立候補編
まさか自分がこんな気持ちになるとは思っていなかった。
千聡先輩が演説するその立ち姿、その声、その瞳にボクは心を奪われてしまうのだった。
菊池優也中学二年。
ボクは、少しだけ出来の良いただの男子生徒だった。学業も運動も、そこそこ出来る代わりに飛びぬけて出来るものは何も持っていなかった。また、大人しくて口数が少なく、教員の先生に文句を言ったことが無い。そんなボクは教員の先生から「体のいい男子生徒」という存在でしかないのだった。
そんな教員の先生達から、ボクは選ばれてしまうのだった。あの「職員室組」に。
約二週間前。
「菊池。お前は文化委員長だ」
残暑も薄れてきた十月初旬の夕暮れ時。
クラブ活動が終わったタイミングで職員室に呼び出されたボクは片山先生からいきなり宣言されてしまった。
目線の先には、親友の小松直樹を初めとするそうそうたる面々が顔を揃えている。
「小松が生徒会長を引き受けることになったから、お前たちで生徒会を盛り上げてやってくれ」
どうやら、教員のお気に入りのメンバーで生徒会役員を固めようという話に誘われてしまったようだった。
嫌と言える雰囲気ではなかった。小松直樹とは小学校のころからずっと一緒でお互いに下の名前で呼び合う間柄になっている。そんな直樹が生徒会に入るのであればボクも一緒に入ること自体はやぶさかではなかったが、賢くて運動も出来て顔も良い直樹に対して、実はボクは少しばかりの劣等感を抱いているのだった。生徒会の割り当てる役一つをとっても、直樹は生徒会長でボクは文化委員長なのだった。いつも一緒にいるせいで、毎回毎回、比べられ続けてきたのだ。半分自嘲めいた気分でボクは任命されるままに文化委員長に立候補することになった。
薄暗い帰りの夜道の中で、ボクはどの道を歩くのが正解か見極めもせず悶々と歩き続けるのだった。
生徒会選挙週間が始まった。
生徒会役員は、生徒会長が一人と、各委員会(生活委員、体育委員、文化委員、保健委員、美化委員)の委員長が先ず生徒会選挙で選ばれる。その後に、副会長と会計、書記のそれぞれ二名ずつを、選挙で当選したメンバーが任命で選ぶことになっている。
生徒会の委員長になるには、生徒会選挙で当選する必要があるのだ。
選挙など、正直面倒くさいので任命で選ばれる副会長や会計の方が楽だったが、この席は、教員のお気に入りの一年を割り当てたい思惑があるみたいで、選挙で当選する見込みのある者が各委員長役に充てられる。ボクはどちらかと言うと、先生や生徒から、ある程度信用されており委員長候補におあつらえ向きの存在だった。
生徒会役員兼、文化委員担当の片山先生がボクに言ってきた。
「応援演説は現文化委員長に依頼するといい。今は紺野千聡が文化委員長をやっている。話は通しておくから明日の放課後に生徒会室へ行ってこい」
選挙の応援演説をしてもらう当てのないボクは、片山先生に言われるがまま生徒会室に顔を出すことにした。
生徒会室に入ると、文化委員長の紺野千聡が待っていた。彼女はさすが生徒会役員と思えるほどの気品と風格を備えているように見えた。通常であれば話しをするどころか、目を合わせることすらも叶わない相手なのだった。そんな高嶺の花のような紺野先輩がボクの顔を見ると興味ありげに近づいてきた。
「キミが菊池優也君か、話は聞いてるよ」
紺野先輩は、その綺麗な容姿とポニーテールに似合わない男言葉を使いながら先輩風をふかしてくる。
「お願いします」
「文化委員長になってキミは何がやりたいんだい」
紺野先輩が顔を近づけて真っ直ぐな目で問いかけてきた。その綺麗な瞳にドキドキしながらも、ボクは文化委員が何かも知っておらず答えられないでいた。
「それは・・・」
「なるほど、良くわかったよ。職員室に呼ばれたクチだな。特に文化委員長になってやりたいことは無いという訳だ」
「すみません」
「いや、気にすることはないよ。私の時も似たようなものだったからね」
「・・・」
緊張しているボクを見て、ふっと紺野先輩の表情が柔らかくなった。
「良く見ると、私好みのいい顔をしてるじゃないか。しかも優也とは名前がまた良い。まるで文化委員長になるために生まれてきたような名前じゃないか。気に入ったよ。良し分かった。キミの応援演説を引き受けようじゃないか。優也君」
紺野先輩が、ボクの両腕をパンパンと叩いて掴んできた。
「あ、あ、ありがとうございます」
顔を真っ赤にしていると紺野先輩の小さな肩が大きく揺れるのだった。その肩を見ているだけで、ますます顔が赤くなる。
「優也君って本当にイジリがいがあるよ。ますます気に入った。よろしくな」
紺野先輩は軽い冗談を交えながらボクの手を取って握手をしてくるのだった。思っていたよりもはるかに細くて小さな女の子らしい手だった。
「千聡先輩も良い名前じゃありませんか」
「ハハ、よく言われるよ」
せめてもの反抗心で先輩を下の名前で呼んでしまったが、訂正まではされなかった。
「それにしても良かったな。文化委員長は現文化委員長が応援演説をすると必ず当選するというジンクスがあってね。いや、伝統と言ってもいい。もし、私が相手側の応援演説をしていたらいくらキミでもヤバかったね」
「すごい自信ですね」
「そりゃそうだろ。何と言っても私は現文化委員長だよ」
「そうですね。心強いです。千聡先輩」
「明日もう一度、来てくれないかな。念のために確認しておきたいことがあるから」
千聡先輩の意図は全く分からなかったが、ボクは訳も分からず次の日も生徒会室に顔をだすことにした。
「結論を言おう。当確だね。先生の信頼もあり、クラスの人気もある。更に生徒会長の大本命候補の小松君と親友関係にあるキミは、私の応援演説が必要ないくらい申し分ないよ」
どうやら一日かけてボクを調査したらしい。さすがに何も知らずに応援演説をすることは出来ないということだ。
「ボクの演説内容をチェックとかしてくれないんですか」
「当確だって言ってるだろ、そんなの全く必要ないから。優也君は普通に演説をしてくれればそれで十分だ。でもそうだな、普通にやっても面白くないから、全票狙いでもやってみるか」
千聡先輩は、冗談なのか本気なのか全く分からない大口をたたくのだった。
生徒会選挙当日
生徒会選挙は、立候補者の本人演説が初めにあり、それを支援する者の応援演説がそれに続く。それを聞いた全校生徒が適任と思う立候補者に投票するシステムだ。生徒会長は計四名の立候補者がいて激戦だったが、文化委員長はボクを含めて二人しか立候補者がいなかった。
僕は何も面白くもない普通の演説をしただけだったが、千聡先輩の演説は全然違った。ユーモアを混ぜながらボクのことを褒めてくれ、最後に真剣な口調で「後任を任せられるのは彼しかいない」と断言してくれたのだった。
簡単で短い演説だったが、見事に全校生徒の心を掴んでいた。こんなに演説の上手い人はそうそういるもんじゃないのだった。
大勝だった。ボクは実に校内全体の人数920名の内、900票以上を獲得してしまったのだった。相手には悪いことをしてしまったが、相手の票がクラスの人数分も集められなかったということだった。相手は一年下の女子だったとはいえこんな大差がつくとは誰も思わなかっただろう。いや、千聡先輩は本当に狙っていたのか。
ボクは何もしていなかった。この大勝は完全に120%千聡先輩の成果なのだった。
「ありがとうございます。千聡先輩のおかげです」
「礼には及ばないよ。私は現文化委員長の責務を果たしただけなんだ。それにしても、全校生徒が920人足らずのこの学校の生徒会選挙で今まで900票を超えた人は私の記憶にないよ。やっぱりキミってすごいんだね。これなら安心して後任を任せられるよ」
これで終わったかに見えた文化委員長の伝統には、続きがあるということをボクはまだ何も知らなかった。
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