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ぎし、と鈍い音を立てて、壁の一部がさらにわずかに開いた。
そこから一気に水が吸い込まれる。
今まで閉じ込められていた圧が解放されるように、流れが一方向へと偏った。渦のような動きが足元を揺らし、体勢を崩しそうになる。
「……っ!」
ウミノは反射的に壁に肩をぶつけた。力が抜けた足では踏ん張れない。水の流れに引きずられそうになるのを、かろうじて手で支える。
「離れるな!」
ツキシマの声が飛ぶ。
同時に、腕を掴まれた。
その力は弱い。それでも、確かに引き戻される。
ウミノは息を荒げながら、なんとか姿勢を立て直した。
「……排水口か」
ツキシマが息を吐く。
「最初から、これを開ける前提だったんだな」
ウミノは答えない。
ただ、ぼんやりとその流れを見ていた。
頭が重い。音が遠い。けれど、ひとつだけは理解できた。
――まだ、終わっていない。
「ウミノ」
名前を呼ばれる。
顔を上げると、ツキシマがすぐ近くにいた。
「ここ、もう少し開ける。完全に水を抜かないと、次に進めない」
「……ああ」
頷こうとしたが、うまく動かなかった。代わりに、わずかに体が揺れる。
「しっかりしろ」
ツキシマの手が、ウミノの頬に触れた。
冷たいはずなのに、ほんの少しだけ温かく感じる。
「もう少しだ」
その言葉に、根拠はない。それでも、信じるしかなかった。
ツキシマは再び隙間に手をかける。指を差し込み、こじ開けるように力を込める。関節が軋む。皮膚が裂ける感触すらある。
それでも止めない。
止めたら終わると、わかっているからだ。
「……っ、く」
息が漏れる。
だが、確かに広がっていく。隙間は、手首が入るほどになった。
水の流れがさらに強くなる。
ごう、と音を立てて吸い込まれていく水に、体が引かれる。
「……ウミノ、離れるな」
「……ん」
返事は曖昧だった。
だが、ウミノはツキシマの腕を掴んでいた。
無意識だった。それでも、その力だけは残っている。水位が、わずかに下がる。
「……いける」
ツキシマが呟く。
その声に、初めて明確な希望が混じった。さらに力を込める。
ぐ、と壁のパネルが大きくずれた。
□■□□
次の瞬間――
ごう、と一気に水が流れ出した。
足元が崩れる。ウミノの体が大きく傾く。
「……っ!」
だが、今度は離れなかった。ツキシマが腕を引く。ウミノも、必死にしがみつく。
ふたりの体が、水流に押されながらもその場に踏みとどまる。
やがて――
水位が、はっきりと下がり始めた。
膝。
脛。
足首。
急激に水が引いていく。
冷たい空気が露出した肌を刺す。だが、それすらも今は感じにくい。
急激な変化に、体がついていかない。
「……は、ぁ……」
ウミノはその場に崩れ落ちた。床に膝をつく。
息が荒い。視界が暗い。
それでも――
水は、もうない。
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「……ウミノ」
ツキシマがしゃがみ込む。肩に手を置く。
「大丈夫か」
「……なん、とか」
かすれた声が返る。
だが、目はまだ開いている。意識は、かろうじて繋がっている。
ツキシマは一瞬だけ目を閉じた。深く息を吸い、吐く。
それから、ゆっくりと立ち上がった。視線を上げる。
開いたパネルの向こう。
そこには、狭い通路のような空間が続いていた。
暗い。だが、確かに「先」がある。
「……行くぞ」
振り返って言う。
ウミノはすぐには動けなかったが、数秒遅れて顔を上げた。
「……ああ」
その返事は弱い。それでも、はっきりしていた。
ツキシマは手を差し出す。ウミノはそれを見て、少しだけ笑った。
「……今度は、ふたりで、だろ」
「当たり前だ」
短く返す。
ウミノはその手を掴む。力は弱い。だが、確かに握り返した。
ふたりは、ゆっくりと立ち上がる。
体は限界に近い。それでも、足を前に出す。
開かれた先へ。まだ終わっていない、その先へ。ふたりで。
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