その一
1
「皆も観たのか?」
と将太が訊く。
「ああ、もちろんさ! あの番組を見逃してどうする」
と力んで答えたのは光一。
「彼の言っていたことは間違っていなかった」
僕は素直な感想を言った。
「うん、また会えるかな」
奈美が懐かしそうに遥か遠くを眺めている。
「で・・・Tさんて絶対に武さんのことだよね」
景子が髪を搔揚げながら断言した。
楽しかった夏休みも半月余り前には終わりを告げ、続々と登校してくる列の続く授業開始前の時間帯。僕らはいつものように、校庭の片隅にある大きな桜の樹の下に集っていた。
小学校からの仲良し6人組が、中学2年生となりクラスがバラバラになった今でも、何かあれば阿吽の呼吸でこの場所に集るのだ。
「これでやっと全ての謎が完結して、モヤモヤもすっきりと晴れたな」
将太が、僕ら全員の感想を代弁するように結んだ。
「あんな事件に遭遇するなんて、計画を立てたときには想像もしていなかったもんな」
僕の台詞に全員がコクンと頷いた。
2
あの不可思議な事件に遭遇するきっかけは4ヶ月余り前・・・、この樹が葉桜の時期を迎えたばかりの4月下旬に遡る。
さやさやと春風の吹き渡る放課後、その日の僕らもこの場所に集っていた。
全員が揃ったところで、縦横ともに一番大柄な将太があの提案を切り出したのである。
「今年の夏休みには、この6人で避暑を兼ねてどこかに行かないか?」
こういうときの将太は、きっとプランが用意してあっての発言なのだ。
「賛成するかどうかは、計画の内容を聞いてからだな」
いつも慎重な光一が、中指で眼鏡を押し上げながら答えた。
「ああ分かった。その計画というのは・・・」
将太の説明に僕らは耳を傾けた。
「オレの叔父さんがA村で民宿を営んでいるので、そこに皆で四泊五日の予定で泊り込み、今年の夏をとことん楽しもうと考えたのさ。もちろん宿泊費がタダというわけにはいかないけど、いくらかは安くしてもらえるらしい。それにさ、来年は高校入試の年やし、今年を逃したらもう二度と無理なんだよ」
将太がそう言うと、芝生の上に地図を広げた。A村が在るのは隣のH県と接している山間部だ。ここからだと電車とバスを乗り継いで、片道3時間くらいの距離に在るらしい。
「確かにその通りやな。三年生になれば、否が応でも高校入試の準備をしなくてはいけないもんな。つまり、このメンバーで遊べるのも、いよいよ今年が最期のチャンスということか・・・」
寂しそうに、光一が呟いた。
高校入試という四字熟語は、今の僕らには地球よりも重いのである。当然のように僕らは、俄然乗り気になったのである。
宿泊先が将太の叔父さんが経営する民宿ということなので、それなら親の了解も簡単に取れるだろうと高をくくっていたのだが、意外なことにそう簡単には許可は出なかった。
その理由はこうだ。子供達だけということだけでも安心できないのに、ましてや思春期の男の子と女の子が一つ屋根の下で寝泊りするなんて・・・、もし万一間違いが起こったらどうするの? と言うのだ。
こういうことを一旦言い始めたら、世の親・・・特に母親という生き物はなかなか手強い。
だが僕らは、こういうときの最善の方法は相手の一番弱い箇所を突くことであると、10数年の間に学習してきた。つまり、成績アップに関する提案と約束を交換条件にして説得するに限るのだ。
何度かの交渉の結果、英語と数学の宿題を5日間のうちに全部片付けてくるという条件を課すことで、何とか無事に許可されることに至ったのである。
3
そして3ヶ月後、とうとう待ちに待った出発の日が訪れた。
登山客の宿泊は、8月の金曜日と土曜日が多いらしいので、僕らはそれを避けるために、夏休みに入って最初となる日曜日に出発し、金曜日には岐路に着くという日程を組んだのだ。
僕ら男子3人は、最寄りのM駅から午後1時33分発の上り電車に乗り、数えて三つ目のR駅で降りた。民宿のあるA村へ行くには、この駅前から出ているバスに乗らなければならないのだ。1日に3往復しか便数がないので遅刻は絶対に許されない。
バス停には既に数人が並んでいた。時計を見ると、ちょうど2時・・・出発までは17分。
だが、女子の姿はどこにも見当たらない。
昨日になって『新しい水着を買いたい』と女子達が言い出したのだ。そこで女子3人は一便早い電車で出発することにして、駅前のデパートで買い物を済ませた後で合流しようということになったのだった。
しばらくすると、右手方向から目的のバスがやってきた。
他の乗客達が乗り込んでしまったので、僕らも仕方なく乗り込むことになった。
「女子が間に合わなかったらどうする?」
隣に座った光一が、心配そうに訊いてくる。
「運転手さんに土下座してでも、あいつらが来るまで待ってもらうさ」
翔太は相変わらずの余裕である。
出発時刻まで残り1分を切ったとき、かなり向こうの方から駆けて来る麻衣達の姿がやっと見えた。
「済みません。あの子達もこのバスに乗りますので・・・」
僕は麻衣達の方を指差しながら運転手さんに向かってそう告げたあと、他の乗客に対しても一通り頭を下げた。
麻衣達がはぁはぁと息を切らして乗り込んできた。それぞれの手には店の名前がデザインされた紙製のバッグが握られていた。きっとその中に新しい水着が入っているのだろう。
3人が席に着くと同時にドアが閉められ、いよいよ目的地に向かってバスはスタートしたのだ。
A村は標高700mを超える位置にあって、良質の銀と銅が産出されることで戦前までは大いに栄えたものの、それが掘り尽くされた現在は、酪農と高冷地野菜の生産というのが主産業である。
そのように辺鄙なA村であったのだが、5年前に国体が開催されたとき、登山種目がこの村の最高峰であるB山で行なわれることになり、国体関連補助費とやらで登山道が整備されたのである。そして3年前のことであるが、某山岳専門誌に『簡単に本格登山のできる村』という特集で取り上げられたことから人気となり、今では数軒の宿泊施設が営業するまでに至っていた。
そのうちの一軒が、僕らが目指している民宿「黒猫荘」なのである。
幾重にもくねくねと曲がる山道は九十九折と呼ばれるが、目の前に続くカーブの数はもっと多いであろうと思われる。その道を、バスはぜぇぜぇと這いつくばるようにして登っていく。これでも自治体が運営する路線バスなのだ・・・。
道路は辛うじて2車線を保持しているものの、その両側は檜や杉の山林がいつまでもどこまでも続いている。民家も通行人も見当たらない・・・そんな中を年季の入ったバスが喘ぐようにして走る。
運転手はこんがりと陽に焼けた50歳くらいのおじさんで、演歌と思われる歌を気持ちよさそうに唄っている。よく聴いていると『函館本線』や『津軽半島』という歌詞が混じっていた。
「ボウヤ達は、どこから来たんや?」
何曲か歌ったところで、一応満足したのか突然僕らに訊いてきた。
「M市からです」
こういうときの対応は、いつも将太の役目だ。
「ほほぅ、こんな田舎にやって来ても、ここには何もないぞ」
鼻歌ドライバーが諭すように言う。
「カブトムシやオニヤンマがいるし、泳げる清流もあると聞いてますよ」
今度は、自然科学が大好きな光一が反論した。
「そんなのは腐るほど居るし、川は普通に毎日流れてはおるがな」
何となく『詰まらない目的やな』と言わんばかりに聞こえた。
「それだけでいいんですよ。僕らには」
昆虫が大好きな光一は、カマキリみたいな体形をしている。
「電球を点けているだけで虫は飛んで来やがる。来たら叩き殺す!」
これもまた、まだ中学生の僕らにはカルチャーショックだった。
カブトムシが値段を付けられて売られているという現実の中で暮らしている僕らには、叩き殺すほどに邪魔なものだと思っている人が世の中に存在するなんてことを、これまで想像したことがなかった。
「いや待てよ・・・。さっきは何もないと言ったが、それは間違いじゃった。ここには例のヒバゴンがおったわ。ボウヤ達も名前くらいは聞いたことがあるじゃろ?」
ヒバゴンというのは、昭和40年代の後半に中国山地で多く目撃された怪獣のことだ。その辺りが比婆山であったことから命名された、雪男のような謎の生物である。
「あのヒバゴンが目撃されたのって、この辺りなんですか?」
上擦った声から、光一が興奮していることが分かる。
「有名になったのは隣町のことやが、あいつらの行動範囲は広いらしいから、この村に現れる可能性は充分にあるだろうよ」
無精ひげの口元から煙草のヤニで黄ばんだ歯を覗かせて、運転手が悪戯っぽく笑った。
「でもヒバゴンを目撃したという情報は、ここ数年間途絶えているのでは?」
「ほほぅ、そこのボウヤはなかなか詳しいな。だが、ものは考え用じゃ。途絶えているからこそ、そろそろ目撃するチャンスが訪れる頃かもな・・・ってもんだ」
愉快そうにそう言いながら、大きくハンドルを切った。
車内を見回すと、乗客は僕達6人の他に、手荷物から登山客だと推測される男女二人ずつのグループ、夫婦らしきお年寄りが1組、度の強いメガネをかけた青年、そして僕達と同じ年頃の男子とその母親と思しき女性の、全部で15人が乗っていた。
そうこうするうちに、バスはいよいよ目的地の停車場に到着した。
バス停の名は「鬼角」と書いてオニンツノと読む。ここが終点だ。
この近くに、僕らの目的地である「黒猫荘」があるはずだ。
将太・光一・麻衣・景子・奈美・僕・・・の6人もバスから降り立った。




