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氷が解ける音をきく-転生バーテンダーの気ままなスローライフ-  作者: ワタツミ


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第2話「父と息子の攻防」- サイドカー-

カクテルをテーマにした作品を描きたくて、筆を取り始めてみました。

すでに描き始めている歴史物と、違った雰囲気を感じていただけると嬉しいです。


▼歴史物はこちらで▼

天下の鍵は海にあり!~対馬から始める交易国家運営録~

https://ncode.syosetu.com/n5681lx/

普段よりも少し早めに店に入り

仕込みを進めていた最中に扉が開いた。


────────────────────────


ノックはなかった。

アムールは手を止めずに言う。

「オットーか」

「儂だ」

低い声だった。


振り返る。

扉の前に立っていたのは、白髪の混じった髪を後ろで束ね、辺境伯家の紋章入りの上着を着た大柄な男だった。

年は五十を過ぎたあたり。目元が自分によく似ている。


ベルンハルト=ルードリヒ。

辺境伯。アムールの父だ。


「……父上」

「一度くらい、儂と話直接せないのか...」

低く、静かな声だった。

怒鳴るでも責めるでもない。

それがかえって厄介だとアムールは思う。

怒鳴ってくれる方が、こちらも距離を保ちやすい。

静かに、真っ直ぐに来られると、どこか逃げ場がなくなる気がする。


「手紙で済む話では」

「手紙では済まない話だから来たのだ」


父は許可を待たず中に入り、カウンターの前の椅子を引いて腰を下ろした。

当然の顔で目の上の席に座る。視線がゆっくりと店内を見回した。

棚の瓶を、カウンターの木目を、天井まで届く酒棚を。

かといって何かを言うわけではないのが居心地の悪さを助長する。


「視察団の件は、開店前の時間であれば同席すると昨日お伝えしたはずですが」

「それだけではない」

父が真っ直ぐにこちらを見る。


「アムール。お前もそろそろ、家のことを考えてくれないか」


来た。


「後継ぎの話でしょうか」

「グレゴールに全てを押しつけるのは限界がある。あれも、もう二十四だ。当主補佐として動きながら、お前の分まで支えている」

「グレゴールは優秀です。俺より向いている」

「向き不向きの問題ではない」


父の声が、わずかに重くなる。


「ルードリヒの名を持つ者が、家を出て商売をしているを

 この街の者たちがどう見ているか。お前はわかっているのか」



間違っていない。父の言いたいことはわかる。

ただ、それを認めると別の何かを失う。

失うとわかっているから、認められない。

この話は十年前から同じ場所を回っている。

父も知っているはずだ。それでも諦めきれない。それが、父というものなのかもしれない。


「……父上」

アムールは棚に向かった。


「座っていてください」

「話の途中だ」

「飲みながらでも話は出来ますよ」


────────────────────────


父を横目に、棚の前に立つ。

何を出すか。

父はワインを好んで口にする。

しかし今日ワインを出すのは違う。

好みに合わせたものを提供するのは簡単だが、父の土俵で話をすることになる。と言う気がする。

かといって主張の強い酒では、好みが分かれ、この場をただ険悪にするだけだ。


今日の父は珍しく、自分で足を運んできた。

使いを寄越さず、手紙も書かず、直接顔を見せたのだ。

それはつまり、この話を本気で俺に伝えたかったと言うことだ。

本気で赴いた人間に、軽い一杯を出すのも失礼な気がした。


重みがありながら、角がないものがいい。

甘さが逃げ場になりすぎず、かといって力ずくでもない。

飲む者を選ばないが、飲んだ者の何かを少しだけ動かす——そういう一杯。


アムールは一本の瓶を選んだ。

ブランデー。

この地方の葡萄から作った蒸留酒で深みがあるが、重すぎるものではない。


続いてコアントロー——柑橘の皮を使った甘みのある酒——とレモンを一つ。


シェイカーに材料を量り入れ、氷を加える。

金属が冷えていく感覚が手のひらに心地よく伝わってくる。

グラスに注ぐと淡い琥珀色の液体が、細い弧を描いて落ちた。


父の前に置く。

父は一瞬、グラスに視線を投げてアムールを見据える。


「……これは何だ」

「まずは、飲んでみてください」


父が渋い顔をしたが、グラスを手に取る。

まず香りを確かめた。鼻先に近づけ、不思議そうな顔をしている。

それからグラスに口をつけた。


口の中で転がすように、ゆっくりと飲み込む。


言葉は発しないが表情は、ほんの少しだけ変わった。

眉間の力が抜けた、とでも言うのか。

怒っているわけでも、柔らかくなったわけでもない。

ただ——何かが少しだけ、下りた。

言葉では動かなかった父が、一口の酒で動いた。

それを見てアムールは、この仕事をしていてよかったと、ふとそう思った。


「……うまいな」

「そうでしょう」

父がグラスを置く。カウンターの木目の合わせて指を動かす。


それから、また顔を上げる。


「話を続けるぞ」

「どうぞ」

「お前はいつまでこうして生きるつもりだ」

「これからも、です」

「グレゴールに全てを背負わせて、それでいいのか」

「グレゴール本人が望んでいることです」

「あれが望まざるを得ない状況を、お前が作っているのではないのか」




「お前が戻れば、グレゴールの負担は減るし、母さんも喜ぶだろう。なぜそれができない」

「それだけの話ではないから、できないんです」

「ではどれだけの話だ」


答えなかった。

答えられなかった、と言う方が正確かもしれない。

言葉にできるなら、もう少し楽だった。

自分がここに留まる理由は、誰かに説明するために持っているものではない。

父に理解させるために言語化できるものでもない。

それを十年かけて言えないでいる。だからいつも、この話は同じ場所で行き詰まるのだ。



長い沈黙があった。



父が立ち上がる。上着の前を正す。

「視察団の件、頼む。まずはそれからだ」

「……わかりました」

「グレゴールには儂が来たとは言うなよ。あれが余計な気を遣う」


そう言って、父は扉の方へ歩いた。


扉に手をかけたところで、立ち止まった。振り返らずに言う。

「……サイドカーが儂に向けたメッセージというわけか」


アムールは少し驚いた。

父がカクテルの知識を持っているとは考えていなかったのだ。


「はい」

「どういう意味で出したものかな」

「サイドカーはバイクの横に取りつけた補助席のことです。

 本来の走行路とは少しずれた場所を、一緒に走る乗り物」


道連れ、ということだ。

自分の意志とは関係なく、横に乗せられてしまう。

そういう皮肉を込めて選んだ一杯だった——だが、そこまでを言葉にするつもりはなかった。


「……そうか」

それだけ言って、父は店を出ていった。


────────────────────────


扉が閉まった後、アムールはカウンターの内側に立ったまま、しばらく動かなかった。

父のグラスが残っている。

半分ほど、飲み干されていた。

最初の一口で表情が変わったあの瞬間、言葉では何も変わらなかったが、一杯の酒が何かを少しだけ動かした。

それが何なのかは、わからない。怒りが薄れたのか。

それとも、息子が作る酒の味に、別の何かを見たのか。


わからないまま、父はこの場を後にした。


(道連れにされた。完全に)

視察団への同席は元々断れない。それはわかっていた。

ただ父が来る前と来た後では、何かが違う気がした。うまく言葉にならないが——少し、気分が重い。


残ったグラスを手に取り、父が口をつけた場所を避けて、一口飲む。


甘さと酸味が拮抗している。

どちらかが勝つわけでも、どちらかが負けるわけでもなく、見事に調和しているように思う。


互いに主張しながら、それでも一つの液体として成立している。

道連れ、か。

本来の走行路とはずれた場所を走る。

父のことを指して選んだ言葉だったはずなのに、飲んでみると、自分にも当てはまる気がした。


父は辺境伯として、この領地を治めるために生きている。

それが本来の行き先だ。アムールはその隣を走るはずだった。

長男として、後継ぎとして。

しかし今はここにいるのだ。

本来の行き先から外れた場所で、グラスを磨いている。


では父はどうか。

息子に家を出られた父は、今どこを走っているのか。本

来の行き先のままでいられているのか。それとも——十三年前から、少しずれた場所を走っているのか。

サイドカーは、乗せる側も乗せられる側も、本来の軌道から外れる。


アムールは少しの間、空になりかけたグラスを見た。

自分が父を道連れにしているのか、父が自分を道連れにしているのか。

どちらとも言えるし、どちらとも言えない。

ただ確かなのは、この十三年、互いに少しずつずれた場所を走り続けているということだ。


「……向き不向きの問題ではない、か」


もう一口。

グラスを置いた。

今夜の仕込みを続けなければならない。

素材の確認、氷の調整、今夜の一杯の構想。やることは山ほどある。


父のことを考えている時間は、今日の分は使い切った。

アムールは棚に向かい、今夜のための瓶を選び始めた。

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