レファレンスNo.2 4-3
デューイさんが帰った後も、わたしはソファーで膝を抱えてめそめそ泣いていた。
ちなみにエノク君は、わたしに心底あきれてしまったのか、何も言わずに壁に寄りかかっている。
と、そんな時だ。
――ガチャリ!
書庫へと続く扉が開き、遭難者の救助を終えた立川さんが戻って来た。
「ただ今戻りました。詩織さん、戻るのが遅くなってしまい申し訳ありません。遭難者はすぐに見つかったのですが、別の閲覧室の司書達と少々話し込んでしまいまして。――ああ、館長もいらしていたのですね。ではすぐに……お茶でも……?」
申し訳なさそうな口調で話しながら、閲覧室に入ってきた立川さん。
だけど、その口調はすぐに疑問に満ちたものへと変わっていった。
「おやおや? この重苦しい雰囲気は、一体どうしたことでしょうか?」
閲覧室内の様子がおかしいことに気付き、立川さんが首を傾げる。
ただ、泣いているわたしを放っておくわけにはいかないと判断したのだろう。
立川さんは真っ先にわたしの方へやって来た。
「詩織さん、何かあったのですか? そのように泣いていては、かわいいお顔が台無しですよ」
ハンカチでわたしの涙を拭いながら、立川さんが優しい笑顔を浮かべた。
ちょっぴりおどけた様子で、こちらの沈んだ気分を紛らわせてくれる。立川さんらしい気の回し方だ。
その気遣いに感謝しながら、わたしはグズついた鼻声で……、
「グスッ! ごめんなさい、立川さん……。わたし、レファレンスに失敗してしまいました……」
自分のしでかしてしまった失態を、立川さんへ報告した。
「おや? 私がいない間に、利用者さんが来たのですか? しかし、レファレンスに失敗したとは、どういうことでしょうか……」
立川さんは一度エノク君に目を向けたが、エノク君は気づかないふりをした。
エノク君の態度に何かを感じ取ったのか、立川さんはわたしに視線を戻す。その目には、先程にも増して真剣な光が宿っていた。
「ふむ……。詩織さん、詳しく説明してくれますか?」
「はい……」
立川さんに向かって小さく頷いたわたしは、泣きすぎてかすれた声でデューイさんが来てからのことを説明した。
その間もエノク君は口を開くことなく、わたしの説明をただ聞いているだけだった。
「――というわけなんです」
「なるほど。そのようなことが……」
わたしの話を聞き終えた立川さんが、腕を組んで少し考える素振りを見せる。
そのまま一分くらいの時間が経った頃、不意に立川さんがソファーで蹲るわたしと視線の高さを合わせた。
そして、柔和な眼差しをわたしに向けつつ、こう言った。
「事情はわかりました。詩織さん、安心してください。まだ、そのレファレンスは失敗していませんよ。なぜなら、館長が明日まで時間を作ってくれたのですから」
立川さんが、わたしの頭をポンポンと撫でてくれる。
優しく撫でてくれる手の温もりに、わたしはざわついていた心が少しだけ落ち着いたように感じた。
「さてと……。それでは詩織さん、後は任せてください。ここからは、私がこのレファレンスを引き継ぎま――」
「立川!」
立川さんが「引き継ぎます」と言おうとした、その時だ。
それまで置物のように黙っていたエノク君が、突然大声を出して立川さんの言葉を遮った。
さすがの立川さんも、これにはびっくりしたのだろう。
目を丸くしたままエノク君の方を振り返った。
「な、何でしょうか、館長?」
驚きによる動揺を隠せないまま、エノク君へ訊ね返す立川さん。
そんな立川さんに対し、エノク君は言い聞かせるように話し始めた。
「いいか、立川。今回のレファレンスはそこの見習いが引き受けたものであり、オレもそいつがこの件を担当することを認めた。つまり、誰が何と言おうと、このレファレンスはそいつの仕事なのだ」
このレファレンスは――わたしの仕事。
エノク君が言ったその言葉に、今度はわたしがエノク君へ驚きの眼差しを向ける。
その間も、エノク君の立川さんに対する説教は続いた。
「それなのに、見習いが『自分の手に負えない』と認める前からお前がその仕事を取り上げてしまうなど、言語道断だ。そんなこと、オレが認めない」
わたしの視線の先で、エノク君がそう言い切る。
エノク君の説教を聞き終えた立川さんは再び考える素振りを見せ、「……なるほど」とつぶやいた。
「詩織さんが成長する機会を、私の独断でみだりに奪ってはいけないということですか。――申し訳ありません、館長。私の考えが足りず、出過ぎたまねをしました」
「謝る必要はない。お前がわかってくれれば、それでよいのだ」
頭を下げた立川さんの肩を、エノク君が『気にするな』とでも言うように叩く。
そのままエノク君は、膝を抱えたまま呆けているわたしの前へと歩いてきた。
「見習い、話は聞いていたな。さっき立川が言っていた通りだ。このレファレンスはまだ終わっていない」
わたしの前にやってきたエノク君は、腕を組んだまま仁王立ちし、淡々とした口調で話し始めた。
「オレはお前が『もう無理だ』と言うなら、このレファレンスから降りることを止めはしない。司書見習いになって間もないお前に、このレファレンスは難易度が高すぎたというだけの話だからな」
エノク君の言葉に、グッと奥歯を噛み、もう一度顔を伏せる。
エノク君の言う通り、このレファレンスはわたしの手に負える代物ではないのかもしれない。
それは――わたし自身、嫌というほどよくわかっていたから……。
だけど、エノク君の言葉はそこで終わらなかった。
「だがな、見習い。お前は、本当にそれでいいのか? デューイから受けたレファレンスをこのまま投げ出してしまって、お前は本当に納得できるのか?」
問いかけるように言葉を重ねたエノク君をもう一度見上げる。顔を上げたわたしの目に飛び込んできたのは、純粋な疑問の色を浮かべたエノク君の瞳だった。
おそらくエノク君は、わたしが「諦める」と言えば、その選択に納得するだろう。
彼はわたしの意志の向く先、それがどこかを見定めようとしている。少なくとも、わたしにはそう見えた。
――だからこそ、わたしは答えに困った。
「わ、わたしは……」
諦めたくなんか……ない。
このまま納得なんて、できるわけない。
文香ちゃんを元気づけてあげたい。デューイさんを喜ばせてあげたい。この思いは、今も変わっていない。
それに、わたしはセファーラジエルと約束したんだ。「一人前の司書になる!」って。ここで簡単に諦めるようじゃ、いつまで経っても一人前になんてなれっこない。
(でも……)
デューイさんが浮かべていた辛そうな笑顔が、わたしの頭をよぎる。
デューイさんと文香ちゃんをわたしの力で笑顔にしてあげたいとか、一人前に司書になるために諦めたくないとか……。
そんな思いはわたしの独りよがりでしかなく、デューイさんから見ればただの迷惑なのではないか。
そう思えてしまい、わたしは自分の素直な思いを口にできなかった。
「もし……」
だけど、エノク君は思い悩むわたしに向かって、まるで手を差し伸べるかのように更なる言葉を紡いだ。
「もし、お前にまだ諦めたくないという気持ちが残っているなら、あと一日あがいてみないか?」
「――ッ! でも! わたし、また間違った方向に突っ走ってしまうかもしれないよ。何かまた、大きな失敗をしちゃうかもしれないよ!」
エノク君の言葉はうれしいけど、つい弱音が出てしまう。
そしたらエノク君は煮え切らないわたしを見据え、『やれやれまったく』と言いたげな雰囲気で肩をすくめた。
「何かと思えば、そんなことを気にしていたのか? まったく、お前というやつは……。見習い、お前は一体何のためにオレや立川がいると思っているのだ」
「な、何のためって……」
エノク君の言いたいことがわからず、視線を彷徨わせながら逡巡する。
それに気づいたエノク君は、わたしの頭に手を乗せながら答えを教えてくれた。
「いいか? オレ達はお前の上役なんだぞ。上役とは、下っ端を教え導き……支えるものだ。故に、お前が迷ったらいくらでも相談に乗ってやるし、お前のミスしそうになったらオレ達が必ずカバーしてやるさ! ――まあ、今回は不覚にもカバーが間に合わなかったがな。だが、次はちゃんとするぞ、うん!」
「わたしの……、ために……」
「ああ、そうだ! それでお前の成長を助けられるなら、安いものだからな!」
そう言って、エノク君が力強い笑みを見せる。
その笑みを茫然と見つめていると、不意にエノク君の隣から「館長の言う通りですよ、詩織さん」という声が聞こえてきた。
呆けたままの頭でゆっくり首を回す。
そこには、いつもの穏やかな笑みを浮かべた立川さんが立っていた。
「失敗を恐がることはありません。失敗から学べることもたくさんあるのですからね。後のフォローやバックアップは、必ず私達がします。――だから詩織さんは、利用者さんのことだけを考えて突き進んでください」
「立川さん……」
自分達が付いている。必ず傍で支えていてやる。だから――お前は前だけを見て突き進め!
わたしを見る二人の目は、雄弁にそう語っていた。
「で、どうなのだ、見習い。続けるのか、やめるのか?」
もう一度、今度は試すようにエノク君が聞いてくる。
二人の言葉のおかげで、心がふわりと軽くなった。
確かに、わたしの独りよがりでしかないかもしれない。デューイさんにとっては迷惑でしかないかもしれない。
でも、これはわたしが受けたレファレンスだ。
ラジエルライブラリの司書見習いとして、途中で放り投げるなんて無責任なマネはできない。
(それに、わたしは一人じゃない。エノク君も立川さんも、いつだってわたしの傍にいてくれるんだ!)
ならばわたしの言うべき答えは、ただ一つだ。
わたしは涙をぬぐい、毅然とした態度で二人の前に立った。
「やります! わたしにやらせてください! わたし、諦めたくないです。今度こそ、デューイさんの依頼にピッタリな本を見つけてあげたいです!」
自分の素直な思いを、今度はしっかりとエノク君に伝える。
その言葉を聞き届け、エノク君は力強く頷いた。
「ならば、やってみるがよい! 今度こそ良い成果を期待しているぞ、見習い!」
「はい! ありがとうございます!」
背筋をピンと伸ばし、エノク君にきっちり一礼する。
さぁ、もう泣いたり、落ちこんだりなんかしてはいられない。
わたしにチャンスをくれたエノク君の期待に応えるために、何より今度こそデューイさんに満足してもらうために、精一杯頑張らないと!
両手を握りしめ、「よしっ!」と気合を入れ直す。
すると、立川さんがタイミングを見計らったように口を開いた。
「とはいえ、間違った方向性を一人で修正するのは大変ですからね。最初に一つ、アドバイスをして差し上げましょう。――それくらいは構いませんよね、館長?」
「まあ、さっき『相談に乗ってやる』とも言ったばかりだしな。それにレファレンスで重要なのは、利用者が満足する結果だ。そのために他人の意見を聞くのは、正当な手段。アドバイスくらい、別に構わないぞ」
立川さんがエノク君に確認を取ると、エノク君もOKを出す。
エノク君の許可を得た立川さんは、改めてわたしの方へ向き直った。
「では、館長の許しも出ましたので……。――いいですか、詩織さん。デューイさんの望む結果が何かを、よく考えてください。そこがわかれば、今までとは違う道が見えてくるかもしれませんよ」
「望む結果ですか……」
ええと……。デューイさんは、文香ちゃんを元気づける方法が知りたいんだよね。
元気づける方法、元気づける方法……。
……………………。
むむむ~。まったくわからない。一体どうすればいいのだろう?
「では、これは明日までの宿題にしましょう。もう七時を過ぎていますから、今日はもう帰られた方が良いのではないですか?」
立川さんが、時計を見せてくれる。
時計の針は、すでに午後の七時を十分も回っていた。
「あわわ、本当だ。もう帰らないと、お母さんに怒られちゃいます」
慌てて帰り支度をして、入口に向かう。
それにしてもこの宿題、なかなかの難題だ。
諦めるつもりはこれっぽっちもないけど、明日までにちゃんと答えが出せるかなぁ……。




