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水位上昇中  作者: 齋藤
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0cm

■□□□


 ぎし、と鈍い音を立てて、壁の一部がさらにわずかに開いた。


 そこから一気に水が吸い込まれる。


 今まで閉じ込められていた圧が解放されるように、流れが一方向へと偏った。渦のような動きが足元を揺らし、体勢を崩しそうになる。


「……っ!」


 ウミノは反射的に壁に肩をぶつけた。力が抜けた足では踏ん張れない。水の流れに引きずられそうになるのを、かろうじて手で支える。


「離れるな!」


 ツキシマの声が飛ぶ。


 同時に、腕を掴まれた。


 その力は弱い。それでも、確かに引き戻される。


 ウミノは息を荒げながら、なんとか姿勢を立て直した。


「……排水口か」


 ツキシマが息を吐く。


「最初から、これを開ける前提だったんだな」


 ウミノは答えない。


 ただ、ぼんやりとその流れを見ていた。


 頭が重い。音が遠い。けれど、ひとつだけは理解できた。


 ――まだ、終わっていない。


「ウミノ」


 名前を呼ばれる。

 顔を上げると、ツキシマがすぐ近くにいた。


「ここ、もう少し開ける。完全に水を抜かないと、次に進めない」


「……ああ」


 頷こうとしたが、うまく動かなかった。代わりに、わずかに体が揺れる。


「しっかりしろ」


 ツキシマの手が、ウミノの頬に触れた。


 冷たいはずなのに、ほんの少しだけ温かく感じる。


「もう少しだ」


 その言葉に、根拠はない。それでも、信じるしかなかった。


 ツキシマは再び隙間に手をかける。指を差し込み、こじ開けるように力を込める。関節が軋む。皮膚が裂ける感触すらある。


 それでも止めない。

 止めたら終わると、わかっているからだ。


「……っ、く」


 息が漏れる。


 だが、確かに広がっていく。隙間は、手首が入るほどになった。


 水の流れがさらに強くなる。

 ごう、と音を立てて吸い込まれていく水に、体が引かれる。


「……ウミノ、離れるな」


「……ん」


 返事は曖昧だった。


 だが、ウミノはツキシマの腕を掴んでいた。


 無意識だった。それでも、その力だけは残っている。水位が、わずかに下がる。


「……いける」


 ツキシマが呟く。


 その声に、初めて明確な希望が混じった。さらに力を込める。


 ぐ、と壁のパネルが大きくずれた。


□■□□


 次の瞬間――


 ごう、と一気に水が流れ出した。


 足元が崩れる。ウミノの体が大きく傾く。


「……っ!」


 だが、今度は離れなかった。ツキシマが腕を引く。ウミノも、必死にしがみつく。


 ふたりの体が、水流に押されながらもその場に踏みとどまる。


 やがて――


 水位が、はっきりと下がり始めた。


 膝。


 脛。


 足首。


 急激に水が引いていく。


 冷たい空気が露出した肌を刺す。だが、それすらも今は感じにくい。


 急激な変化に、体がついていかない。


「……は、ぁ……」


 ウミノはその場に崩れ落ちた。床に膝をつく。


 息が荒い。視界が暗い。


 それでも――


 水は、もうない。


□□■□


「……ウミノ」


 ツキシマがしゃがみ込む。肩に手を置く。


「大丈夫か」


「……なん、とか」


 かすれた声が返る。


 だが、目はまだ開いている。意識は、かろうじて繋がっている。


 ツキシマは一瞬だけ目を閉じた。深く息を吸い、吐く。


 それから、ゆっくりと立ち上がった。視線を上げる。


 開いたパネルの向こう。


 そこには、狭い通路のような空間が続いていた。


 暗い。だが、確かに「先」がある。


「……行くぞ」


 振り返って言う。


 ウミノはすぐには動けなかったが、数秒遅れて顔を上げた。


「……ああ」


 その返事は弱い。それでも、はっきりしていた。


 ツキシマは手を差し出す。ウミノはそれを見て、少しだけ笑った。


「……今度は、ふたりで、だろ」


「当たり前だ」


 短く返す。


 ウミノはその手を掴む。力は弱い。だが、確かに握り返した。


 ふたりは、ゆっくりと立ち上がる。


 体は限界に近い。それでも、足を前に出す。


 開かれた先へ。まだ終わっていない、その先へ。ふたりで。


□□□■

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