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1  アヤメ

 私とイクエは本を読むのが好きだ。

 幼い頃から私たち二人は、外で遊ぶよりも家の中で本を読むことが多かった。お互いの好きな本を持ち寄っては何度も読み合わせをしてははしゃいでいた。

だが、中学に入ってからその様相は少し変化した。

 私は小説を書くようになった。最初は暇つぶしのつもりであった。キャラクターを考え、話を考え、気付けば自分が考えていた以上に作ることにのめり込み、物語を完成させた。お世辞にも上手いものとは言えないものであった。書き始めの頃の稚拙な構成や文章を思い返すのはすごく恥ずかしい。それでも、一生懸命作ったものであったから、当然誰かに見せたくなってしまった。


 そこで、一番に見せたいと思ったのはイクエであった。彼女なら、きっと下手でも馬鹿にしない、見せても大丈夫、私はそう確信していた。私はすぐに行動に移した。 小説を書いたノートを胸に抱え、隣の彼女の家に小走りで向かった。5メートルも無い距離を走っただけで私の心臓はドクドクと踊っていた。いつもよりわずかに震える指先でチャイムを鳴らした。 途端に家の奥からパタパタと軽い足音が聞こえた。

「はーい、どちらさまで……あれ、アヤメちゃん? どうしたの?」

 ドアの向こうから顔を出すイクエは私を見ると不思議そうな顔をしていた。今日は遊びに行く約束をしていなかったからだろう。

「うん、あのね、見てほしいものがあるの」

 そうイクエに伝えると、私の持つノートを見てそれが見せたいものだろうと察したようだった。すぐに2階にある彼女の部屋に通された。本棚に敷き詰められた様々な本の、紙のにおいがする彼女の部屋に入り、二人は床に座った。

「あ、あのね、お話を書いてみたの。読んでみてくれないかな……」

恥ずかしいくらいに声が震えていた。彼女にノートを渡す手もきっと震えていただろう。

「えっ! アヤメちゃんお話書いたの!? すっごい!」

 彼女は私に尊敬の眼差しを向けるのが分かり、慌てて言葉を加えた。

「初めて書いたから……その、下手だろうけど……笑わないでね」

「笑わないよ! 見せて見せて」

 イクエはノートを手に取り、すぐにページを捲っていく。彼女は読むスピードがとても速い。所謂速読が出来るのである。

 恐らく全て読むのにおよそ5分も掛からなかったであろう、だが、私はその5分が 永遠のように感じていた。喉はカラカラに乾き、冷や汗で体は冷えていた。冷たくなった指先はいつの間にか拳を作っていた。


 パタリ、とノートを閉じ彼女は一呼吸おいた。ノートから目線を私に移す彼女の目は真っ直ぐで、そんな彼女の視線に耐えきれず、一瞬逸らしそうになったが、私は目を逸らせない程緊張していた。嗚呼、見せなければよかったなと、私の胸には後悔の二文字がグルグルと回っていた。だが、その二文字は彼女の言葉で吹き飛んだ。

「このお話すっごく面白いよ! 初めてなんだよね? すごいすごい! アヤメちゃんすっごい!」

 幼い言葉だったが、その言葉はとても嬉しくて、私の緊張を打ち消すには十分だった。

「本当……? 本当に?」

「本当だよ! 私ウソつかないよ!」

 確認の言葉に彼女はあっさりと肯定した。

「ねえねえ! また書いてよ! 書いたら私に一番に読ませてね!」

「う、うん。 うん…!」

 彼女のせがみがただただ嬉しかった。単純なやり取り。だが、それ以来私はいくつも小説を書き続けた。


 いくつも書いてはイクエに見せ、彼女の笑顔と感想に自信をつけていった。そして、彼女に勧められコンクールにも応募するようになった。少しずつ入賞をするようになり、いつしか『常連組』と呼ばれるようになった。

 

 だが、高校2年生、受験戦争と呼ばれる学年になる一歩手前だった。この学年の独特の、ピリピリとした雰囲気が肌で感じられるようになった。

 進路、将来、それらのことを考え、不安とストレスに苛まれる日々が続いていた。

 そんな中で、今年最後になるであろう小説コンクールの締め切りが刻々と近付いているにも関わらず、私の原稿用紙は真っ白のままであった。

 何度も賞を貰った、自信もある、だが未だに私は『最優秀』を手に入れたことがなかった。審査員からの評価が見られるコンクールには毎回投稿した。そしていつも書かれている言葉は「構成、表現力は素晴らしくプロにも匹敵するであろう。だが登場人物の個性や世界観の魅力がない。そこが補われれば最優秀は間違いないと考える」であった。

 何度も、何度も何度もその言葉を目にした。人の観察を続けた、色々な人の作品も読み、話も聞いた。だが、その努力は報われることはなく、幾度も『最優秀』を逃してきた。

 小説が書きあがらないことと、受験勉強で尚更苛立ちが募っていたそんな日々が続く中、イクエからメールが来た。

『アヤメちゃんに見せたいものがあるの。息抜きに家に遊びに来ない?』

 小説が行き詰っているし、正直そんな気分ではなかった。だが、息抜きという言葉に惹かれ、私は二つ返事で彼女の家に遊びに行くことにした。


 春先に彼女の家に行って以来だった。5メートルも離れていない彼女の家に行くために厚着をする必要がある程に季節は過ぎていた。

チャイムを鳴らすとすぐに彼女が出てきた。

「いらっしゃい、上がって上がって!」

無邪気に笑う彼女を見て苛立ち荒んでいた心が少しだけ和らいだ。

 彼女の部屋は変わらず紙のにおいがした。床に座り、温かいお茶を飲み、甘いお菓子を食べた。のんびりとした雰囲気で忘れていたメールのことを思い出し、イクエに話を切りだした。

「ねえ、メールで言ってた見せたいものって何?」

「そうそう、これなんだ!」

 彼女は私に明るい黄色の可愛らしいノートを取り出し、胸に抱いた。

「これ、何?」

「あのねあのね、私も小説書いてみようと思ってね、でも、設定とか出だししか出来なくて……途中で止めちゃったんだ。でも気になっちゃって……ゆっくり書いていこうかなって」

 私はイクエの言葉にギクリとした。あのイクエが小説を書く?

 たぶん私は一瞬変な顔をした。だけどイクエはモジモジ下を向いたまま話していたので、私のちょっとした変化に気付かなかった。

「それでね、アヤメちゃんにアドバイスして欲しくて。なんたって小説の先輩だし、見せても恥ずかしくないのアヤメちゃんだけだし。アヤメちゃん上の大学狙ってて勉強忙しい時にごめんね」

 イクエは恥ずかしそうに、だけどどこか嬉しそうに言った。

「良いよ。私もいつも見てもらってるし。ちゃんとしたアドバイス出来るか分からないけど」

 先ほどの胸の引っかかりを無視して、私は二つ返事で了承した。

「ありがとう! 早速なんだけどお願いします!」

 イクエは勢いよく抱えていた黄色いノートを私に差し出した。私は受け取ってノートを読み始めた。


 それは―――

 完璧だった。

 私の、まさに理想そのものだった。


 登場人物の魅力的な性格や世界観、私が何度も何度も考えたのに辿り着けなかったもの。

 彼女は、イクエは、最初にからここに辿り着いた。

 どんどん読み進めた。夢中で読んでいた。そして読み終わって顔を上げると、イクエがいた。

「どうだった?」

 不安げに、何かを期待しているかのように私の言葉を待っていた。

 何か言わなくては。面白かった。素敵だった。こんなの私には書けない。 イクエすごいよ。ずるい。ずるいずるいずるい。なんでイクエが、ずるいずるいずるいずるい!

 酷い言葉が浮かんでは消えた。駄目だ、違う、こんな事を言ったら駄目だ。

 私は必死に言葉を探した。そして顔と言葉が崩れない様に気を張った。

「うん、面白いと思うよ。でも出だしが良かったけど後半がね……」

 これは本当だった。後半のほとんどが会話文ばかりで誰がしゃべっているのか分かりにくくなっていた。

「うっ……そっかぁ。やっぱり会話が多かったかな」

 イクエは少し残念そうに言った。駄目な部分にもちゃんと気付いていた。

 もっと褒めることがあったのに、もっと言うべき事があったのに、私は何も言えなかった。褒めたらきっと、さっきの酷い言葉も漏れだしてしまいそうで言えなかった。

もし文章をきちんと直したら、『最優秀』を取れるんじゃないだろうか。私はふと、そんなことを考えていた。そしていつの間にか口から言葉が出ていた。


「ねえ、私と合作してみない?」

 イクエは驚いた顔をしていた。私の提案が思いがけないものだったらしい。

 しまった。彼女はさっき自分のペースで書くと言っていた。なのに私は、『最優秀』が取れるかもと思っただけでこんなに浅ましい行動をとってしまった。

 恥ずかしさでいっぱいになった。今すぐ窓から飛び降りて死にたいと思った。  いや、こんな高さじゃ死ねない。取り留めもないことを考えていた私にイクエは思いがけない事を言った。

「本当? 本当に良いの?」

「えっ……う、うん。イクエが、良ければ、だけど」

私はつっかえつっかえだがそう言った。

「良いも何も嬉しいよ!ありがとう!私だけじゃきっと完成出来ないだろうし、アヤメちゃんからそう言ってくれるなんて思わなかった。本当にありがとう!」

 屈託なく笑う彼女に私は面食らった。彼女は私が善意で言ったと思っているようだった。

「でも、さっき自分のペースでやるって言ってたけど、本当に良いの?」

「えへへ。さっきはそう言ったけど、完成しなかったら折角のキャラクターが生まれ損になるところだったしね! アヤメちゃんのスケジュールに合わせたほうが私もダレなくて良いし」

イクエはイタズラっぽく舌を出して頭をかいた。本当に裏表なく言う子だった。

「うん、それじゃあ……折角だし、ちゃんと完成させてコンクールに出してみない? 実は私まだ応募する予定のコンクールに出す作品考えてなかったの。ここは合作しても良いところだし」

 この期に及んでまだ私はコンクールの事を考えていた。浅ましいと思ったけど、折角のチャンスを逃したくなかった。

「良いね良いね!初の小説が二人の共同作業!しかもアヤメちゃんと一緒なら入賞間違いなしだね!」

 予想通りイクエは話に乗ってきた。私の汚い考えにまったく気付く様子もなく嬉しそうにしていた。

「コンクールまであんまり時間が無いけど、頑張りましょうね」

 私は、綺麗に笑えてただろうか? いつも通りお姉さんぽく言えただろうか?

「うん!」

 彼女はいつも通り幼く笑った。


 そして、二人の初の合作は『最優秀』を取った。

 私たち二人は幾度も『最優秀』を取るようになった。そして、出版が決まるものまで出てきた。

 イクエが人を作り、私が物語を作った。 私の文章にイクエが心を与えた。

 そんな風にしていたら、あっという間に受験のする学年になっていた。

 私たち二人は幼い頃よりもずっと一緒に居る機会が増えた。 物語を考え話す機会が増えた。


 私はこれを申し訳なく思った。ずっとイクエを利用している。イクエの時間を奪っている。

 それでも私は書くのを止められなかった。 『最優秀』を取ったあの日から、ずっと。

 出版が決まった時の喜びは、快感が今でも忘れられなかった。 周りからお祝いされて、色々な人から「おめでとう」と言われた時の高揚感をまた味わいたいと思っていた。

 イクエも嬉しそうだった。 私よりも純粋に喜んでいた。

 私は怖かった。もしイクエが書くのを止めると言い出したら、もしイクエが一人で書きたいと言い出したら、私と喧嘩して一緒に書きたくないと言い出したら、そう考えると怖くて仕方がなかった。『最優秀』どころか出版も出来なくなるだろう。

 嗚呼、私はこの期に及んでまだ書くことに、一番になる事に拘っている。醜い。私は本当に醜い。

 イクエごめんなさい。貴女を利用して、ごめんなさい。

 私一人だけじゃ書けない。物語の人物に心を与えられない。だから私はイクエを手放す事を恐れた。彼女が離れることを恐れた。

 彼女が飽きない様に、彼女と喧嘩しない様に、いつも仲良く物語の話が出来るように。

 本当にごめんなさい。

 毎日そう思いながらも、イクエにそう言うことはなかった。

 今日も私はイクエと物語の相談をする。

 明日も、明後日も、来年も、再来年も。死ぬまで、そうであれば良いと思った。

 こんなに醜い私で、本当にごめんなさい。

























―――

――――――

―――――――――

―――――――――ごめんね、アヤメちゃん。

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