長すぎる名前と禁断の儀式
「……あー、お腹いっぱい。さて、寝ようかしら」
銀鱈のポタージュ(トリュフ仕立て)という、前世の私のディナー三回分くらいの価値がありそうな夕食を完食し、私はリビングのふかふかソファで丸くなろうとしていた。食べて寝るのが仕事だなんて、最高よね〜。
だが当然、この屋敷では平和な時間は長くは続かない。
「いいか、カトリーナ。この高潔な毛並みを見ろ! この白さは奇跡だ。今日からこの私の天使は『天使ホワイト(シロ)』と呼ぶことに決めた!」
背後から、レオヴィルの自信満々な声が響いた。
(……ダサい。ネーミングセンス、死滅してない?)
「兄様! そんなどこかの子供に拾われた犬のような名前、私が許しませんわ!」
カトリーナが扇子を叩きつけて参戦する。
「この子は『リリアン・ド・マニフィーク』……至高のリリアンと呼ぶべきです!」
「長すぎる! カトリーナ、お前は昔からいつもそうだ。だが、ここは兄として妥協しよう。『天使レガリア』だ」
「まだ短すぎますわ! それに『レガリア』なんて、私の嫌いな隣国のアヴァロン家の次女の名と同じ。穢らわしい! 尊厳がゼロですわね。……んんっ、では『ルナ・エトワール・ドゥ・ラ・ペーシュ』にしましょう!」
(……桃の星の月? 盛り込みすぎでしょ。注文の多い喫茶店のメニューじゃないんだから)
二人の言い争いはエスカレートし、羊皮紙に書き殴られる名前はどんどん増築工事を繰り返していく。
「よし、これでどうだ! 二人の案を合わせた究極の妥協点だ!」
レオヴィルが掲げた紙には、こう記されていた。
『ステラ・エンジェル・ホワイト・フォン・ド・ラ・ペーシュ』
「「いいですわね(ああ、仕方ない)」」
(良くないわよ! 長い! 長すぎる!! 呼ばれてる間に私、寿命で死んじゃうわよ!)
私はソファから飛び起きると、机の上に広げられた羊皮紙を肉球で叩いた。
二人のキラキラネームの羅列の隅っこに、レオヴィルが最初にメモしていたらしい、一番シンプルな名前。
「にゃん!(これ! これが一番マシ!)」
私が「ステラ」という文字を執拗に肉球で連打すると、兄妹はハッとしたように顔を見合わせた。
「な……!? 私たちの用意した至高の称号を差し置いて、あえて『真名』を選ぶとは……!」
「なんて謙虚で、高潔な魂……。華美な装飾を嫌い、自らの本質のみを愛せと仰っているのね……! さすがは私たちの天使!」
(……いや、単に呼びにくいだけなんだけど。まあ、伝わったならいいわ)
「この子が自分で選んだんだ。いいね、カトリーナ」
「ええ、兄様。ステラ……。シンプルですが、彼女の輝きを一番に表していますわ」
見つめ合い、満足げに頷き合う兄妹。
どうやら私の「消去法」は、彼らの中では「聖獣による高尚な意思表示」に変換されたらしい。……まあ、兄弟仲が深まったなら、社会貢献したってことでいいわ。
その後、レオヴィルは「ではステラ、執務の前に一吸いさせてもらうよ!」と、嵐のような勢いで私のお腹に顔を埋め、スーハースーハーと深呼吸(猫吸い)をしてから、満足げに執務室へ去っていった。
(……もう、ボロボロだわ。あいつ、吸引力がダイゾン並みなのよ……)
私は乱れた毛を整えるため、ペロペロと腕を舐めて毛繕いを始めた。
ふと視線を感じて顔を上げると、そこにはドアを閉め、じっとこちらを見つめるカトリーナがいた。
彼女は普段、兄の「猫吸い」を「野蛮だわ」「不潔よ」と鼻で笑っていたはずだ。
だが今の彼女の目は、獲物を狙うハンターのそれだった。
「……ち、違うわよ? これは……その、毛並みの密度をミリ単位で調査する、高度な健康管理の一つですのよ!」
(……誰に対して言い訳してんのよ。独り言にしては声が大きいわね)
カトリーナはじりじりと近づいてくる。
私は「はいはい、一回だけよ」と諦めて、ふかふかの白いお腹を上にしてゴロンと寝転がった。
「……し、失礼いたしますわ」
カトリーナが、おそるおそる私のお腹に顔を寄せる。
レオヴィルのような野獣じみた勢いではない。彼女は、壊れ物に触れるように、そっと私の柔らかい産毛に鼻先を埋めた。
「…………っ!!」
カトリーナの肩が震えた。
彼女はそのまま数秒間フリーズし、やがて顔を上げた時、その瞳には未知の快楽に目覚めた者の光が宿っていた。やっぱり聖獣魔力のせい?
「……これ、合法ですの? 脳内に直接お花畑が広がったような……。兄様が中毒になるのも、理解できてしまいますわ……」
(やっぱりそうなの? 前世でも猫吸いで癒やされてた人も多かったみたいだけど、ここだと魔力で程度が違うわよね。……でもカトリーナ、あなたの吸い方は優しくて、意外と悪くないわね)
レオヴィルが激しい「労働後の栄養補給」だとしたら、カトリーナのは「高級サロンの癒やし」だ。
これくらいなら、まあ、たまになら許してあげてもいいかしら。
「……もう一回、よろしいかしら? 今度は右側の脇腹付近を……」
(調子に乗るんじゃないわよ!)
私はカトリーナの鼻面を、爪を出さない「肉球パンチ」で軽く押し返した。
令嬢と聖獣、秘密の「猫吸い契約」が結ばれた夜。
公爵邸の平和(と変態性)は、今日もまた一段階、深まっていくのだった。




