蜜蝉
<蜜蝉の小森>
出現した先は、見渡す限りの緑の宝庫だった。
素晴らしい樹木が所狭しと生え揃い、この規模で小森なのかと疑いたくなる広さだ。
ここはフィールド型の異界門。
うっすらと甘い香りと新緑の爽やかな香り。
鬱蒼と茂る道なき道は人の手が加えられていない自然の姿なのかも知れない。
異界門の中でも空気はしっかり澄んでいる。少し深呼吸をして楽しんだ後、ゆっくり歩き出した。
草が生い茂っているので少し凸凹して足場は悪いのだが、歩きにくい程でもない。
ヒイロのなだらかな胸も、少し緊張して胸が高まる。
木々の隙間から光がこもれび、幻想的な雰囲気のもと、魔物を探してみた。
カサ、カサッカサと進む音だけが響く。
感覚を研ぎ澄ませるように集中して探すと、とある大木が気になった。
上方を観察すると……何かいた。
そこには、橙色と黄色が縞模様で木に停まっている大型の蝉。
針のように伸びる口吻はじっくりと大木に突き刺されている。
暫く眺めていると、ビュッと風切り音が鳴ったかと思えば蜜蝉の羽の部分に矢が突き刺さっていた。
続いてタァン、タァンと弦が震える音が続くと、両羽を射抜かれた蜜蝉が後ろ向きのまま落下してきた。
そして地面に落ちてもブブブブ……と羽を動かして逃げようともがいている。
しかし、刺さった矢が邪魔をして飛び立てずにいた。
正確に羽の継目を射ぬいている。
何という弓の技量の持ち主だろうか。
そう考えていると背後から声をかけられた。
「あんた、ボーッとしてから俺が貰ったけど、良かったか?」
そこには緑髪にバンダナを巻いて、背には矢筒。手には短弓。
動きやすそうなハーフレザーの装備に身を固めた狩人が好む装備を身に付けた男性がいた。
……全く気配を感じなかった。
短く頷くと、男性は腰ベルトのナイフを抜いてもがいている蜜蝉の胴体下を貫いて止めを刺した。
実に手慣れた、鮮やかな手付きだった。
ジジジジジジ……と最期までもがいていた蜜蝉は光の粒子となり、ドロップ品を残して消えた。
「おっ、ついてるな。一発で<蜜蝉の甘露>を手に入れたぜ。
これで菓子屋に頼まれた分は揃った」
「そう、良かったですね。それで貴方は何者ですか?」
「……俺の事を知らないのか。
まぁいい、そんなおっかない表情で問わなくとも教えてやるさ。
俺の名はデューク。黄級で魔物素材のプロとして活動してる。
これでも名の知れた射手なんだぜ」
いや、別に無表情は不機嫌とか怒ってるからじゃないんだけど。仕様です。
「自己紹介ありがとう、はじめましてヒイロです」
「おう、はじめまして。ヒイロはこんな辺鄙な異界門に何の用で来たんだ。
俺と同じ狙いの<蜜蝉の甘露>集めかと思いきや、蜜蝉を見付けても観察だけしてるし。見た所飛び道具も持ってきてないようだしな」
(さて、どう答えたモノか。
まさか正直に初めての異界門で様子見に来ましたなんて……)
黙ってるヒイロを気にしてないのか勝手に話すデューク。
「よし、アイツらを見てみろよ」
と、デュークが指差した方向にの先には、遠くに弓を構えた4人組が、蜜蝉を発見して弓をつがえている所だった。
ヒイロの視力でも何とかギリギリに見える。
「良く見てな……ありゃあ失敗するぜ」
4人も弓を構えた人間がいたら、誰かの矢が蜜蝉に当たるだろう。失敗などしないはずだ。
そんな想いを汲み取ったように笑う表情を浮かべたデュークは、指先をちょいちょいと曲げて説明した。
「ま、見てろって……ほら始まった」
デュークの言ったタイミングで一斉に矢が放たれた。
一つ目の矢は蜜蝉のいる場所を僅かに下にずれて外れた。
2本目、3本目も外れ、蜜蝉が逃げ出す前に4本目の矢が頭部に当たった。
しかし、突き刺さる所か反響音を立てて矢が弾かれた。
そのまま蜜蝉は飛び出し、4人組に汁かけて逃げ出した。
その光景を見つめたヒイロは、デュークの言った通りで自分の予想と違っていた事に素直に驚いた。
「嘘」
「嘘じゃねえよ。見ただろ?ありゃ、実力も技量も足りてない。
お宝を逃した奴等の結末よ。
強いて言えば弓も弱いし、矢の材質も悪い。
蜜蝉の事を良くも調べないで、ただ前情報を鵜呑みにして痛い目にあっただけだぜ」
弓を専門としているデュークの目には、彼らはまだまだ未熟者らしい。
デュークのような強力な弦の短弓でも無ければ、矢尻の材質も劣化モノを使っていた事が一目で気付いた。
実力がなければ装備品の質を上げるしかないのだが、その両方が揃ってない状態では失敗は当たり前。
蜜蝉の体は羽や甲殻を含め、それなりに硬い。
しかし、羽の部分でも連結部や甲殻に脆さがある箇所を見抜ければあの程度の未熟者でも倒せるチャンスがあると語る。
それに、あの蜜蝉の汁や臭いは普通の洗濯では絶対に落ちない。
特別な消臭剤と専門の落とし液を使わねば落ちないのだ。
それを知っていたとは思えない。
知っていればもっと慎重に、準備を進めてきたはずだから。
その費用を払えば、暫くは満足に飯の食えない日々が続くだろうさ。
これを高い授業料とするか、諦めるかは彼ら次第だ。
まだまだ若い挑戦者故に、これを糧にして這い上がってきて欲しいもんだぜ。
蜜蝉の体に矢が刺されば射手として一人前なんだぜ。
それを聞かされ、成る程なと感心してしまった。
「で、だから毛色の違うあんたの事を見てた訳だが……って」
デュークが慌てて言う。
「いやいや、問い詰めてる訳じゃねぇんだぜ。言いたくなきゃ言わなくていい。
だから、そんなおっかねぇ顔で俺を睨むなってよ」
「……いえ、別に睨んでませんが。無表情なだけです」
「そうかい?……そうだよな。失礼なことばっか言ってすまなかった。
俺はもう目的のブツを手に入れたから帰るが……ヒイロも帰るか?」
「いえ、私はこの異界門は初めてなのでもう少し探索したいと思います」
「そうか、ならここでお別れだ。縁があったらまた会おうや」
帰還する為に去ろうするデュークが思い出したかのように振り向いた。
「初めてならに幼体には気をつけろ。
蜜蝉と違って好戦的で襲ってきやがるからな」
「幼体……ですか。解りました」
「ん、じゃあな」
そう言い終えると、今度こそデュークは去っていった。
なかなか貴重な出会いだった。
少し警戒しながら進む。
何度か蜜蝉と思わしき気配はあれど、デュークの言う幼体らしき反応は解らなかった。
気配を感じ取れたり、居場所を察知出来るのは、間違いなく<蟲の天敵>ギフトのお陰だろう。
(そもそも、蝉の幼体ってどんなカタチなのかも知らない)
人が通れそうな場所を歩きながら考えていると、遠くに光る場所を見付けた。
取り敢えずそこへ向かうと、周囲には木と草が避けるように青白く光る歪みが見えた。
(これが聞いていた次の階層へ行くための空間なのね)
周囲を確認しながら、恐る恐るその歪みへ触れた。
ぐわんとする感覚と共に青白い光が一瞬でヒイロの身体を包んで消え失せた。
▼
次の階層も緑が美しい自然があって、木々が生い茂っていた。
特に不調や異常は感じられない。
デュークの言っていた幼体の魔物を偶然発見する事が出来た。
遠目に何か地中から這い出てくる感覚を感じ、注視していると60㎝程の奇怪な虫が穴を掘って現れた。
木によじ登ろうとした次の瞬間、その背後に現れたもう1匹の幼体が現れて背後から襲った。
そして背部の甲殻が割れかけていた隙間に口吻を刺したのだった。
刺された幼体は暫くもがいていたが、やがて力尽きて光の粒子となった。
魔物が魔物を襲うなんて……その事実に驚いた。
共食いをして成長に必要な栄養素を集めている……とふと感じた。
弱い個体や運のない個体が成虫となる為に糧となる弱肉強食の世界を見た。
共食いを終えた幼体が一回り大きく成長し、今度は木の上へとよじ登ろうとする。
ヒイロはそのままじっと観察しても良かったが、良い機会だと思って<若返りの呪い>の検証をする事にした。
異界門へ入った以上、これから必ず魔物との戦闘は必須となる。
丁度良い機会でもあった。
草影から飛び出したヒイロは鞘からショートソードを抜いて斬りかかる。
動作に遅延もなく、訓練の成果が出ていた。
(まずは小手調べ)
この一撃で、どのくらい魔物に対してダメージを与えられるのか測る予定だ。
振り抜かれた一撃は、幼体の背部を易々と切り裂いた。
素晴らしい斬れ味だった。
そのまま光の粒子となってドロップへと身を変えていた。
余りにアッサリとした手応えに呆然とするヒイロは、思わずショートソードを見やった。
何の変哲のない銅製のショートソード。
落ちていた幼体のドロップ品を2つ拾い上げ、用意していた小型の背嚢へと入れて背負い直した。
本当に呪いが発動しているのか解らなかったが、魔物が光の粒子となった瞬間に身体の中の何かが抜けた気がした。
もしかしたら勘違いかも知れないのだが。
狐につままれたように感じながら、次の異界門の階層へと続く歪みを探す。
その後戦闘はせず、次々と階層を進むヒイロ。
途中に他になく青々とした変わった草や、良くわからない斑模様のキノコも回収したかったが、神殿長から<若返りの呪い>は対象の生命を奪うことと聞いていた。
この行為も呪いの対象となる可能性が高く、出来なかった。
何回か歪みを抜けた所で、最下層へとたどり着いた事を実感した。
なぜなら、その階層に着いた途端、緑の宝庫からいきなり地中に潜ったかのように空からの明るさはなく、地表に生えた光る苔が光り、薄暗い空間が支配していた。
土向き出しの地表に、木の根が所々に這い出している。
歩きにくさを感じながら、地中に僅かな反応がある事を捉えた。
此方の存在に気付いているのか、真っ直ぐに向かってくる。
最初は地面から伝わる微弱な震動が、此方へと近付く毎に地響きのように震動がどんどん強くなる。
最下層の主。
ドバッと盛大に土を盛り上げて地上に姿を現したそれは、あの蜜蝉の幼体をとても大きくした姿だった。