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ゴブリンの軍勢を撃破して、後は連中の巣である町を攻め落とすのみとなり、皆がその準備に勤しむ中、僕はイクス師に呼び出され、共に森の前へとやって来た。
「忙しいだろうところ、すまないね。では少し、上で話そうか」
そう言ってイクス師が僕と自身に掛けたのは、人の身を空へと浮かせ、鳥に並ぶ飛行能力を与える第五階梯の魔法、飛行。
僕にはまだ手が届かないけれど、第五階梯の魔法を覚える時には、他の度の魔法よりも先に、習得したいと思っているのがこの飛行だ。
普段、僕はシュイの体に意識を乗せて空を舞っているけれど、実際に自分の体で感じる空は、それとはまた少し違う。
高い場所に吹く風を、切って飛ぶのではなく、自分の体で受け止めて、バタバタとなびくローブに辟易とする。
目に入る風を手で遮らなきゃいけないし……。
ただそれでも、高いところから大地を見下ろしながら空気を胸に吸い込めば、うん、やっぱり空はいいなって、そう思えた。
何時かは、自分の力で、自分の体をここまで連れてこよう。
多分それは、そんなに遠い事じゃない。
「……ここなら私達の話が誰かに聞かれる心配はないだろう。尤も、私達も少しばかり話しにくいがね」
森の上、それも結構な高さに移動して、振り返ったイクス師が僕に向かってそう言った。
確かに、こんな場所でしてる話を盗み聞きする事は、例えばパーレにだってできやしない。
可能性があるとするなら魔法だが、僕とイクス師、二人の魔法使いに感づかれずにそんな真似ができる者は、……そりゃあ絶対にいないとまでは言わないが、それこそおとぎ話に出てくるような魔法使いだ。
ただ、イクス師が言うように、高所の風は強くて、少しばかり互いの声も届きにくいけれども。
けれども、そこまでしてしなきゃいけない話、内緒話って、一体なんだろうか?
少なくとも今のタイミングでしなきゃいけない話なんて、僕には心当たりがなかった。
「さて、どこから話そうか迷うんだが……、リュゼ君、このシュトラ王国の、いや、この地域の歴史は、どれくらい思い出せるかな? 例えばシュトラ王国の前にこの地にあった国の名前、滅んだ理由。更にその前は?」
僕の顔を見て、イクス師が発した問いは、まるで歴史の復習。
ちなみにこの地域の歴史を僕に教えてくれたのは、他ならぬ目の前のイクス師だ。
イクス師は古代魔法王国期の専門家だが、それ以降の歴史にだって当然のように精通してる。
何故なら、見つかった遺跡が古代魔法王国期の物であるか否か、違ったならばどの時代の物なのか、判別する必要があるから。
だから僕も、イクス師からは一般教養の範囲以上に、西方諸国の歴史に関しては教えられていた。
「シュトラ王国の誕生は120年前、当時の大国、スウィードル帝国が崩壊した際に独立したシュトラ侯爵家が周辺の貴族を支配下に置き誕生。スウィードル帝国がこの地域を支配下におさめたのはその30年前、全盛期の頃に、ロストニアという国を滅ぼして」
指を折りながら、僕は国の名前と、誕生、滅亡の経緯を述べていく。
これに一体何の意味があるのだろうと思いながらも。
しかし改めて振り返ってみると、数十年から、長くても二百年に一度くらいは、国が興っては滅んでいるのか。
国が興っても滅んでも人の営みは途絶える事なく続いているとはいえ、国というものの寿命は案外短い。
「420年前、長く放置されていたこの地の魔物をパスカヴィル建国王が一掃してランドクザンを興す。魔物がはびこる前にあった国の名前はトピアで、恐らく480年程前に巨大な竜に国土を焼かれて滅亡」
そうやって暫くこの地の歴史を述べていると、イクス師が大きく頷いたので、僕は言葉を止める。
どうやらイクス師は、480年程前に滅びたトピアという国、或いはそれを滅ぼした竜の話をする為に、僕が前提となる知識を持っているのかを確認したのだろう。
「そう、この地に伝わる歴史の中でも、トピアだけは滅びた理由が特殊で、竜の吐息が国土を焼いて荒野に変えたからだ。その後、急速に自然環境は回復したが、この地は魔物に支配されてしまった」
僕の言葉を引き継いで、イクス師が語り出す。
確かに、トピア以外の国の終わりは人間同士の争い、或いは都合で滅んでる。
ただそれは、この地域ではトピアだけがそうだったって話で、他の場所では人間の都合以外で滅ぶ事は、珍しくはないとまでは言わないが、決して皆無ではなかった。
例えば、それこそ今回のようなゴブリンの大繁殖で滅んだ国もあるのだから。
故に僕には、どうしてイクス師がそのトピアの滅亡を特別視するのか、そこがいまいちわからない。
竜が国を滅ぼした話だって、過去には幾つも、特に遥かな昔から伝わる御伽噺の類も含めれば、むしろありふれてると言ってよかった。
実際に、竜に滅ぼされた国の跡地が、今も竜の支配下にあって、人の立ち入れぬ場所になってるって話も聞いた事がある。
「でもね、公に伝わっていない歴史には、トピア以外にも竜に焼かれた国がある。名をトライセンと言うのだけれど、その国が滅びたのは、トピアが滅びた更に五百年前だという事がわかってるんだ」
けれども続くイクス師の言葉に、僕の背筋は凍り付く。
それはまさか、この地が定期的に竜の吐息に焼かれてるって話じゃないだろうかって、最悪の想像をしてしまったから。




