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目が覚めると、身に覚えのない場所にいた。
それは夢にしてはやけに生々しく、現実にしては理解が追いつかない光景だった。まず最初に感じたのは、息苦しさだ。空気が薄いわけではない。ただ、逃げ場がないような圧迫感が胸にのしかかっていた。
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どうやらウミノは、窮屈なガラスの中で眠っていたらしい。
そこは水槽のような空間だった。三方は無機質な壁に囲まれ、残りの一面だけが透明なガラスになっている。天井に照明はなく、外から差し込む光だけがぼんやりと内部を照らしていた。湿り気のない、乾いた閉塞感が肌にまとわりつく。
ガラスの向こうには、小さな部屋がひとつ広がっていた。エアコン、簡素な扉、壁際にぽつんと置かれた消火器。それだけだ。天井のLEDが白々しく光り、その光がこちらにも届いている。
外の空間は、こちらに比べれば十分に広い。立って歩けるだけの余裕がある。対して、ウミノのいる場所は膝を立てることすら難しいほど低い天井で、せいぜいホテルの浴槽ほどの広さしかない。
もしここにいるのが自分一人だったなら、まだ耐えられたかもしれない。だが現実には、そうではなかった。
この狭さが「窮屈」だと感じる理由は、もうひとりいるからだ。
その人物の名前はツキシマ。
ウミノは小柄で、どこか幼く見られがちだが、ツキシマは違う。長い髪と淡々とした性格のせいで、実年齢よりも大人びて見られることが多い。もっとも、ふたりとも同じ大学に通う学生で、写真サークルで出会った仲だ。
最初は、正直少し怖かった。無口で、何を考えているのかわからない人だと思っていた。けれど話してみると、言葉が少ないだけで、意外と気遣いができる人だとわかった。それからは、自然と一緒にいる時間が増えた。
ただ――これまでの思い出の中に、「狭い水槽に閉じ込められる」なんて出来事は当然存在しない。
初めての状況にしては、あまりにも質が悪い。
ウミノは小さく息を吐き、隣に横たわるツキシマの肩を軽く揺すった。
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「おはよ」
「……おはよう」
ツキシマはゆっくりと目を開けた。数回瞬きをしてから、状況を把握しようとするように視線をさまよわせる。長い髪をかき上げる仕草が、妙に落ち着いて見えた。
「なにここ」
寝起き特有のぼんやりとした声。それでも、わずかに混じる困惑をウミノは聞き逃さなかった。
本当なら説明してやりたいところだが、残念ながらウミノにも何ひとつわかっていない。
「わかんない」
「……そう」
短く返された言葉に、責める色はなかった。ただ、現実をそのまま受け入れたような響きがあった。
誰かの悪ふざけか、あるいはもっと悪質な何かか。理由はどうあれ、ここから出なければならないことだけは確かだ。
ウミノは思わず舌打ちをした。狭い空間に、その音がやけに大きく響く。
「ウミノ」
静かに名前を呼ばれる。咎めるようでもあり、落ち着かせるようでもある声音だった。
「……ごめん」
ウミノは息を吸い込む。空気は普通のはずなのに、どこか不味いように感じた。
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しばらく、沈黙が続いた。
できることは限られている。壁を叩いてみても反応はない。ガラスを押してもびくともしない。外の扉は見えるのに、そこへ行く術がない。
時間の感覚だけが、じわじわと重くのしかかってくる。
ウミノはもう一度、深く息を吸った。
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そのときだった。
カチッ、と小さな音がした。
普段なら聞き流してしまうような微かな音が、この閉ざされた空間でははっきりと響く。
ふたりは同時に顔を上げた。
天井の一部が、わずかに開いている。
「なにこれ」
ツキシマが目を細めて見上げる。
「さあ……?」
ウミノも同じように見上げるが、当然答えは出ない。
ただ、その「変化」が嫌な予感を呼び起こすには十分だった。
次の瞬間。
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天井から、水が落ちてきた。
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最初は、ほんの細い筋だった。
ぽたり、と一滴。続いて、もう一滴。
やがてそれは途切れることなく流れ出し、確かな量を持って床へと落ちていく。
「ちょっと待って」
ウミノの声がわずかに震える。
水は止まらない。むしろ、少しずつ勢いを増しているように見えた。
狭い空間だ。逃げ場はない。
足元に広がる水が、じわじわと冷たさを伝えてくる。
「ウミノ」
ツキシマが静かに名前を呼ぶ。その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「落ち着いて。まだ、すぐには満ちない」
「でも、このままだと……」
「考えよう」
短い言葉だったが、それだけで少しだけ呼吸が整う。
ウミノは唇を噛み、再び天井を見上げた。
水は、止まらない。
それでも――止まらないなら、止めるしかない。
あるいは、それ以外の出口を見つけるしかない。
狭い水槽の中で、ふたりは互いの存在を確かめるように肩を寄せた。
冷たい水が、静かに足首を浸し始めていた。
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