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予兆~葵祭前夜祭

かつて、半世紀以上前は乙女だったであろうお姉様たちが何やら口をパクパクさせながらこちらに手を振っている。

それはいつもの光景、もちろん何を言っているのか分からないけれど取りあえず満面の笑顔をくださっているので、いつものようにこちらも微笑んで小さく掌を振っておく。


こっちの校舎は見上げる形になる3階で油小路の通りを一本挟んで向う側は3階建ての屋上。

こちらは本能寺女子学園。向うは本能寺特別養護老人ホーム。

まぁあそこが人生の到達点とするならば私たちは何かと気が楽だ。だって、朝ご飯を終わっての春の陽だまりのなかの日向ぼっこはとても楽しそうだし、これから長い人生色々あっても行き着く先があの場所なら私たち人間も捨てたもんじゃないと思えるから。


一方教室に目を向ければ黒板にチョークをなぞる音だけがコツコツと響く。太陽がまだ低い朝のまどろみの中ではそんな単調な音は生徒たちにとっては子守歌の調べと化すようだ。


「ちょっと、起きてる、璃子?」

後ろの席から囁く声でぺちぺちとシャーペンで背中をつつく神流かんな

「寝てるわけないやん」

後ろを振り向かずに同じようなトーンでそっと返す。

でもゴールデンウイーク明けの朝一の授業はほんとにきつい。それも現代文の授業なら尚更だ。


担当はもうすっかり還暦を過ぎてるおじいちゃん先生で授業の始まりと終わりにしかこちらを向かない。私達が寝ていようがスマホを弄ろうが他のオシゴトをしようが構わずシコシコト黒板に物書きを始める。そして定期的に思い出したように今まで書き綴ったものの要約を二言三言ぼそぼそッと呟いて(独り言か私たちにか?)また終わりのない黒板の世界へと戻っていく。


ただそうかといってわいわいがやがやの無法教室には絶対ならない。少しでもガヤつきかけるとこの先生、何も言わずに授業を終えてさっさと帰ってしまう。それは私達とこのおじいちゃん先生との暗黙の了解にも思えた。


「私のやりたい授業をやらしてくれればお前らがなにをしようと勝手。ただただ邪魔をするな」と。

だからみんなの声は若い女子にしか聞こえないコンビニの前のヤンキー除けのモスキート音なみの囁きに終始する。


「でもさぁ、はやくお昼になんないかなぁ、睡魔と空腹の悪魔がダブルだよん」背中に顔をつけての神流の呟きが私の胸に極低音でそっと響く。


「早弁したら。どうせあの先生へばり付いたまま(黒板に)なんだし」

「だって餃子だよ今日のうちの弁当」

「それが?」

「匂うじゃん、一発でばれる」

[それなら大丈夫だわ」

「なんでよ」

「さっきからずっと匂ってるもん」

「・・・・・」

「ふふっ、もうちょっと辛抱しなさい。あとで一緒に食べるんだから」


朝から五月の風が心地よくて、だから今日のお昼のお弁当はこっそり校舎の屋上で神流と一緒に食べると決めていた。お祝いと言う意味もあった。


澤咲神流。

寺町三条で代々お香屋を営む本家松流堂の跡取り娘。関西で言うところのいとはん。辿れば江戸時代の寛永年間まで遡るその創業の歴史は百年や二百年はざらの寺町界隈においても屈指の老舗だ。


この春、神流は葵祭の斎王代に選ばれた。

といっても彼女が進んでなったわけじゃない。葵祭の斎王代に選ばれる為のオーディションもコンテストもない。というよりそもそも自ら進んでなれるもんじゃない。選ばれるのは京都ゆかりの女性と言う絶対条件が付く。その上に数千万円と言われる費用を負担できることが条件で、だから京都ゆかりの寺社・文化人・実業家などの令嬢が推薦等で選ばれる。数千万単位の負担ができ、それに祭の維持に理解を示せる一部の家の令嬢に限られる訳だ。


「じゃあ、しょの馬を葵祭に出しょうっていうわけぬぁん?」

祇園の名店、ぎょうざ歩兵の生姜餃子を口いっぱいにほおばりながら神流はその色白の顔をこちらに向ける。二人の傍らを吹き抜ける風は気持ちよく、東山から降りてくる風はもうすっかり初夏の色あいだ。


「まだわからへんけどぉ、三枝木女史はそうしたいみたい」

私の今日のお昼は四条河原町志津屋のカスクート。フランスパンにボンレスハムとチーズを挟んだサンドウイッチでお口直しのチョコクロワッサンも付けた。昨夜は深夜までラインで三枝木女史と話込んでしまってお弁当は作れず。ひさしぶりの朝寝坊はパパのお弁当まで志津屋のサンドイッチに変えてしまった。


「ふーん。でどんな馬なのそれって」

「葦毛の馬。というかもうほとんど白馬かな」

「おばさんのお気に入りなんや、その馬」

「うん、まぁ・・・」

神流にはまだ話してなかった。私があの馬に感じてること。何か尋常ならざる者を内に秘めているその馬の事を。


初めて出会ってから一週間、あれから私はまだ会えていないけど三枝木女史からは逐一ラインに詳細なレポが入っていた。


── 飼い葉食いがそら恐ろしい、まるでぞうみたい

厩舎の屋根を飛び越えた、らしい。私は見てないけど。

突然いなくなるのは何とかして欲しいわ。気がつくと戻ってる

深夜に二条城辺りで葦毛の馬を見たってtwitterに結構上がってるのはうちらと何か関係あるんかな、璃子?


「あるでしょよ、そりゃあ」

思わず漏れしまった私の言葉に神流の箸が止まる。口まで持っていきかけていた餃子が宙ぶらりんで浮いている。


「うん?なによ、急に?」

「いや、なんでも・・・」

今日は少し固めのカスクートを奥歯でエイヤァと引きちぎる。じゅわっとしたフランスパン独特の甘味が口いっぱいにひろがる。

「おいしい?志津屋のカスクート?」

「うん、おいひい 」

そんな口をもごもごさせる私に顔を摺り寄せるようにしてこちらを仰ぎ見る神流。

「何か隠してない私に?」

「うっ・・・・」

「ほら、璃子はほんと分かりやすいんやから」


そう、やっぱり神流には隠し事なんてできない。私の場合、小さいころから妄想癖があって、悩み事や何かトラブルを抱えると必ずと言っていいほど頭の中で夢想が始まりそのやりとりが表に出てしまう。口をついて出てしまう。


神流とは幼いころから寺町界隈で一緒に連れだって遊んだ幼馴染。小中学校は違ったけど学校から帰ると二人はいつも一緒だった。顔も二人とも面長の色白で目は二重の切れ長。背丈も変わらないので二人は良く双子に間違えられた。ただ性格は相反するもので神流はなんでもそつなくこなす優等生。勉強も当然のように出来たし名家の家柄からにじみ出てくるような女性としてのしなやかさやしとやかさは私には到底持ち合わせていないもの。


私の場合、同じ寺町界隈で育ちながらも父は地べたを転がしてはお金を儲けるいわゆる不動産成金だ。父は小さいながらも寺町に土着した老舗で実家の造り酒屋、天方酒造をその一代で潰した。時折聞く風の噂では一時はかなりの無茶もしたらしい。そんなよけいな荒ぶる血が流れているのか、私は幼い頃から大きな声に笑い声はケラケラ。言いたいことは思慮分別なくそのまんま言うし、女子のくせに口よりも早く手が出る。神流を見て自分が嫌になることも多いけれど、逆に神流はこんな私を見て「うらやま」と言ってくれるから、世の中ってつくづく分からないもんだ。


「なんやろ・・・まだよくわからへんねんけど・・」

ただ、ふつうの馬じゃないそれだけは分かる、そんな初めて会った時の事、いま三枝木女史の周りで起きていること、それを手短に話した。


「ふーん。それって、なんかオカルト的なやつってこと?」

「どうやろ。私にしたら、今のところは馬がやんちゃなだけやと思うしかないねんけど」

「持ち主も未だ分からへんし、義務付けられている登録もされていないし、逃亡癖もある?」

「うん。ただどこのだれの馬と言うより存在そのものが希少らしいんやな」「というと?」

「なんやろ、種類とか種別とか? ようわからんけど、今の日本には見当たらへんねんて。三枝木女史の後輩の京大の先生が見に来ては毎日首をひねって帰っていきはるらしいし」


「・・それって・・・」

ひゅっと吹いたそよ風で神流の長い黒髪がその口を塞ぐ。その髪を掻き上げる仕草がなんとも愛らしくて暫し見とれる。


「なによ?」と唇の端をぎゅっと結んだ神流。

「綺麗だね神流は」

「もーっなにそれ。今いう事?」

「だって真顔で何かを考えてる時の神流ってほんとに綺麗で可愛いんだよ、私の為に真剣に考えてくれてるって思ったら何かよけいに眩しくて」

「はいはい、どうせ私は普通にしてたら福笑いの完成形みたいな顔ですからね」

「そんなこと言ったけ?」

「言ったよ、小6のお正月。ちゃんとできた福笑いを見て、これって完成しても神流の顔みたいやんって」

「ぷっ、言ったけそんなこと」

「笑いながら否定すんのやめてよねっ」

「だって・・・・」

「もーいいから、話戻すよっ」

「はいはい、神流さま」


「で・・・祭りに出すとしたら、誰が乗んのよ?やっぱり璃子?」

「やっぱり、そうなるんかなぁ」


鎧と兜を纏い馬上の人となり女武者として斎王代を護る。葵祭のストーリーそのままに私は神の使い人となった澤咲神流を護る。斎王代のように別に何処の誰に選ばれたわけじゃないけど三枝木女史の話によるともうその話は暫定で進んでいたらしい。


(暴走したらそれはそれでそれで面白いのかも)


三枝木女史は悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言った。この叔母さんの思考はたまに分からない時がある。戦国の御代からの名士細川家の血を引く家系。京都の財界や学界では知る人ぞ知る三枝木女史。知事選や地方選挙があるたびに党派を越えて彼女のところへはオファーが絶えることはない。そんな彼女が今、この葦毛のどこの誰とも持ち主の分からない馬に魅了されている。

いや、とりつかれているといったほうがいいのかもしれない。


昨日、彼女は月夜の晩に白き翼を広げる彼を見たと言った。


そのことは神流にはさすがに言えなかった。

信じる信じないかは別としてもそれを話すにはまだその時期じゃない気がしたから。


葵祭まであと一週間、

その日から私たち二人は旅立つことになる、

あの馬と共に、火炎の向こうにいる織田信長という人を助ける為に。

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