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いつまでも夢見る少女ではいられない〜兄の親友への初恋を手放して、新しい恋を選びます〜  作者: 黒猫と珈琲


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第十五話 あなたの隣で、夢を描き続ける

 それから三か月後。


 王都は、すっかり秋の色に染まっていた。


 大通りの木々は赤や黄金色へ変わり、風が吹くたびに色づいた葉が石畳の上を転がっていく。店先には厚手の布や冬用の外套が並び始め、人々の装いも少しずつ重たくなっていた。


 クレアは意匠学校の授業を終え、両腕いっぱいに画帳や参考書を抱えて歩いていた。前方がほとんど見えない。


 それでも、落とさないよう慎重に歩いていると、聞き慣れた声がした。


「クレア、ちゃんと前が見えている?」


 返事をする前に、抱えていた本の半分が取り上げられる。


「フランシス」

「迎えに来たよ」

「今日は来られないって言っていなかった?」

「思ったより予定が早く終わってね」

「それで、わざわざ?」

「会いたかったから」


 相変わらず、恥ずかしくなることを簡単に口にする。


 けれどクレアも、王都へ来たばかりの頃ほど慌てなくなった。


「私も会いたかったわ」


 そう答えると、今度はフランシスが一瞬黙った。


「どうしたの?」

「君は、王都へ来てから強くなったね」

「何が?」

「私を困らせる言葉を、以前より平気で言うようになった」

「本当のことを言っただけよ」

「それが一番困るんだ」


 フランシスは苦笑しながら、クレアの歩調に合わせる。


 二人は並んで、意匠工房へ向かった。


     ◇


 学校での勉強は、想像していた以上に難しかった。


 色彩の組み合わせ。図柄の配置。使う素材に合わせた線の太さ。注文主の希望を聞き、自分の好みとは違う意匠を考えること。


 工房でも、何度も描き直しを命じられた。


『綺麗なだけでは商品にならない』


『この模様では、持ち手をつかんだ時に花が隠れる』


『布に刺繍するには、線が細かすぎる』


 悔しくて眠れない夜もあった。自分には才能がないのではないかと、落ち込んだ日もある。


 けれど、そのたびにクレアは翌朝もう一度、紙へ向かった。


 失敗した理由を考え、線を引き直す。学校の教師へ尋ね、工房の職人の手元を見る。


 できなかったことが、少しずつできるようになる。


 その喜びは、何にも代えがたかった。


「今日はどうだった?」


 フランシスが尋ねる。


「また描き直しになったわ」

「何の図案?」

「食器の縁に使う草花の模様。葉を細かく描きすぎて、焼いた時につぶれると言われたの」

「落ち込んでいる?」

「少しはね」


 クレアは唇を尖らせた。


「今日は、少しくらい褒めてもらえると思っていたのに」

「それで、君はどうするの?」

「もう一度描くわ」


 迷わず答える。


「今度は、実際に使う人の手まで考えて。持った時に花が隠れず、けれど邪魔にもならないように」

「うん」

「悔しいけれど、言われたことは正しいもの」

「では、もう答えは出ているね」


 フランシスは、クレアがどうしたいのかを尋ねる。代わりに答えを出そうとはしない。


 ただ、クレア自身が選んだ言葉を、いつも大切に受け止めてくれる。


「でも、描き直す前に甘いものを食べたいわ」

「それなら、ちょうどいいものを用意してある」

「用意してある?」

「その前に、私に見せたいものがあるんじゃない?」

「そうだったわ」


 クレアは笑い、自分の作業机へフランシスを案内した。


 机の上には、二客のティーカップを想定した新しい図案が置かれている。


 一方には、青紫色のカンパネラ。


 もう一方には、ラングレー領の泉で昔から見ていた細い水草。


 それぞれ一客だけでも図案として成り立つように描かれているが、二つを並べると、水辺の景色がゆるやかにつながるようになっていた。


 以前より線は整理され、曲面へ置いた時の見え方や、実際に絵付けする時のことまで考えられている。


「これは……」


 フランシスが図案へ顔を近づける。


「新しいティーカップの図案よ」

「カンパネラだね」

「ええ」

「こっちの水草は、あの森の泉で見たもの?」

「よく覚えていたわね」

「君と見たものだからね」


 クレアは頬を緩めた。


「セレーネ草というんですって」

「セレーネ草?」

「ええ。王都へ来てから名前を知ったの。昔から何度も見ていたのに、ずっと知らなかったわ」


 そう言ってから、クレアは二枚の図案を少し近づけた。


「今度、工房の商品として試作してもらえることになったの」

「本当に?」

「ええ。まだ試作品もできていないけれど」

「すごいじゃないか」

「まだどうなるかは分からないわ。でも、工房の方が形にしてみようって言ってくださったの」


 フランシスは、自分のことのように嬉しそうに目を細めた。その顔を見ていると、クレアも改めて胸が温かくなる。


「最初に、あなたへ贈ったティーカップがあったでしょう?あれをもとにイメージした図案なの」

「では、あれが始まりなんだね」

「ええ」


 クレアは机の上の図案へ視線を落とした。


「でも、今度の図案は、あの時みたいに私一人で描いたものとは少し違うの」

「違う?」

「学校でできた友人たちにも、たくさん意見をもらったのよ。作りやすさとか、どう見せたら綺麗かとか、並べた時の形とか」

「そうなんだ」

「ええ。私一人で考えていたら、きっとこうはならなかったわ」


 フランシスは、もう一度図案を見た。


「君が王都で出会ったものが、その中に入っているんだね」

「そうかもしれない」


 クレアは少し照れたように笑う。


「だから、まだ試作だけれど……もし本当に工房の商品になったら、とても嬉しいの」

「きっと、いいものになるよ」


 クレアは図案へ視線を落とした。


 ラングレー領の泉で、昔から見ていたセレーネ草。


 フランシスの瞳を思って選んだカンパネラ。


 故郷で見つけたものと、王都で学んだこと。


 過去と未来。


 大切なものを、どちらか一つ捨てる必要はない。すべてを自分の中へ残したまま、新しい形へ変えていけばいい。


「最初に、あなたへ見せたかったの」


 クレアがそう言うと、フランシスはしばらく何も答えなかった。


「どうしたの?」

「嬉しくて、困っている」

「ふふ、フランシスはそればかりね」


 クレアが笑うと、フランシスも小さく笑った。


「君は本当に、私を困らせるのが上手くなったね」

「そんなつもりはないわ」

「それが一番困るんだよ」


 二人が工房を出ると、冷たい秋風が通りを吹き抜けた。クレアは思わず肩をすくめる。


「少し寒くなってきたわね」


 フランシスは足を止めた。


「これを使って」


 自分の首に巻いていたストールを外し、クレアの肩へかける。


「でも、フランシスが寒いでしょう?」

「私は平気だよ」

「本当に?」

「君が風邪を引く方が困る」


 そう言いながら、フランシスはストールの端を整えた。首元へ触れる指が近い。


 顔を上げると、青紫色の瞳がすぐそばにあった。思っていた以上に距離が近く、クレアの鼓動が速くなる。


 けれどフランシスは、それ以上近づかずに手を離した。


「では、屋敷へ行こうか」

「さっき言っていた甘いもの?」

「うん。君に食べてもらいたくて、用意してもらったんだ」


 クレアは目を瞬いた。


「私のために?」

「そうだよ」

「今日は来られないと言っていたのに?」

「迎えに行けなかったとしても、夕方には会いに行くつもりだった」

「最初からその予定だったの?」

「君の顔を見ずに一日を終えるのは、少し寂しいからね」


 また、簡単にそういうことを言う。


「本当に、あなたにはかなわないわ」

「何が?」

「何でもない」


 クレアはストールへ顔を半分埋めながら、フランシスの隣を歩いた。


 フランシスが王都で暮らす屋敷は、工房から馬車でさほど離れていない場所にあった。侯爵家の本邸ほど大きくはないものの、白い石造りの落ち着いた屋敷だ。


 クレアも、王都へ来てから何度か招かれていた。


 二人が応接室へ入ると、フランシスは侍女へ声をかける。


「用意していたものをお願い」

「かしこまりました」


 侍女が一礼して下がる。


「本当に、何を用意したの?」

「すぐに分かるよ」


 やがて、侍女が紅茶とケーキを載せた盆を運んできた。


 淡い黄色のケーキには、艶やかな蜂蜜がかかっている。その上には、薄く切ったレモンが飾られていた。


 そして、紅茶の隣に置かれていたのは、青紫色のカンパネラが描かれた白磁のティーカップだった。


 クレアは目を見開く。


「これは……」

「蜂蜜とレモンのケーキだよ」

「それも気になるけど、そっちじゃなくて」


 クレアはティーカップを見つめた。


「本当に使っているのね」

「疑っていた?」

「飾っておくのかと思っていたわ」

「君が、使ってほしいと言ったでしょう?」


 フランシスは当然のように答えた。


 侍女がティーカップへ紅茶を注ぐ。湯気の向こうに、カンパネラの花が見えた。


 贈った時より、少しだけ日常の中へ馴染んでいる。けれど、欠けたところも傷もない。


「毎朝、このティーカップを使っているの?」

「うん」

「本当に毎朝?」

「王都へ戻ってから、一日も欠かしていないよ」

「ほかにも、素敵なカップをたくさん持っているでしょう?」

「でも、これは君が私のために描いてくれたものだから」


 フランシスは持ち手へ指をかけ、そっとカップを持ち上げた。


「朝、これでお茶を飲むと、君に会える日まで頑張ろうと思えた」


 クレアの胸が、じんわりと温かくなる。


「飽きないの?」

「飽きる理由がない」

「毎日、同じ絵柄なのに?」

「見るたびに、君を思い出せる」


 また、簡単に恥ずかしいことを言う。


 けれど今回は、目を逸らさずにいられた。


 侍女がクレアの前へ、別のティーカップとケーキを置く。


「このケーキも、あなたが頼んでくれたの?」

「うん。蜂蜜が好きでしょう?」

「よく覚えていたわね」

「君の好きなものは、ちゃんと覚えていたいから」


 クレアはケーキへ視線を落とした。


「あなたは、もう食べたことがあるの?」

「このケーキ? まだだよ」

「どうして?」

「君と一緒に食べたかったから」


 あまりに自然に言われ、クレアは返す言葉を失った。


「……また、そういうことを簡単に言うのね」

「本当のことだから」

「私ばかり困らされている気がするわ」

「でも最近は、私もかなり困らされているよ」

「何に?」

「君に」


 フランシスはそう言って、楽しそうに笑った。


 クレアは照れ隠しのように、ケーキへフォークを入れる。


 柔らかな生地を一口食べると、蜂蜜の甘さのあとに、レモンの爽やかな酸味が広がった。


「ん……美味しい」

「よかった」

「蜂蜜の甘さだけではなくて、レモンが少し酸っぱいのね」

「君が好きそうだと思ったんだ」

「ええ。とても好みの味だわ」


 フランシスも、自分の皿からケーキを一口食べる。


「確かに美味しいね」

「フランシスも気に入った?」

「うん。でも」


 フランシスは、カンパネラのティーカップへ視線を落とした。


「このカップで飲むお茶の方が、少し特別かな」

「同じ紅茶でしょう?」

「気持ちの問題だよ」


 クレアは思わず笑った。


「ねえ、私も使ってみてもいい?」


 尋ねると、フランシスが驚いたように目を瞬いた。


「もちろんいいけど、私が使ったあとだよ?」

「洗ってあるのでしょう?」

「それはそうだけど」


 クレアは、彼の手からティーカップを受け取った。


 自分で描いたカンパネラを眺めながら、紅茶を一口飲む。


 贈る前に確かめた時と、同じティーカップのはずだった。けれど今は、少し違って感じる。


 フランシスが三か月間、大切に使ってくれた時間が加わっている。


「どう?」

「不思議な感じ」

「何が?」

「私が描いたものなのに、すっかりあなたのカップになっているわ」

「君がくれた、私のカップだね」


 フランシスは嬉しそうに笑った。


「試作品ができたら、あなたにも見せるわ」

「本当に?」

「ええ。紙の上では二つ並べているけれど、実際のカップになったらどう見えるのか、私もまだ分からないもの」

「楽しみだな」

「まだ試作もできていないのよ」

「待つよ」

「随分気が長いのね」

「君が作るものなら、いくらでも待てる」


 フランシスはそう言ってから、少しだけ困ったように笑った。


「君自身の答えを待っていた時よりは、ずっと気楽だからね」

「今は、待たせていないでしょう?」

「うん。今は、こうして隣にいてくれる」


 その言葉に、クレアはティーカップへ視線を落とした。


 あの夏、フランシスの瞳を思い浮かべながら描いたカンパネラ。それは今、王都の屋敷で、彼の毎日の一部になっている。


 そして今度の図案には、同じカンパネラと、故郷の泉で昔から見ていたセレーネ草が描かれている。


 一客ずつでも、それぞれに景色がある。


 けれど二客を並べると、その間を水が流れるように、一つの景色へつながって見える。


 昔の自分が大切にしていたものに、王都で知ったことや、出会った人たちから教わったことが加わって、新しい形になろうとしている。


「大切に使ってくれて、ありがとう」

「こちらこそ、描いてくれてありがとう」


 フランシスは、クレアが持つティーカップへ手を添えた。


 指先が触れ合う。


「クレア。新しいカップも、完成したら見せてね」

「もちろん」

「楽しみにしているよ」

「まだ工房の商品になるかも決まっていないのに」

「それでも楽しみなんだ」


 フランシスは少し笑った。


「君が王都へ来て、初めて作ろうとしている商品でしょう?」

「……ええ」

「なら、なおさら見たい」


 クレアは頬を緩めた。


「では、ちゃんと形になったら一番に報告するわ」

「約束?」

「約束よ」

「よかった」


「気が早いのね」

「君のことに関しては、いつもそうかもしれない」


 クレアは笑いながら、もう一口紅茶を飲んだ。


     ◇


 屋敷を出る頃には、空が少しずつ夕暮れの色へ変わり始めていた。


 冷たい風が吹き抜ける。


 クレアは、フランシスから借りたストールを巻いたまま歩いていた。


「寒くない?」

「大丈夫よ」

「本当に?」

「あなたのストールが温かいもの」

「それならよかった」


 フランシスは足を止めた。


 クレアも立ち止まり、彼を見上げる。


「急にどうしたの?」

「クレア」


 フランシスの手が、ストールからゆっくりとクレアの頬へ移る。


「キスしてもいい?」


 クレアは一瞬、息を止めた。


 王都へ来てから三か月。


 二人は何度も手をつないだ。肩を寄せて歩いたこともある。別れ際に、フランシスがクレアの髪へ触れることもあった。


 けれど、唇を重ねたことはまだない。


 逃げたいとは思わなかった。


「……ええ」


 答えると、フランシスがゆっくり顔を寄せた。


 秋風が、二人の髪を揺らす。


 けれど、触れた唇は温かかった。


 ほんの短い口づけだった。


 離れたあとも、クレアはすぐには彼の顔を見られない。


「嫌ではなかった?」


 どこか不安そうに尋ねられ、クレアは首を振った。


「嫌ではないわ」

「よかった」


 安心したように笑うフランシスを見て、クレアは少しだけ迷った。


 それから背伸びをし、彼の頬へそっと口づける。


 今度は、フランシスが目を見開いた。


「クレア?」


 クレアの顔は、きっと秋の葉よりも赤くなっている。


 それでも、目を逸らさなかった。


「今は、これが精いっぱいだけど……もう少し待っていてね」


 恥ずかしさに負けそうになりながら、クレアは笑った。


「フランシス、大好きよ」


 フランシスは、しばらく何も言わなかった。


「フランシス?」


 呼びかけると、彼は困ったように息を吐く。


「クレア。私を困らせたいの?」

「え?」

「そんなことをされたら、本当に困るんだけど」


 思っていた反応と違い、クレアは不安になる。


「キスしたの、駄目だった?」

「その逆だよ」


 フランシスの声が、少しだけ低くなった。


「もっとしたくなるってこと」


 クレアの頬が、一気に熱くなる。


「……それは、困るわね」

「本当に分かっている?」

「たぶん」


 クレアが曖昧に答えると、フランシスは小さく息をついた。


「やはり、分かっていないね」

「では、教えてくれる?」

「今ここで?」


 そう返され、クレアは言葉に詰まる。


 フランシスは少しだけ笑い、クレアの肩へかけたストールを整えた。


「続きは、もう少し君が慣れてからにしよう」

「……そうして」


 クレアはストールへ顔を半分埋めた。


 フランシスの体温と、ほのかな香りが残っている。それを意識すると、ますます顔を上げられなくなった。


 少し歩いたところで、フランシスが片腕にクレアの本を抱え直し、もう片方の手を差し出す。


「手をつないでも?」


 祭りの日と同じように尋ねられ、クレアは笑った。


「ふふ、わざわざ聞かなくてもいいのに」

「君の手だから、毎回きちんと聞きたい」

「では」


 クレアは、自分から彼の手を取った。


「今日は、私からつなぐわ」


 フランシスの青紫色の瞳が、嬉しそうに細められる。


 二人は手をつないで、王都の通りを歩き始めた。


 誰かの背中を追いかけるのではない。


 誰かが振り向いてくれるのを待つのでもない。


 自分で選んだ人と、同じ方向へ進んでいく。


 明日も失敗するかもしれない。思うような線を引けず、悔しくなるかもしれない。


 それでも、また新しい紙を広げればいい。


 クレアは歩きながら、次に描きたい図案を考えた。


 カンパネラの花。


 水面に広がる波紋。


 王都の窓辺で見つけた、小さな鳥。


 そして、秋風の中で自分を包んでくれたストールの模様。


 描きたいものは、いくらでもある。


 夢はもう、ただ待つものではなかった。誰かにかなえてもらうものでもない。


 自分で見つけ、自分で選び、自分の手で形にしていくものだ。


 フランシスの手を握ったまま、クレアは王都の通りを歩いていく。


 その足取りに、もう迷いはなかった。


 クレアはこれからも、新しい紙へ、自分だけの線を引き続けていく。








【完】

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― 新着の感想 ―
面白かったです。 私も読んでいてフランシスを選んで欲しいと思いました。 ただ、バーニーへの思いにもう少しけじめをつけてから新しい恋をして欲しかったかな。 バーニーは彼女の想いに甘えていただけでなく、世…
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