レファレンスNo.2 4-2
「第二案の本はこれ! 読んだ人間を陽気にしてしまう魔法の詩集(日本語版)です!」
本日二度目。
わたしは自信満々の表情で、二冊目の本をテーブルの上に置いた。
しかし……、
「ッ! ……………………」(←エノク君)
「ぅ……。……………………」(←デューイさん)
また二人とも、無言になっちゃった……。
しかも、どうしたことだろうか? さっきとは、ちょっと空気が違う気が……。
エノク君は何かに堪えるようにプルプル震えているし、デューイさんはどこか辛そうな感じ?
うーん。二人のこの表情は一体……? わたし、また何か変なこと言っちゃったかな?
それに――何だろう。漫才の本の時と違い、今度の沈黙には肌を針で刺されているような居心地の悪さを感じるんだけど……。
(まあ、居心地の悪い雰囲気なんて、さっきまでと同じか。もう慣れましたよ、痛い子を見るような視線には。気にしない、気にしな~い)
そんなことを考えつつ――というか、表情や雰囲気については深く考えずに、説明続行。
無言の間なんて、もはや慣れっこなのです。
「えっとですね……。この本に書かれた詩には特殊な魔力が宿っていて、読み進めていくほどに読み手のテンションが上がっていくそうです。この本を使えば、文香ちゃんもたちまち明るく元気に――」
――スパンッ!
部屋の中に乾いた音が響き、わたしの言葉が止まる。
……一瞬、何が起こったかわからなかった。
でも、頬に宿った熱とジンジンとした鈍い痛みが、すぐにわたしを我に帰させる。
痛むほっぺたに手を当てながら前を向くと、テーブルに乗り上げ、手を振り抜いた格好のエノク君と目が合った。
どうやらエノク君が、わたしのことをひっぱたいたようだ。
「い、痛いじゃない! 何する――」
思わず抗議の声を上げかけたわたしだったけど、その言葉はすぐに奥へ引っ込んだ。
……いや、エノク君が浮かべた表情を見て、言葉が出なくなってしまったのだ。
「……貴様、……いい加減にしろよ」
わたしの目を見つめたエノク君が、喉の奥からしぼり出すようにそう言う。
エノク君は――とても怒っていた。
今までエノク君には何度も怒られてきたけど、そんなのとは比べ物にならない。
エノク君が放つそれは、他の感情が一切入ることない、純然たる本気の怒りだった。
「漫才の本はまだいい。あれにはお前なりの考えもあり、一応の筋も通っていた。だが、この本に何だ。貴様は一体何を考えてこれを持ってきた」
「何を考えてと言われても……、わたしは文香ちゃんに元気を出してもらうために……」
静かな声でわたしを問い質すエノク君。
だけどその声には確かな怒気がこもっていて、わたしは思わず視線を逸らしながら答えた。
その答えを聞き、砕けそうなほど奥歯を噛み締めたエノク君が、わたしを射抜くようににらみつける。
そして、溜め込んだ怒りを一気に爆発させるように口を開いた。
「『文香ちゃんに元気を出してもらうため』だと? ふざけるのもいい加減にしろッ! 貴様、自分が何をしようとしたのか、本当にわからないのかッ!」
「え? え? わ、わたしは文香ちゃんを……」
反射的に言い返そうとしたけど、言葉を最後まで続けることはできなかった。
なぜなら、エノク君に怒鳴りつけられたショックで、わたしの頭の中は完全にぐちゃぐちゃになってしまっていたから。
(わたし、何か悪いことをしてしちゃったのかな? わからない……。わからない、わからない。自分が何をしちゃったのか……わからない)
混乱した頭では、考えがまったくまとまらない。
わたしは目には涙を浮かべ、わけもわからず取り乱した。
そんなわたしを見かねたのか、エノク君がさらに厳しい口調で言葉を続けた。
「わからないのなら、教えてやる! いいか? お前のやろうとしていることは、洗脳と同じだッ! お前はデューイの親友の心を、本の魔法で無理やり操るつもりだったのかッ!」
「――ッ!」
エノク君に言われて――そこまで教えてもらって、わたしはようやく自分がしようとしていたことの本当の意味に気づいた。
ぐちゃぐちゃになっていた頭が、今度は脳みそを引っ掻き回されたようにグルグルと渦を巻く。
両足は床についているのに、気持ち悪い浮遊感を感じる。
お腹の底に重い何かが溜まり、吐き気までしてきた。
(……あ、……あ。わ……、わたし……)
エノク君の……言う通りだ。
そんな簡単なこと、ちょっと考えればわかるはずなのに……。何でわたしは気づかなかったのだろう。
しっかり考えずに突っ走った結果、わたしはとんでもない過ちを犯してしまった。
呆然としつつ、エノク君の肩越しにデューイさんを見ると、彼の顔にはやはりどこか辛そうな笑顔がうかんでいた。
その表情の意味が今ようやくわかり、雷に打たれたような気さえしてきた。
利用者さんの傷付く姿を見て、やっと自分の浅はかさ、愚かさに気付くなんて……。
(わたし、何てことを……)
あまりに情けなくて、目元に溜まっていた涙がポロポロとこぼれ落ちる。
その涙を引き金に、堰を切ったようにわたしの口から嗚咽する声が漏れ始めた。
そうやって泣きじゃくるわたしの横で、エノク君は土下座をするような勢いでデューイさんに謝った。
「デューイ、本当に申し訳ない。うちの司書見習いが、気分を害するようなことをしてしまって」
「グスッ! ごめんなさい、デューイさん。……わたし、考えが足りていませんでした」
エノク君に倣い、わたしも急いでデューイさんに頭を下げる。
すると、デューイさんは謝るわたしとエノク君に向かって、気にしていないという様子で首を振った。
「お二人とも顔を上げてください。詩織さんも悪気があって、この本を持ってきたわけではないんですから……」
本当にデューイさんは優しい。優し過ぎる。
本来なら、怒って罵声を浴びせてもいいところなのに、逆にわたしのことを気遣ってくれるなんて……。
「デューイ、このレファレンスだが、もう少し時間をもらえないだろうか? 時間さえもらえたならば、必ず君の依頼を果たすと約束する。この通りだ……」
きっかり斜め四十五度。
定規を当てたかのように綺麗な一礼をしながら、デューイさんに懇願するエノク君。
その誠意が通じたのだろう。
「そうですか……。――なら引き続き、レファレンスをお頼みします。どうかよろしくお願いします」
デューイさんも、レファレンスの継続を承知してくれた。
でも、だからと言ってわたしの失敗が帳消しになるわけではない。わたしがもっとしっかりしていれば、もしくは図々しく出しゃばらなければ、こんなことにはならなかったのに……。
「感謝する。それでは次にいつ、この図書館へ来られるかを教えてもらえないだろうか?」
「そうですね……。ぼくもあまり悠長なことをしているわけにはいきませんので――明日、では早過ぎますか?」
「いや、構わない。それならば明日までに、必ず答えを用意させてもらう」
「わかりました。では明日、今日と同じくらいの時間にもう一度来ます」
エノク君とデューイさんの間で、話がまとまる。
その間、わたしはただ泣き続けるしかできなかった。
後悔とデューイさんへの申し訳なさ、自分の無力さに打ちひしがれ、ただただ涙を流し続けた。
「詩織さん……」
そのように泣き続けるわたしの前へ、エノク君との話を終えたデューイさんがやって来た。
どこまでも思いやりに満ちた、温かな笑みを浮かべて……。
「詩織さん、そんなに落ちこまないでください。ぼくは気にしていませんから」
「グスッ! ありがとうございます、デューイさん。それと――本当にごめんなさい……」
涙声で、再度謝罪するわたし。
それを笑顔のまま受け入れたデューイさんは、ペコリとお辞儀をして帰って行った。




