その二
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「ようこそいらっしゃい」
そう言いながら坊主頭の中年男性がにニコニコ顔で近付いてきた。マジックで書いた民宿名が辛うじて判読できなくもない古びたプラカードを手にしている。
「紹介するよ。この人が健造叔父さんだ!」
と、真っ先に降車した将太が僕らの方を振り返って言った。
「よろしくお願いします」
そう挨拶した僕らであったが、そのユニゾンに重なって、
「今年もどうぞよろしく」と、聞きなれない声が混じった。
声のした方を振り返ると、その主は、同じバスに乗っていた母子連れであった。
「おおっ、法宮の奥さんとお坊ちゃんには、今年もご利用くださり歓迎申し上げますぞ」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いしますね」
法宮の奥さんと呼ばれた細い体躯の女性が頭を下げた。どことなく弱々しい感じが漂っているものの、とても綺麗で上品な顔立ちの人だ。親子だから当然なのだろうが、その後に立っている男子とよく似ていた。
「そいでは、ここからは歩きになりますので、ボウヤ達もわしの後に付いて来るんじゃぞ」
おじさんはそう言って、バス路線に対して右直角方向に伸びる上り坂へと歩を進めた。
この辺りが村一番の密集地なのだろう。両側には家並みがしばらく続いていて、その間を貫く緩勾配の石畳を登っていく。
坂の途中で住民と思しき何人かとすれ違ったのだが、その度に向こうから挨拶をしてくれる。これも人情味に溢れた田舎だからということなのかな。
「健ちゃんとこのお客さんかえ?」
古い造りの長屋門の前に差し掛かったとき、麦藁帽子姿のお婆さんが声を掛けてきた。何故かその手にはバナナが握られている。
「ああそうだよ、カネさん。今年の夏休みもこうして大勢来てくれたので、がっぽり儲けなくてはな」
将太の叔父さんが上機嫌で答えながら、
「おや、その包帯はいったい・・・、怪我でもしたのか?」
と尋ねた。
あらためて観察すると、老婆の右手には包帯が巻かれていた。
「リスちゃんのやつが急に暴れて逃げ出したんだわ。お陰でこんなザマだよ」
どうやら、ペットに噛まれたらしい。
「おカネさんもお元気そうでなによりですね」
最後尾に並んでいた法宮さんが前に出てきて、丁寧なもの言いで挨拶した。
「これはこれは・・・清子さんも来られとったか。耳はよぉ聴こえるんじゃが、近頃は視力の方がちいっとな・・・」
「ええ、例年通りにお盆のお墓参りを済ませるまでは滞在させていただきますので、おカネさんのところにもきっとお伺いしますね」
どうやら法宮家の墓がこの村にあるらしい。
「はいはい、いつでも遊びにおいでてくれましな」
皺くちゃ顔を更にくしゃくしゃにして老婆は微笑んだ。
そこから3軒先に黒猫荘はあった。
大仰な花崗岩の門柱に板の看板が嵌め込まれていて、その上には「への字」になった黒松の門被りが覆いかぶさっている。その下を通り抜けると、翼を大きく広げたかのような構えで、重厚感たっぷりに座している二階建和風住宅の姿が、僕らの目に飛び込んできた。
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「ねぇ、日没までにはまだまだ時間があるから、せめて近くだけでも見ておかない?」
その声に目を開けると、景子が僕らを見下ろしていた。
その時の僕達は、男子組にあてがわれた部屋で大の字になっていた。
黒猫荘の2階は、それぞれが8畳ごとに区切られた3部屋が並ぶ形となっていて、階段を上り切ったところにある一番東側の部屋が女子組用、真ん中が男子組用ということになったのだ。そして一番奥は、法宮母子の部屋である。
「そうだな。簡単な地理くらいは知っておこう」
仰向けになったままで、光一が言う。
窓からは涼やかな風が入ってくる。景子の花柄模様をしたスカートが膨らんで揺れた。
目のやり場に困った僕は、慌てて起き上がり、
「麻衣と奈美の2人は?」と訊いた。
「男子が来るまで1階でおじさん達とお話しでもしていようかな・・・と、先に下りて行ったわ」
頑丈そうな檜製の階段を下りると、女子2人がおじさんと何やら楽しい会話をしていたらしく、笑いながら僕らの方を向いた。
「では出掛けてきます」
ちょうど居合わせたおばさんにも一声掛けておいてから、僕らは夏の日差しの中に飛び出したのだ。
玄関から門までは30mくらいの距離があるだろう。飛び石伝いに駆け抜けて黒松の門被りを通り抜けると、そこは一車線の村道になっていた。こんな山中でもきちんとアスファルト舗装がされていた。
「右か左か、さてどっちに行こうか?」
将太がリーダーよろしく訊いてくる。
「そうね・・・この村に文化財的な建物とかはあるのかしら」
ショートカットの髪を掻きあげながら、そう質問したのは麻衣だ。
麻衣の得意科目は歴史。試験に出て来そうな暦年と史実は完璧に押さえている。
「文化財的か? ただ古いだけの神社と大きいだけが特徴のお寺ならあるが・・・」
「どっちが近いの?」
「神社の方かな。方向はまず左に行って、それから右だ。前に来たときがちょうど秋祭りだったので行ったことがある。そのとき叔父さんから聞いた話だと、ご本尊様はアマテラスなんたら・・・」
後半部分は完全に無視して、麻衣はさっさと先に進んでいった。
「それも言うなら御神体だろ」
将太の耳元で忠告しておいてから、僕も麻衣のあとに続いた。
麻衣はクラスで常にトップの成績を修め、小学生のときから一度もその座を譲ったことがない。大抵の場合はそういう女子ってのは可愛くないのであるが、麻衣に関してはその定説が当て嵌まらない。
少し歩いたところで、先ほどのカネお婆さんに出会った。見たことのあるおじさんと楽しそうに話しているところだった。
「おぅ、ボウヤ達はお出掛けかな?」
カネさんの話し相手は、あの運転手さんだった。
「ええ、ちょっと散策でもして来ようかなと・・・」
そう僕らが答えると、その運転手さんが、
「アベック3組で散歩とは・・・最近の若い者は羨ましいのぅ」
と、日に焼けた顔でニヤニヤした。
「そんなんじゃありませんから」
気丈な奈美が口を膨らませながら、即座に反論した。
「まぁ、しっかりと楽しんで来るんやな」
と、まだニヤニヤしている。
「武さん、若い子をからかうのもいい加減にしときなはれ!」
カネ婆さんが嗜めるように言った。
「はははっ、ただの冗談だよ、だからそんなに怒るなよ」
照れ臭そうに、武さんと呼ばれた運転手がたじろいだ。
「運転者さんはバスを放ったらかして、ここで油を売っているのですか?」
僕が訊く。
「まぁそんなところでもある。帰りのバスの出発時刻までは時間があるので、いつもここで時間潰しをしているのだわ。それと、この村では買うことができない物があったりすると、移動手段のないお年寄りから頼まれて買い物をしてくることもあったりしてな。今日もカネさんに頼まれていたペット用の餌とイグアナを一匹お届けに来たってわけだわ」
そう言われて門の奥を覗き込むと、母屋の庇が作り出した日陰の中に、小型犬が2匹と三毛猫3匹が仲良く並んでお昼寝の最中であった。玄関先の梁からは大型の鳥篭がぶら下がり、その中に派手な天然色をした鳥の姿が見えた。
「それは、何ともお優しい武さんでございますね・・・」
奈美が多分に皮肉っぽく返答したのを潮時に、僕らはその場を離れた。
神社までは徒歩で15分余りの道程だった。途中ですれ違ったのは堂々とした重量型の体形をした野良犬が一匹だけ。
神社の入り口に立つ御影石の鳥居を潜って森閑とした境内に入ると、真っ直ぐに伸びる参道の先に桧皮葺の本殿が鎮座しているのが見て取れた。
「鎌倉様式かな、これは」
麻衣が訊く。
そんな難しい質問をされても、僕らには無理だよ・・・と反論しようとしたとき、
「そうだね。あの波風板の様式は鎌倉的だと思う」
と、背後から誰かが答えた。
声のした方に目線を移すと、そこにはあの法宮母子の息子が立っていた。身長は将太と同じくらいだが、体重は光一と同じくらいに思えた。
「もし驚かせたのなら、ごめん」
さも済まなそうな様子で、僕らにお辞儀を返してくる。
「いえいえ、そんなことはないです。少しだけびっくりはしましたけど・・・大丈夫ですから」
珍しく麻衣が丁寧な言葉遣いで答えた。
「さっきのバスでも一緒だったよな?」
こんなときこそ俺の出番だ、といった感じで将太が尋ねた。
「君達と同じ民宿に泊まっている、法宮馨です。よろしく」
そう言って、再びお辞儀をする。
「馨さんはどこから来たの?」
こういうときに興味を示すのは、必ず奈美だ。
「M市ですが・・・」
「ええっ、私達と同じところに住んでいるんだぁ!」
「そうでしたか」
「私達は第二中よ。あなたは?」
「僕は第一中だけど・・・」
「じゃ、近いよねぇ」
奈美の語尾が弾んでいる。
「では、僕はこれで失礼します」
と、お辞儀をしながら言い残して彼は社叢の奥へと消えていった。
「なんだよ、あの生意気な態度は」
光一が不満そうに言った。
「初対面なんだから、そんなに言わなくてもいいんじゃないかしら」
馨を擁護するかのように、口を尖らせて美奈が言った。
それから僕らは社殿を観察するためにぐるりと一回りした後、注連縄が飾られていることから御神木と思われる杉の大木の前で写真を数枚撮って、荘厳なる神社を後にしたのだった。
今度は東に方向を変えて歩みを進める。
これまた一車線しかない村道を5分ほど歩いたとき、遠くからせせらぎの音が聞こえ始めた。その音だけを頼りにして、雑草に覆われた野道の中を掻き分けながら進んでいくと、やがて視界の開けた場所に出た。
僕らが生まれて初めて目にしたと言っても過言ではないほどの澄み透った清流が、そこに横たわっていた。清冽な流れが視界を占領するとともに、足元まで涼を運んでくる。
サンダル履きのままで、僕らは我先にと流れの中に向かって突進した。
冷たい! とても夏の水温とは信じられない流れの中に立ち、最早この体験を出来たことだけでも今回の計画は成功だったのでは・・・と僕は思った。
そこから50mほど上流に遡ると、流れの淀んだ場所に出た。一番深い所でも僕の背丈程度で、そのまた上流は落差3m程度の滝になっている。これこそ正に天然プールだ。
明日は絶対にここで泳ぐことにしよう、と僕らは即行で決定した。




