真の伝統編
生徒会選挙が終わった週の土曜日。京都市主催の弁論大会が開催される。
ボクの中学では、例年文化委員長が弁論大会の代表者になるという習慣があった。選挙週間と被るため、元文化委員長の千聡先輩が弁論者として参加する。文化委員長の最後の任務というわけだ。
前文化委員長の千聡先輩と後任の自分、そして文化委員担当の片山先生と三人で弁論大会に出席することになった。
片山先生が千聡先輩へ何回も念押しをする。
「一回目のベルが鳴ったら早々にスピーチを切り上げるんだぞ」
「分かってるって。先生、しつこいよ」
この弁論大会では、スピーチの持ち時間が五分と設けられている。持ち時間五分の三十秒前に一回目の予鈴のベルが鳴り、五分丁度に二回目のベルが鳴る。このベルを越えると大幅に減点され、六分を超えて三回目のベルが鳴ると強制的に終了しなければいけないルールになっている。
片山先生の話によると、ウチの中学の弁論者は、スピーチは非常に上手いと評判なのだが、いつも規定の五分をオーバーしてしまうというのだ。そのため、この大会で入賞した者はほとんどいないということらしい。
でも今回は絶対に違うはずだ。なんといっても今年の参加者は千聡先輩だからだ。
あの生徒会選挙での応援演説を聞いたボクには、千聡先輩の演説は非常に上手いということが分かっている。ボクはそんな千聡先輩であるならば、今年こそ必ず優勝してくれると信じていた。
しかし、千聡先輩はそんなボクの予想を遥かに上回ってしまうのだった。
千聡先輩の順番が来た。演説席で一人熱く原稿を読み上げる先輩。こんなに堂々とした人はいなかった。身内のひいき目かもしれないが、優勝を狙えるくらい本当に素晴らしいスピーチだった。ボクは千聡先輩のその姿に魅入られてしまうのだった。
ほとんどの弁論者が、五分の超過を恐れて、予鈴のベルが鳴るとさっさと切り上げにかかっている人が圧倒的に多い。中には原稿を切り上げる融通の利かない人が二回目のベルを超過してしまうが、そんな人は二回目のベルがなると同時に自信を消失してしまい、まともな弁論が出来ずにいるのだった。
そんな人が多い中、千聡先輩は別格だった。ボクには千聡先輩が異次元の人のように感じられた。
千聡先輩は二回目のベルが鳴っても全く気にしている素振りは見せなかった。規定の五分から三十秒が経過したころ、周囲がざわつき始めたが、千聡先輩はそれでも全く演説のペースを乱さなかった。最終的にベルは三回鳴ってしまったが、それでもまだしばらく同じペースで千聡先輩の演説は続いたのだった。
ボクの隣で片山先生が、手で顔を覆っている。
「本当にウチの生徒ときたら、毎回毎回やらかしやがって」
そんな、片山先生の言葉などボクは全く耳に入らなかった。
ベルを三回鳴らされても全くペースを乱さず、凛として原稿を読むことを止めなかった千聡先輩。
その立ち姿、その声、その瞳。千聡先輩の全てがボクを魅了した。
こんな感情は生まれて初めてだった。
こんな人がいるなんて。
千聡先輩は、大会のルールよりも大事なものを選んだということだった。
制限時間の五分以内に演説をきっちりまとめあげることよりも、千聡先輩は止めさせられる六分を限界まで使って自分の想いを伝えきることを選んだのだ。
演説の内容だけを考えれば、五分より六分の方がより多くの思いを伝えられるに決まっている。でもそれは弁論大会のルールを無視した場合だ。
しかし、本当にどうしても伝えなければいけない思いが多すぎて削ることが出来ない場合。ルールに縛られてその思いを省略する必要なんてあるのだろうか。千聡先輩には伝えたい想いの方が強かったのだ。
上手いはずだった。千聡先輩は、その心に秘めた溢れ出す想いを語っているのだ。
そんな演説の超上手い千聡先輩であるならば、応援演説でボクを圧勝させることなど、造作もなかったに違いなかった。
そんな先輩のその思いを受け継ぐのは自分しかいなかった。この想いは絶対に引き継いでいかなければいけないとボクは心に誓うのだった。しかしこの弁論大会での千聡先輩の姿を見てしまった自分であれば、この後、自分の後輩が応援演説を申し込んできたときに、その後輩を当選させるのは造作もないことの様に思えてきた。
そしてボクはこの弁論大会で後任の文化委員長にその想いを受け継がせなければいけない。文化委員長の本当の伝統を絶やすことなどできない。そこまでが、ボクの文化委員長としての責務なのだと思えた。
文化委員長の真の伝統はこれだった。
ボクは千聡先輩から、文化委員長の本当の伝統を確かに受け継いだのだ。
でもそんな伝統よりも何よりも、もっとすごい感情を千聡先輩に抱いてしまっていた。
ボクは、千聡先輩に完全に恋してしまっていた。
大会終了後、千聡先輩と片山先生と三人で、軽い打ち上げが行われた。と言っても、会場の近くのファミレスでデザートのパンケーキとフリードリンクを頼んだだけだった。打ち上げと言いながら、片山先生が千聡先輩にネチネチと説教をし始める。そんな先生がいない合間に千聡先輩はこっそりボクに耳打ちしてくれたのだった。
「五分って微妙に短いんだよね。それにあれだけの人に演説をきいてもらえるチャンスなんて二度とないから、五分で終わらせるなんてそんなもったいないことできるわけないじゃない。ねぇ」
「・・・そうですよね」
その言葉に、この人の演説の時間超過は意図的にやっていると理解したのだった。はやりこの人はただものではなかった。
ボクは、どうしてもこの人についていきたい。そう願うようになっていた。
「千聡先輩は、どこの高校に行くんですか」
「堀川高校一本だよ。駄目だったらそこらへんで野垂れ死んでいるからその時は骨でも拾っておいてくれ」
「ボク、千聡先輩についていきます」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。待ってるよ。優也君」
ボクは、先輩の行く高校へ必ず行くと固く決心するのだった。
帰りの市バスで丁度二人席が空いており、千聡先輩と並んで座ることが出来た。千聡先輩に座ってもらうように促すと、チョコっと姿勢よく座って、ボクに隣に座るように薦めてくれたのだ。今、先輩との距離が十センチメートルになった。憧れの千聡先輩が近すぎる。ボクは緊張のあまり何もできずにいた。
傍からみればただの普通の綺麗な人なのに、内側に秘めた大きさは計り知れない人なのだった。
今のボクには、そのポニーテールの千聡先輩の横顔は、神々(こうごう)し過ぎるのだ。
本当は、どうしてもこの想いを伝えたかった。
折角、先輩と二人で話すチャンスが巡ってきたのに、その一言がどうしても言えないでいた。
そんなボクの想いも知らず、隣で何気なく単行本を取り出して読み始めてしまう千聡先輩。
ボクはそんな先輩を見ることもできず、トロトロと走るバスの座席の上で、ただ千聡先輩の隣に座ったまま1ミリも動けなかった。
千聡先輩への告白は叶わなかったが、千聡先輩と会って話したのべ四日。ボクの心は激動した。
ボクにとってこの四日は、三年間の中学校生活の中で最もかけがえのない四日になったのだった。
イラストを追加しました。
弁論大会のバスの帰り道。紺野千聡が菊池優也の横で単行本を読んでいるイラストです。




