第四話 退き城
天正十三年七月。東予、高尾城。
城は北に平地を見下ろし、東西を深い谷に挟まれている。背後の南だけが、そのまま山へ続いていた。
朝靄が薄れるにつれ、毛利勢の旗が浮かび上がる。北の平地だけではない。東の谷口、西の丘、その向こうにもまだ旗が続いていた。
吉田正義は途中で数えるのをやめた。
「前へ出ているだけでも、一万はおりますか」
「そのくらいだろう。三万すべてを、こんな山城へ押し込めるほど小早川左衛門佐も愚かではない」
久武親直は城下を見たまま答えた。
上陸地、船、兵糧、街道。大軍には守るものも多い。それでも城内の数千とは比べるまでもなかった。
金子元宅が腕を組む。
「十日は欲しいと申したな。持つと思うか」
「持たぬ時の話からいたしましょう。始まってから悪い話を考えては遅い」
「相変わらず景気の悪い男よ」
親直は足元の土へ指を置いた。高尾から南へ一本、山中へ折れる。
「また帰り道か」
「ええ。攻める道は金子殿がお得意でしょう」
元宅が鼻で笑った。
三日目、西から河野の旗が現れた。千五百ほど。
高尾への援軍と見た毛利方は、すぐ数千を西へ振り向ける。だが河野勢は城へ入らず、西に陣を張って火を焚き、旗を立てるだけだった。
「城へ入れないのでございますか」
「入れん。中へ入れれば一緒に包まれる。外に置けば、小早川はあちらも見ねばならん」
その夜、親直のもとから一騎が河野陣へ走った。翌朝には陣は空になっていた。
昼、高尾から金子勢が出る。薄くなった北の押さえを突き、丘の柵を壊してすぐ引いた。追わず、首も拾わない。
翌夜は久武勢が谷口の柵を壊し、陣を奪わず戻る。
再び河野の旗が西へ現れた時、今度は毛利の陣が動かなかった。
「流石に、もう食わぬな」
「一度食わせれば十分です。同じ手を二度食う相手なら、これほど面倒ではありません」
親直は河野の旗ではなく、毛利本陣を見ていた。
◆
小早川隆景の前へ、数日分の報告がまとめて上げられた。
「河野勢は二度現れましたが、一兵も高尾へ入っておりませぬ。城兵も短く戦っては戻り、追撃せず。夜襲でも柵を壊すのみ。大量の兵糧を入れた形跡もございません」
隆景は高尾周辺の図を見た。
北は平地。東西は谷。南は山。西には河野勢。城には金子と久武。
「われらを、ここへ置いておきたいのだな」
家臣の一人が図を覗き込む。
「ならば高尾を捨て置き、西へ進んではいかがでしょう。城一つに付き合わぬ方が早うございます」
隆景は高尾の印へ指を置いた。
「それができぬから、ここに城がある」
高尾そのものが道を塞いでいるわけではない。だが背に残せば、金子勢が荷駄を襲い、使者を止め、街道を切る。その備えに兵を残せば、前が薄くなる。
「囲めば喜ぶ。河野を追えば城から出る。危うくなれば南の山へ兵を抜く。城は渡しても、人は渡さぬ」
隆景の口元がわずかに緩んだ。
「宮内少輔、よう盤を組まれた」
城一つで三万を止めるのではない。
進めば背を噛む。留まれば時を奪う。河野を追わせれば、その隙を高尾が突く。
この城を落とすまで、毛利に伊予の先へ手を伸ばさせない。
「高尾を落とさねば、西へは進めぬ」
隆景は東の小丘を指した。
「ここへ鉄砲を上げよ。北は大楯。東と同時に掛ける。河野が出ても警固だけで受け、本隊は戻すな」
数日かけて調べた丘、谷、登り口を、今度は一度に使う。
「村へ火は出すな。これから治める国だ」
最後に指が南へ動いた。
「こちらにも兵を置け。久武は城と一緒には死ぬまい」
隆景は図を伏せた。
「宮内少輔の策はよい。ゆえに、ここで崩す」
◆
翌朝。
正義は鉄砲の音で目を覚ました。
一発。続けて二発、三発。
これが正義にとって初陣だった。
齢十五。
兄の政重が中富川で初めて実戦へ出たのは、さらに一つ若い。
槍も弓も習った。兄について陣を見たこともある。だが、自分を殺すために放たれた鉄砲の音は、腹の底まで違って響いた。
兄も同じ歳で、この音を聞いたのか。
そう考えたのは一瞬だった。
東の小丘から白煙が上がる。北では大楯が斜面を登り、その後ろを槍衆が埋めている。
「東へ行け。百預ける。柵から出るな。押し返しても追うな」
一瞬だけ喉が詰まった。
「参ります」
「勝手に死ぬなよ」
東の曲輪では、すでに土塀が欠けていた。
「伏せろ!」
鉄砲が鳴り、土が頬を叩く。煙の中から毛利兵が上がってきた。
正義は槍を突いた。手応えがあり、男が斜面を転がる。槍先に赤いものが残った。
「若殿!」
畑山兵部の声に顔を上げる。もう次がいた。
「前へ出るな! 柵を使え!」
声が裏返った。それでも兵は動いた。
昼を過ぎる頃には、喉が焼けるように痛んでいた。
東へ兵を寄せれば北が押す。北を支えれば、小丘から鉄砲が飛ぶ。退いた毛利兵の後ろから、すぐ別の列が上がってくる。
夕刻、北の外郭が破られた。東にも毛利兵が入り、正義は兵を一段内側へ下げる。
「下がれ! 次の柵で止める!」
今度は声が裏返らなかった。
日が落ちる頃、庭の筵は負傷兵で埋まっていた。
「今夜、退きます」
親直の言葉に、元宅が城内を見回す。
「まだ二の曲輪はある。明日も持つぞ」
「持ちましょう。ただ、明日まで持たせれば、ここがもう一列埋まります」
親直が示したのは城壁ではなく、負傷兵だった。
「高尾は金子の城だ」
「存じております。ですが、城一つと金子殿を取り替えるほど、こちらは裕福ではありませぬ」
元宅はしばらく黙り、やがて息を吐いた。
「それだから、おぬしは嫌われる」
「よく存じております」
親直はしゃがみ、土へ南向きの線を引いた。
「ここを開けるのだな」
「お願いできますか」
元宅は槍の石突きで土を叩いた。
「城を守るより厄介な役を寄越しおって」
夜半。
南の山道には、すでに毛利勢がいた。
「金子勢、行くぞ!」
元宅の槍が前へ倒れ、鬨の声が山へ響く。
正義も後続を率いて斜面へ入った。
昼とは違う。後ろには負傷兵と荷駄がいる。ここを抜けなければ、高尾を捨てた意味がなくなる。
槍がぶつかり、正面の毛利勢が一度下がった。
「押せます!」
兵を前へ出そうとした正義へ、親直の怒声が飛ぶ。
「正義! そっちは捨てろ! 首は要らん、道を開けろ!」
敵の崩れた脇に、細い山道がある。
朝の命令が蘇った。
押し返しても追うな。
「右へ寄れ! 敵を追うな! 後ろを通せ!」
兵が向きを変え、倒木を退ける。
その時、山腹の闇から鬨の声が上がった。
河野の旗だった。
高尾へ一兵も入らず、西へ消えていた援軍が、毛利の遮断隊へ横からぶつかる。
「今だ!」
元宅の槍が前へ出た。金子勢が押し、道が開く。
「負傷者から通せ!」
米俵が捨てられた。槍を手放し、仲間を背負う兵もいる。
正義の横を、昼に傷を負った兵が運ばれていった。
城へ入らなかった河野勢。
親直が土に描いた南への線。
正義はそれを言葉にせず、後続へ向き直った。
「次を通せ!」
一隊、また一隊と、兵が山へ消えていく。
夜明け前。
最後尾が南の道へ入った頃、背後の高尾から鬨の声が聞こえた。
毛利勢が本丸へ入ったのだ。
元宅が一度だけ足を止め、木々の隙間から自分の城を見る。
親直は何も言わなかった。やがて元宅自身が前を向く。
「行くぞ」
兵はさらに南へ進んだ。旗はまだ畳んでいない。
遠目には、城を失った軍勢が土佐境を目指して山へ落ちていくようにも見えただろう。
「このまま、土佐へ戻るのでございますか」
正義が尋ねた。
親直は山道の分かれ目で足を止め、右と左を見比べた。
「まず、毛利から離れる」
それ以上は言わず、また歩き出した。
正義も黙って後を追った。
背後には、毛利の旗が上がった高尾城。
前には、まだ山道が続いていた。
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【史実解説】
■高尾城攻防
天正十三年(1585)の四国征伐で、伊予方面を担当した小早川隆景ら中国勢は、六月末に渡海し、東予へ進軍しました。その初期の大きな戦いの一つが、新居郡の高尾城攻めです。
高尾城は現在の愛媛県西条市氷見付近にあり、伊予東部の有力国人・金子元宅が守っていました。
中国勢は七月十四日頃に新居郡へ進出し、十五日から攻撃を本格化させます。金子方も高尾城だけでなく、高峠城・金子城・里城など周辺の拠点に兵を配置して抵抗しましたが、圧倒的な兵力を持つ中国勢はそれらを次々と攻略し、七月十七日には高尾城も落城したとされています。
『予陽河野家譜』では、寄せ手の新見・木梨・戸田ら約三百人が城近くの小丘を占拠し、そこから一斉に鉄砲を撃ち込んだため城内が混乱し、その機を突いて総攻撃が行われたと伝えています。後世の軍記的な記述を含むため細部には注意が必要ですが、高所を利用した鉄砲射撃は高尾城攻防を描くうえで印象的な逸話です。
金子元宅の最期については、城に火を放って自害したとも、敵将に討ち取られたとも伝わります。また、吉川元長の書状には元宅をはじめ城方六百余を討ち取ったという趣旨の記録があり、激しい戦闘であったことがうかがえます。
本作ではこの戦いを改変し、久武親直と河野勢を加えて、高尾城を毛利軍の進撃を遅らせるために利用しています。史実では命を落とした金子元宅も生存しています。なお、作中の小丘へ鉄砲隊を上げる攻撃は、上記の逸話を下敷きにしています。




