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第4章 滝と再会

第4章 滝での再会


「ところでご老人。まだ名前をうかがっていません」

「これは重ね重ね失礼いたしました。私は森敦と申します」

 老人は続ける。

「先ほど、この家は妻の形見のようなものと申し上げましたが、妻そのものなのです」

「それは…、比喩的な意味で言っているのですか?」

「その言い方が正しくなければ、妻が亡くなって以来会うことはありませんが、この家にいるのです」

「それはつまり……」

 ホームズは質問を続けるのを止めた。

 長い沈黙が流れた。時計の針が、やけに大きく響く。壁の奥で、木がわずかに軋む音がした。

 その瞬間だった。

 ホームズとワトソンは、突如として強い眠気に襲われた。

「森さん、あなたまさか……」

 言葉が途切れる。視界が歪み、床が遠のく。二人はそのまま意識を失った。

 どれほどの時間が経ったのか分からない。

 ホームズは、轟くような水音で目を覚ました。

 巨大な滝が、白い飛沫を上げている。

「ここは……」

 見覚えがあった。忘れようのない場所だ。

「ホームズさん、気づきましたか?」

 振り返ると、そこに老人——森敦が立っていた。

「森さん、なぜここに……」

「懐かしい場所でしょう、ホームズさん」

 その言葉に、ホームズの瞳が鋭くなる。

「森さん……森……モリア——」

 ホームズはそこで言葉を切った。

「そんな怖い顔をなさらないでください」

 老人は穏やかに微笑んだ。

「あなたの言いたいことは分かります。しかし、私は今は森です」

「どういうことだ?」

「説明しなければ分かりませんね」

 老人は滝へと目を向けた。

「ご存じの通り、かつて私はこの場所であなたと争い、滝壺へ落ちました。しかし実のところ——私は落ちきらなかった」

 静かな声が続く。

「落ちた先は、21世紀の日本でした。正確に言えば……この日本人の体へと」

 ホームズは無言のまま見つめる。

「信じがたいでしょう。ですが——あなたもまた、時を越えてここにいる」

「……確かに、その通りだな」

 ホームズはわずかに息を吐いた。

「それで? ここへ連れてきた目的は何だ。再び決着をつけたいのか?」

「とんでもありません」

 老人は首を振る。

「この老体で、もはや何ができましょう」

 そして、少しだけ目を細めた。

「ただ——あなたにお会いしたかっただけです、ホームズさん。恨みなど、もうひとつもありません」

 短い沈黙が流れる。

 滝の音だけが、変わらず響いている。

 やがて老人は、静かに続けた。

「長い時間でした」

 その声は、どこか遠くを見ていた。

「人は、環境が変われば考えも変わる。価値も、執着も、そして、やがてほどけていく」

 足元の水煙が揺れる。

「かつての私は、“勝つこと”に意味を見出していました。しかし今は違う」

 ゆっくりと、ホームズを見る。

「ただ一度、自分の過去にけじめをつけたかった。それだけです」

 ホームズは何も言わなかった。

 ただ、その視線はわずかに和らいでいた。


「ホームズ、ホームズ……!」

 声が遠くから引き戻す。

 ホームズは目を開けた。

「ホームズ、目を覚ましたか? 良かった」

 ワトソンが顔を覗き込んでいる。

 応接間だった。あの洋館の中だ。

「モリア……いや、あの老人はどこにいる?」

「それが見当たらないんだ。気がついたら君も私もここで倒れていて……彼の姿はどこにもない」

 ホームズはゆっくりと起き上がった。

 室内は、妙なほど静かだった。

「……では、我々もここに用はない。長居は無用だ。出よう」

 二人は館を後にした。

「あの老人は無事なのだろうか?」

 外へ出てしばらくして、ワトソンがぽつりと呟いた。

 ホームズは答えない。

 ただ前を向き、歩き続ける。

 夕暮れが、山の向こうからゆっくりと降りてくる。

 やがて、まるで思い出したように——

「さて、ワトソン——」

と、言いかけたホームズは、着物の袖が僅かに濡れているのに気付いた。

「彼女が夕食の準備をして待っている。早く帰ろう」


終わり



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