Phase7-1:真実に達したかどうかを疑うことが必要である
ノックの音がして、ドアは軋みながら開いた。
「おはようござ――うげっげほっごほっ」
大谷は思い切り埃を吸いこんでむせた。
「よう」
「おはようー」
ひとしきり咳き込んでから部屋の中を見ると、ガスマスクを付けた男女がはたきを持って立っていた。
「な、なにやってるんですか」
「掃除だよ。久しぶりに使うから」
「いやー、相変わらずひどい埃だね」
「げほっ、そっ、掃除機借りてきます」
五分ほどで掃除機を持った大谷が戻ってきて、部屋を浮遊している埃を吸いこみ始めた。
「凄いですね。空中の埃を掃除機が吸い込むところなんて初めて見ましたよ」
「そうだねー。大谷君が来てくれて助かったね」
弥永と村内は、凄まじい勢いで部屋を掃除していく大谷を、ガスマスクを付けたまま眺めた。
数十分後、喫煙所で一服していた二人が戻ってきて、「おおー」と声を揃えた。VR犯罪対策課の部屋は、塵一つ見つからないほどに清掃され、片付けられていた。散乱していた資料はダブルクリップでまとめられ、ラックの本も綺麗に整頓されている。
「はあはあ……うわっ」
自分の席で首を垂れ、息を上げている大谷に、弥永が缶コーヒーを投げつけた。
「あ、ありがとうございます……」
「ご苦労」
弥永は大谷の隣の席に座り、村内は窓際のデスクに落ち着いた。
「さて、改めて紹介しよう。リアルで会うのは初めてだろうから」
そう言って、弥永は窓際でコーヒーを啜る天然パーマの男を指す。
「村内マサフミさん。三十六歳。VR犯罪対策課課長。エリート」
「どうもー」
村内はコーヒーの缶を揺らす。弥永は次に村内の方を向いて、
「大谷レンジ君。二十二歳。新人。イーオン空軍の一番偉い人」
「いや、ただ仲間内で祭り上げられてるだけなんで……」
「アークの初陣で主砲ぶっ放して、味方勢力を半壊させるくらいだもんな」
「うわあああ、やめてください! その過去だけはいじらないでください!」
大谷は椅子の上で悶えた。
「はいはい。そして私が弥永ホタル。二十五歳。ホタルちゃんって呼んでもいいぞ」
冗談なのか本気なのかを汲み取ることができず、男性陣は沈黙した。
「ん? どうした?」
「そ、それにしても昨日はお疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様だねー。イーオン側は久々の勝ちだったよね」
「おい、なんか私スルーされてないか?」
「それと言うのも、弥永さんがノックスをスカウトしてきたことがでかいですよね!」
「ん? ああ、そうだろう!」
弥永は見事に舵を取られた。
「しかし、あの子は本当に何者なんですかね。弥永さんの言う通り、人間離れした思考能力ですよね」
「僕も遠くから見てたけど、空から急降下しながらの射撃なんて、バッファーなしでやったら地面に突っ込むよ普通」
二人の疑問に、弥永は腕を組んで唸った。
「私はここ何週間かノックスを観察してて思ったんだが……ノックスはNPCなんじゃないだろうか」
弥永の突拍子もない発言に、またしても男性陣は沈黙した。室内に居たたまれない空気が流れる。大谷がフォローの言葉を考えていると、
「あ、そういえば村内さん。私のレポート読んでいただけました?」
弥永が自ら話を変えてくれて安堵した。
「あー、うん。読んだよ。えーと……」
村内は大谷が整理したファイルから、ダブルクリップでまとめられた紙束を取り出す。表紙には“オムニスに関する私見を含む調査報告書”の印字。
「どうでした?」
「んー、よくまとめられてたね。読んでて色々思い出して懐かしくなったよ」
「そうでしょう?」
「でも役に立たないね」
一切オブラートに包まれないまま事実を突き付けられ、弥永は硬直した。
「この課が発足して十二年。一応僕はずっとこの課にいるわけだから、その間起こったオムニスがらみのことをまとめられてもね……。全部知ってるから……」
なにかが崩れ落ちる音を大谷が聞いた。弥永は机に突っ伏し、肩を震わせる。
「一生懸命書いたのに……。最近良いことなにもない……。グラウコスも死んじゃうし……」
「ああ、そういえば結局原因わかったんですか?」
「それがわからないんだよ」
弥永は何事もなかったかのように体を起こした。
「例のアカウントハックの話かな?」
村内の質問に、弥永が頷く。
「一応仕事用のインターフェイスもキャラも調べたけど、なにも異常はなかったんです。アイテムを取られた様子もないし、不正なアクセスがあったわけでもなかった」
「じゃあなぜキャラクターが勝手に……?」
「こっちが聞きたい。そして犯人をとっ捕まえてグラウコスの仇を討つ」
決意の言葉と共に、酒を煽るかのような勢いでコーヒーを一気に飲み干した。
「不正アクセスねー。それはうちの課の担当じゃないよね」
「そう、我々の担当だ」
「うわっ」
不意に声がして、大谷が驚く。いつの間にかドアが開いていて、そこには一組の男女が立っていた。弥永があからさまに嫌そうな顔をする。
「出たな、色眼鏡とその助手」
「だ、誰ですか?」
「サイバー犯罪対策課のエリートとその部下」
「僕には倉島ユウイチという立派な名前があってね。彼女にも今野フミエという素晴らしい名前がある」
倉島が眼鏡を直しながら言って、今野が頭を下げた。
「はいはい、お待ちしてましたよ倉島さんと今野ちゃん。部屋も綺麗に掃除してね」
「掃除したのは僕です」
「で、今日は一体どういうご用件で?」
「仕事だ。ちなみに弥永君のキャラクターの行動に関しては我々が把握している。気にしなくていい」
「は? どういうことですか? あと年下の癖に偉そうにすんな」
「気にしなくていいと言っている。あと私は君より偉い」
弥永はスチールの缶を握りつぶさんばかりに握り締めた。
「本題に入るぞ。インターポールから正式に捜査協力の要請があった」
倉島は今野から一枚の紙を受け取り、それをデスクに置いた。大谷がそれを手に取って見る。
「オムニスの運営者の特定と拘束……」
横から弥永も覗きこんだ。
「やっと動き出したのか。遅すぎるだろ」
「安易に動き出せない事情があるのは君もわかっているだろう。しかし昨日のショウタイムで巨額のロスが動いて、これ以上は放置できないと重い腰を上げたらしい。当然だが、この件については内密に。国民に漏れるようなことがあれば、暴動が起こってもおかしくない」
大谷が挙手する。
「運営を捕まえれば、結局同じなんじゃないですか?」
「捕まえるとは言っていない。拘束して、サービスを停止するように説得する」
「監禁する、の間違いじゃないのか?」
「口を慎め」
弥永はジッパーを締めるように口を指でなぞった。大谷がもう一度挙手する。
「あの、しかし……。今サービスを停止すれば、ロスを使った経済活動がほとんど断たれることになります。大混乱に陥るのでは」
「政府にはなにか考えがあるらしいが、それは僕たちが心配することではない。与えられた仕事は、オムニスの運営者を特定し、拘束することだ」
「そちらの課はどう動くんです?」
黙って話を聞いていた村内が、珍しく威圧的な声色で口を挟んだ。偉そうにしていた倉島が背筋を伸ばす。
「……こちらはこちらで、別の計画が進行中です。とにかく捜査を始めてください。以上」




