第1話「開店前」-オールド・ファッションド-
カクテルをテーマにした作品を描きたくて、筆を取り始めてみました。
すでに描き始めている歴史物と、違った雰囲気を感じていただけると嬉しいです。
▼歴史物はこちらで▼
天下の鍵は海にあり!~対馬から始める交易国家運営録~
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この国の名をメルキアという。
正式にはメルキア王国。大陸の中央やや西に位置する、交易と商業を国是とする王国だ。
国土の南は豊かな穀倉地帯、東は大河沿いの港湾都市が並び、西は丘陵地帯に葡萄畑と蒸留所が点在する。
北には険しい山脈が走り、その麓に「辺境」と呼ばれる地域が広がっている。
隣国との関係は、おおむね穏やかだ。
東のドルヴァン共和国は工業国家で、機械技術と精密加工に長けている。
メルキアの農産物や酒類とドルヴァンの工業製品が行き来する互恵関係が百年以上続いており、両国の間に戦火が起きたことはない。
軍事的緊張よりも、商談と関税交渉の方がよほど火花を散らす。それがメルキアという国だ。
貴族の序列は上から順に、公爵、辺境伯、伯爵、子爵、男爵、准男爵となる。
辺境伯は通常の伯爵と同格か一段上に置かれる特別な爵位で、交易路の管理と関税徴収を担う。
継承については純粋な長子相続ではなく、当主が後継者を指名し王家が承認する制度を採る。
能力と実績が重視されるが、指名と承認には膨大な書類仕事が伴う。
メルキアの民は誰もが多少の魔力を持っているらしい。
ただし「スキル」と呼ばれる特定の魔法適性は生まれつきのものとされており、後天的に身につけることは難しい。
戦闘強化、農耕魔法、治癒魔法――様々なスキルがあるが、最も地味とされるのが「生活魔法」だ。
火を起こす、水を浄化する、物を冷やす、温める。
日常の些細な不便を解消するための、戦いにも稼ぎにも直結しない魔法。
才能があると言われても、あまり喜ばれない種類のスキルである。
だが、そんな世界にも一人だけ、例外はいる。
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西山郁也
日本人。28歳。
繁華街の地下に構えた隠れ家バーのオーナー兼バーテンダー。
客の顔を見て、その日その人に必要な一杯を黙って差し出す仕事。
興味のある素材を様々に加工し、味の組み合わせを考える。アートだとも思っていた。
純粋に楽しく、嬉々として働いていた。
ただ、疲れたな。
元来の夢中になると他のことが何も気にならなくなるせいか
過労で倒れ、そのまま逝った。
病院のベッドで天井を見つめながら、最後に思ったのは
「もっと自分のために酒を飲む時間があればよかった」という、ひどく個人的な後悔だった。
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気づいたら、どこでもない場所に立っていた。
白くも黒くもない、色のない空間。
そこに一人の少女がいた。年の頃は十代後半に見えるが、どこか年齢のわからない雰囲気がある。
白い髪が肩まで流れ、目は薄い金色だ。着ているものは簡素な白いワンピース。
神々しさとか荘厳さとか、そういうものは一切ないが、この存在が人間ではないとはっきり感覚でわかった。
「あ、来た来た」
少女が顔を上げた。声は明るく、どこかのんびりしている。
「えっと……」
「死んだね、あなた。過労で。28歳、早いよねえ。もったいない」
状況を把握しようとしている俺に、少女は続ける。
「私は神でーす。この世界を管理してる担当者みたいなもの。で、あなたに興味が湧いたから呼んだんだー」
「……神、ですか」
「そう。あなたの死に際、見てたんだけどさ」
少女は首をかしげた。
「最後の後悔が『自分のために酒を飲む時間が欲しかった』だったじゃない。あれ、ちょっと珍しくて」
「珍しい、ですか」
「うん。普通みんな、もっと大きいこと後悔するから。愛した人に会えなかったとか、夢を諦めたとか、親不孝したとか。でもあなたは最後の最後に、一人で飲む時間が欲しかったって。なんか、すごく正直だなって思って」
「1番最初に思い浮かんだ本音がそれだったんで」
「うん、知ってる。だから興味湧いたんだよね」
少女はにこりと笑い、続けた。
「私の管轄してる世界に転生させてあげる。あっちで新しい人生やってみない?
転生者には特典があって、スキルを一つ自分で選べるの。何でもいいよ。戦闘でも、魔法でも、錬金術でも」
そういう目の前の自称神の言葉に反応するように、目の前に選択肢が表示される。
郁也はほんの少しだけ考えた。
「この、生活魔法の極致を選びます」
少女が固まった。
「……え」
「生活魔法の極致です」
「いや聞こえてたけど。え、本当に? 他にも色々あるよ? 無敵になれる戦闘スキルとか、何でも作れる錬金術とか、誰でも味方にできる魅了とか」
「生活魔法でお願いします」
「……なんで」
少女の金色の目が、真剣な色になった。
俺は間を置かず答える。迷いなく。
「バーを作りたいんです。完璧な、自分だけのバーを。
氷を自由に操れれば理想の一杯が作れる。酒の酸化を抑えられれば最良の状態で飲める。
温度を正確に管理できれば素材の力を最大限に引き出せる」
「……うん」
「戦いに勝てなくていい。金持ちにならなくていい。誰かに認められなくていい。
ただ、夜に一人で、最高の一杯を飲めればそれでいい。そのために必要なのは生活魔法だけです」
「結婚とかは?」
少女が唐突に聞いた。
「興味ないです」
「出世とか、地位とか」
「どうでもいいです」
「誰かと一緒に生きたいとか思わないの? 孤独じゃない?」
「孤独と一人は違います」
自分でも驚くほど静かに答えた。
「孤独は誰かを必要としているのに一人でいる状態です。
俺が望むのは、誰かを必要とせずに一人でいられる状態です。
好きな時間に好きな酒を飲んで、誰にも気兼ねせず、誰の都合にも合わせなくていい夜。
それが私の理想です。贅沢かもしれないけど、それが本当のことなので」
少女はしばらく黙っていた。その目はじっと俺を捉えて外さない。
「……なんか、すごいね」
「そうですか」
「すごいっていうか、ブレてないね。死んでもブレてない。転生の機会もらってもブレてない。なんか見てて清々しい」
「ありがとうございます」
「他の転生者さ、みんなもっと欲張るんだよね。最強になりたいとか、世界を変えたいとか。あなたみたいに、バーが作りたいって言った人、初めてだよ」
「そうなんですか」
「うん。正直最初は、え、それでいいの?ってなったけど」
少女はくすりと笑った。
「でもさ、よく考えたら、自分の幸せが何かをちゃんとわかってる人って、実は少ないんだよね。
みんな何となく大きいものを求めて、何となく頑張って、死ぬ時に後悔する。
あなたはちゃんと知ってる。自分には何が必要で、何が要らないか」
「……まあ、そうかもしれません」
「だから、いいと思う。生活魔法の極致、あげる。」
「ありがとうございます」
「あ、一個だけ言っとくね」
少女が人差し指を立てた。
「目的のために転生後頑張るのは良いんだけど、ちゃんと自分の幸せ考えなね!
せっかく生き直すんだから思いっきり自由に生きちゃって!神様の公認!」
「それは……心強いですね」
「でしょ。じゃあ、楽しんできてねー!」
その言葉を聞き終える前に視界が、溶けていく。
「あ、お酒の種類だけは元の世界と同じにしといてあげるー!」
そう思い出すように叫ぶ、自称神の言葉を遠くに感じながら。
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『アムール=ルードリヒ』こと俺、西山郁也の朝は、静かに始まる。
転生から二十八年。ルードリヒ辺境伯家の長男として育ったアムールは、十五歳の時に実家を出た。
理由は単純だ。この世界では十五歳で成人だし、それなら自由に暮らせる方がいい。
今の住まいは、領内で最も栄えた街、ヴァルク市の中心部にある石造りの建物の二階に構えている。
一階は別の商人が使っているようで、直接の面識はない。そのくらいがちょうどいいだろう。
部屋は四つ。寝室、書斎、台所、それと小さな居間。
質素に見えるが、すべてが自分の好みで整えられている。
家具は余計なものを置かない。床に物を散らかさない。
誰かに見せるためではなく、自分が気持ちよく過ごすための部屋なんだからな。
今朝も、いつも通りに始まった。
起床してまず窓を開ける。街の朝の空気が部屋に入る。石
畳を行き交う人の気配、遠くで荷馬車が動く音、朝市の声。
耳を刺激するそれらの音は、心地よく耳に届く。
顔を洗い、コーヒー豆を挽く。
豆は南方から仕入れた高地産のものだ。
焙煎から自分でやるのがいいんだ。今朝は深めに煎ってみた。
苦みが強くなる分、時間をかけてゆっくり口にすることになるだろう。
眠気を吹き飛ばしたい朝はこれがいいんだ。
挽きたての粉をフィルターに入れ、魔法で九十三度に調整した湯をゆっくりと注ぐ。
豆が膨らむ。香りが部屋に広がってきた。
カップを手に窓際の椅子に座り、コーヒーを飲みながら街が動き始めるのを眺める。
完全に自分のペースで、自分のためだけに時間が流れる。
転生前にはありえなかったことだからな。少しでも長くこの時間を味わっていたい。
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静かな朝を堪能していると、扉を叩く音がした。
玄関を開けると使用人が立っていた。
ルードリヒ家から遣わされた若い男で、名をオットーという。
月に数回、父ベルンハルトの伝言を持ってくる。アムールはカップを置き、扉を開けた。
「失礼いたします、アムール様。旦那様よりお言付けを預かってまいりました」
「どうぞ」
「今月末に王都から視察団が参ります。旦那様は、アムール様にも正式な場にご出席いただきたいとのことで」
「グレゴールが適任だとお伝えしてほしい」
「それが……旦那様は、長男であるアムール様のご出席でなければ格式が保てないと」
「父も私の今の仕事はご存知のはずですが、生憎、体が空きません」
「そうおっしゃらずに。お父上のお気持ちも汲んでいただきたい」
父から言い含められているのだろう、オットーは固辞しても引き下がらなかった。
「わかりました。では開店前の時間であれば、ご同席しましょう。
晩餐会などは時間の都合上、絶対に参加いたしません!とお伝えください」
オットーは少し困ったような顔をしたが、真面目に頭を下げた。
「かしこまりました。確かにお伝えいたします」
「わざわざご足労いただいたので。これを」
アムールは台所から小さな包みを持ってきた。
昨日買い付けてあった焼き菓子だ。
オットーが目を丸くする。
「よ、よろしいのですか」
「遠いところを悪かったね。持って帰って他の皆さんと食べてください」
「あ、ありがとうございます……!」
オットーは深々と頭を下げ、嬉しそうに帰っていった。
アムールは扉を閉め、残りのコーヒーを飲んだ。
手紙で済む用件を、わざわざ使用人に持ってこさせる。父らしいやり方だ。
直接来れば断りにくいと思っているのだろう。
しかし使用人を責める気にはなれない。
オットーは真面目ないい男だしな。板挟みになっているのは見ていられない。
大体三時間くらいの辛抱だろう。それが終われば、バーに戻る。
味を試行錯誤し、美味しい酒を飲む。
その時間を過ごすための、邪魔を防止する三時。、そう考えればまあ悪くない取引だろう。
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午後、アムールは歩いてバーへ向かった。
ヴァルク市の中心部から石畳の路地を二本曲がり、少し奥まった場所に入る。
表通りの賑わいが遠のき、静かな一帯に出る。そこに、古い石造りの小さな建物がある。
看板はない。屋号もない。扉には何も書かれていない。
街の人間にもその存在だけ知られている程度だ。
このバーに入れるのか、知らない人間の方が多い。
まあそれでもいい。アムールは人が集まることを望んでいない。
ただ、自分が望む時に望む人間だけと、静かに酒を飲める場所が欲しかっただけだ。
鍵を開け、中に入る。
石造りの壁、ウォールナットのカウンター、天井まで届く酒棚。
窓は一つだけ、西向き。営業開始の早い時間、夕暮れ時だけちょうどいい光が差し込む。
カウンターの奥には手作りの蒸留器と、魔法で温度管理された小さな氷室。
メニューはない。値段表もない。
今夜、訪れた人のために作るものを、アムールが一人で決めるのだ。
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今夜使う氷を仕込む。
指先に魔力を集め、氷室の水分子に働きかける。
不純物を弾き出しながら、ゆっくりと均一に凍らせる。
一ミリ単位で結晶構造を整える。五分かけて、手のひら大の完璧な氷塊が一つできあがった。
透明度は満点。気泡なし。これを割ってオン・ザ・ロックにする。
続いてグラスを磨く。
クリスタルの縁に指の腹を当て、蒸気を一瞬だけ発生させて指紋を飛ばす。
布で拭きあげ、光に透かす。完璧だ。
流れるように棚の瓶を確認。並び順を整え、ボトルの磨き上げ。
そのままカウンターを拭き、ジガーやシェイカーといった道具の位置を調整する。
これが営業前の儀式だ。
正確には、営業という概念がこのバーにはない。
ただ、アムールが準備を終えた時が開店であり、アムールが帰る時が閉店だ。
仕込みが終わった頃、扉が開いた。
「兄上」
弟のグレゴールだった。背が高く、落ち着いた目をした青年だ。
アムールとは似ていない。母親似の柔らかい顔をしている。
「父の政務の手伝いは終わったか」
「はい。つつがなく。西の村々からの水路の補修と冬前の備蓄の相談でした。
予算は私が父上に掛け合います」
「そうか」
アムールは棚からロックグラスを一つ取った。
分厚い底、まっすぐな側面。余計な装飾のない、シンプルなグラスだ。
「一杯飲むか」
「いただきます」
グレゴールはカウンターの椅子に静かに腰を下ろした。
アムールは棚から一本の瓶を取り出す。
この地方でとれる麦を蒸留した蒸留酒。
熟成は三年。琥珀色が深く、香りは蜂蜜とバニラが混じり合う。
カウンターの上に道具を並べる。角砂糖、ビターズの小瓶、オレンジの皮。
「今夜のものは……」
アムールが静かに口を開いた。兄が何も言わず、作り始めることへの違和感は感じていないようだ。
アムールはロックグラスの底に角砂糖を一つ置いた。
そこへビターズを三滴、正確に垂らす。砂糖が色づき、苦みを吸い込んでいく。
「まずこの小瓶はビターズと名付けている。
南方の樹皮や薬草を蒸留した琥珀色の液体で、単体で飲むものではない。
酒に深みと複雑さを与えるためだけに存在する。
記録によれば、もともとは薬として作られたものらしいんだが、酒に合うと思ってな」
「シュガーは蒸留酒の角を丸める。ただし甘くするためではないんだ。本来の香りが立ちやすい土台になる」
次に少量の水を加え、砂糖を完全に溶かす。そこへ氷を一塊。
「この氷も飾りではない。味とアルコール感の調整に役割だな。
小さな氷をたくさん入れると溶けが早く酒が薄まる。
この一塊で純度の高い氷で作ると、溶けるのが遅く
温度を下げて加水されながらも味のバランスを崩しにくいんだ」
先ほどからカウンターを挟んで、可笑しそうに笑う弟に目を遣る。
視線に気付いたのか、弟は表情を苦笑へと切り替えて呟く。
「お酒のことになると饒舌になるのは、兄上らしいと思いまして」
アムールは答えず、琥珀色の蒸留酒をゆっくりと注いだ。
氷の側面を這わせるように、静かに、丁寧に。
仕上げに、オレンジの皮を指で絞る。
細かな油分がグラスの表面に散り、柑橘の香りがふわりと立ち上がる。
皮はグラスの縁に添えて、そのままグレゴールの前に静かに置いた。
「オールド・ファッションド。古い流儀という意味のカクテルだ。
流行に左右されない。余計なものを加えない。自分の芯だけで立つ。といったところかな」
グレゴールはグラスを持ち上げ、鼻先に近づけた。
香りを確かめ、そっと口をつける。しばらく沈黙があった。
「……美味いですね」
「当然だな」
アムールは自分のグラスを取り、カウンターの内側に立ったまま一口飲んだ。
窓から西日が差し込んでいる。埃一つない棚に、瓶が並んでいる。静かだ。
「父上がオットーを遣わしましたね」
「ああ。聞いたか」
「視察団の件は、私が対応します。兄上は顔だけ出していただければで十分ですよ」
「お前が言わなくてもそのつもりだよ」
グレゴールは微笑んで、またグラスを傾けた。
父と違って小言は口にしない。
「リーゼがここの場所を知りたがっていましたよ」
「教えるな」
「もう知っています」
「……いつから」
「先月からだと思います」
アムールは額に手を当て、天井を見上げた。
「あいつはうるさいからなぁ、来た時は追い返すかもしれん」
「難しいんじゃないですか」
グレゴールは困ったように微笑んだ。
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グレゴールが帰り、バーに静寂が戻った。
灯りを一つだけ点す。カウンターに座り、今夜のために選んだ酒を開ける。
昼に磨いたグラスに、昼に整えた氷を入れる。注ぐ。香りが立つ。
アムールは目を閉じた。
こうして異世界に転生しても、酒を作り続けグラスを傾けている。
笑える話だと思う。しかし悪くない。
アムールが望むのは生活を送れているのだ。
必要なのは、このグラスと、この静けさと、誰にも邪魔されない夜だけだ。
灯りが一つ、ゆらりと揺れた。アムールはもう一口飲み、静かに微笑んだ。
面白いと感じていただけましたら
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