1 鏡の間
「ここは……どこ?」
気がつくと、ボクは真っ暗な空間に横たわっていた。何もない――そう思ったが、目の前には二枚の鏡が並んでいた。どちらの鏡もまるで異質な存在のように、その場にぽっかりと浮かんでいた。
「あれ……? 確か、あいつらにいじめられて、マンションの屋上から……」
そうだ。ボクはあの瞬間に、すべてを終わらせたはずだった。もう何もかも嫌になって、自分で自分に別れを告げたのに――どうして、こんな場所にいるんだろう。
その時だった。音もなく、誰かがボクの前に現れた。
見上げるほどの巨体。これまでに見たこともないような大きな男の人だった。彼は静かにボクを見下ろすと、低く穏やかな声で話しはじめた。
「ここには、二つの運命を変える鏡がある。この鏡は、それぞれ違う世界へと繋がっている。だが、どちらの先に何が待つかは……私にもわからない」
ボクは思わず息をのんだ。
「お前が今の運命を本当に変えたいと願い、覚悟を決めたのなら――どちらかの鏡に飛び込むのだ」
足が震えた。けれど、何とか一歩を踏み出そうとした。
だけど……怖かった。立ち止まりながら、ボクはぽつりと呟いた。
「何の取り柄もないボクが、本当に運命なんて変えられるのかな……?」
すると、男の人は少し微笑んで、こう言ってくれた。
「お前は、ちゃんと頑張ってきただろう。後輩を庇い、酷いいじめにあっても、耐え続けたじゃないか。その忍耐と優しさこそ、お前の強さだ」
その言葉に、なぜか胸があたたかくなった。どうしようもなかったはずの涙が、気づけば頬を伝っていた。
「そっか……ボク、誰かの役に立ててたんだ……」
ボクは自分の手を胸に当て、少しだけ強い声で言った。
「……次の世界では、誰かに夢や希望を与えたり、心を動かせるような人になれるかな?」
「きっとなれるさ」
男の人は力強くうなずいた。
「さぁ、時間だ。覚悟はできたか?」
ボクは目を閉じて、大きく息を吸った。そして迷いのない声で、はっきりと答えた。
「うん!」
「――では、達者でな」
どこか寂しそうな声で、男の人が背中を押してくれた。
「おじさん、ありがとう! ボク、次の世界でも頑張ってみるよ!」
希望に満ちた声でそう言いながら、ボクは光を放つ右の鏡へと走り出した。鏡の中へと飛び込むその瞬間、おじさんの笑顔が最後に目に焼きついた。
「――いってきます!」
暖かい光が全身を包んだ。
その微笑みは、どこまでもやさしかった。
……そう。これは、前世に別れを告げたボクが、新たな絆を紡いでいく物語の始まりだった。