14.足手まとい──じゃない俺
二重扉を押し開いた先に広がっていたのは、遺跡内に入ってからこれまで最も広大な空間だった。天井は吹き抜けになっており、はるか上空から差し込む僅かな自然光が、部屋の中央を照らしている。かつては大広間か儀式の間だったのだろう。床には巨大な魔法陣が描かれ、壁際には人の背丈ほどもある魔石の柱が円形に並んでいた。
そして、その中央に──いた。
最初に目に入ったのは、三つの頭だった。
獅子の頭、山羊の頭、蛇の頭。それぞれが別々の方向を見据えて、それぞれの口から蒸気を吐いている。体は獅子のそれを基本に、背から山羊の上半身が生え、尾は巨大な蛇がそのまま蠢いていた。翼はない。代わりに、体の各所から禍々しい角のような突起が伸びている。体長は五メートルを超え、全身を覆う毛皮と鱗が暗紫色に脈動している。
キメラ。
それも、通常のキメラではない。今の俺にならわかる、体表から漏れ出す魔力の量が桁外れだ。遺跡の魔力を取り込んで変異した、上位個体。
「B級の依頼で、こんなのが出てくるのかよ……」
さすがのアルたんも顔をしかめた。これはB級どころか、A級──下手をしたらS級に片足を突っ込んでいる。
「退くなら今だぞ」
クルトが弓を構えながら言ったが、遅かった。キメラの三つの頭が同時にこちらを向いた。
「ガアアアアアァァッ!!」
獅子の頭が、重低音の咆哮を放つ。衝撃波が空気を揺らし、足元の石畳が割れた。体が吹き飛ばされそうになるのを、ゲオルクの障壁がかろうじて防ぐ。
「全員散開! 囲んで隙を探せ!」
アルたんが叫んで飛び出した。正面から獅子の頭に斬りかかる。
戦闘が始まった。
端的に言って、地獄だった。
アルたんの聖剣がキメラの前脚に斬りつけるが、暗紫色に脈動する毛皮を裂くのが精一杯で、深手を負わせられない。カールが全力の戦斧を叩き込んでも、キメラは軽く体を揺するだけで致命傷にはならなかった。
「固いなっ! ははっ、全然切れん! ははっ」
カールの笑い声にも、さすがに余裕がなくなってきている。
クルトは柱の影から矢を射続けているが、三つの頭のどれかが常にクルトの位置を捕捉しており、隙を見せると蛇の尾が柱ごと薙ぎ払ってくる。
「《燃え盛る業火の蛇よ、地を這い敵を喰い尽くせ》!」
リーゼが最大火力の火炎蛇を放つ。炎がキメラの胴体に直撃し、毛皮を焦がした──が、キメラは獅子の頭で吹き消すように息を吐くと、山羊の頭が口を開いた。
「まずい、来るぞ!」
山羊の頭から吐き出されたのは、青白い閃光だった。雷撃。石柱を粉砕しながら広間を薙ぎ払う、圧倒的な破壊力。
「っ!」
リーゼが咄嗟に展開した防護魔術が、雷撃を受けて砕け散った。衝撃でリーゼの体が宙に浮き、壁際に叩きつけられる。
「リーゼ!」
俺が叫ぶと同時に、ゲオルクが走った。
「拙僧にお任せを!」
回復魔術を展開しながらリーゼに駆け寄り、容態を確認する。さすがにこの状況では下心など微塵もなく、純粋に僧侶としての職務を遂行していた。
「気を失っておりますが、命に別状は。しかし……拙僧の魔力も限界が近うございます」
ゲオルクの声に、初めて焦りが滲んでいた。
アルたんが獅子の頭に斬りかかるが、蛇の尾に脚を払われて転倒した。立ち上がろうとしたところに、獅子の前脚が振り下ろされる。間一髪、転がって回避するが、革鎧の肩当てが粉砕された。
「くそっ……」
アルたんの腕から血が滴っている。
「リーダー!」
カールが割り込んで戦斧でキメラの前脚を受け止めるが、押し負けて膝をついた。カールの膂力を上回る怪力に、戦斧の柄がめきめきと軋みを上げる。
「ははっ……こいつはやべぇな……ははっ」
笑い声すら引きつっている。
クルトの矢が蛇の頭の目を貫いた。蛇が暴れ回り、尾の動きが一瞬止まる。だがキメラは蛇の犠牲を意に介さず、山羊の頭が再び雷撃を溜め始めた。口の中に、青白い閃光が渦巻いている。
「二発目が来る……!」
アルたんが警告する。だが、誰も回避行動を取る余力が残っていなかった。カールはキメラの前脚を支えるのに精一杯。アルたんは腕の怪我で動きが鈍い。クルトは柱を失って遮蔽物がない。ゲオルクは気絶したリーゼを庇って動けない。
山羊の口が、大きく開いた。来る!
あぁ──駄目だ。このままだと、みんな死ぬ。
アルたんも。カールも。クルトも。ゲオルクも。リーゼも。
俺を追放したパーティーだけど。俺に冷たかった仲間だけど。出会って数日しか経ってないリーゼだけど。
みんな──。
嫌だ。
胸の奥で、なにかが弾けた。
体の芯から熱い奔流が溢れ出す。血管を焼くような、けれど不思議と苦しくない熱。指先から、手のひらから、全身のあらゆる毛穴から、金色の光が噴き出した。
足元の魔法陣が呼応して輝き始める。遺跡全体が共振しているのだ──否、共振しているのは遺跡ではなく、この体に刻まれた〝彼女〟の魔術回路か。
言葉が、浮かんだ。
知っているはずのない呪文が、口を突いて出る。
「《万象の軛を解き放ち》」
自分の口から出る、声の質が変わっていた。低く、深く、広間全体に響く共鳴を帯びている。
「《五素の渦紋を重ね合わせ》」
体の周囲に五色の光が出現した。赤──火。青──水。緑──風。茶──土。白──光。五つの属性魔力が同時に渦を巻き、互いに干渉しあって増幅していく。
「《この手に還れ》!」
五色の光が収束し、右手に集約された。指先に凝縮された魔力の密度は、この広間を埋め尽くすほどの圧力を放っている。
キメラの山羊の頭が雷撃を解き放った。
青白い閃光が、まっすぐにこちらへ向かってくる。
俺は──右手を振った。
金色の閃光が、雷撃を飲み込んだ。
打ち消したのではない。吸収して、さらに威力を増幅させたのだ。
五属性の魔力が融合した一撃が、キメラに直撃しその全身を覆い尽くした。火が焼き、水が浸食し、風が引き裂き、土が拘束し、光が浄化する。五つの力が同時に、そして順序立てて、キメラのあらゆる防御を突破していく。
「ガッ──ギィ────!!」
三つの首が同時に絶叫を上げた。暗紫色の脈動が急速に消えていき、巨大な体が崩れ落ちる。轟音と共に石畳が割れ、粉塵が舞い上がった。
静寂が、降りた。
キメラは動かなかった。三つの頭がすべて地に伏し、体からは灰色の煙が立ち上っている。
やった、のか?。
自分がなにをしたのか理解するより先に、全身の力が抜けた。膝から崩れ落ちそうになるのを、駆け寄ってきたアルたんの腕が支えた。
「エミ!」
アルたんの声が遠くに聞こえる。視界がぼやける。初めてなのに魔力を使いすぎたのだろうか。体がまるで中身を空にされたように軽くて、頼りなかった。このまま消えてしまいそうな。
「ぁ……あは、やっちゃった……」
朦朧としたまま、間の抜けた言葉が漏れた。
薄れていく意識の向こうで、アルたんが俺の名を呼び続けている声が聞こえた。エミ、エミ──その声があんまり必死で、少しだけ笑ってしまいそうになった。俺の幼なじみのくせに、知り合って二日の女には随分優しいじゃないか。
──ごめんな、アルたん。心配かけて。
でもどうやら俺は、足手まといじゃなかったみたいだ。今日だけは。
アルたんの腕の中で、俺の意識はゆっくりと遠のいていった。




