第9章:ランドとシーがあるなら、スカイがあってもいいんじゃない?(第53話)
「あら、記憶無いの?」
「ええ、そうなんです…」
「そう。困ったわねぇ。この前店に来たとき伝えちゃったわよ」
「ですよねぇ」
例の一件の数日後。勲は開店前のヨーコの店「シャングリラ」にいた。例のデートの返事の件を相談するため、仲介のヨーコに会いに来ていた。中村本人にいきなり「ごめんなさい、やっぱり」と伝える勇気はなく、今後の身の振り方を相談決めるべく、人生巧者に話を聞いてもらっている。
すぐに返事をすれば間に合っただろうが、あの後またしばらく佑奈と真白に監禁?されていたため、外部との連絡手段を絶たれていた。ちょいとした略取誘拐程度のことはされていた勲。訴えようと思えば訴えられるかもしれないが、精神的な負担もあった反面、身体的な幸せが降りかかっていたこともまた事実。相殺して今に至る。
「とーーーーっても喜んでいたのよ、陽ちゃん。それを断ってズンドコに突き落とすのも。私もちょっと気が引けちゃうわね」
「そこまで…」
既に中村に許諾の連絡はいっているため、ここから断ろうものなら二丁目で村八分にされかねない。それは構わないだろうがヨーコの顔に泥を塗ってしまう。義理堅い勲はそこが一番引っ掛かる。
「でも、さすがに僕自身が送っているメッセージだとは思いますので、お断りはしません。一日だけですし、頑張ります」
「よくぞ言ったわ。それでこそ日本男児。男捨てた私が言っていいセリフじゃないけどね」上手いこという。
「お客がくるまでもうちょっとあるから、なんか食べていきなさい。なにがいいかしら?」
「ありがとうございます。パスタみたいなものありますか、麺類がいいかな」
「お安い御用。ちょっと待っててね」食事の用意に取り掛かるヨーコ。
「しかしよ」取り掛かろうとした手を止め、改めて振り返り勲に声をかけるヨーコ。
「はい?」
「勲ちゃん、なんで女の子の格好してるわけ?」
そう。なぜか今勲は男の娘になってここまで訪ねてきている。別にあの女たちに強要されたわけでもなく、自発的に男の娘化している。本当に目覚めてしまったのだろうか。
「あぁ…、これはその。なんというか、この街に男の格好で来るとなんか視線が怖くて…」一応自己保身のためのようである。保身というより貞操を守るためではなかろうか。
「でしょうね。勲ちゃんもうこの街でちょっとした評判よ。とってもかわいいコが二丁目を歩いているって。男の格好で来たのって三人の時だけなのにね。いい男はすぐ評判になるわねぇ」
「おぅふ」
勲の選択は間違っていなかった。男の格好で歩こうものなら、もう四方八方が勲を狙うハンター達。勲がいくら強い狼とはいえ、狼一匹が巨象の群れには敵わない。オネエをナメたら痛い目見る。
「女の子なら一切興味ないから、たしかに選択としては間違ってないわ。でも、本当に女の子にしか見えないわね」
以前中村に会うために来たとき見てはいるが、改めて勲の格好を上から下までじっくり見るヨーコ。どこからどう見ても女の子。以前のように着飾ってはいないが、大人しめのその服装が余計美少女にする。ちょっと関心のため息が漏れる。
「でもね。そういうことがきっかけで男に目覚めちゃうこともあるから。あんまりドツボにハマらないように気を付けなさいよ」
「は、はい」
そう告げると食事の用意に取り掛かるヨーコ。その姿を見送り自分の格好に目を落とす勲。
「確かに、この格好するのに抵抗なくなってきたな…」
襟元を引っ張り胸元を除くようなしぐさを取る勲。あるはずもない胸を覗いてなんとする。自分の体に欲情しだしたらもうおしまい。
「なにしてんだ、僕…」
襟から指を離し我に返る。いかんいかんと両手で顔を叩く。その音にかき消され勲には聞こえなかったが、店のカウベルがカランとなり扉が開く。
「ヨーコさーん、おひさー」
まだ店の外には準備中の看板が掛けられているはずなのだが、関係者だろうか。さすがに開いた扉には気付いた勲。視線をそちらに向ける。
「…兄貴?」
「あら、勲じゃない。とうとうこの街で暮らす気になった?」
兄でした。




