番外編1 公爵と前公爵は男爵令嬢に困惑する
コレットが自分の出生について知った翌日の話。
郊外にあるフォアローゼス家の星の数ほどある持ち家の一つ。
そこで、コレットの祖父及び叔父との初めての面会が行われた。ちなみに父はこの場にはいない。
「僕はあの人たちに嫌われているからなあ」などといつもの困り眉のまま笑っていた訳だが、そんな不安になるような事を言わないで欲しいとコレットは心底思った。
もっともコレットと彼らの邂逅はお茶の時間にも満たない、僅かな接触で終わってしまった。本当に顔を合わせて終わりくらいの時間だ。
引退したとは言え公爵家の前当主と、まさに現役バリバリの御当主である。わずかな時間をとってくれただけでも、誠意があると言えるだろう。
そんな実感の薄い祖父は、まさにこの国で最高位の大貴族だった貫禄を充分に感じさせるお爺ちゃんで、はっきり言うとものすごく怖い顔をしていた。これ、子どもが見たら泣くんじゃないの? と思うくらいの強面だ。
「あ、母様と同じ……」
でも、そんな顔の中に付いている二つの目は、すごく懐かしい母親と同じ色だとコレットはすぐに気付いた。
逆に言えば、母を思い出す要素はそれくらいしかなかったわけだが。
「……なんだ?」
「いえいえ、何でも」
訝しげに尋ねる前公爵の言葉にブンブンと首を振ると、面談の場には沈黙が流れる。俗に言う「天使が通る」と言うやつだ。
ここで「母と同じ目の色ですね!」とでも話を繋げられれば良かったじゃん、とコレットは思うが、後の祭りである。
まあ、こんな強面で初対面の高位貴族を前にして、馴れ馴れしく話し掛けられるかと言ったら、流石に無理なので仕方がない。相手にとってコレットは、大切な娘ないし妹を奪っていった、憎い男の娘でしかないかもしれないし。
「……それで、最後に聞きたい事はあるか? ひとつくらいなら、答えてやってもいい」
いや、早い早い早い。
叔父である公爵閣下の言葉に、コレットは思わずお茶を吹きそうになる。
まだ、紅茶を一口二口、唇を湿らせた程度のタイミングである。何でいきなり締めに入ろうとしているのだ。気が早いにも程がある。
所詮はこれまで、気にかけてもこなかった外孫に姪だ。ようやく存在を思い出して、政治に利用しようと考えたとして、ひと目顔を確認すれば十分なのかも知れない。
国で二家しかいない最高位の貴族の血の繋がりなんて、そんな淡白なものなのかもねー、と男爵令嬢のコレットは独りごちる。策謀なんかとは無縁の、呑気な田舎育ちで良かった。
祖父に良く似た、そして母親には殆ど似ていない怖い顔の叔父を見ながら、コレットは少し考える。
「えーと、じゃあせっかくの機会なので、一個質問いいですか?」
母はきっと、まだ会ったことのない祖母に似ているんだろうなあ、などと思いながら、コレットは質問を口にした。
馬車の中、わだちを踏む振動に揺られながら、最初に口を開いたのは現公爵ランドルフ・ドルガー・フォアローゼスからだった。
「……どう思われましたか?」
フォアローゼス家の所有する馬車である。膝を突き合わせるほど狭くはないが、声を張り上げる必要があるような距離ではない。その為彼は、父である前公爵マインラート・フンベルト・フォアローゼスの苦悩を滲ませたため息をしっかり聞き取ってしまった。
「あやつに、似てはいなかったな」
あやつと言うのは、自分の妹でもある彼の娘のことであろうと、すぐに想像がつく。
確かに初めて見た自分の姪は、恐れ知らずにもフォアローゼス家の娘を娶ったあの若造に大変そっくりだった。特に、あの常に困っているように見える下がり眉は、瓜二つだ。もっとも、
「髪の色は、同じだったじゃないですか」
艶やかな栗毛は、病弱で寝込みがちだった愚妹と同じものだ。
「ふん。あれももう少し丈夫なら、王妃にでもできたものを」
身体が弱く周りに甘やかされて育ったせいで、わがままで自分勝手で、最後まで生家の事など気にもかけなかった娘だった。
そんな憎まれ口を叩きながらも、それでもマインラートは早世した子供のことを忘れられないらしい。
その忘れ形見たる孫娘のことも、どうしたって気にせざるを得ない。
「しかし、何と言うか……随分と変わった子供でしたね」
短い邂逅を思い出しながら、ランドルフもまた笑うべきか頭を抱えるべきか、いまだに決めかねていた。
「ひとつだけ質問に答えると言われて、まさか直轄領地の税制度についての疑問点をぶつけられるとは、思っていませんでしたよ」
これまで存在も知らなかった親族によって、王太子の婚約者に据えられようとしているのだ。さぞや言いたいことも聞きたいこともあるだろうと、設定した場であった。
しかし、ランドルフの予想に反して、姪のコレットがぶつけて来た質問は直轄領地で一昨年に敷いた、一部の輸入品の税優遇制度についてであった。
確かにあれは、内密に予定されている新規事業の絡みからの決定で、現時点で公開されている情報からは読み取れないものである。
しかしそれは、ただの田舎生まれの男爵令嬢が、疑問に思うようなものではない。
「彼女がフォアローゼス家との血の繋がりを知ったのは、昨日のはずです。点数稼ぎのために思い付くような質問ではない」
恐らくは、前々から疑問に抱いており、せっかく当の領地の責任者が目の前にいるのだからと直接質問をぶつけたのであろう。
学園で主席だと言う情報は得ていたが、確かにそれは嘘でも誇張でもないらしい。しかもカビの生えた学問だけではなく、最新の経済、流通事情にまで興味関心を抱いているのも悪くない。
もっとも、他に聞くべきことが山ほどあるであろうあの場で、よりによってその質問をするあたり、性格に関しては一本ネジが外れている。
「あの男の仕込みだろう。まったく、昔から小賢しい奴だった」
娘を嫁に出すことになった当時のことを思い出したらしく、マインラートは苦々しげな顔をする。手練に手管、奇策に鬼札と有りとあらゆる手段を弄して公爵家の姫を攫っていった、頭だけはやけに回る生意気な男だ。
大切な娘をフォアローゼス家の駒にするしかないならば、使い捨ての歩兵ではなく女王として扱わざるを得なくなるように育てる。そのくらいの芸当はしてみせるだろう。
それを可能にした娘も娘だが、そこはさすがあの男の血といったところだろう。
「では、予定通り彼女を王妃に据える方向で進めますよ」
今日の顔見せ次第では、適性無しとして違う使い道を検討する必要があったが、まあ大丈夫だろうとランドルフは判断する。多少計画に修正は必要だが許容範囲だ、と困ったような下がり眉のままやたら鋭い質問を浴びせかけてきた、あのチグハグな少女とのやりとりを思い返す。
姪の質問には現公爵のプライドに賭けて過不足なく答えたが、若干冷や汗がにじんたことは否めない。素人質問で恐縮ですが、とか言うな。この分野は素人なのですが、とか当たり前だろう。
「ふん、問題なかろう。フォアローゼスの血を引く、ワシの孫だ。王妃程度ならば充分に務まるだろうよ」
尊大に鼻を鳴らす父親の様子に、苦笑がわりにひとつ肩をすくめランドルフは言う。
「では、次の顔合わせの時も同席をお願いしますよ。あの調子で、大昔の領での制度改革の詳細なんかまで聞かれては、さすがに答えられないかもしれませんから」
「なに阿呆を抜かしておる。勉強し直せ。……まあ、時間が空いていれば、参加してやらなくもないがな」
現役の公爵であるランドルフとは違い、まだ比較的予定に融通が効く前公爵のマインラートである。
この分ではいつかの時のように、他所には嫁にやらんと騒ぎ出しかねないなと、ランドルフは久しぶりに妹の懐かしい顔を脳裏に思い浮かべた。