13話 約束のレモンの木
「木谷さん、そろそろお客様いらっしゃるんで、準備して下さい!」
空来は、浜に居る木谷に声を掛け、玄関前に立てた看板の向きを確認した。
ふと庭に目を向ければ、レモンの鮮やかな黄色が目に入った。
──今年も実が生ったよ、ニーノさん。
レモンの苗を植えた日のことは、それこそ昨日のことのように覚えている。
「じゃあ、最後の土はニーノさんの手で!」
空来がシャベルを差し出すと、ニーノは照れたようにそれを受け取って、庭に植えられたレモンの苗木に最後の土をかけ、ぎゅっと押した。
誰からともなく拍手が上がる。
ただ、レモンの苗を植えるだけではなく、ちょっとしたパーティーのように、ニーノの自宅の庭にテーブルや椅子を出し、沢山の料理を用意していた。
以前マリンブルーを利用したお客様や、普段世話になっている沼川などを呼んだパーティーは、思ったより大規模となった。
「ニーノさん、どれから食べますか?」
空来が皿を片手に聞くと、椅子に腰かけたままのニーノはぐるりと卓の上を見回し、小さく笑った。
「そうねぇ……どれも少しずつ食べたいかしら」
出来るだけ体調の良い時に、と予定を組んだのだが、冬の間に体調を崩したニーノは、暖かくなり始めても、以前のように生活することが難しくなっていた。
それでも、娘との和解や木谷とのこと、様々なことを経て、焦りを感じている様子はなかった。
だから、空来も手伝えることは手伝って、以前と変わらず接することにしていた。
持ち寄った料理を少しずつ乗せた皿をニーノの前に置き、自分の皿にも同じように料理を乗せた空来は、植え付けたばかりのレモンの苗に目をやった。
ニーノの提案で、ある程度育った苗を買ったから、この庭の中でもなかなかの存在感を放っていた。
──まさに、シンボルツリーって感じ。
「いつ、生るかしらねぇ……」
ニーノがポツリと言った。料理には少しだけ手を付けて、フォークを持った手をきゅっと握りしめている。
「実ですか? 確か、三年くらいでしたよね」
そう答えた空来は、ふと見たニーノの横顔に、心の何処かが締め付けられた気がした。それを打ち消すように笑みを作る。
「レモンが生ったら何作りましょう。はちみつレモンとかも良いけど、季節的にはレモンケーキも美味しそうです。ニーノさんは、何が気になりますか?」
少し考え込んだニーノは、「その前に」と思いついたように言った。
「花が見たいわ。白くて、可愛いんでしょう?」
そう言って、ふふと笑うニーノに、空来は釣られるようにして笑った。
「そうみたいですね。実は、アタシも見たことないんですけど」
「あら、そうなの」と相槌を打ったニーノは、再び料理に手を付け始めた。
それにホッとしながら、空来は考えた。
レモンの花が咲くのは春。当然、花が咲いて実が生ることとなる。
──そうすると、早くても来年、かな。植えたばかりじゃ花はまだ咲かないだろうし。
「楽しみですね、ニーノさん。花が咲いたらレモンの花見会しましょうよ」
「あら、面白い。楽しみにしているわ」
その時、お客様達と話していた松島が、満面の笑みで歩み寄って来た。
「ニーノさん、このタコス食べてみて下さいよ」
松島がタコスの乗った皿をニーノに差し出した。不思議そうにそれを口に運んだニーノは、驚きに目を見張り、トルティーヤを開いた。
「あら、これ魚が入ってる!」
「前にタコスパーティーしたでしょ。あの時にニーノさんが言ってたなぁって思い出して。作ってみたんですよ」
「やっぱり、美味しいんじゃない、これ」
ニーノが得意そうにすると、松島は自身の腕を示して「腕がいいんですよ」と笑った。
──あの日、ニーノさんを見つけたのは、店長だったんだよね。
夏を迎える前のある日。
松島は、いつまでもカーテンの開かない家の様子を不審に思い、ニーノの家の玄関を叩いた。返事もないことに、急いでマリンブルーに戻ると、預かっていた合鍵で玄関を開けた。
その先に、まるで眠るように──
「なに、ボーっとしてるんだ。お客様が来るんだろ」
木谷のぶっきらぼうな声が、空来の意識を引き戻した。
「来ますよ。看板の向きをチェックしてたんですぅ」
今、ニーノの家は、民宿として営業していた。
マリンブルーが事業拡大し、この一帯をマリンスポーツ関連で利用出来る施設へと開拓していったのだ。
空来も、マリンブルーとの間に立つ空き家を借り、手を入れながら暮らしていた。
──もう、五年か。
勿論、すぐに皆がこうして動き出せた訳じゃない。
それでも、少しずつ、本当に少しずつ想い出を胸に日々を過ごし、居場所を整えていった。
木谷は、民宿の管理人として住みこんでいる。
「あの時、泊っていれば」と涙ながらに語ったあの姿を、空来は忘れることはないだろう。
空来は通りの先に現れた姿に気が付き、声を掛けた。
「あ、店長、おはよーございます!」
振り向いた松島が、手を上げ言う。
「オーナーだって、言ってんだろ!」
そう言ってから、慌てた様子で店の方を振り返り、屈みこむ。暫く何やらした後、小さな影を抱き上げた。
「恵吾君も、おはよー!」
空来の声に、松島の腕に収まった小さな姿がキャッキャッと暴れ回る。
──あーあ、いいなぁ。あっさり結婚しちゃうんだもん。……別に、悔しくなんてないし。あ、真奈美さんだ。
恵吾を迎えに来た柔らかな笑顔に、空来も釣られるようにして笑顔を浮かべ、目が合うと挨拶を返した。
──真奈美さんは、優しいから好き。店長……オーナーには勿体ないくらい。
空来は、もう一度レモンの木に目をやり、そうしてから、ジャリジャリと音を立てる通りの先に目を向けた。
見慣れない車がやって来ていた。
笑みを作り、通りへと踏み出す。
──ニーノさん、今日も精一杯、出来ることを頑張りますよ!
「木谷さん、お客様いらっしゃいました!」
「ああ」
人生は何が起きるか判らない。
ニーノという女性が、この島を訪れなければ起きなかったこと。繋がらなかった出会い。
そして、その中で変わらないもの。
きっと、それは──。
ここまでお読み頂き有難うございました。
『約束のレモンの木』お楽しみ頂けたでしょうか?
元々ホラーやサスペンス映画ばかり見ている夢野ですが、実は小林聡美さんやダイアン・キートンさんが出演されているヒューマンドラマ作品も好きで、そういった作品を自分でも書いてみよう! と書き出したのがこちらの作品です。
明確なモデル地がある作品でもあります。(タイトルがヒントです)
幾つになっても、誰かを想う気持ちを大切にしていきたいですね。
もし、この作品がどなたかの気持ちに寄り沿えることが出来ていれば幸いです。
また何処かでお会い出来ますように。
2026年2月18日
夢野かなめ




