
ショックで答えられない麻衣に代わって、気丈な奈美が答えた。うんうんと景子も隣で頷いている。
「水着か消えているということ以外で、他に何か変わっている点はない?」
「ハンガーが落ちていること以外には、洗濯物入れのカゴも、洗濯バサミや雑巾も昨日のままだと思うわ」
「床はコンクリート製だから、足跡が付いていそうにないしな」
光一が顎に手を添えて、名探偵よろしく断言した。
もし足跡が付いていたとしても、僕らが大勢で歩き回ってしまったので検出は不可能だろう。
しかし、どう考えても不思議だ。
物干し部屋は2階からしか入れないように造られていて、そこに出入りしようとすれば僕らの部屋の前を通らないと行くことができないはずなのだ。
「すると、いったいどうやって・・・」
中からの侵入が不可能なのだから、外からだと考えるしかない。
「庭から梯子を使って登って来たのかも。どのようにして外から鍵を開けたのかは謎だけど、とりあえずは外から入ったと考えた方がよいのでは?」
僕の考えていることに気付いたのか、光一が呟いた。
地上から1階の屋根までは4m近くある。もしも光一の推理が正解だとすれば、かなり長い梯子が必要となってくる。
混乱気味の女子組をそのままにして僕らが階段を下りていくと、上手い具合に叔父さんが居た。
「この家には長い梯子って置いてあります?」
朝の挨拶に続けて、僕が訊いた。
「納屋に置いてあるけど、それがどうかしたか?」
「実は・・・」
麻衣の水着が消えたことと、梯子が使われた疑いがあることを簡単に説明した。
「かなり前のことだが泥棒に入られたことがあって、それ以降は納屋にも鍵を掛けるようにしているのだが・・・」
そう言い置くと、叔父さんは施錠確認するために納屋へと向かった。
僕らも急いで後に続く。
納屋に着くと叔父さんは安心したように振り返り、
「大丈夫。何ら異常なし!」
誰の目にも、頑丈そうな鍵がしっかりと掛かっていることが確認できた。